可愛い(ひと)

 

 黒目がちの大きな瞳。長い睫毛。バラ色の頬。自分より2年アトに入社してきたその後輩は。

 男とはいえ、可愛いとしか言い様の無い顔立ちをしていた。

 

「何回、同じ失敗をすれば、気が済むんだ!!いい加減にしろっ!!!」

 久能(くのう)が思わず上げた大声に。

「・・・・・・。」

 さっきまで。久能の前で照れたような笑みを漏らしていた、その今年度の新入社員でダントツに可愛いと評判の新入社員は表情を凍りつかせた。

「・・・・す・・・。すみません・・・。」

 そのまま彼は、弾かれたように久能に向かって頭を下げる。

「・・・すみません、じゃ無い。少し気を付ければ、簡単に防げるミスだ。いつまで学生気分なんだ!?」

 久能は、評判の冷たい表情で、顔を上げるコトも出来ないで顔色を無くしている柏崎(かしわざき)を見た。

 頭を下げたままの柏崎が、悔しそうに唇を噛み締めるのが、久能にも分った。

「・・・。」

 久能は、柏崎に分るように、わざと大きな溜め息を吐いた。柏崎が、それに微かに身体を震わせる。

「・・・もう良いから。やり直せ。」

 久能は柏崎に書類を突き返した。それを受け取った柏崎の黒目がちの大きな瞳が、潤んでいるのを目にして、久能は一際大きな舌打ちをした。

(・・・ふざけるな。)

 少し叱責されたくらいで涙ぐむ男の、不甲斐なさ、打たれ弱さに吐き気がした。

 

 この課に配属された柏崎の教育係に久能が指名されたのは、単なる偶然だった。

 偶然だったが、久能はそのハナシを課長から聞いた時に思わず眉間に皺を寄せた。

 柏崎が、何となく嫌いだったのである。

 いや。正確に言えば、嫌いになるような予感がしていた。

 柏崎は、その外見に似合わず、久能など引っ掛かりもしなかった一流大学を優秀な成績で卒業し、この不況の最中に請われるようにして入社してきた会社のホープである。

 なるほど。確かに頭も良く、飲み込みも早い優秀な新入社員だった。それは教育係として下に付けられてスグに分った。それに。性格もカナリ良い。どんな用事を言いつけられても、イヤな顔をみせたコトが無い。どれほど忙しい時でもだ。

 そして。その可愛らしい容姿。

 配属されて一月も経った頃には、柏崎は課のアイドルとなっていた。

 だが。

「・・・。」

 教育係として、久能は少し参っていた。彼は確かに頭が良い。仕事も速い。要領も良い。しかし。

(・・・ケアレスミスが、多過ぎる。)

 全体的に見れば、取るに足らない。といえるかもしれない。だが、柏崎の能力を持ってすれば、絶対に防げるだろうミスを、彼は必ず犯す。しかも。

「もう、しょうがないなあ。柏崎。」

「今回だけよ。」

 可愛い後輩に、課の人間は甘い甘い。

 久能が、少しキツイ注意をしようものなら。

「許してやってよ、久能ちゃん。こいつ、ソコツ者だからさあ。」

 と、先輩方のフォローまで入ってくる始末。

(ふざけるな。)

 久能は、何度も唇を噛み締めた。

「!」

 少し離れた席に、書類を持って座ろうとしていた柏崎が、目元を右手の甲で拭っているのが見える。

 久能の剣幕に、サスガに口を挟めなかった課員たちが、その肩を通りすがりにポンポンと叩いて慰めている。

「・・・。」

 ふざけるな。これは仕事だろう。

 久能は唇を噛んだ。自分が新入社員の時に、こんなに課の人間に可愛がってもらったコトなどない。いや勿論、どちらかというと無表情で、可愛げの無い性格の久能だったから、仕方が無いのだが。それにしても、理不尽なモノを感じる。久能にしてみれば、たった2年前のコトだ。些細なミスで叱責され、泣きたい思いをしたことも何度もある。

