ろくでなしの神話 2

 

 信州の小藩、神谷(こうたに)藩には。世に誇れるモノが二つあった。

 一つは鬼をも斬り裂くと言われる魔刀『羅刹(らせつ)』。

 もう一つは。鬼も恐れると言われる。剣鬼の存在であった。

 

 

「もうヤダ疲れた。家に帰るぅ!!!!」

「・・・そうは参りません。栞(しおり)さま。どうか駄々をこねるのは止めて下さい。」

 その若侍は。どうにも困り果てたように、道端に座り込む、いかにも良家の武士の娘といったイデタチの旅姿の少女を見詰めて溜め息を吐いた。

「・・・小次郎。いいから、先に行ってしまって。後からゆっくり追い掛けるわ。」

「そういう訳には参りません。」

「・・・もう。律儀なんだから。融通が利かないのよね。」

 少女が、チッと舌打ちをしながら、若侍を睨む。

 少女の名前は、栞。代々、藩の剣術指南を勤める鈴木家の息女であった。15歳。

 若侍は、鈴木家の門弟で、風間 小次郎。こちらもまだ20歳を過ぎたばかりであった。

 二人はいかにも旅慣れていない風情だが、とってつけたような旅支度をして、江戸を目指していた。

 目的は。

 何と。

 仇討ちであった。

「別に。私としては、父上の仇なんか討ちたくない訳よ。何だかんだ言っても、結局、未熟だったから斬り殺されちゃった訳でしょ。」

「・・・・栞さま。」

 情け容赦無い栞の言葉に、小次郎は困り果てたように溜め息を吐いた。

「・・・今、急げば。次の宿場辺りで、仇の二人に追いつけますから。・・・そうすれば、どんなカタチにしろ、家に帰れますよ。」

「・・・・・・・・。」

 栞は気乗りしなさそうに小次郎を見た。

「・・・死んで、魂になって・・・。とか言いたそうね。小次郎。」

「・・・・・・・。」

 小次郎は頷きそうになって、慌てて首を振った。

「と・・・とんでもありません。」

 とは言うものの。

 小次郎は多分そうなるだろうと思っていた。

 小次郎の師匠でもある栞の父親を殺して逃げているの栞にとっての仇は、鈴木道場で天才の名を欲しいままにしていた一番弟子で栞の許婚(いいなずけ)だった、佐々木 龍馬。そして。栞の兄であり鈴木家の跡取り息子であった鈴木 進之丞の二人。

