疾風怒濤の日々だから

 プリンス。
 そんなベタな名前で呼ばれている男のコトを。俺は、勿論知っていた。
 学校中どころか、近隣で知らぬモノは無いと言われている人気者。美しくも男らしい容貌とスポーツ万能の長身で逞しい身体を持ち、学力も学年でトップ5を下ったコトは無い、その男は。
 高校入学以来二年間近く、ずっとクラスメイトであるのだから。
「・・・。」
 ただ。
 俺は、プリンスと口を利いたコトは、一度も無かった。
 二年間。一度もというのは、いくら何でもという感じだが、マジで無かった。
 入学当時から、その際立った美貌で目立っていたプリンスは、その冷たく見えるほど美しい容貌にも関わらず、性格まで申し分無かった。通常の17歳の男子と変わらない気さくさで周囲に接し、表情も非常に豊かで嫌味が無い。その美貌に浮かぶ照れたような笑みは、女生徒のみならず男子生徒や教職員までをノックアウトし、彼の周りには常に人が溢れている、凄まじいばかりの人気者であった。まさに完璧。パーフェクトな御伽噺の王子様である。密かにプリンスと呼ばれているのもムベなるかな。この男に関してなら、笑えない。
 ただ、それほどの人気者であるから。クラスメイトとはいえ、話しかける機会はそうそう無い。友人たちというか取り巻きというか、クラスや学年に関わり無く、そうした人間に常に取り囲まれているし、本人も年から年中忙しそうだ。積極的に近づこうとでもしない限り、俺たち一般ピープルであるクラスメイトの大半は、彼の傍にも近寄れやしない。偶然、何かのグループ分けで一緒のグループにでもならなければ、本当に話すことなど皆無だ。そして、俺は幸か不幸か、一度もプリンスと同じグループに入ったコトは無い。
 勿論、少し残念だ。
 これだけの凄まじい王子様とは一生に一度くらいハナシをしてみたいのが、正直なトコロだ。これほど完璧に生まれた男が、何を考えているのか、どういう風に感じているのか、興味はある。イロイロ感想を聞いてみたい。
 だが、彼を取り巻いている人間たちの異様な雰囲気。何というか、話しかけるのも一定の資格がいるかのような常に互いを値踏みしているような雰囲気?その何とも嫌ぁ〜な感じを突破してまでハナシてみようと思うほどには、俺の好奇心も根性が無かった。
 だから、俺はこのまま、プリンスとは縁の無い高校生活を送るだろうと思っていた。だがしかし。

 人生とは。
 どこでどんな風に転がっていくか、分からない。

「おい、末森。」
 俺と同じ一般ピープルの一人であるクラスメイトが、放課後俺の名を呼んだ。
「これから、どうするよ。試験も終わったし、皆で、カラオケにでも行こうって言ってるけど。」
「ああ。俺パス。図書館に行くわ。」
「相変わらず、好きだなあ。何が面白いんだか。」
 彼は呆れたように、肩を竦めた。
「大きなお世話。そんじゃねえ〜〜。」
 俺はそう言うと、鼻歌交じりに席を立った。
 放課後の図書館詣では、俺の唯一の楽しみだった。
 別に本好きというのではない。読書なんて、読書感想文でも書かされなけりゃすることは無い。


 目当ては画集だ。
 しかも裸婦像。
 いや。別にいやらしい目的ではない(多分)。
 ルネサンス。バロック。ロココ・・・。15世紀から19世紀あたりまでの裸婦像の、まるで真珠のような肌の美しさに魅せられてしまっているのだ。何時間見ても飽きない。その美しさ。三段腹のオバサンだろうが、ちっとも気にならない。
 本物を見られれば良いのだが、高校生の身分で、一番本物に近い色使いのレプリカを見られるのは、図書館の画集しかない。しかもこういったモノは買おうとすれば高額なせいか、大概貸し出し禁止だ。かといって学校で眺めていると、いろんなことを言われるのが目に見えている。
 だからなるべく、人が利用するコトの少ない期間を狙って、堪能するのだ。今日のような試験明けは、狙い目である。何度も通っているので、顔見知りになった図書館の管理を任されている本とは何の関わりもない体育教師は、ある程度融通を利かせてくれる。
「・・・。」
 俺は、嬉しさで頬を高潮させながら、ふと顔を上げた。
「・・・?」
 一瞬。人垣の中に居る、プリンスと目があったような気もしたが。一瞬だったので、何ともいえない。多分、気のせいだろう。
 俺は鼻歌を再開すると、踊るような足取りで(多分)教室をアトにした。


