振り返る瞬間(とき)

 

「・・・・・大吾を、呼べ。」

 風間 零一朗は、顔を上げずにその低く良く通る美しい声を幾分厳しくして、そう言った。

「風間?・・・・どうした?」

「・・・・・・・風間さん?」

 宗方組系の組組織において。四天王と呼ばれる一角を担っている『竜頭(りゅうず)組』組長、竜頭 達彦(りゅうず たつひこ)と『白鳳会』会長、白井 雄幸(しらい ゆうこう)は、眉間に皺を寄せて、俯いたまま顔を上げようとしない零一朗の顔を覗き込もうとした。だが。

「・・・・・・傍に来るんじゃねえっ!!!!」殆ど。怒鳴り声と言って良いような鋭い声が、筋金入りの極道であるところの二人を制した。

「大吾を今スグ、ここに呼べ。俺が呼んでいると伝えろ。」

「・・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・・。」

 二人は困惑した面持ちで、顔を見合わせた。こんな風にこの二人に命令を下し、なおかつ従わせることが出来るのは、宗方組八代目を除けば、この。世にも美しい男だけだった。

 

 

「・・・・・一体、どうしたんだ?」

 宗方組八代目。櫻 大吾が、そのホテルに到着したのは、それから僅か15分後のことであった。

 クリーム色のロールスロイスから降り立った大吾を。白井はホテルのエントランスまで出迎えた。大吾より5つ6つ年長である白井は、一見したトコロでは、ホスト紛いの色の白い優男だが、実は宗方組が抱えている組の中でも叩き上げでその地位を築き上げた新参者ではあっても頭もキレ、力技も器用にこなす実力派の組頭であった。

「・・・・・・何があった?」

 大吾は、ついさっきまでオンナのトコロで寛いでいたらしかったが、見た目にはマッタクそうした乱れは見えない。しかし。白井は気まず気に、大吾から視線を微妙に外した。

「・・・・それが。良く分からんのです。竜頭の兄貴と一緒にホテルのバーラウンジに居たところ、偶然、風間さんとお会いしまして。」

 竜頭と白井は、大吾が八代目を継ぐ以前からの、兄弟分であった。

「・・・・うん。」

「どうやらお仕事だったらしいのですが、随分お疲れのご様子だったので、下のスイートで旨い日本酒をご馳走しようと竜頭の兄貴が言い出しまして。」

「・・・・・零一朗は、尾(つ)いて行ったのか?ホント、酒に関してはマッタク節操の無い野郎だ。」大吾はあきれたように溜め息を吐いた。竜頭と零一朗の間には、初めて出会った時からのイロイロな経緯(いきさつ)がある。零一朗の立場なら、もう少し警戒しても良さそうなものだと、大吾は思う。だが逆に。零一朗の立場から言えば、そんな事をイチイチ気にしていては、誰とも酒など呑めないというコトになるのかもしれない。

「・・・・・べ、別に俺たちに他意があった訳では・・・・。」白井が少し慌て気味で、言い訳じみたことを口にする。この男も。高校生だった零一朗に手を出そうとして、痛い目に遭ったクチだ。

「ま。それは、そういうコトにしておこう。それで・・・・?」大吾は先を促した。

「暫く呑んでから。風間さんがそろそろ帰るとおっしゃって立ち上がった時、少し立ち眩みでも起こしたようにふら付いたので、兄貴が支えようとしたんです。そしたら、その途端。」

「・・・・・・・・・。」

「・・・・・俺に触るな、と。凄まじい勢いで跳ね付けられて。アトは、八代目を呼べの一点張りで・・・・。」

「・・・・・・・・・。」大吾は眉間に皺を寄せた。普段。零一朗は、いくら軽蔑しているヤクザ相手でも、こんな無体を言った事は無い。タダ事では無い何かが起きている気配を感じた。

 