 どう考えても。栞と小次郎に勝ち目は無かった。

 佐々木と進之丞は栞との婚礼前夜に、師匠である栞の父親を斬り殺し、藩の宝である名刀『羅刹』を奪って出奔(しゅっぽん)したのだった。

 二人とも。剣の腕においては小次郎など足元にも及ばない。ましてや。片方は。神谷藩において。鬼さえも恐れて逃げると言われた剣の天才。

「・・・・・・・。」

 明日か明後日には、小次郎と栞が冷たい骸(むくろ)と化しているのは、ほぼ間違い無かった。

「・・・・おっしゃりたく無ければ、結構ですが。・・・その。佐々木殿と進之丞殿は・・・・。その・・・。」小次郎は口籠もりながら、栞を見た。

「・・・・・恋仲だったらしい、って。事件の後、皆が言っていたわね。私は知らなかったけど。」栞は溜め息を吐くと、立ち上がった。

「ご存知無かったんですか・・・?」小次郎は少し間抜けな声を出した。

「・・・私にすれば晴天の霹靂(へきれき)ってヤツよ。よりによって。男に!?しかも、実の兄によ!許婚(いいなずけ)を奪われるなんて。しかも婚礼前夜に。」

 栞は大きな動作で、両手を広げた。そして小次郎を見る。可笑しい?ここまでいくと笑っちゃう?と。

「・・・・・・・。」

 馬鹿馬鹿しくて。真面目に考える気にもならない。笑うしかないわと呟く栞の言葉を聞き流しながら。小次郎は道場での二人の姿を思い出していた。

 二人は間違いなく。

 鈴木道場で、1、2番の腕利き同士だった。

 だが。恋愛関係などと。そうした甘いものが果たして二人にあっただろうか。

「・・・・・・。」

 小次郎は首を傾げた。

 信頼関係や尊敬し合う様なモノならあったかもしれない。だが。

 小次郎には衆道の嗜(たしな)みは無いが。あの二人に限っていうならば、そうした色っぽいモノはコトここに至っても思い当たらないし、信じられない。

「・・・・・。」

 だが、確かに。

 そうした関係でもなければ、この酷い裏切りの説明もつかないのも事実ではあるのだが。

「・・・・・・・。」

 まだブツブツと言っている栞の顔を見る。小次郎から見れば充分可愛く美しい。それは。イワユルじゃじゃ馬とは言えるかもしれないが、それだって若さがモタラス愛らしさであるように、小次郎には思えた。少なくとも。これほどの目に遭わされるほどのキズだとはとても思えない。

 許婚は婚礼前夜に師匠でもある実の父親を斬り殺し、実の兄は婚礼前夜の妹の許婚と手に手を取って家宝を持って逃げたのである。

 コトが起こった後。

 この大スキャンダルに、小さな神谷藩は翻弄され続けた。様々な無責任なウワサも飛び交い、僅か15歳の栞には、針の筵の日々が続いた。

 だが。そうなる事は二人には分っていたはずだ。残された栞の気持ちも。立場も。

 何があったにしろ。小次郎には、アマリにも酷い仕打ちに思えた。

「・・・・・・・。」

 神谷藩は栞に、父親の仇討ちと神谷藩の宝刀『羅刹』の奪還を命じた。そして。小次郎には仇討ちの助っ人を。

 栞にも小次郎にも。実質、否やという権利は与えられなかった。

(・・・・酷(むご)い事だ。)

 小次郎は栞の小さな背中を見詰めて眉を寄せた。小次郎ゴトキが助っ人として付いたトコロで敵(かな)うはずも無い二人の剣鬼を相手に。むざむざ宝刀を盗まれてしまった藩の名誉を守るために、いくら順当とはいえ栞のような少女に仇討ちを強要するとは。

 小次郎は藩を出るとき。

 生きて再び、ここに戻る事は無いと。正直、思った。

「・・・・・・・・。」

 あの二人は。例え相手が幼い妹や。元許婚であったとしても。

(・・・・決して、手加減などすまい。)

 小次郎には。血の海に沈む栞の姿が見えるようだった。

 

 その夜。

「・・・栞殿。もう、お寝(やす)みになられたか?」

 宿屋で風呂上りに声を掛けると、栞は既に眠ってしまっているようだった。

 どれだけの長旅になるか分らない。二人は一部屋しか取ってはいなかった。それでも充分贅沢だと分っていた。いずれはもっと大部屋で多くの赤の他人と眠ることになるだろう。

「・・・・・・。」

 由緒正しい武家の娘。本当なら、父の弟子とはいえ男と二人きりで一部屋で眠るなど、考えも出来なかっただろうに。栞は文句ひとつ言わない。15歳の娘にしては、どこか投げやりでもある風情が、哀れであった。

「・・・・・・。」

 小次郎は溜め息を吐いて、畳に腰を下ろした。と。

「小次郎。」

 眠っているとばかり思っていた栞が、声を掛けてきた。

「はい?」小次郎は慌てて姿勢を正す。

「・・・・オカシイとは思わない?兄上も佐々木さまも。まるでワザとのように、道すがら、どこかしら痕跡を残しているわ。」

「・・・・・・・。」

 実は。それは小次郎も思っていた。

 例えば。喧嘩をしただの。例えば、宿の女中に難癖をつけただの。普段の二人からは考えられないような騒動を、宿場宿場で起こし、誰かしらが、必ず二人の事を覚えていた。これでは、まるで・・・。

