恋 心

「あらっ。」そのカップルとすれ違った瞬間。

「・・・・・?」

「へーぞーの叔父さん!!」

 港区の高級ホテルのロビーで。ジョウは思わず声を上げた。

「・・・・奇遇だな。ジョウはこんなトコロで何してるんだ。デートか?」

 ジョウに向かって微笑むのは。天性の女殺しの美貌。櫻 大吾。

「わあ。偶然ですね。こんなトコロで何してるんですか?あ。ゴメンなさい。お楽しみ中だった・・・?」

ジョウは、大吾の隣に居る目の覚めるような美女を見て、ちょっとバツの悪そうな顔をした。

「・・・・また、手前(てめえ)か・・・。」

 そして。

 ジョウの背後で苦い声を出し、お約束のように現れたのは。天使のような童顔の。これも女が放って置く訳の無い色男。勝又 翔。

「・・・・・それは。こっちのセリフだぜ。てめえ、ジョウとホテルで何している?」

 大吾はジョウに向けた眼差しとは掛け離れた目付きで、勝又を睨み付けた。

「・・・・俺とジョウがどこで何をしようが、手前には関係ねえ。」勝又が不敵な笑みを、大吾に返す。

「・・・・・・。」

 二人の大男は、睨み合った。

 目には見えない青白い火花が、飛び散り。

 周りに居る人間の体感温度が、間違い無く3度は下がった。

「あ、あ、あのっ!違うのっ!!!お、親父も一緒なの。3人で食事してたの。ほら、節分だから。」

 ジョウが慌てて、二人の間に割って入った。

「・・・・零一朗が?」

 大吾はジョウの背後に向かって、目を眇めた。

「・・・・・・・。」

 果たして。

 この世で一番美しい顔が、少し離れた場所から無言で三人を見詰めていた。少し剣呑な光が瞳に浮かんでいる。

「・・・・・・・。」

「・・・・・・・。」

 その眼差しに晒されて、大吾と勝又は少しバツの悪そうな顔で、さりげなく視線を逸らせる。ついでに大吾は一緒に居た美女に何か囁いた。すると彼女は文句を言う事も無く、大吾から離れて行った。

 

「・・・・・・良いんですか?」

 ジョウは美女の後姿を見ながら、大吾を見上げた。

「良いんだ。・・・・ところで節分だからってのは。どういう意味だ?」

 大吾はジョウに笑顔を向けて、訊いた。

「理由は何だって良いんだよ、ジョウは。立派なレストランで食事を奢って貰いたいだけだ。たまたま今日は節分だというだけの事だ。」

 ジョウの答えを奪い取って、勝又が言う。

「何よ。」

 ジョウはムクレタ。

「良いじゃない。明日は立春だもの。めでたいじゃない。」

 そう言って、若い女性らしい拗ねた仕草でソッポを向くジョウを。

「・・・・・・・。」

「・・・・・・・。」 

 二人は無意識ながらも、同じような愛しい者を見る目で見ていた。

「あっ。そうだ!勝又。明日の朝のパンを買っていくわ。ここのベーカリー美味しいのよ。」

 ジョウは突然。思い出したようにそう言うと、勝又の手を取って、引っ張る。

「・・・・・あ?ああ。」

 勝又は一瞬、大吾と零一朗に視線を走らせて苦い顔をしたが、仕様が無いといった風に溜め息を吐くと

ジョウに引かれるままショップに向かった。

 

