洋二の恋

<ろくでなしの神話3 番外編>

「・・・・・栞ちゃん・・・・っ・・・!!」

 洋二は、その瞬間に思わずその名前を呼んでしまった。その途端。

「・・・・!!!何だってえっ!?」

 今の今まで、洋二の腹の下で喘いでいたオンナが、いきなり鬼女になった。

 

 

「申し訳ありやせんっ!!!俺の監督不行き届きです!!!」

 海棠は、畳にアタマを擦り付けた。

「・・・・・イクときに、他のオンナの名ぁを呼ぶのは、イクラ何でもマズイわなあ。」

 苦り切った顔で、広間の上座で海棠と石黒。そして洋二の土下座を眺めている初老の男は溜め息とともに呟いた。

「・・・・マコトに何とも・・・・・。」

 海棠の声も苦り切っている。

「・・・なあ、美絵。こうして、海棠までアタマを下げているんや。洋二を許したれや。オンナの一人や二人、極道のオトコの甲斐性いうモンやで。」

「いややっ!!」

 初老の男。海棠の組の組長の傍らで、眉を吊り上げていた、太腿がホトンド見えている短いチェック柄のスカートにエンジのブレザーの制服を身に着けた、美少女は叫んだ。

 今年17歳になる少女は、初老の男が若い妾に産ませた最後の子供。目の中に入れても痛くないほど可愛がっている愛娘であった。その愛娘が。何をどう思ったのか、洋二に一目惚れをした。

 組長たる初老の男は、最初怒り狂った。だが、結局は娘可愛さで、二人の付き合いを認めて、今に至っている。

「納得いかへんでっ!!!洋二は、二股掛けとったんやっ!!そのオンナをここに連れて来ぃっ!!この場でアタシが話しをつけちゃるわっ!!」

「洋二っ!!!テメエッ、二股なんか掛けとったんかあっ!!ナンを心得違いをしとるんや!!」

 石黒が傍らで震えていた洋二を張り飛ばした。

「トウはん。洋二にはこの海棠が良う言い聞かせますさかい、今回だけは、許したって下さい。」

 海棠が、少女に向かって頭を下げた。

「いややっ!!!」

「美絵。海棠がココまでいうとるんや。」

 組長が、娘を嗜める。

「いやや!!いやや!!・・・だって、イった瞬間に、そのオンナの名前を呼んだんやで!?パパ!!美絵、悔しいっ!!!」

「・・・。」

 愛娘に、泣きながら縋りつかれて、組長はジロリと洋二を睨んだ。

「洋二。今回だけは見逃してやる。そのオンナとは、スグに手を切るんや、良えな!!海棠!お前の責任でちゃんとさせろ!!」

「ハッ、勿論!!」

「いやや!!パパッ!!!そのオンナと会いたい。洋二っ!!ここに連れて来るんや!!その・・・・!!」

 その瞬間。洋二が初めて顔を上げて叫んだ。

「トウはんっ!!!止めてくれ!!あのヒトは、そんなんや無いんやっ!!!」

「庇うんかっ!!洋二!!」

「違う!!止めてくれ!!イクラでも謝る!!アトで、どんなメに合わされて文句なんか言わんさかい、ココでは勘弁してくれ!!」

 だが、その言葉は返って美絵を逆上させただけだった。美絵は叫んだ。

「・・・・!!!庇うんか!?洋二!!!その。栞とかいうオンナをっ!!!!