「・・・・・追って来い、とでもいうようだわ。」

 栞の言葉に小次郎はギョっとして目を剥いた。栞を見詰める。

「・・・・・・・。」

 布団の中から、栞は真っ黒い目で、じっと小次郎を見ていた。そして。

「・・・小次郎。妙な事に巻き込んでごめんなさいね。でもドノミチ、明日にはカタが付きそう。明日には、多分二人に追いつけるわ。」

 そうだった。二人との距離は確実に縮まっていた。女連れの旅。通常なら有り得ないのに。

 栞は再び小次郎に背を向けた。すぐに小さな寝息が聞こえ始めた。

「・・・・・・。」

 小次郎は、栞の小さな背中を再び見詰めて。

 小さな溜め息を吐いた。

 

 

 翌日は。

 空は清々しく、見事に晴れ渡っていた。しかし。気温は低く、底冷えのする寒い日であった。

「・・・・・・。」

 栞の言葉通り。この日。二人は、仇の二人に追い付いた。

 いや。

 二人は待っていたのだ。栞と小次郎を。

 峠で。腰を下ろしている二人を見つけたとき。小次郎はそれを確信した。

「・・・・・・・・・。」

 小次郎は慌てて、栞の前に出た。

「進之丞さま。佐々木殿。・・・・我らの用はお分かりでしょうな。」

「・・・・小次郎。お前が来たのか。・・・・手間を取らせて悪かったな。」

 疲れたような顔で進之丞はそう言うと、無造作に手に持った刀を小次郎の前に放り投げた。

「『羅刹』だ。」

「・・・・・・・・・・。」呆然と刀を見詰める小次郎の肩越しに。妹の姿を認めた進之丞は、こう言った。

「・・・・栞。取れ。」

「え・・・・・!?」小次郎は栞を振り返った。

「・・・・・・・。」

 栞は無言で襷(たすき)を掛けているトコロであった。

「先生は・・・・。」

 無言だった佐々木が、かつての許婚に声を掛けた。

「・・・・安心して。即死だったわ。さすがの腕ね。褒めようとは思わないけど。」栞はかつての許婚に向かって、それでも小さく微笑んだ。

「・・・・栞殿。許してくれ。だが、私は・・・・・。」

「・・・・・・・。」

 佐々木はそこまで言うと、進之丞と一瞬顔を見合わせた。

「・・・・・・・。」

 その姿を見た時小次郎は。

 ウワサは本当だったのか。そう思った。だが。佐々木はこう続けた。それは、色恋沙汰とはまったく無縁の言葉であった。

「例え世界中に、人でなしと罵られようとも。・・・私の。我々の剣士としての本能が。意地が・・・。こうせざるを得なかったのだ。」

「・・・・その通りだ。栞。・・・父上をこの手で殺して。俺たちは鬼道に堕ちた。だが、・・・こうしなければ。いや、こうしてでも、俺たちは・・・。」

 二人は無言で羽織を脱ぎ棄てた。

「・・・・どうしても、お前と戦いたかったのだ。」

「・・・・・・!!!!」小次郎は呆然と二人を見た。

「・・・・男ってのは本当に。・・・・馬鹿馬鹿しいったら。」

 栞はそう言うと、『羅刹』を拾い上げた。

「魔刀『羅刹』は、お前にしか扱えない。鬼も恐れる剣鬼にしか・・・。」

 進之丞は小さく呟いた。呻くように。

「・・・・・・・。」

 二人の天才は、無言で歯を喰いしばった。どうしても及ばない。その悔しさで歯噛みする音が聞こえるようだった。

「!!!!!」

 小次郎は訳が分らないまま。生唾を飲んで、3人の姿を見詰める。

「・・・・・・・・・小次郎。下がっていなさい。」

 栞は仁王立ちで、『羅刹』の鞘を投げ捨てた。

「・・・・・・!!!」

 小次郎は、確かに聞いた。

「・・・・・・・。」

 『羅刹』は泣いていた。栞の手の中で震えながら、咽び泣いていた。

