可愛い(ひと) 

「申し訳ございません。只今在庫を確認しましたトコロ、このタイプのエアコンは生憎品切れでして。入荷待ちとなりますと、3ヶ月後になります。」
「3・・・3ヶ月後っ・・・!?」
 アパートの近所の家電量販店で。
 久能は思わず大声を上げていた。
 3ヶ月も待っていたら、季節は夏は終わってもう秋と呼ばれているだろう。
 ドウモ、アイスミマセン。
 にこやかな笑みを浮かべて頭を下げる販売員の若い男を、発作的に殴りつけたい気持ちを抑えつけながら。
(マジかよ・・・。)
 トコロ狭しと並ぶエアコンを前に、久能は呆然と立ち尽くした。
 一昨日から、アパートの部屋のエアコンがウンともスンとも言わなくなってしまったのである。折りしも梅雨真っ只中。じめじめとした気候のなか。気温だけは30℃近い毎日が続いており、休日のエアコン売り場は大盛況だった。久能が選んだ手頃な値段と機能を持つエアコンは売れ筋で、この2日で一気に在庫が無くなったというコトだった。聞いてみれば、同じようなタイプのものは軒並み同じ有り様で、久能がどれほど足掻こうと、どれほど大量のエアコンが目の前に並んでいようとも。
「・・・。」
 久能の手に入るエアコンは一台も無いのだ。
(・・・この夏。俺はマジ死ぬかも。)
 タダでさえ暑さに弱い久能は、ホトンド放心状態で思った。少なくとも。
(・・・取り合えずは、酒だ。酒だけは暫く控えよう。)
 酔っ払った状態で蒸し風呂状態の部屋で寝ることになると、本当に死ぬ。学生時代、エアコンなど持ってなくて本当に死にそうになった久能は。自分のモノではないエアコンたちを眺めながら、それだけは固く心に誓ったのだった。



