粉雪が舞っていた。男は公園のベンチで、徹夜続きの疲れた身体を丸めて座っていた。
「・・・・・・・。」
雪が頬に当たり、その冷たい感触に顔を上げる。そして、くたびれたブルゾンの襟元を押さえた。
「・・・・・・・。」
何でそんな気になったのか分からない。男が座っているベンチからあまり離れていない場所に、若い。まだ十代だと思う少年といって良い年齢の男が立っていた。
その。真っ直ぐに伸びた背筋。意志の強そうな太い眉毛。そして何より、前方をしっかり見据えているその澄んだ瞳に惹かれて。
男は気付くと、少年に声を掛けていた。
「・・・自分。一人なんか?」
「・・・・・・。」少年は訝しげに、くたびれた中年男を見た。
「お小遣い。欲しないか?」少年は器用に片方の眉を上げて、男を見た。
「・・・・おっちゃん。ホモか?」
「どうやろな。」
「小遣い、くれるんか。」
「おっちゃんに付きおうて、くれたらな。」
「・・・・・・・。」
てっきり罵倒されると思っていたが。
少年は無言で、男に付いて来た。
男は、少年を連れて。どうみても場違いな。最高級のフランス料理を出すという、そこらのグルメ雑誌にショッチュウ取り上げられているレストランにやってきた。
半分。心のどこかで、満席なら良いと思っていたが、天候のせいか生憎、店は空いていた。
「どうや?旨いか?」
オードブルが終わったあとで、男は緊張しているらしい少年に声を掛けた。
「味なんか、ちっともわからへん。お好み焼きの方が良かったわ。」
少年は口を尖らせた。
「・・・俺もや。」男は小さく共犯者のように、笑った。
「金の無駄遣いやなあ。」少年はあきれたように、男を見た。
それでも。ビールやワインの酔いが回ってきた頃には、二人の会話はそれなりに弾んできた。話題は当たり触りの無い事。今興味のある事とか好きな歌。プライベートには意識的に踏み込まない。だが。それなりに、くつろいで食事も取れた。男には味は良くわからないが、各々の料理の盛り付けや色彩の美しさは、男を何となく幸福にした。
そう。馬鹿にしたもんやないな。
正直、男はそう思った。こうしたものに群がる人間たちは、この幸福感を味わいたいのかもしれないと。初めて、解ったような気がした。
「おっちゃん。俺と寝たいんか?」
食後のコーヒーを飲んでいる時、少年がそう言った。
「・・・・・どやろな。」
男は少年を見た。
「・・・・別に構へんで。」
「・・・・・・。」
なんだか意地になっているような少年に、男は小さく笑った。
「何(なん)が可笑しい・・?」
「無理すな。」
「無理なんか、しとらん。びびっとるのは、おっちゃんの方や。」
「俺が、びびっとるやと?」
「そうや。怖(こわ)なったんやろ。」
「・・・・・・。」馬鹿馬鹿しいとは思いながらも。自分を嘲るように見上げる少年に、男は意地でも引けないと思った。そうだ。トウに忘れていたが、男は若い頃、かなりの負けず嫌いだった。
いい加減。丸くなったらどうだ。
大学のサークルで、友人にも良く言われた。男は答えた。
妥協してまで、生きていきたくない。
「・・・・・・。」
部屋は、スイートにした。さすがにフロントの目が気になって、ダブルには出来なかったが。
もうヤケだった。男は大きく溜め息をついた。
「・・・・・・。」
男にはもう分かっていた。あの公園で。少年の真っ直ぐに伸びた背筋を見た瞬間。
自分が。今の生活の何もかも、イヤになっているのだ、という事を。
とんがって。とんがって。生きていた若かった自分。どれだけ他人を傷つけても。他人を傷つける事で自分が傷ついても。涙を堪えながら、妥協なんかしない。したら、自分では無くなってしまうなどと、青いセリフを叫びながら、それでも一生懸命生きてきた自分が。かつて。居た。だが。
社会に出て、いわゆる世間の荒波に揉まれて。
新入社員の頃は、自分が言っていたセリフを。大きな責任を背負った立場で、部下に聞かされたとき。
「いつまで学生気分なんや!!顔、洗うて出直して来いっ!!!」
気が付くと。
そう怒鳴りつける自分が居た。
「・・・・・・・。」
唇を震わせて。
傷ついた瞳で自分を見る部下の甘すぎる根性に、吐き気を感じながらも。
その中に、遠い過去の自分を見る矛盾。男は。変わって当たり前という気持ちと。何かに負けたとういう拭い難い無念さに、翻弄された。