(なんて美しいんだ。)
 真面目なハナシ。
 泣きたいほど感動して、俺は画集から顔を上げた。
 この透き通るような肌の色。どんな魔法を使えばこんな色が出せるのだろう。
 今まで絵を描くことになど、何の興味も無かったが。少し描いてみたいような気がすると、思っていたその時。


「!」
 図書館の入り口に人影が見えた。
「・・・!!」
 誰か人が来た時のために。
 俺は入り口が良く見通せる、しかも一番遠い席に腰を下ろしている。余裕で、画集を閉じると、その上に別の本を重ねて、入ってくる相手を伺った。
「・・・!?」
 驚いたことに。図書館に姿を見せたのは、(くだん)のプリンスだった。
 部活の剣道でもインターハイで一年の時、ベスト8進出を果たしたプリンスは、今年はその上を目指して頑張っているハズで、試験明けとはいえ、部活をサボっている訳はない。一体何時だと思って、腕時計を見ると、時間はもはや午後6時近かった。
(こんな時間になっていたのか。)
 かれこれ、3時間はココに居たことになる。
 帰ろうと思ったのだが。図書室に入ってきたプリンスの怪しい動きに、何となく席を立てない。
「・・・?」
 プリンスは、ぶらぶらと。特に目的もなさそうに、いくつか置かれた机の周りを回っていた。
「?」
 そして、目線は明らかに外れているのだが。少しづつ、俺に近づいてくる。
「・・・何か・・・。探しているのか?塔宮?」
 俺は、プリンスの本名を呼んだ。
 図書室には二人しか居ない。そう声を掛けても可笑しくはない状況のハズなのだが。
「・・・!!」
 プリンス。いや塔宮は、驚いたように顔を上げて、俺を見た。驚いたような嬉しそうなような。微妙な表情を浮かべている。
「探し物か?」
 俺はもう一度声を掛けた。」
「い、いや・・・。」
 必要があれば、教師さえも言い負かす論客でもあるプリンスが、困ったように言い澱む。
「・・・。」
 俺は、声を掛けたことが迷惑だったのかもと視線を手元のカモフラージュ用の本に落とした。
「・・・。」
 視線をはずした俺を、プリンスが伺うように見ているのは感じていたが、取り合えず無視した。
「・・・。」
 すると、またプリンスが怪しい仕草で、何となく距離を詰めてくる。
「・・・。」
 こんなコトをいうのは、天下のプリンスに対して、無礼極まりないとは思うのだが。
(何か、鬱陶しい。)
 俺は、もう一度顔を上げて、プリンスを見た。
「・・・。」
 プリンスは、決して俺を見ていない。だが、俺に近寄る目的以外には考えられないような不自然なさりげなさ(?)で、少しづつ近づいてくる。
 怪しすぎる。
「何か、用か?」
「えっ!?」
「俺に、何か用?」
 プリンスは視線を彷徨わせた。何だか途方に暮れたような表情を浮かべている。こりゃビックリ。常に自信に満ち溢れているようなプリンスも、こんな表情が出来るのだ。
「・・・。」
 俺が黙ってプリンスを観察していると、彼は段々と頬を赤く染め始めた。
(ほう・・・。)
 なおも俺が興味深げに見詰めていると、彼は唇を噛んで俯いてしまった。だが。やがて、思い切ったように俺を見た。そして。
「・・・末森って。いつも図書館に居るよな。何しているのか、気になって・・・。」
「・・・。」
 大きなお世話だ、と即答しなかったのは、相手がプリンスだったからに他ならない。
「いつも・・・。随分、楽しそうだから・・・。」

「・・・。」
 俺はプリンスのことは良く知らない。だから、何故こんなコトを言い出したのかは分からなかったが。案外、疑問点を突き詰める学者タイプなのかも知れない。何かで俺が図書室に篭っているのを知って、気になって気になって仕方なかったのかも。理由が知りたいけど、親しくもないクラスメイトに訊くのも気が引けて。それなら、さっきの不自然な態度も納得出来る。
「・・・。」
 俺は小さくため息を吐いた。
「・・・!」
 途端にプリンスが、ピクリと身体を揺らす。
「・・・内緒にしてくれよ。」
 言葉遣いを若干迷ったものの。タメだし。良いかと、友人たちに接する口調で、俺はプリンスに話した。
 プリンスが興味本位で、俺を非難したり冷やかしたりするオトコでは無いと思うくらいには、信頼していた。
「俺な。昔の画家の書いた裸婦像が好きなんだよ。だから、画集を見に来ているんだ。」
「画集?」
「うん。」
「なんだ・・・。」
 俺の言葉に、プリンスは。ほっとしたように微笑んだ。