「皆、ちょっと注目してくれ。紹介しておく。」課長の言葉に、課員全員が彼のデスクの方に目を遣る。
「・・・。」
 久能もパソコンの画面から顔を上げて、課長の隣に立っている長身の若い男を見た。
「イロイロ噂になっているようだから、私からは詳しくは言う必要もないだろうが。彼が半年ほど関連会社から出向してもらうコトになった二条くんだ。若いが、経験も知識も皆に劣るコトはない。即戦力として働いてもらうつもりだから、皆も遠慮しないでくれ。」
「二条 智幸です。短い間ですが、ヨロシクお願いします。」
 課長の隣に立った男は、その大きな身体の割りには可愛らしいと思える童顔を柔らかく崩して微笑んだ。思わず微笑み返したくなる笑み。
「・・・?」
 久能は思わず、首を傾げた。どこかで見たような。
「・・・ああ、そうか。」
 思わず声が出た。柏崎が入社してきた頃と感じが似ているのだ。いや、感じだけでは無い。良く見ると骨格といい、顔立ちも、10年前の柏崎にカナリ似ていると久能は思った。
(もしかして、親戚か何かか?)
 久能は何となく、課長の隣にある柏崎のデスクに目を遣った。
 無表情で新入りの挨拶を訊いている柏崎の、そのそんじょそこらじゃお目に掛かれないようないつもの男前(づら)は。
「・・・?」
 無表情なりに、随分機嫌が悪そうだと久能は首を傾げた。
「おい。課長代理は、何であんなに機嫌が悪いんだ?」
 久能は小声で、隣のデスクの女性社員に声を掛けた。
「え?別に悪くないでしょ。普通じゃん。」
 久能と同期入社の彼女は、入社後すぐに結婚して今年8歳の娘もいたが、僅かの期間育児休暇を取っただけで、いまだに第一線でバリバリ働いている。性格はサバサバしていて、久能は比較的仲が良い。
「・・・どこが普通だ。最悪だろう?大谷。」
「・・・。」
 そう言う久能の顔を、大谷と呼ばれた女性はマジマジと見た。そして。
「久能って、普通に皆が気付くようなコトはゼンゼン気付かないくせに、誰も分らないようなコトが分るのねえ。」
 一種の超能力?
 と訊いてくる大谷に、久能はムッとしたような表情を見せてもう一度柏崎を見た。
「!!」
 今度はバッチリ目が合った。柏崎は、久能を見ていたのである。
「・・・!!」
 久能は慌てて目を逸らした。
 この間。このオフィスでのキス騒動以来、久能は柏崎に近づかないようにしていた。久能を泣かせると宣言している柏崎は、あの時久能が不覚にも涙ぐんだコトに味をしめたのか、人目が無ければセクハラまがいの嫌がらせを仕掛けてくるようになった。正直、これには閉口した。逃げたと言われるのは業腹だが、『君子、危うきに近寄らず』である。久能はなるべく柏崎には近寄らず、目も合わさないよう、注目されないようにしていた。だがそうした久能の事情などマッタク知らない大谷は、パソコン画面に視線を戻そうとした久能の肩を捕まえて、強引にハナシを続ける。
「それよりも、ねえ。どうせ、久能は知らないでしょうけど、あの新入り。どっかの大企業の御曹司ってハナシよ。武者修行に色んな企業を転々をしているってモッパラの噂よ。」
「武者修行?何、それ。」
「それが凄いトコロよ。ウチなんかそれなりの規模の会社じゃない?親会社がある訳じゃないし。でも、そのウチにまで、そうした無理が通せる企業だとしたら、あれはとんでもないお坊ちゃまよ。もう女子社員なんか、一週間前くらいから、大騒ぎよ。あわよくば玉の輿にって。」
「・・・。」
 馬鹿馬鹿しい。久能は思った。
「二条って課長代理の親戚か何かだろ?」
「・・・え。」大谷は、目を見張った。
「あんなにそっくりじゃん。あの二人。あれで、赤の他人てこた無いだろう?」
「似てるかしら・・・?」大谷は二人の方を向いて、首を傾げた。
「少なくとも新入社員の頃の柏崎は、あんな感じだった。良くあんな風に笑って、皆に可愛がられていたよ。」
「・・・。」
 何だか不可思議な眼差しを久能に充てている大谷の視線を無視して、久能は自分のパソコンの画面に顔を戻した。
 勿論、久能に他意は無かった。いつものように。感じたコトを口に出したまで。通常、誰も感じないコトを。感じても、黙っている類のコトを。その時。
「どうしたの、大谷さん。そんな驚いたような顔して。」
 最近イヤというほど聞き覚えのある、柔らかなバリトンが机のスグ傍から聞こえた。目が合ったから、来るような気がしていた。久能は聞こえない振りで、画面を凝視する。幸い、話し掛けられたのは、自分では無い。
「・・・。」
 その時、すぐ近くで大谷の、どこか決意を込めたような小さな咳払いが聞こえた。と。
「柏崎さん。もしかして二条くんと、ご親戚なんですか?」
 大谷が、そう言った。久能は何となく、柏崎の顔を見上げた。
「・・・。」
 柏崎は顔に、明らかな驚愕の表情を浮かべていた。
(あれ・・・?)
 柏崎の後ろに付いて、にこにこしていた、二条と名乗った男の顔にも緊張したモノが流れている。
(何か、まずかったのかな。)久能は見なかったコトにした。
「・・・大谷さんは、どうして、そんなコトを思ったんですか?」
 柏崎は動揺を一瞬で押し殺した、見事な笑顔で大谷を見た。
「久能くんが、お二人はソックリだから、きっと親戚だって。」
「久能さんが・・・?」
 柏崎は、眉間に皺を寄せると久能を見た。その何かを探るような強い視線。
「・・・!!」
 久能は動揺を隠すコトが出来ずに、机の上に適当に積んでいた書類の類をバサバサと床に落とした。
「あー。何やってんのよ、久能。どんくさい!!」
 大谷が、ぶつぶつ言いながらも、それを拾おうと席を立つ。
「・・・。」
 だが、それより素早く、それら散らばった書類をかき集め、かがんだ久能の手に持たせてくれた手があった。
「・・・良く分りましたね。イロイロやり難いから内緒にしておこうと、タクちゃんと、決めていたんですが。実はボク、タクちゃんの従兄弟なんです。」
「た・・・。」
「タクちゃん?」
 期せずして、久能と大谷の声が重なった。同時に、課全体がどよめく。
「・・・。」
 柏崎は、額に指を充てると、大きな溜め息をひとつ付いた。



「柏崎 拓海(たくみ)で、『タクちゃん』か。それにしてもビックリしたわねえ。」
 その日の昼。社員食堂で、大谷は久能と向かい合わせでA定食を食べながら、大きな声でそう言った。
「・・・何が?」
 久能はB定食の焼き魚に醤油を掛けながら、煩そうに大谷を見る。
「何がじゃ無いわよ。相変わらずノリが悪いわね。御曹司の親戚なら、課長代理だってドッカの御曹司って訳じゃん。」
 いい歳をして、じゃんじゃんと連発する大谷に辟易しながら、久能は反論した。
「違うだろ。課長代理の親戚なんだから、二条が御曹司というハナシがデマなんだよ。」
「・・・そうなの?」
「そうだろ。」
「それじゃ、詰まらないじゃん。」
「面白ければ、良いってモンじゃねえだろ。」
「あんた、本当に詰まらない男ね。そんなだから、フられるのよ。」
「・・・!!」
 未だに血を流している傷口に、大谷は容赦無く塩を摺り込む。大谷は、久能の元彼女と親しかったのだ。必然的に、久能とのコトも知っていた。
「あれは!!あれは・・・。柏崎のヒトデナシが・・・。」思わず言い掛けた時。
「タクちゃんが、どうかしました?」
「・・・。」
「・・・。」
 二人が向かい合わせに座っている四人掛けテーブルの前に立ち。
「ここ、良いですか?」
 とにこにこしながら久能の隣の席を指差しているのは、噂の二条。・・・と隣に立つのは、柏崎であった。
「・・・。」
 自分にをじっと視線を注いでいる柏崎に、久能は居心地の悪さを感じて微かに顔を歪めた。