「八代目。これは。夜分、どうも。」

 部屋の前で、まるでその部屋を護っているかのような雰囲気で立っていた竜頭が、大吾を認めて頭を下げた。竜頭も白井も。現宗方組系の組長は傍系を含め、ホトンド大吾より年長者ばかりである。竜頭は、宗方組系でbQと言っても良い大きく由緒ある組の頂点に立っている普段はインテリっぽい物静かな男だが、実は『狂竜』と異名を取るほどの宗方組きっての武闘派でもあった。

 普段。竜頭にはヤクザ特有の暴力の気配はマッタク無い。ただ。眉間に走る無視できない大きな傷だけが、この男が堅気では無いことを示している。

 当事は『眠り竜』と呼ばれていたこの男と、その弟分だった白井。今では大吾の四天王の呼ばれている彼らも含めた宗方組系の組長たちと、八代目を継いだ時はまだ17歳だった大吾との間に、それなりのトラブルが生じた。当事は、大吾の情夫(イロ)だと思われた零一朗も巻き込んで、宗方組は、まさに存亡の危機に立たされたのである。

 だがそれから、もう10年以上の歳月が流れてた。気が付けば。大吾も、30歳は目前である。

 その折。それぞれが、所詮はタダの高校生と舐めて掛かって痛い目に合わされた零一朗の事を。四天王と呼ばれているオトコ達始め宗方組配下の錚々たる面々が、密かに『宗方組八代目姐(あね)』扱いをして、いまだに微妙な想いで慕っているのを大吾は知らない訳では無かった。勿論。大吾に妻と呼べる存在が出来れば止めるのであろうが。

「・・・・零一朗は、中か?」

「はい。出て行けと言われましたので。」竜頭はその整った顔を、苦笑気味に大吾に向けた。ある意味。この竜頭に対してそんなクチが利けるのは零一朗だけだ。大吾だって言えないかもしれない。