 大吾は。

「・・・・・・・。」

 ぼんやりと。その二人の姿を目で追っていた。と。

「・・・・・・つくづく。お前のタイプだな。」

 低く良く通る声が。

 驚くほど間近で聞こえて、大吾はビクリと身体を震わせた。

「・・・・何のことだ。」

 零一朗が。いつの間にか、大吾のすぐ後ろに立っていた。

 動揺を抑えきれない震える声で答える大吾は。零一朗だけは誤魔化せないだろうと、観念していた。

「勝又だよ。」

 零一朗は、容赦しなかった。

「・・・・・・・・。」

 大吾は痛いような表情を一瞬浮かべて、目を閉じた。

「穢(けが)れを知らない、清純そのものの見てくれと。・・・俺は知らないがな。・・・多分、ベッドでは、そこらの娼婦顔負けの技巧を見せる。モロ、お前好みだ。」

「・・・・・・・・。」

「・・・・あの。一見、天使のような可愛らしさだけでも、完璧にお前のタイプだ。」

「・・・・・・・・。」

 大吾は目を開くと、泣きそうな顔で零一朗を見下ろした。

「・・・・・・・・・。」

 零一朗はその大吾の顔を見て、大きな溜め息を吐いた。

「あれが・・・。とんでもない劇薬だという事は、知っているな。」

「ああ。」

「・・・・下手すると。櫻 大吾だけではなく、宗方組も吹っ飛ぶぞ。」

「ああ。」

「・・・・言っておくが。俺にも、アレを止める力は無いからな。アテにするなよ。」

「ああ。わかっている。」

「・・・・・・・・。」

 零一朗は、もう一度大きな溜め息を吐いた。

 大吾はこれみよがしの零一朗の大きな溜め息を聞いて、小さな苦笑を浮かべた。そして。

「・・・・零一朗。」低い声で、その名を呟いた。

「・・・・・・・。」零一朗は目だけ動かして大吾を見た。

 大吾は。

 真っ直ぐ、零一朗を見詰めた。

「俺は・・・・。あいつが心底。お前に惚れている事も知っているさ。」

「・・・・・・・。」

 そして。零一朗を見詰めたまま。どこか諦めたように、小さく笑った。

「・・・・・・・。」

 零一朗は目を瞠(みは)った。

 これほどの長い付き合いでも。

 こんな大吾を見たのは。初めてだった。

「・・・・・・・・。」

 いつ。どんな時でも。どれ程の窮地に追い込まれようと。

 不敵な笑いを唇に刻み。

 自信に溢れた眼差しを周囲に注いでいた男が。

「・・・・・・・・。」

 零一朗は目を閉じて。三度(みたび)。大きな溜め息を漏らす。

 恋心というモノに対してだけは。――――

 どれほど年齢と経験を重ねようとも。

 誰もが。いつでも初心(うぶ)な少女のようだ。どうする事も、出来やしない。

「・・・・・・。勝手にしろ。」零一朗は小さく呟いた。

「・・・・・・・。」

 二人は子供ではない。

 もし。

 二人の間に何かが起こったとしても。

 それは多分、零一朗もジョウも他の誰も知らない間に始まり。

 そして。誰も知らない間に終わるだろう。だが。

「・・・・・・・・。」

 零一朗は無意識に眉根を寄せた。

 勝又 翔という男にだけは。

 零一朗は、言い知れぬ不安を感じずにはいられない。

 愛だの恋だの信頼だの。友情だの。そうした事とは完全に無縁の男。

 自分にとって。益になるかどうか。それだけが、相手の評価の基準だと今もってそう言って憚らない。

 彼は、使えるモノは容赦なく何でも使う。櫻 大吾は。勝又にとっても、恐らく今までにないほどの上等の駒となるに違いない。

「・・・・・・・・。」

 零一朗は唇を噛んだ。

 彼にとって、大吾は。

 ジョウと、そして皮肉な事に勝又本人を除けば、間違い無く一番近くに居る男だ。

 勝又が。大吾をどういう風に利用しようとするのか。零一朗にも見当が付かない。それによって、自分が今まで通り。勝又を退けていけるのかさえ。

 ふいに。大吾が小さく呟いた。

「・・・・・わかっている。どれだけ注意を払おうと、結局お前に迷惑を掛ける事になるだろう・・・・・。」

「・・・・・・・・。」

 零一朗が大吾を見上げる。

「だが・・・・。」

 大吾は零一朗を見下ろして、小さく笑った。

「お前には悪いが。・・・自分でも、どうしようもねえ。」

 零一朗は、大吾から目を逸らした。

「・・・・・・・・・気にするな。こんな事で、俺は別にビクともしねえよ。」

 嘘だった。さすがの零一朗にも自信が無かった。そう言ったのはやせ我慢だった。

「・・・・・・・。」

 何かが、変わる。変わろうとしている。

 零一朗は、ジョウと一緒にベーカリーに居る勝又に目を向けた。

 そして。鋭い眼差しを勝又に放つ。

「・・・・・・。」

 すると。今までこちらを気にすることのなかった勝又が、ベーカリーのガラス越しに真っ直ぐに零一朗を見た。

「・・・・・・・・。」

 勝又は、零一朗の殺気さえ含んだ眼差しを。微かな笑みを浮かべて受け止めると、自分の隣で朝食用のパンを物色しているジョウの肩をゆっくりと抱いた。

「・・・・・・・・!」

 その無言の圧力に。零一朗は右目を眇めて勝又を見詰めた。

 

 勝又は目を逸らさない。微笑を浮かべたまま。目だけはまるで噛み付くかのような視線を零一朗に充てていた。

(・・・・事と次第では。アレと敵対することになるかもしれん。)