 だが、柏崎は。

 叱責らしい叱責を受けたのは、今回が初めてだろう。彼のミスは誰も叱らない。

「・・・。」

 嫉妬だろうと分ってはいた。だが。どうしようもなく、柏崎が嫌いだと、久能は思った。

 

 

 翌日。

 久能は、いきなり柏崎の教育係から解放された。

 朝一番に課長に呼ばれて言われたのが、ソレである。

『どうやら、相性が悪いようなので。』

 バカバカしい理由である。一度叱っただけで、コレか。と久能はもう苦笑するしかなかった。最初は教育係など皆が嫌がって久能に押し付けたクセに。

「わかりました。」

 だが、久能にしても、煩わしい思いから開放されることは歓迎だった。もしかすると、自分の査定に影響するのかもしれなかったが、黙って承諾した。

 そのアト。課長に呼ばれた柏崎がビックリしたような顔をして自分の方を見ていたのを見れば、彼が課長に文句を言った訳では無さそうだったが、まあどうでも良かった。

 その後、一年間。柏崎とは同じ課で仕事をしていたが、特に接点もなく、親しく言葉を混じわすコトも無かった。いや、課員が二人は仲が悪いと思い込み、異様に気を使っていたせい(・・)もある。だが、当の二人は多分、それほど気にはしていたなかった。少なくとも久能は。普通に挨拶もしたし、必要があれば、会話も交わした。飲み会などでは、普通に接していたつもりだった。

 教育係だった頃は、嫌いだとまで思い詰めていたが、離れてしまえば、特にどうとも思わなかった。久能にとって、柏崎はやや遠い存在となっただけのことだった。

 新しい教育係のモトで、柏崎はメキメキ力をつけてきたようだった。久能の下で犯していたようなミスはマッタクなく、それどころか一歩も二歩も先んずるような仕事振りを披露していた。結局、本当に相性が悪かったのかもしれない。久能は思った。彼のモトを離れたのは、柏崎にとっても良かったのだと。

 

 二年経った頃。柏崎は、九州支社へ転勤となり、久能の前から完全に姿を消した。

「久能さんには、お世話になりました。」

 送別会の席でそう言われたときは、一瞬嫌味かと思ったが、その一点の曇りも無い可愛らしい笑顔を見て、久能はそんな事を考えた自分を少し恥じた。そして、改めて、社のホープである柏崎との距離を思った。

 一旦、地方支社に行って経験を積み、本社に課長補佐待遇で帰ってくる。

 これが、わが社の出世コースだった。柏崎は、そのコースに乗ったのだ。久能のように、入社してから何年も本社に燻っているような男は、せいぜいがトコ部長補佐止まりである。だが、柏崎は、望めば取締役も夢ではないコースにしっかりと乗ったのであった。

(・・・羨ましい。)

 久能は、素直にそう思って、柏崎の杯を受けた。

 エリートとはとても思えないような可愛らしい男は、にこにことそんな久能を嬉しそうに見ていた。

 

 

 5年が過ぎた。

 久能が、柏崎のコトなど、もうホトンド忘れ掛けていた時に、辞令が降りた。

「へええ。柏崎、帰ってくるんだ。」

「あ、もう。上司になるんだから、呼び捨てはダメよ。」

「懐かしいなあ。また、アイツの女の子顔負けの可愛い顔が拝めるんだあ。」

「やあだ。危ない発言ねえ。でももう柏崎さんも30歳くらいでしょう?イマもあんなに可愛かったら、凄いわねえ。ねえ久能さん。」

 課員の言葉を聞くとはなしに聞きながら、確かに今でもあんなに可愛かったら、さぞ不気味だろうと久能は頷いた。

 