「・・・御曹司ですか?ボクが?」
 二条は、昼食のカレーライスを食べながらにこにこして、大谷の質問に少し小首を傾げてみせた。
「タクちゃん。御曹司なんだって。」二条は自分の向かい大谷の隣に座っている柏崎の方を見て、邪気の無い笑みをみせた。
「職場では、『タクちゃん』はよせ。」苦虫を噛み潰したような顔で、柏崎が定食の味噌汁をすすりながら、注意する。
「分りました。柏崎課長代理。」少しフザケタ口調で、二条が言う。
「・・・ねえねえ、誤魔化さないで。そういう噂なんだけど。ホント?」
 話しが逸れそうだったので、慌てたように大谷が言う。好奇心が旺盛なオンナだ。久能は呆れた。自分はもう玉の輿には乗れないのだから、関係ないだろうに。それともイザとなったら、ダンナと娘を捨てる気なのだろうか。
「・・・。」
 久能はそんなコトを考えながら、席を立つタイミングを計っていた。柏崎は苦手だ。必然的に柏崎に似ている二条も苦手だ。特に二条(こいつ)の笑顔は可愛らしいが、どうも胡散臭い。
 それにしても実際こうして食事をしているだけでも、他の社員の視線が、痛いほど二条に集中しているのが分る。二条御曹司説は、久能が知らなかっただけで、会社中に知れ渡っていたらしい。しかも社内で結婚したいオトコ抱かれたいオトコ恋人にしたいオトコ軒並み1らしい柏崎が彼の親戚だという事実も僅かな間に周知のコトとなり、何だか異様な熱気が彼らを取り巻いていた。
「・・・何か良いですね。そういう謎めいた感じ。答えないでおこうかなあ。なあんだ、とか言われたくないし。」
 二条はふふふ、と笑った。
「えぇ〜〜〜っっ。教えて教えて教えてよおぅ。」
「・・・大谷。」
 久能は額を抑えた。それなりにバリバリ仕事もこなし、見事に家事もやりこなしている大谷なのに。時々本当にバカみたいな言葉遣いをする。
 パリッとしたスーツにはマッタク似合わないような、若モノっぽい(?)の舌ったらずの喋り方だ。ダンナが溺愛しているという小学生の一人娘の影響なのだろうか。
「・・・そうですね。そうだ。ボク久能さんに聞きたいコトがあるんです。久能さんが、ボクの質問に答えてくれたら教えても良いですよ。」
「えっ?」トレイを手に。今まさに立ち上がろうとしていた久能は、突然話し掛けられて、動きを止めてしまった。
「答える。勿論、答えるわよねっ!!久能!!」
 固まった久能の代わりに、大谷が応じる。
「でも。ここじゃ、流石にまずいかなあ。」二条は意味ありげな視線を久能と柏崎に流した。
「・・・。」柏崎の眉間に皺が寄るのを、久能は気付いた。
(ホント、機嫌悪いな。もしかして二条とは仲が悪いのか?)そんなことを考えていると。
「ええっ!?良いわよ別に。このオトコにそんな大層な秘密なんか無いんだからっ!!」
 大谷が、勢いこんで二条に答えている。
 おい。と突っ込みたい久能だったが、言うだけ無駄だとあきらめて溜め息を吐くと窓の外の景色を眺めながら言った。
「分ったよ。良いよ。何?」
「良いですか?じゃあ、ズバリ訊いちゃおう。久能さんて、ゲイなんですか?」
「・・・。」
「・・・。」
 食後のお茶を飲もうと湯飲みを持ち上げたまま。
「・・・。」
 今度こそ久能は完全に固まった。