「・・・・・・・・・。」大吾は、ドアノブに手を掛けた。

「・・・・・俺だ、零一朗。入るぞ。」

 声と共に、部屋に入る。そして少しだけドアを開いたカタチで、指示を待て、と影のように背後に付き従っていた高坂に呟いた。

「・・・・・・・・・。」

 高坂は、緊張した面持ちで頷くと、大吾の声を聞き逃すコトがないよう、ドアに寄り添うように立った。だが、決して中を覗こうとはしない。

「・・・・・・大吾か。」ソファの背凭れに右手を置いたカタチの零一朗が、大吾の声に反応して顔を上げた。

「どうした?」そう問い掛けた時には、だが既に大吾は異変に気が付いていた。自分を見る零一朗の。目の焦点が合っていない。

「・・・・・・・!!!傍に寄るぞ。」

 大吾は長い足で、大股で零一朗に近寄った。そして、触れるぞと呟きながら、零一朗の背中に手を充てる。

「・・・・・・見えないのか?」誰にも聞こえないような声で、零一朗に問い掛ける。

「・・・・・ソファから立ち上がった途端。急に・・・・。」

「・・・・・分かった。もう大丈夫だ、安心しろ。すぐ傍に俺が居る。」大吾は零一朗の背中を撫でながらそう言うと、低い声で背後に向かって呼び掛けた。

「高坂。入れ。ドアを閉めろ。」

「は。」

 高坂は身体をドアの隙間から滑り込ませると、後ろ手でドアをしっかりと閉めて、鍵を掛けた。

「・・・・・地下の駐車場のエレベータの前に車を回せ。このフロアのエレベータのドアを開けて待たせておけ。それから。」

 大吾は小さく間を取ってから。

「浩彰に連絡して、宗方本家に部屋を用意させろ。零一朗をそこに連れて行く。それからそこに、脳外科の専門医を呼んでおけ。」

「わかりました。」

 高坂は、何一つ疑問を挟まなかった。少しだけ気遣わしげに零一朗を見ただけで、すぐに部屋を出て行った。

 大吾は零一朗の耳元で囁いた。

「零一朗。抱くぞ?」

「・・・・・・・いや。それはチョット。」大吾の言葉に、零一朗は渋った。

「トロトロ歩くよりは、マシだ。エレベーターで地下に降りればスグ車だ。ホトンド人目に付かねえよ。」

「む・・・・。」止むを得ないといった表情で、零一朗は頷いた。

「・・・・・・・・。」

 大吾は、零一朗の気が変わらないうちに思ったのか、すばやく零一朗の膝裏と背中に手を回すと、自分より一回りは小柄な身体を、軽々と抱き上げた。

「お姫様だっこか?」零一朗が嫌そうに呟く。

「なんだ?他にどうする?赤ちゃんダッコか?オンブか?」大吾は少し愉快そうだった。だが、スグに真面目な顔に戻ると。

「最近、アタマを打ったりとかはしなかったか?」

 ドアに向かいながら、腕の中の零一朗に問い掛ける。

「いや・・・。ずっと考えていたんだが、これといった心当たりはマッタク無い。」零一朗は断言した。

 

「・・・・・・!!」

「!!!!!」

 零一朗を腕に抱いて部屋から出て来た大吾を見て、竜頭と白井は仰天した。

「は・・・八代目、こりゃ一体・・・!?」

「・・・・世話を掛けたな。今日の事は忘れてくれ。」大吾は零一朗の姿が二人からは出来るだけ見えないようにしながら、大股でエレベーターに向かった。

「八代目!!」

「アトで連絡させる。」

 大吾はそう言うと二人にチラリと視線を送ってから、エレベーターに乗り込んだ。

 

「・・・・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・・・・。」

 間髪入れずに、閉じられたエレベータのドアを見ながら。

 白鳳会の白井は小さく呟く。

「・・・・・・あれで、身体の関係は無いと言われてもな・・・・。」

「・・・・・・・・ふ。」竜頭は小さく笑った。

 初めて会った頃の。

 詰襟姿の零一朗を。その時にあの二人にたっぷりと味合わされた敗北感を、思い出していた。

 かつて。

 手に入れようと思った男。死ぬほど欲した男。

 あれほどの執着は、生涯に二度と無いだろう。

「・・・・・・・・・。」

 誰にどれほど請われても、決して起きなかった『眠り竜』が。そのためだけに起き上がり、『狂竜』の本性を晒して、大吾と対峙したのであった。

「・・・風間は。やっぱり、八代目の・・・・。」唇を噛んで、少し泣きそうな表情で呟く白井の言葉を。

「・・・・・・・・・。」

 竜頭は小さな溜め息とともに、受け止めた。

 

 

「特に、脳にも目にも問題は無いそうだ。」

 宗方本家で一通りの検査を終えて、流石に疲れたのか用意された布団の上でまどろんでいたらしい零一朗に、大吾は遠慮無くズカズカと部屋に入って行って声を掛けた。

 大吾は金に糸目は付けなかった。検査に必要だと言われた医療機器。多分、莫大な金額になるだろうレンタル料金を文句も言わずに一括で払い、それを全て本家に運ばせ、全ての検査をこの場所で行わせた。

「・・・・原因不明ってことか。喜べる事じゃねえな。」零一朗は渋い顔をした。

「まあな。だが、腫瘍とかがハッキリ見つからなくて良かったじゃねえか。」

「・・・・・・・・。」見つからなかっただけだったらどうするんだと思ったが、零一朗は小さく溜め息を吐いた。

「全然、見えねえのか?」

 大吾は零一朗の前で手を振った。

「真っ暗だ。大体は気配で分かるけどな。」そう言うと、零一朗は大吾の手を右手で払った。

「ふうん。」

 大吾は何だか楽しそうだった。

「何、喜んでやがる?」

「喜ぶ?喜ぶ訳ねえだろ?馬鹿。・・・・けどまあ。2日ほど仕事は休みを取れ。他にも連絡するべきトコロは教えろ。俺が連絡する。それから俺もスケジュールを調整させているから、少なくとも2日間は隅から隅まで面倒見てやるぜ。」