変わってしまった自分を後悔しているの訳ではない。だが。変わってしまったとういう事実が、どうしようもなく哀しいのだ。
「・・・シャワー。先に浴びさせてもらうで。」
怒ったように少年が言う。
「待てや。先に値段の交渉しとくか。」
お互い。もうこんな茶番は止めたいと思いながらも。自分からは止められなかった。
男は。年下が引け、と思っていたし。
少年は。誘ったのはあんただ、と思っていた。
結局。3万8千円で合意に達した。
「・・・・男相手に、タツ訳ないやろ・・・。」
どちらも引かないまま、少年が風呂に入ったトコロで男は小さく呟いた。
「何で。こないな無駄な出費を・・・。」
少なくとも現在(いま)。男は、切実に後悔していた。
ベッドで。
それでも、男は必死だった。
元は取らねば、という義務感すら感じていた。少年に口付けを落とす。
「・・・・・・・。」
「・・・・・・・。」
お互いガチガチだった。歯と歯がぶつかる。
「!」
「・・・っ!!」
結局。男の方が先に音を上げた。・・・諦めるとういう事に、少年より慣れていたからだろう。
「・・・・もう。ええ。」男は溜め息とともに呟いた。
「・・・え?」
「・・・金は払うから、帰りや。俺の負けや。」
「・・・・・・・・。」
少年の真っ直ぐな瞳が、男の顔に充(あ)てられているのを感じた。
「・・・帰りや。」
ベッドから降りようとする男の腕を。少年が掴んだ。
「・・・金。もろうたからには、仕事や。満足出来んが金だけ払うてのは、何ちゅう言い草や。失礼やろ。」
「・・・・・・・・。」
男は、ぼんやりと少年を見た。
俺は、あんたらに金を払うて雇うとるんや。金払うたブン働いてもらうで。
小さな。
町工場。
規模としては、大した事の無い受注。人員も大してさけない。お茶を濁そうとした男に、その町工場の経営者は顔を真っ赤にして怒鳴った。
小さな支払いも、ゴネるクセしやがって。
何百億の仕事に慣れていた男は。舌打ちをしながら、同僚に愚痴った。
何様やと思うてるんや!!!
「・・・・・お客様・・・・やったんやな。」
男の呟きに。少年は、え?と言った顔をみせた。
「・・・・・・・。」
男は多分。泣きそうな顔をしていたのだと思う。
「・・・・・・・。」
少年は、男を自分の身体の下に組み敷いた。
少年は。若かったが。男より遙かに逞しい身体を持っていた。背丈も。体重も。
「・・・・・・・。」
男はぼんやりと少年を見上げた。
噛み付くような口付けが降ってきた。まるで餓えているような。
実際、そうなのかもしれない。この年頃の少年が全員そうであるように。
「・・・あっ・・・!!」
少年の情熱がもたらす、乱暴で自分勝手な波に攫われながら、男は自分のものでは無いような喘ぎ声を聞くハメに陥った。
「・・・・・・・・。」
今まで。そんな事を一度も言った事が無かったハズだ。
どれ程、納得がいかなくても。
どれ程。ユーザーに罵倒されても。
思い通りの仕事が出来ないジレンマには、歯を喰いしばって耐えてきた。
金額と将来性に見合う仕事しかしてこなかった。今度が。初めての仕事上でのわがままだった。だが。
「何。餓鬼みたいな事を言っとるんや!!!!」上司は男を怒鳴りつけた。
「しかし・・・!これでは・・・・。あまりにも・・・・。」
「ええんや!仕様がないんや!!・・・この話は終わりや!!ええなっ!!!」
入社して初めて。精魂を傾けた仕事。納得がいくまでやり遂げたかった仕事は。
上司の一言で、あっけなく。男の手から滑り落ちた。
男は。自分の中で何かが砕け散ったのを感じた。
もう。引き返せんのやろうか。
今までの自分の人生を。その意味を。その未来(さき)を。男はあの公園で見失いかけていた。
「・・・・・・。」
少年に、乱暴に揺さぶられ突き上げられて。
男は、すすり泣いた。
公園で見た。
少年の真っ直ぐに伸びた背筋。真正面を見詰めていた澄んだ瞳。
それらを男は思い浮かべた。
愛しく。痛い。
かけがえの無いモノ。もう二度と帰っては来ない、何か。
「・・・・おっちゃん。・・・辛いか?」
荒い息を吐き、汗塗れの少年が、男を覗き込んで眉を寄せる。
だが、そう言ってはいても、少年はもはや自分を止める気は無さそうだった。