「智幸。」食堂を出てからの廊下で、柏崎は尖った声で従兄弟の名前を呼んだ。
「何?柏崎課長代理。」
 二条は面白そうに、柏崎を見た。二人の体格はほぼ互角。僅かに柏崎の方が背が高い。
 先ほどは固まってしまって否定の言葉も吐けないようだった久能の代わりに、柏崎が皆に聞こえるような大きな声で、二条に悪ふざけが過ぎると怒鳴ったのだ。これで実質、さっきの一件は冗談ということで落ち着くだろう。二条としては、久能をもう少し困らせてやるつもりだったのだが。
「お前、一体、何のつもりだ?ウチの会社に何しに来た?」
「・・・タクちゃんこそ。いきなり後継者争いに参戦してくるなんて、どういうつもりなの?」
 二条は、例の人好きのする可愛らしい笑顔を消して、柏崎を見た。
「・・・。」
「権力闘争なんかに、興味は無いんじゃなかったの?」
「・・・事情が変わったんでな。」
「ずるいよ。油断させておいて。タクちゃんに本気になられたら、ボクなんか太刀打ち出来ないからね。アレコレタクちゃんの弱みを探らせてもらったんだよ。」
「・・・。」
「知ってるだろ?ボクたちは、必要なら、どんな真似だってするよ。」
 そう言った二条は、やはり可愛い笑顔を浮かべていた。だが、目は少しも笑っていない。
「・・・久能さんに、構うな。俺たちの事情は彼には関係無い。」柏崎は低い声で言った。
「ソレは出来ない。彼に会いたくて、わざわざこの会社に出向したんだからね。あのオジサンが、タクちゃんの心変わりの原因なんだろう?そして、弱みというヤツでもある。」
「・・・。」
 柏崎は鋭い視線を、二条に充てた。
「興味が湧いちゃったよ。一見タダのオッサンだけど、何かある訳?ああ。目は綺麗だよね。睫が長くて。」
「智幸。」静かな声が、二条の言葉を遮った。
「何?タクちゃん。」
 柏崎は微かな笑みを、唇に乗せた。
「・・・知っているんだろうな。何でもするのは、お前だけじゃない。」
「・・・。」
 二条は笑顔を消した。柏崎の底光りのするような瞳に気圧されるように、思わず瞳を逸らし、その事実に悔しそうに唇を噛む。
「俺を敵に回すコトが得策かどうか、もう一度良く考えてみるんだな。」
「・・・。」
 言い捨てて歩み去る柏崎の背に。二条は可愛らしさの欠片もないような視線を充てて、長い間睨み付けていた。



「飲んで下さいよ。久能さん。」ビール瓶を片手に、二条が微笑みながら近くにやって来た。
 正式な歓迎会ではなかったが。その夜は、急遽二条の歓迎飲み会が課内で行われるコトとなった。急なコトだったので、何人かは都合がつかず、それには柏崎も含まれていた。
「いや。俺は、酒は・・・。」
 エアコンが壊れていて、と久能がゴニョゴニョ言っている間に、さっさとグラスにビールを満たされてしまった。
 久能は眉間に皺を寄せて、二条を睨んだ。久能は昼間の食堂での一件に腹を立てていた。あれだけ注目を浴びていた状況での、あの発言。午後から久能はまるでカミングアウトしたかのように扱われ、からかわれた。さしもの大谷が、気の毒がったホドの有り様だ。まああの後、柏崎が二条を嗜めてくれたお陰で、結局のトコロ、皆本気に取ってはいないのだが。
タチ(・・)の悪い一族だぜ。)
 柏崎の今までの態度を思えば、素直に感謝する気にはなれない。久能をからかうのは、あの一族にとってそんなに楽しい何かがあるのだろうかと、久能は溜め息を吐いた。
「ボクの歓迎会なんですから。付き合って下さいよ。イケル口だと訊きましたよ。それに昼は妙なコトを訊いてしまって、申し訳ありませんでした。気を悪くされましたか?冗談だったんですけど、ウケなかったですね。」
「・・・冗談?」
 食堂中を凍りつかせ、あれから会社中の給湯室でのヒソヒソ話のネタとなった(多分一月は続くだろう)、あの一件を冗談で済ますつもりか。
 久能はグラスに口を付けるコトなく、二条の可愛らしい笑顔を胡散臭そうに見た。
「ええ。タクちゃ・・・。おっと、柏崎課長代理でしたね。彼と貴方との関係を知りたかったんです。」
「俺との関係?どうして?」
「イロイロ。一族の事情があるんですよ。ねえ、本当のトコロ教えて下さい。久能さんって、柏崎課長代理の彼氏なんですか?」
「・・・かれし?」
 久能は絶句した。やはり柏崎の親戚だ。発想がおかしい。
「そんなコトある訳ないだろう。どうかしてるぞ。」
「・・・何だ。タクちゃんの片思いか。」
「かた・・・?」益々ついていけない。久能は思わず、ビールの入ったグラスに口を付けた。
「でも。・・・貴方に他意がなかろうと。タクちゃんに関わりがある以上、イロイロ注意した方が良いですよ。イロイロとね。」
 意味ありげに久能を見る二条に。
「何なんだ一体。思わせぶりな言い方はヤメロよ。」
「・・・子供の頃から。ボクは、いずれはタクちゃんが一族の頂点に立つヒトだと言われ続けてましたからね。絶対に逆らえないヒトだと。」
「・・・頂点・・・?」
 益々意味が分らない。
「・・・でも。タクちゃんは大学生の頃、お爺様と大喧嘩をして家を出たんです。それきり、一族の事業とかには何の興味もなく様子で、この会社に就職したのだって、後継者になる気は無いという意思表示だと思ってた。ボクにもチャンスが廻ってきたんだと、喜びましたよ。・・・それが、いきなり・・・。」
 二条は忌々しげに可愛い顔を歪めると、舌打ちをした。
「・・・おい。何の話だ・・・?」
 眉間に皺を寄せる久能を、二条は見た。そして。
「・・・久能さん。無防備過ぎますよ。」にっこりと微笑んだ。
「何・・・?」
「タクちゃんと付き合うつもりなら。・・・少なくとも、親戚の出した食物は、口にしないようにしないと。」
「なに・・・?」
 そう呟いて、二条を見ようとした久能は。
 軽い眩暈を感じて、身体の力が抜けるのを感じた。
「久能さん。貴方は。タクちゃんの、何なんです・・・?」
「なに・・・を。・・・言って・・・。」
 久能はそこまで言うのが精一杯だった。
 一気に意識が闇に呑まれていく。最後の視界に。10年前の柏崎に良く似た二条の笑顔を認めて、久能は意識を失った。