 それから。
 何故かプリンスは。部活帰りに図書室に、コマメに顔を出すようになった。
 例の怪しい動きは無く、俺を認めるとまっすぐに近寄ってくるようになった。そして、10分ほど言葉を交わす。その際は、やっぱりプリンスの言動は微妙に怪しかったが、まあアマリ気にしないようにしていた。教室における二人の立場や接し方は、今までと特に違いは無かったが、プリンスもたまには取り巻き以外の人間とハナシをしてみたいのだろう、と軽く思っていた。俺も秘密をプリンスに話したおかげで、自分の好きなモノのハナシを堂々と出来るのが嬉しかった。さすがのプリンスは、絵画にも造詣が深いらしく、俺の知らないイロイロな絵に纏わるハナシを聞かせてくれて、俺は凄く楽しい毎日を送っていた。
 かなりうちとけた。
 俺とプリンスは。確かにそういう雰囲気にはなりつつあった。


 一週間くらい経った頃だろうか。
「・・・。」
 人が図書室に入ってくれば、俺は大抵気付くのだが。
 その時俺は、画集に夢中になり過ぎて、プリンスが背後に立ったコトに気付かなかった。
 背後に立って、暫くの間、無言で俺をじっと見詰めていたことも。
「末森・・・。」
 その言葉に顔を上げた時には、既にプリンスは俺の背中に密着していた。密着というか殆んど覆い被さるような体勢で、俺の手元の画集を覗き込んでいた。
「・・・!?」
 何だ何だ!?
 俺は驚愕で、声も出ない。
 ついこの間まで口を利いたコトも無かったのに。いきなりの濃厚なスキンシップ。
 体育会系は、皆そうなのか!?どっちかというと文化系の俺には。到底、馴染めそうに無いぞ!!
「・・・。」
 俺は抗議うをしようと、プリンスを振り返ろうとした。その時。
(ぎょ・・・!!)
 目の端に。プリンスの左手が、俺の左肩の辺りを彷徨っているのが見えた。
「・・・っ!!!!」
 一体。このオトコは何を考えているんだ!?
「・・・。」
 心臓が。物凄い音を立て始めた。
 気付いているのに。気付かない振りをしながら。
 俺は自分の左肩に神経を集中する。
 思い留まってくれ。全身全霊で祈る。だが。
「・・・。」
 全然。さり気なくない仕草で。
 プリンスは。
 俺の肩を抱いた。
「!!!」
 俺が。身体を硬直させたコトにプリンスは気付いたハズだ。だが。
「お・・・。俺は、やっぱりこういった戦いの場面とかがす・・・すき。好き・・・だ・・・。」
「・・・。」
 そんな行為はしていないかのように、俺が見ていた画集を指差す。
 自分では、何でもないように、喋っているつもりかもしれないが。声が完全に裏返っている。

 プリンスをいつも取り囲んでいる大勢のとりまき達。
 誰か、誰でも良いから教えてやれよ。
 お前は変だって!!こんな。こんなのって、まるで。・・・まるで!?

 俺の左肩にのったプリンスの左手は、物凄く不自然だ。大体。何故、俺の肩を抱く。
「・・・。」
「・・・。」
 二人は一見画集を見ていたが、実は全然見ていなかった。全神経が、左肩と左手に集中している。
「・・・。」
 緊張感に耐え切れなくなった俺は。そうっと身体を捻って、肩の手を外そうと画集の上の右手を動かした。だが、その瞬間。
「!!」
「・・・っ!!」
 凄まじい勢いで、その右手をプリンスの右手に捕まれた。
 凄まじい力。
「!!!!」

 絶対に俺を逃がさない、という。明確な意思がを感じさせるようなプリンスの熱い掌。耳に当たるプリンスの息が。まるで100メートルを全力疾走したアトのように荒い。
「・・・。」
「・・・。」
 何だろう。何だろう。身体が動かない。
「・・・。」
 俺は、自分の意思ではどうしても身体が動かせなかった。
 金縛りか!?一度もあったことが無かったけど、これが金縛りというものなのか!?
 クラスメートが、夜中に金縛りにあって怖くて死ぬかと思ったと言っていたコトを、思い出す。