「・・・・・・・。」
男はゆっくりと首を振った。彼にも、もはやソレが。苦痛なのか快楽なのか、わからなくなっていた。
「・・・・・・。」
気付くと。
いつもの時間に目が覚めた。
長い。サラリーマン人生で身に付いた癖(へき)といってもいいだろう。
若さに引き摺られてかなり乱暴に扱われた、もはや若くは無い身体を引き摺りながら。
男はシャワーを浴びた。思いがけない。事故のような。情事の痕跡を消し去るように。
「・・・・早起きやねんな。」
少年はベッドに寝たまま、まだ眠そうにぼんやりと男を見た。
「いいから寝とき。俺は仕事やから。」
「俺。・・・・乱暴に、し過ぎたんとちゃうか?」
「ええ。気にすな。」
背広の上着を手に取った男に、少年は掠れた声で呟いた。
「・・・・名刺。もらったんやけどな。」
「・・・!」
男は弾かれたように、振り返った。
「・・・・・・。おっちゃんがシャワー浴びとる間にポケットから。」
少年は自分の人差し指と中指に、男の名刺を挟んでいた。男は。初めて気付いた。これは。買春。淫行という犯罪だと。
「・・・・・・。」
男は愕然とした。その表情のまま、無言で少年を見詰める。その瞳に何を見たのか、少年はバツが悪そうに頭を掻いた。
「・・・・ごめん。・・・別に脅すつもりで言うたんとちゃうで。」
「・・・いや・・。」
そういいながらも。子供くらいの女子高生を買って、身を持ち崩した同僚の姿が目に浮かんだ。
「あんたに興味が湧いたんや。ビックリさせて、ごめんな。」
少年が本当に申し訳なさそうに、呟いた。
男は。その少年の表情を見ながら、ふいに笑いがこみ上げて来た。
考えてみれば。物凄いことをしたもんだ。行きずりの少年を買って、一夜を共にした。しかもホられた。
「・・・・く・・・・・っ。」
男の口から、押さえ切れない笑い声が漏れる。
「・・・・何。笑うとるん?」
少年は不思議そうに、男を見た。
「いや・・・・。それ。返してくれると嬉しい。」
男は名刺を指差した。少年は素直に男に名刺を返した。
「・・・・これっきり、ってことやな。」
「・・・・すまんな。俺、実はホモとちゃうねん。」男は笑った。
「・・・俺もや。」少年も笑った。
「けど。何とかなるモンやな。」首を傾げる。
「・・・・若いからや。ヤレルんなら、何でもええんや。」男はくすくす笑い続けた。
「・・・・・・。」
少年は無言で、男を引き寄せると唇を重ねた。
「・・・・・・。」
唇を重ねたまま、男は無言で少年の顔を見ていた。
「ずっと。そうやったな。」少年は苦笑した。
「え・・・・?」
「昨夜もずっと、そんなビックリしたような顔で、ずっと俺を見とった。」
「・・・・・・・・。」
「何があったかは知らんけど。もう、こんな真似するんやないで。最近の少年はおっとろしいで。」少年は少しオドケテ言った。
「・・・・・・・そうやな。昨夜は運が良かったんやな。」
男は鞄を持って、部屋のドアに向かった。ノブに手を掛けて、少しだけ少年を振り返る。
「ほな。さいならな。」
「・・・・・さいなら。」
意識して。感情を込めずに、男は笑って部屋を出た。
通いなれた。
会社の近くの交差点で。男は後ろから来た男に、声を掛けられた。
「・・・昨日とおんなじネクタイと背広と、くたびれたワイシャツやな。家に帰らんかったんか。」
昨日、揉めた上司が笑っていた。
「はあ。ちょっと飲みすぎましてん・・・・。けど、靴下は履き替えましたで。」
上司はもう一度笑うと。小さく溜め息を吐いた。
「・・・・昨夜は済まんかったな。」
「・・・・・・。」
「お前の気持ちも、良う分かるんや。俺も・・・。ここで引いたら、全てが終わると思うた瞬間が、昔あった。」
「・・・・・・・。」
「・・・お前の若さが、羨ましな。真っ直ぐに。前を見よる。」
上司は。少し眩しげに、男を見た。
「・・・・・・・。」
信号が変わった。
上司と肩を並べて会社へと向かいながら。男は小さな微笑を浮かべた。
「・・・・・・・。」
昨夜のことは。
多分。年取って死の床で振り返っても、自分史上物凄いことのナンバー1やろう。けど。誰にも言えへん事やと言うのがちょっと残念やな。と考えながら。
−fin−
ほら。関西弁。調子に乗っちゃった(笑)。ダメだよ。にゃむにゃむを褒めちゃ。