「久能さんを飲ませ過ぎたのは、ボクですから。責任持って送り届けますよ。」
 二条は久能の左腕を肩に担いだ状態で、微笑んだ。
 二条目当ての女性陣からは一気にブーイングが上がったが、潰れた久能を持て余していた課の人間たちは、結局その二条の言葉にノった。
「・・・。」
 二条はほくそえんだ。
 勿論。彼は久能をタダ帰すつもりは無い。
 この男を奪ってやったら、あの尊大な柏崎はどんな顔をするだろう。想像しただけで、わくわくした。
「・・・。」
 大通りから少し入った路地で、二条は小さく左右を見た。
「・・・。」
 音も無く大型の外車が、彼らの前に滑り込んでくる。
「智幸さま。私が・・・。」
 車から降りてきた二条家の使用人で、智幸の子供の頃からの御付き(・・・)が、そう言って久能の身体を二条から受け取ろうとした。だが。
「構わない。私が運ぶ。」
 二条はそう言って、その身体を抱き上げた。おそらく。柏崎もまだ触れていない肌。二条は久能を腕に抱いて車に乗り込むと、その首筋に顔を埋めてみた。頬に当たる柔らかな黒髪が、思ったより心地良い。
 柔らかな体臭。それほど美しいという訳では無いが、アマリ男の匂いがしない。中性的というのとも違うのだが、こうして抱いていても嫌悪感のようなものは湧いてこない。二条は無言で、久能のワイシャツのボタンを乱暴に外した。
 酒に忍ばせた薬の効果は絶大で、久能はどれほど乱暴に扱われても、起きる素振りもない。
「・・・奪ってやる・・・。」
 二条は小さく呟いて、久能の首から鎖骨にかけてのラインに唇を這わす。しっとりと濡れたようなその肌に二条は一瞬意識を取られた。思ったよりも楽しい夜になりそうだと笑みを浮かべる。
 その瞬間。
 鈍い音とともに、生ぬるい外気が突然、二条の頬を叩いた。
「!」弾かれたように顔を上げた二条の目に。
「智幸。・・・本気で俺を敵に回す気か・・・?」
 開かれた車のドアから。静かに自分を見ている柏崎の姿が、写った。
「た・・・。タクちゃん・・・?」二条は愕然と呟いた。
「・・・久能さんに。触れたな・・・。」
 地を這うような低い声。そこに立っていた男の。今まで一度も見たことも無いような凶悪な眼差しに、二条は恥も外聞も無く震え上がった。