「皆さん。ご無沙汰してます!」

 結局。

 心配には及ばなかった。

 爽やかな笑顔を振りまいて、現れた柏崎の上には、ちゃんとした年月の足跡が残っていた。

 柏崎はモトモト、顔に似合わず長身だった。久能も、それは知っていた。

 大きな黒目がちの目やその他のパーツはそのままだったが。5年前はどちらかと言えば甘ったれた可愛らしさが勝っていたその顔は、すっかり一人前の社会人の顔に変貌していた。精悍と言っても良い、その顔は、5年前と造りは同じでも、受ける印象はマッタク変わっていた。

「・・・。」

「・・・!!!」

 かつての柏崎を知っていた面々は、びっくりして声も無かった。勿論、久能も口をポカンと開けて、マジマジと柏崎を見詰めてしまった。

(神様は不公平だ。)

 久能は、軽い眩暈を感じた。

 若い頃はあんなに可愛くて。地位が上がるとそれに合わせたように、カッコ良くなるなんて。

(この世はエリートのために、回っている・・・。)

 久能は、かつての仕打ちを柏崎が妙な逆恨みをしていないコトだけを祈りながら、溜め息とともに自分の席からこの新しい課長補佐を見詰めた。

 

 4月に入って。柏崎の歓迎会を兼ねた、花見が行われた。

「久能さん。お久し振りです。」

 適度に酒が入って盛り上がってきた頃、ふいに柏崎が久能の隣にやってきた。

「・・・・。いや、こちらこそ。課長補佐。」

「止めて下さい。そんな言葉遣い。久能さんらしくないですよ。」

「・・・・そんなコトは。私は上司にタメ口きくほど、常識知らずでは無いつもりですが。」

 その久能の返答を聞いて、柏崎は一瞬目を丸くしたが。

「・・・・久能さん。・・・相変わらずですね。」

 くすくすと、昔可愛かった男は、イマはカナリのレベルの男らしい顔を歪めて、可笑しくて仕様が無いように笑う。そして、ふいに笑顔を収めると真面目な顔をした。

「俺・・・。あっちで、時々、久能さんのコトを思い出してました。辛いコトがあった時なんか・・・。」

「・・・。」

「久能さんに、泣かされた時のコトを思い出してました。」

「・・・。」

 久能はドキッとした。やっぱり根に持っていたのだろうか。

 これから上司になる男の表情を、さりげなく伺う。

「・・・。」

 柏崎はニコリと微笑むと、手に持った紙コップの酒を黙って煽った。

「柏崎さん!!あっ、こんなトコで・・・!!課一番の変わり者とハナシしている。」

 そう言ったのは、去年入ってきた新人だ。この僅かな期間でも、柏崎に心酔して、どこまでも付いていきますなどと調子の良いコトを言っていた。

「・・・。」

 無礼な。誰が変わり者だ。久能は眉間の皺を深くした。こいつと比べれば、確かに柏崎はサラブレッドだった。久能は今更ながら、確信した。

 その時。柏崎が新人に向かって、口を開いた。

「・・・久能さんは、私が一番尊敬している先輩です。タダの変わり者じゃありませんよ。」

「・・・。」

 だから、誰が変わり者だ、って。あれ?