 怖い。確かに物凄く怖いぞ。

 心臓が口から飛び出すんじゃないかと思うほどバクバク鳴っている。だが、自分の背中に密着しているプリンスの心臓も他人のモノとは思えないほどバクバク鳴っているのが分かる。左肩にまわされたプリンスの左手に、不自然な力が掛かっている。俺の右手を捕らえたままのプリンスの右手も、まるで燃えるように熱い。そして痛い。力入れすぎだって。


 凄まじい緊張感が、この小さな空間に満ちている。二人とも身体がピクリとも動かない。動いたら、何かが起きてしまう。何かとんでもないことが。ばくばくばくばくと心臓の音がどんどん大きくなる。

(怖いよおおおっ!!!)
 俺はもう。泣き出す一歩手前だった。その瞬間。


「ぶはあっ!!!!」
 部屋の隅の本棚の間から、若干、間抜けな叫び声が聞こえた。
「!」
「・・・!!」
 俺とプリンスは弾かれたように、身体を離した。

「・・・ごめんごめん。何だか緊張感に耐え切れなくて・・・。あはは。」
 苦笑いを浮かべながら書棚の間から顔を覗かせたのは、図書館の司書でもある現国の教師だった。
「佐々先生・・・。何時からここに・・・?」
 俺は呆然と、そのオトコの顔を見た。
「君が一人で画集を見ていたときからだよ。アマリ熱中しているから、邪魔にならないように声を掛けなかったんだ。ソロソロ図書館を閉める時間だから声を掛けようと、覗いたら・・・。いや。アマリの緊迫感に、息も出来なかったよ・・・。」
「・・・。」
「・・・。」
 プリンスは真っ赤になって、下を向いた。つられる様に、俺も。
「・・・もう帰りなさい。6時を過ぎたよ。」
 その初老の教師は、それ以上な何も言わずに微笑んだ。



 帰路。
「・・・。」
 プリンスは。
 さりげなく。さりげなく。
 俺の隣を歩いているつもりのようだった(注:道路側)。
「・・・。」
 だが。右手と右足が同時に出ていた。・・・やっぱり怪しすぎるぞ。プリンス・・・。
「・・・。」
 俺は。
 何と言って良いか分からずに、黙って俯いてプリンスの隣を歩いていた。
「・・・加藤と。仲が良いんだな。」
「・・・え?」
 プリンスは俺の顔を見ずに。ぽつんと呟いた。
 突然出てきたクラスメイトの名前に、俺は訝しげに長身のプリンスを見上げる。
「・・・ランチ。いつも一緒に食べているだろ。」
 何だか苦い顔をして、プリンスは俺を見た。
「・・・ああ・・・。」
 そう言われれば。
 昼飯は、いつも加藤と一緒かもしれない。
「・・・昼休みに。たまたま・・・。近くに居るから・・・。」
「たまたま・・・?」
 何だか。何だかプリンスの言いたいことが分かるような分からないような。妙な照れ臭さを覚えながら俺は頷いた。
「・・・う・・・ん・・・。そういうこと、だ。」
「・・・。」
 長身のプリンスは、どちらかというとチビの部類の俺を暫くじっと見下ろしていたが。やがて、何か考え込むように、黙り込んだ。
 何を考えているのか見当がつくような気がしたが、俺も何も言わなかった。


 その翌日から。
 本人はさりげなさ(・・・・・)を装っているつもりらしいが。信じられないほど不自然な動きで、昼食前に俺の周りをウロウロしているプリンスに。クラス中の人間が、どうして良いか分からない気分を味わうコトとなった。
 面白すぎるぞ、プリンス・・・。
「・・・。」
 俺は。誰にも気付かれないように、小さな笑いを漏らす。

 結論としては。プリンスは思ったよりも熱いヤツだと、俺は知った。完璧なオトコのように見えても、やつも俺と同じ17歳。身体の中には、まだまだ未熟で熱い血が流れているのだと言う事を。いや、それを知ったからといって、別にどうというコトはないのだけれど。ただ。

 俺は、お前が嫌いじゃないよ。プリンス。

 そして、放課後の図書室で。
「・・・。」
 照れたような笑顔を浮かべて入室してくる長身の男前に。
「・・・。」
 にっこりと微笑んでやった。

−fin−

2004.10.12

 確か、思春期のコトを「疾風怒濤の時代」と言うと思ったのですが。間違っていたらごめんなさい(←いい加減)。実験的に、一人称で書いてみました(笑)。
 可愛いハナシだと思っていただければ、幸いです。たまには若者を書かないと(無理を承知で)。あはは。