「・・・っ。」
 柏崎は歯を食い縛った。
「・・・ちくしょう・・・っ・・・!!」
 二条から取り戻した久能を、柏崎は自分のマンションに連れ帰った。真っ直ぐに寝室に向かって、久能の身体をキングサイズのベッドに乱暴に放り投げた。
「・・・。」
 そこまでされても。薬で、すっかり正体を無くしている久能は、少しも目覚める気配無い。
「・・・っ!!」
 柏崎は久能の身体に覆い被さると、真上から久能を見下ろして呻き声を漏らした。
 嫌な予感はしていた。
 だから柏崎は所要を済ませると大慌てで二条の歓迎会場に駆けつけた。二条の昼間の久能に対する態度が気になっていた。自分を敵に回すほど二条は馬鹿では無いだろうとは思いながらも、イマイチ得体の知れないトコロがあるこの従兄弟のコトを警戒していたのである。
 案の定だった。
 歓迎会が行われている店に向かう途中。子供の頃から智幸に仕えている御付き(・・・)と二条の愛車を見掛け、待ち伏せた。二条は正体を無くした久能を抱えて現れた。
「・・・っ!!!」
 他の男に抱かれている久能を見た瞬間の。
 頭の中が、真っ白にスパークするような感覚を。柏崎は今まで経験したコトが無かった。
 殺してやる。
 本気でそう思った。
「隙が有り過ぎるんですよっ!!!」
 柏崎は叫んだ。
 だが勿論。久能に落ち度は無いコトも分ってはいた。久能は、柏崎の気持ちさえ分ってなどいない。ましてや、柏崎の一族の確執など。二条を警戒しようなどと思うハズも無くて当然だ。だが、それでも。
「智幸なんかに抱かせるために・・・。」
 柏崎は奥歯を噛み締めた。二条が口付けを落としていた首筋に手を這わせる。
「今まで、大切に守ってきた訳じゃない・・・っ!」
 身体の奥底から湧き上がってくる苛立ちを。どうにも抑えきれず。
 柏崎はそう叫ぶと、そこに獣のような唸り声を上げて歯を立てた。
「・・・っ!!!」
 普段の彼からは想像もつかないような獰猛(どうもう)さで、寝ている久能のワイシャツを引き千切る。
 露わになった久能の日に焼けていない白い肌に、むしゃぶりついた。
「・・・久能さんっ・・・!」
 俊介(しゅんすけ)、俊介。一度も久能の前では呼んだコトの無い久能の名前を繰り返し呼びながら、身体中に口付けの雨を降らす。ベルトを外し、スラックスを脱がせて、足の指先にまで舌を這わせた。
「ん・・・。」
 そのアマリの執拗さに、意識の無いハズの久能が眉間に皺を寄せて、低く呻いた。
「・・・久能さん・・・。」
 柏崎は荒い息を吐きながら、久能を抱き締めた。
「・・・貴方のために。・・・オレは権力というモノが、欲しくなってしまった。」
 柏崎は呟いた。右手を背筋から尻に這わせる。
「貴方を手に入れても、誰にも何も言わせない権力(チカラ)を。貴方がオレから逃げるコトが出来ないほどの権力(チカラ)を。」
 苦しげな呟きが、喰いしばった歯の間から漏れる。久能を抱く腕に力がこもる。
「・・・。」
 腕の中の久能が、うめき声を漏らす。
「・・・このまま。貴方をオレのモノに・・・。」
 柏崎は眉間に皺を寄せると、苦しげに目を閉じた。
「・・・一歩も外に出さず、この美しい目が、オレだけしか写さないように・・・。」
 柏崎は久能の目蓋をネットリと舐め上げた。腕にはナオも力が篭る。
「・・・ううう・・・。」
 久能が一際大きな声を上げた。柏崎は弾かれたように目を開いた。
「・・・。」
 その瞬間。柏崎の拘束が緩んだのか、久能は大きく息を吐き出した。それから、むにゃむにゃと何事が罵っている。
「・・・。」
 柏崎は、そんな久能を呆然と見詰めていたが、次の瞬間。思わず笑った。少しの間、声を上げて笑い続け。そして。
「久能さん。・・・オレのことを嫌っているのに。何故、一目で智幸と血が繋がっていると分ったのですか?誰にも。課長にすら告げてなかったのに。」
 柏崎は、久能の前髪を掻き上げた。
「・・・。」当然ながら久能は答えない。 
「・・・貴方は。・・・憎らしいヒトだ。憎くて、愛しい。誰よりも可愛いヒトだ・・・。」
 柏崎はそう言うと少しだけ拘束を弛めた。そして、意識の無い久能の唇に自分のそれを、ゆっくりと深く重ねる。刻印を刻み込むように。
「・・・二度と。他の男に触れさせたら、その時は許しません。貴方は、オレだけのものなんですよ。」
 そして、一度目を閉じてから、もう一度久能の顔に強い視線を充てると呟いた。
「絶対に。逃がしません。」