 途端。

「!!!!」

「!」

 海棠と石黒が。

 弾かれたように顔を上げると、洋二を見た。

「トウはんっっ!!!」

 洋二は悲鳴のような声を上げた。そして。

 洋二は畳にアタマを擦り付けた。擦り付けながら、大声で海棠に向かって叫んだ。

「・・・・・・・!!!すんまへん!!!すんまへん、カシラッ!!!!」

「洋二!!!テメエッ・・・・!!!」

 石黒が。凄まじい形相を浮かべて、洋二の胸倉を掴む。

「すんまへんっ!!!俺っ!!俺は・・・・・っ!!!!カシラッ!!許して下さいっ!!!!俺・・・!!!」

「謝って済む思うとるんかっ!?この・・・!!!この、()畜生がっ!!!このっ・・・!!!テメエの薄汚い欲望で。上月さんを汚しやがってえっ!!!」

 石黒が、洋二の頬を容赦無く平手で殴りつける。

「汚す・・・!?」

 洋二は呆然と、石黒を見詰めた。その頬を石黒は更に殴りつけた。

「何を呆けとるんやっ!?上月さんの名前を呼びながら、何を考えとったと言うつもりやっ!!!」

「あ・・・・・!!」

 洋二は、唇を戦慄かせながら海棠を見た。海棠は洋二に背を向けた体勢のまま、少しも動かない。

「カシラ!!すんまへん。すんまへん。俺!!・・汚すなんて!!そんなつもりじゃ・・・!!!カシラあっ・・・・!!」

 石黒に胸倉を掴まれ、唇から血を流しながら、洋二が叫ぶ。

「・・・。」

 海棠は、洋二の方を見ようとはしない。洋二はボロボロと涙を零した。

「俺、あの時。銃声がした時・・・・!!思わず座ってしもうた・・・・!!本当なら。ホンマやったら、俺が、この身に代えて栞ちゃんを守らんといかんかったのに!!カシラにそう言われとったんのに!!!・・・辰巳のトコロに行かれただけやのうて・・・・!!俺は、あの時・・・・!!!」

「・・・・。」

 海棠は、振り返らない。

「守れんかった。身体を投げ出して、カシラと栞ちゃんを守らんといかんかったのに・・・!!俺は・・・・!!!」

 自分が可愛くて、自分の身が大事で。

「許して下さいっ!!!」

「・・・・・洋二・・・。」

 泣き崩れる洋二の胸倉を。石黒は離した。

 洋二が口にする後悔は。石黒にも通じるモノであった。何故。守れなかったのか。

「ちゃんと。・・・俺がちゃんと。そうしとったら・・・。栞ちゃんは、今頃、カシラの隣に居った。カシラの隣で、笑うてはったハズやのに。・・・俺は。俺は、取り返しのつかん失敗をしてしもうたんや!!!!カシラに頼まれとったのに!!!俺は、守らんといかんかったのに。」

「洋二。」

「俺が。俺が、死んだら良かったんや!!!栞ちゃんやのうて、俺が!!!」

 洋二が、その言葉を叫んだ瞬間。

「・・・・。」

 海棠は、ゆっくりと立ち上がった。

「・・・・カシラ。」

 そして無言で、洋二の前に立つと。

「!!!!!」

 海棠は洋二の鳩尾を思いっきり蹴り上げた。

 声も無く吹っ飛ぶ洋二に。その海棠の容赦ない暴力の迫力に。

「きゃああああああっ!!!」

 美絵が悲鳴を上げた。

「このクソガキがっ!!!!」

 海棠は蹴り飛ばされて転がる洋二を追いかけると、更に腹を蹴り上げた。蹲る顔を持ち上げると、拳で殴った。何度も何度も。

「・・・・・・・。」

 顔中から流れ出す血で、洋二の顔が別人に代わる。

「・・・やめ!!!海棠!!止めてえ!!!」

 美絵は海棠の身体を突き飛ばすと、洋二の身体に覆いかぶさった。

「・・・・トウはん。」

 洋二に覆いかぶさった状態で、自分を睨みつける涙目の美少女に向かって、海棠は小さく呟いた。

「・・・栞は。オンナやありません。」

「え・・・・?」

「それに。・・・・もうトックに死によりました。」

「・・・・・・!」

「俺の・・・。」

「・・・・・。」

「俺の大事なオトコやったんですわ。」

 海棠の美しい顔が。見た事もないほど澄んだ笑顔を浮かべた。

「海棠・・・?」美絵は息を飲んだ。海棠の派手な女性関係は知っている。だが。オトコの方のハナシはついぞ聞いたことは無かった。

「洋二とは、関係ありまへんのや。・・・洋二(このアホ)は、何か勘違いをしとるんですわ。洋二!!」

「は、はいっ!!!」洋二は、美絵の腕からモガキながら起き上がった。

「勘違いするんやないっ!!栞を守れんかったんは、俺や!お前なんかやないでっ!!」

 海棠は唇を噛んで、洋二を睨んだ。

「カシラ・・・。」

「・・・もう少し早う。引き寄せとったら・・・。もう少し、角度を変えとったら・・・・。」

「カシラ!!!」洋二が俯く。

「・・・・後悔しとるんは、自分だけやと思うな。」

「・・・・・カシラぁ・・。」涙が溢れるのを止められない。言葉の端々から、海棠の苦しみが伝わってくる。

「・・・・けどな。ホンマは誰のせいでもない。アレが、栞の寿命やったんや。わかるな。」

 海棠は洋二から顔を背けた。

「・・・・・う・・・っ。・・・うっ・・・。」洋二は嗚咽を漏らした。涙がアトからアトから溢れる。その震える背中に、美絵が背後から抱きついた。

「・・・・・洋二。泣かんといて。ゴメン。ごめんなあ。アタシが余計なヤキモチを焼いたんが悪かったんや。海棠、ゴメン。洋二を怒らんといて。洋二は、そのヒトを慕うとったんや。憧れとったんや。・・・汚すとか・・・。そういうんや無いかったんや。分かってやって。」