 妙なコトを聞いた。

「なに・・・?」

 尊敬・・・?思わず、久能は柏崎の顔をマジマジと眺めてしまった。柏崎は、それに気付いて苦笑しつつ。

「私の甘ったれた根性を叩きなおして頂きました。あの。厳しい言葉は忘れられません。あれから、俺は仕事に対する考え方が変わりました。」

 柏崎は、少し砕けた口調で。だが真剣な顔で、久能の目を真っ直ぐに見詰めた。

「・・・。」新人はビックリしたように、柏崎と久能を見比べている。

「・・・。」

 嫌味か?コレは嫌味なのか・・・?久能は、何と言っていいものかと首を傾げた。

「・・・イヤミではありませんよ。」

 久能の考えを読んだように、柏崎は破顔した。

「俺の本当の気持ちです。・・・ですが。あの時、久能さんに涙を見せたコトが、俺は悔しくて悔しくて仕方なかった。だから、ずっと・・・。」

 言葉を切ると。柏崎はゆっくり顔を上げて、久能を見た。その。どこか尋常ではない視線に、久能は金縛りになったように柏崎の唇を見詰めていた。

「・・・。」

 その形の良い唇が。次の言葉を発するのを、まるで魅入られたように見守る。だが。

「柏崎ぃ!!ちょっと来い!!」

 二人からは少し離れたトコロで固まっている賑やかな一団から声が掛かり、久能は我に返ったように反射的にそちらの方を振り返った。その瞬間に、新人も何だかホッとしたように声のした方向に何か言いながら駆けて行く。その後姿を見ながら。久能は一拍置いてから、もう一度柏崎の方に顔を向けた。

「・・・・ちょっと前のコマーシャルにありましたよね。」

 だが、その時には柏崎はソコには居ず、既に立ち上がって歩き始めていた。久能の耳元を吐息が掠める。その声は、久能だけが聞き取れた。

 

「『いつか。必ず、泣かせてやろうと思っています。』」

 

「!!!!」

 ゾクリ。と。

 久能は、一気に肌が粟立った。身体が一気に強張り、熱くなり次いで冷えていくのを感じた。

「・・・。」

 次にきたのは、怒りだった。頭が沸騰するような憤りに、全身が微かに震える。

 久能は唇を噛み締めて、歩き去る柏崎の後姿を追った。

 柏崎は、少しだけ振り返って微かな笑みを見せた。だが。その目に。

「・・・。」

 確かな優位に立つ牡の気配を感じ取り。久能は背筋を震わせた。

「・・・。」

 柏崎はそのまま歩み去り、賑やかな輪の中で、その精悍な顔に爽やかな笑みを浮かべて如才なく溶け込んでいる。

「・・・。」

 久能は暫らく呆然と、その姿を目で追っていたが。

 ふと。

 自分の掌にベットリと汗が滲んでいることに気付いて、顔を歪めた。

「・・・ちくしょ・・。」

 やっぱり、俺は柏崎が嫌いだ。

 久能は改めてそう思うと、身近にあった一升瓶を引き寄せて手酌で酒を煽った。

 

 

「柏崎ぃ!お前、九州に彼女を置いて来たんじゃないのかあ?」

「付き合っていた女性も居なくは無いですが、今はフリーですよ。」

 柏崎の言葉に、課の女性陣は歓声を上げた。

「良いなあ。お前だったら、ミナト、港に女が居るんだろうなあ。」

「何、言っているんですか。」

 悪酔いしてきたらしい、これからは部下になる先輩たちを上手にあしらいながら。

 柏崎は顔を上げて、久能の居る方角を見た。

 久能は一人で一升瓶を抱えて、酒を呑んでいた。

 ポーカーフェイスで、愛想の無い二歳年上の男。

 一見、飄々(ひょうひょう)として見えるが、実は相当の意地っ張りで、負けず嫌い。気の強さも半端じゃない。

 何を考えているのか、何をしでかすのか。イマイチ掴めないと、誰もが認める変わり者の男。だが。柏崎は久能のことを、誰よりも良く知っている自信があった。自分なら、この男を扱える。自分でなければ、誰も扱えないと思っていた。

「・・・。」

 久能を目の端に捕えながら。柏崎は目を細めた。そして。誰にも聞こえないような声で、呟いた。

「・・・可愛い(ひと)。俺だけの。この日が来るのを、俺はずっと待っていました。」

 満足げに、微笑みながら。

−fin−

2004.03.04

  何かのプロローグのような話でごめんなさい。根性があれば、一大ロマンス巨編に。でも、最近根性マッタク無いから。あはは。