「・・・んぅ?」
 久能は、ぼんやりと目を開いた。
「・・・久能さん。・・・大丈夫ですか?俺が分ります?」
「!!」
 真上から自分を覗き込む見覚えのある男前面に、久能は思わず声にならない悲鳴を上げる。
「・・・か、柏崎・・・?」
 大きなベッド。肌触りの良いシーツの上で、久能は柏崎を押し退けるようにして飛び起きた。慌ててアタリを見回す。見覚えの無い部屋。趣味の良いインテリア。
「久能さん酔っ払って潰れちゃったんですよ。」
 訳が分らない様子の久能を見ながら。柏崎は、ベッドの端に腰掛けたままで微笑んでいた。
「えー・・・?」
 久能は頭を抱えて、コトの前後を思い出そうとした。だが、酷い頭痛がして、考えが纏まらない。
 だが、確か二条の歓迎会で、二条に酒を飲まされて。
 どうも記憶が曖昧だ。飲まないように気を付けていたのに、何時の間にか飲んでしまったのだろうか。
「・・・気分はどうですか?」
 柏崎が静かに問う。久能は勿論、クスリを飲まされたのだが、そんなコトは夢にも思っていない。30分ほど前に柏崎が打った中和剤の効果で、二日酔いに似た症状だけが残っている。
「・・・気持ち悪い・・・。俺・・・一体。あれ?服・・・。」
 久能は、見たことの無いパジャマを着ていた。
「ああ。着替えさせてもらいました。久能さんのワイシャツとか吐瀉物(ゲロ)で汚れてましたので。」
「・・・。」
 久能は一瞬顔を歪めた。柏崎に服を着替えさせてもらっている自分を想像して、ますます気分が悪くなった。
 あ。パジャマ新品ですから。と言い添える柏崎に。
 何時の間にか、そんなに飲んだのか。久能は頭を抱えた。
 よりによって、天敵の柏崎に介抱されるなんて。しかもゲロ・・・。久能は、小さく溜め息を吐いた。
「・・・ココはオレのウチですが。帰りたいなら、車で送りますよ。オレ、飲んでませんから。」
「・・・。」
 久能はぼんやりと柏崎を見上げた。
 久能の大嫌いな男前が、親切そうに微笑んでいる。柏崎は久能が帰ると言うだろうと思っているコトが、その外出用の服装からも伺えた。だが。
「・・・帰りたくない・・・。」
 久能は、低い声で呟いた。

「えっ・・・!」
 柏崎は一瞬、久能が何を言ったのか理解出来なかった。
「帰りたくないんだ・・・。」
 久能はその、柏崎を魅了して止まない潤んだ美しい目で、柏崎をじっと見上げた。
「・・・久能さん。・・・そ、それって・・・。」
 柏崎は自分の心臓の鼓動が跳ね上がったのを感じた。頬に朱が走るのが、自分でも分った。
「それって・・・。オレを・・・。」
 誘ってるんですか・・・?
 柏崎はゴクリと喉を鳴らした。
 慎重に。
 柏崎は、久能を驚かせないよう慎重に。膝を抱くような姿勢で丸まっている久能の背に、ゆっくりと手を這わせる。
「・・・。」
 久能は拒まない。それどころか、切なげな溜め息さえもらし微かに伏せられた長い睫が揺れる。
「・・・久能さん・・・。」
 柏崎は掠れた声で、誰よりも愛しいヒトの名を呼んだ。腕に力を込めて引き寄せようとした、その瞬間。
「・・・ウチ。今、エアコンが壊れてるんだ。」
 久能が唐突に言った。
「はい?」
「あんなトコロに酔っ払って帰ったら、俺は死ぬ。」
「・・・。」
 柏崎は無言で、ガックリと肩を落とした。



「久能。大丈夫だったの?昨夜。」
 二日酔いの頭を引き摺りながら出社した久能に、大谷が話し掛けてきた。
「大丈夫じゃねえよ。頭ががんがんする。」
「そんなに飲んでたようには見えなかったけどねえ。」
「俺も・・・。何だか記憶も曖昧で・・・。」久能は溜め息を吐いた。
「・・・二条くん。送ってくれたの?」
「二条・・・?」
「二条くんが責任を持って送り届けるって、久能を抱えて帰ったのよ。彼目当ての女性陣からは大顰蹙(だいひんしゅく)だったわよ。」
「・・・?」
 久能は首を傾げた。気が付いた時は柏崎のマンションだったのだ。そう言えば、柏崎は昨夜の飲み会には参加していなかったハズなのに。
「そう言えば、久能のゲイ発言で、すっかり御曹司説の真相を聞くのを忘れていたわ。」
 大谷が最早どうでも良さそうに呟いた。彼女は好奇心の強い女性だが、熱しやすく冷めやすいのである。本当にもう興味が無くなったのだろう。
「・・・。」
 久能は溜め息を吐いた。久能もそんなコトは元々どうでも良かった。久能には関係ない(・・・・)コトだ。
 丁度その時。二条が笑顔を振りまきながらオフィスに入って来たのが見えた。