「・・・・・・・。」

「・・・・・・・。」

「・・・・・・・。」

 3人は無言で対峙した。

 男二人は正眼。栞のみ、構えなし。

「・・・・!!!!!」

 3人から。

 今まで小次郎が見たことも無い、凄まじい殺気が吹き付ける。

 勝負は。

 一瞬。

「・・・・・!!」

「・・・・・・・。」

「!!!!!」

 凄まじい気合が、3人の口から漏れた。

 仕掛けたのは。男二人。

「・・・・・・・!!!!」

「!」

「・・・・・・!!」

 血煙を吹き上げ。

 地響きとともに、道端に倒れたのも。

「・・・・・・・。」

 ホトンドその場を動かなかった栞は。

 確実に二人の。神谷藩の誇る天才たちの。身体とその刀の動きを、完璧に見切っていた。

 二人の刀と刀のほんの僅かな間を。攻撃態勢の、その身体に生じた微かな隙を。

 栞の手の中の『羅刹』は。

 丁寧に、縫い。埋めていった。

「・・・・・・・・。」

 血刀を手に。倒れ臥した二人の男を、栞は無表情に見下ろしていた。

「ああ・・・・・。」小次郎は思わず声を上げた。

 鬼。―――――

 ここに居るのは確かに。神谷藩の誇る剣鬼だった。

「・・・・・・・。」

 佐々木は栞を見上げて、最後に小さく微笑んだ。

 愛しく憎い。

 小さな剣鬼。

 何も考えず、この小生意気で可愛い少女と所帯を持てばきっと死ぬまで幸せな結婚生活が送れただろう。

 だが。

 佐々木の。

 剣士としての本能が。常に強いものと戦いたいという欲望が。

 どうしても、それを許さなかった。

 お前の白無垢姿を見たかった。――――

 それは決して。嘘では無かった。

 

 

 

「小次郎。」

「・・・・はいっ!!!!」

 息ひとつ乱していない栞は、ほとんど腰を抜かした状態の小次郎を見た。

「・・・・藩には。栞は死んだと伝えて。」栞は『羅刹』を一振りすると、投げ捨てた鞘を拾って収めた。いつの間にか『羅刹』の鍔鳴りは止んでいた。

「・・・・・は?」

「・・・・・・・・。」

 栞は泣きそうな顔で、小次郎を見詰めた。

 傍らで、既に息を無くした二人の男の姿を見ようともしない。

「・・・・もうヤダ。ちょっと剣術が上手いくらいでこんな目に遭うんだったら、もう山にでも籠って、鬼を捜して殺しながら暮らすわ。元々『羅刹』ってそのための剣でしょ?」

「・・・いや。ちょっと違うような・・・。」

 こんな場合だったが。

 小次郎は苦笑いした。

 小次郎には、どうしても信じられなかった。自分の目で見ても。まだ信じられない。

 鬼も恐れる剣鬼が。目の前の少女であるとは。どうしても。

「じゃあね。さよなら。」

 栞は駆け出した。

「ちょっ・・・!栞殿っ!!!!」

 小次郎は慌てて、少女を追い駆けた。

「栞どのおっ!!!!」

「付いてこないでよっ!馬鹿っ!!」

 

 

 

 父親の仇を討って見事本懐を果たした少女が戻ったという記述は、神谷藩史のどこにも残っていない。

 同時に。

 神谷藩の宝刀『羅刹』の行方も、藩史に再び現れる事は無かった。

 

 

−fin−

 日本の時代劇で、キャピキャピした剣の天才少女の話は、前々からにゃむにゃむがやりたかったモノです。しかし、時代劇。にゃむにゃむは「水戸黄門」とか「暴れん坊将軍」とかの知識しかないので。どうにも、あははは。

 しかし、妙に聞き覚えのある名前が・・・。ええっ!?じゃあ、零一朗さんの使っている日本刀って・・・・・。もしや・・・・。知らないけど(笑)。