「・・・・・分かっとりま。トウはん。・・・海棠が、この間までウジウジしとったから、洋二や石黒に、要らん辛い思いをさせてしまいましたんや。」

 海棠は、組長の方に向き直って正座をすると、溜め息を共に微笑んだ。

組長(おやっさん)。今回のコトは、俺のせいでしたわ。俺が女々しい根性をしとったさかい、手下(てか)に余計なコトを考えさせてしまいましたんや。」

「・・・・美絵。海棠はこう言うとる。・・・・どうする?」組長は、娘を見た。

「・・・・ごめんなさい。パパ。それから海棠。アタシが悪かったんや。妙なコトで拗ねて騒いでもうた。ごめんな、海棠。アンタに余計な・・・。辛い思いをさせてもうたみたいわや。言いとうなかったやろうコトを・・・・。」

 美絵は、畳の上でキチン正座をすると、父親と海棠に向かってアタマを下げた。

「今回のコトは、アタシの心得違いでした。許してやって下さい。」

 

 

「カシラ!!!」

 屋敷を辞す海棠に向かって、洋二は玄関脇で裸足で土下座していた。

「・・・・・洋二。」

 海棠は、洋二を見下ろした。小さく笑う。

「今度、イクときに栞の名前を呼んだら、今度こそ殺すぞ。」

「・・・・。」

 無言の洋二に、海棠は笑った。

「・・・我慢するんや。・・・想う分は自由やからな。」

「!」

 洋二は殴られて腫れ上がった顔を、上げた。

「トウはんの気持ちを無駄にするなや。ええな。」

「カシラ・・・・。すんまへん。すんまへん、カシラ。」

 洋二は涙をぽろぽろ零した。

 

 

「洋二・・・。」

 海棠のベンツを見送ってなお、土下座の姿勢を解いていない洋二に。

「美絵。」

 美絵は抱きついた。洋二は美絵を見ずに呟いた。

「俺な・・・。好きやったんや、栞ちゃんが。絶対、そんな事、思うたらアカン人やと分かっとったけど。けど、俺・・・・。」

「良え。良えんや、洋二。アタシは、死んだヒトと喧嘩するほど馬鹿やないで。」美絵はほっぺたを洋二の固い肩に摺り寄せた。栞とは、どんな美しい男だったのだろうと、美絵は思った。だが。

「・・・・別に綺麗なヒトやとかや、絶対無いんやけど・・・。」洋二はぼんやりと呟いた。

「・・・・そうなんか?」美絵は顔を上げた。

「正直、タダのオッサンなんやけど。」洋二は涙に濡れた目のままで、美絵を見た。

「・・・・・そ、そうなんか・・・。海棠もアンタも。オトコに関しては、特殊な趣味なんやな・・・。」

 美絵の言葉に、洋二は小さく笑った。そして。

「・・・・可愛かったんや。」

 ポツリと呟いた。

「洋二。」

「素直で・・。真っ白な。すっげえ可愛いヒトやったんやっ!!!」

 洋二の両眼から、再び涙がこぼれる。

「洋二!!!」

「カシラの隣に・・・!!ずうっと居てやって欲しかったんや!!!美絵、美絵っ!!俺、本気でそう思うとったんやっ!!!」

「洋二!!!」

 美絵は、泣く洋二を力一杯抱き締めた。

「アンタにはアタシが居る。ずうっと一緒に居たる!!」

「・・・・・。」

「アタシ。可愛くもないかもしれへんけど。でも、洋二!!!アタシアタシ、傍に居るから!!!ずっと居るから!!」

「美絵・・・。」

「・・・・今度。栞ちゃんの名前呼んでも、海棠にはナイショにしといたるな。」美絵も泣きながら、笑った。

「美絵・・・。」

「けど、アタシには謝ってよ。な?」

「美絵。」

 洋二は、ようやく笑った。笑って、美絵の頬に手を当てた。

「洋二。」

 美絵も、洋二の頬に手を当てた。

 

 美絵は洋二と唇を合わせながら。

 一度も会うコトが無かった、栞という名前の男のコトを少しだけ考えた。そして、もう居ないその人のために、少しだけ祈った。

(栞ちゃん。)

 誰もが貴方のコトを今でも愛していると、伝えてやりたい気持ちでイッパイだった。

 

−fin−

2004.01.01

 正月限定小説です。慌てて書いたモノなので、アトに残すかどうかは、これから考えます(笑)。

 みつき様。第一弾、零一朗じゃありません。ごめんなさい!!