「二条くん。二条くん。」
 久能は小声で名前を呼びながら、二条に近づいた。
「おはようございます。久能さん。大丈夫ですか?」
 二条は爽やかに微笑んで、久能を見た。
「おはよう。酷い二日酔いだが、大丈夫だ。だが、何故俺は、柏崎の部屋で寝てたんだ?」
 久能の記憶は、二条に酒を進められた時点で途切れていた。
「覚えてらっしゃらないでしょうが、帰る途中でタクちゃんに会ったんですよ。そしたら、近くだから自分のマンションに泊めるって、連れて帰ってしまったんです。」
「・・・そ。そうか。迷惑掛けたみたいだな、二条くんにも。」
 久能は更に小さな声で、呟いた。
 いいえ。と微笑んで言い掛けた二条が、次の瞬間。
「う・・・。」
 小さく呻いて、腹のアタリを抑えた。
「どうした?」久能が訝しげな顔で二条を見る。
「いいえ。何でも・・・。」
 二条は苦笑して、手を腹から離した。昨夜の柏崎の怒りの名残りであった。だが。この程度で済んで幸いであったかもしれない。二条は、久能に触れたその腕を切り落としてやると言いながら自分を見た昨夜の柏崎のいっそ静かといっても良かった姿を思い出す。
(本気だった。)
 二条は、小さく震えた。御付き(・・・)が、死に物狂いで止めてくれなかったら、本当にそうなっていたかもしれない。
「二条・・・?」久能が二条の顔を覗き込む。二条は微笑んだ。
「・・・何でもありません。それより、久能さんの方こそ大丈夫なんですか。カラダ(・・・)の方は?」
 二条は探るような視線を、久能の腰の辺りに這わせた。だが。
「あ?ああ。身体は何とも無い。もしかして俺、転びでもしたか?でも何とも無い。胃の方はメロメロだけど・・・。」
 久能はそう言うと、ウップと口元をハンカチで抑えて、二条に手を上げると自席の方に戻って行った。
「・・・。」
 二条は微かに目を眇めて、久能の歩き方や仕草を注意深く見ていたが。やがて、小さな溜め息を漏らした。
「・・・あの据え膳状態で、手を出さなかったとはね・・・。」
 小さな声で呟いた。それから、柏崎のデスクの方に目を遣る。
 朝っぱらから携帯電話を片手に、精力的に働いていく美丈夫の姿を見て、微かな笑みを唇に掃く。
「そんなに大事にしているなんて・・・。ますます興味が湧いちゃうじゃないか、タクちゃん?」
 そういうと、底光りのするような眼差しを、具合悪げにデスクのパソコンの画面を青い顔でにらんでいる久能に充てた。そして滑らかだった昨夜の久能の肌の感触を思い出し、無意識に唇に指を這わせる。
「可愛い・・・。ヒトか・・・。」
 普段とは別人の。どこか淫靡な。薄ら笑いをその可愛い顔に浮かべながら。


「久能さん久能さん。」
 酷い二日酔いで、昼休みにポカリを飲みながらグッタリしている久能に、柏崎がにこにこしながら近づいて来た。
「課長代・・・。昨夜はどうも・・・。」
「そんなコトは気にしないで下さい。知り合いの電気屋にエアコンは手配しておきました。設置の日付についてはココに連絡して決めて下さい。久能さんの名前を言えば分りますから。」
「エアコン・・・?」
「壊れているんでしょう。」
「・・・。」酔っ払っていてアマリ覚えていないが、そんなコトまで喋ったのか。久能は溜め息を吐いてと柏崎と手の中のメモを見比べた。
「だから・・・。」
 柏崎は笑顔を久能に寄せてきた。
「オレ以外には。あんな可愛い顔で『今夜は、帰りたくない』なんて言わないように。」耳元で囁く。吐息が耳朶に触れる。
「なっ・・・!!!」久能は耳を抑えて飛び上がった。
「もう少しで食べちゃうトコロでした。」柏崎はにっこりと微笑んだ。
「こっ・・・このこのこのっ!!!」
 セクハラ野郎、と喉元まで怒声が上がっていたが。だが。エアコンについては、正直助かる。物凄く助かる。
「くっ・・・!!」
 久能は歯を喰いしばった。そして握り締めた拳を震わせながら。
「助かりましたっ!有難うございますっ!!」
 死に物狂いで、礼の言葉を口にする。
「・・・久能さん。」
 柏崎はどこか呆然とした様子で、そんな久能を見ていた。しかし。
「久能さんっ!!悔しそうで泣きそうで、かわいいっ♪」
「わーーーーーーっ!!!」
 いきなり抱きついてきた長身のオトコに。久能は本気で悲鳴を上げた。

−fin−

2004.07.03

 わわっ!!何かはーれくいんろます調に・・・。御曹司が出てきちゃあね・・・(笑)。ま。いっか・・・?
 あけりん様。気に入って頂けたら嬉しいですが。