 零一朗は背筋に冷たいモノが流れるのを感じながら、唇を歪めた。だが。

「・・・・・・・・ジョウが言っていた。」

 大吾が。

 静かな声で、二人の睨み合いを断ち切った。

「明日は立春で、めでたい。とな。」男らしい美貌に、大吾は彼らしい不敵な笑みを浮かべて。

「・・・・・・・。」

 真っ直ぐに、勝又を見ていた。そして。

「・・・・・・・。」

 次いで零一朗を、優しい眼差しで見詰めた。

「・・・・・・・。」

 零一朗は思った。深く息を吐き出す。

 これは、大吾なのだと。

 零一朗が庇護し、面倒をみなければならない存在ではない。この男であらばこそ。リスクを承知で、勝又に惚れたり出来る。惚れたと口に出来るのだ。

 漲(みなぎ)る自信。自分自身への。

 そして。その自信は、彼という男に相応しいものだ。

「・・・・・・・。」

 迷惑を掛けると口では言っても。実際にそんな事は無いと零一朗には分かっていた。例え何が起ころうとも、彼は自分の事は自分で始末をつけるだろう。それが。例え零一朗の望むカタチとは違ったとしても。絶対に零一朗に累を及ぼすような真似はすまい。例え、勝又と刺し違えるコトとなっても。

 勝手にしろ。―――――

 そんな男に、一体他に何が言えるのだ。

「・・・・・・。今日は節分だからな。」

 

 零一朗は、大きく息を吐いた。そして、吹っ切ったように。その美しい顔に、小さな笑みを浮かべた。

 何かを変えるには。相応(ふさわ)しい日であるには、違いがなかった。

 

「親父!クロワッサンで良かった?」

 ジョウが、浮かれた足取りで駆け寄ってくる。

「・・・・お父さんと呼べ。」

 零一朗が眉間に皺を寄せた。

「・・・・・・・・・。」

 何事も無かったように。勝又はジョウの後ろから、微笑みを浮かべてゆっくりと二人に近寄ってくる。

「・・・・・それじゃあな。」

 大吾がそれを見ながら、零一朗に呟いた。ゆっくりと背を向ける。

「・・・・・大吾。」

 その背に零一朗は声を掛けた。

「俺は、何も聞きたくない。・・・良いな。」

「・・・・・・・。」

 大吾は少し振り向きかけたが。

 無言で、そのままゆっくりと。歩き去った。

「・・・・・何の話だ?」

 勝又は、零一朗の顔と去っていく大吾の背中を見比べながら零一朗の顔を見た。

「何でもない。・・・帰るぞ。」

 零一朗は、二人の返事を待たずに歩き始めた。

「・・・・・。」

 勝又の瞳に。一瞬、不穏なモノが浮かぶ。二人の間に漂っていた微妙な空気を感じ取っている。

「えーーー!?バーにも行きたいっ!!ぱぱっ!!ねえっ!!!」

 ジョウが慌てたように叫んだ。だが、それを無視して、零一朗はホテルの外に出た。

「零!」

 勝又の声が追ってきた。

「・・・・・・。」零一朗は足を止めた。

「・・・・さっきの視線は。・・・一体、何の真似だ?」

「・・・・・・。」

 

 夜の空気は身を切るように冷たい。

「・・・”春は名のみの”といったトコロだ。」零一朗は振り返らずに答えた。

「・・・・何だと?」勝又の刃のような視線を背中に感じる。

「・・・・・知らないか?”時にあらずと声も立てず”。」零一朗はそう言うと、再び歩き始めた。

「・・・・・・・。」勝又は無言でその背を見送る。

(・・・春は名のみの風の寒さ、か・・・・・。)

 

 零一朗は苦笑して、コートの襟を押さえた。

 

 春は。

 まだまだ遠そうだった。

 

fin−

2003.02.02

        

 

 驚きました?

 いやはや。どうしましょう。実は迷っています。このまま「大吾×勝又」を本編と別枠で進めてみたいという欲望もあるのですよね。それなりのアダルト路線で。勿論、本編に影響が無い形でね。うーん。しかし。あんまりこのシリーズだけを広げていくのも、ちょっと躊躇してしまいますね。

 ところで。なぜ、節分・立春企画かというと。

 実は。節分はにゃむにゃむの誕生日だからです(笑)。もう、めでたいという歳でもないのですが(爆)

自分へのプレゼントの意味を込めて。ちょっと無茶な路線を欲求のままに発表してみちゃいました。あはは。

実は、それだけです。失礼しました。

 

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