「何で、2日だ?」眉間に皺を寄せる零一朗に。

「何となく。」大吾はキョトンとした顔で応えた。

「・・・・・・・・。」見えないなりにその気配を察した零一朗は、大きく溜め息を吐いた。

 

「八代目。宜しいですか?」

 声が掛かった。高坂だ。

「ああ、入れ。・・・・食事を運ばせたんだ。検査検査で腹減っただろう。」

「・・・・・。」

 この家に到着したのは、真夜中だった。イロイロ準備を整えて、検査が始まったのが明け方。そして今は、丁度昼時だった。

「・・・・そういえば。ハラペコだ。」

 食欲を刺激するような、匂いがどんどん運ばれてくる。零一朗は思わず生唾を飲み込んだ。

「ご苦労だった。高坂。お前も少し寝(やす)め。アトは俺がする。」

「ですが、八代目。」

「良いんだ。二人にしてくれ。」

「は・・・・・。」

 高坂は、少し不満気だったが黙って頭を下げると、部屋を出て行った。

「・・・・・・・・・?」

 何だかゴソゴソと大吾が自分に近寄ってくる気配を感じて、零一朗は眉を顰めた。と。

「はい、零一朗。あーん。」

 大吾の言葉とともに、何かが唇に触れる気配がする。

「ちょっと待て!」

「何だ?」怪訝そうな、大吾の声がする。

「何の真似だ!?」

「しょうが無いじゃん。見えないんだから。」

「しょうが無くない。・・・・・自分で喰う。お前は手を出すな!!」

「どうやって?ほら。我が侭言わないで。あーん。」

「・・・んぐっ!!」

 セリフは可愛いが。大吾は零一朗の顎をでかい手でガシッと掴んで力ずくで無理矢理口を開かせると、口に箸を突っ込んだ。

「『吉兆』の懐石だ。旨かろう?」無理矢理、料理を零一朗の口にねじ込む。

「・・・・・・うぐうっ!!!!!ふっ!!ふざけんなっ!!!手前っっっ!!!」零一朗は、半泣きだった。

「はいはい。さあ、これは何かなあ?」

「大・・・・っ!!ううっ!!!」

 声だけ聞いていると。まるで妙なプレイのようである。零一朗の悲鳴が轟く。そして。

「てめええっ!!!!覚えてろよっ!!!大吾っ!!!!」

 ホトンド泣き声で、零一朗は叫んだ。

 

 

 夢も見ずに眠ったのは久し振りだった。

 何も気にせずに眠った。無防備に眠り続けた。

 大吾が傍に居ると言ったからだった。

「・・・・・・・・・。」

 零一朗が目を覚ました時には。もう夜だった。辺りに流れるヒンヤリした空気でそれと知れた。

 大吾の気配は少し離れた場所にあった。

「・・・・・・・・。」

 大吾は、ぼんやりと窓を開け放した暗い庭を見ていた。

「・・・・大吾?」

「目が覚めたか?もう、夜中だぞ。今夜は月が綺麗だ。」

 零一朗の声に、大吾は微笑んだ。

「ずっと居たのか?」

「・・・・・目が見えない状態のお前を放っておくわけにはいかねえよ。」

「・・・・・・・・・・・。」

「しかし。これで自信が付いたな。零一朗。心配するなよ。お前の老後の面倒は俺が見てやる。」

「・・・・・・くそばか。」

「・・・・・・・・・・・・・。」大吾が声を出さずに笑ったのが、零一朗には気配で分かった。

「・・・・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・・・・。」

 二人は、暫く黙っていた。

 月の光は柔らかく窓から差し込み、二人の姿を包んでいた。零一朗にも見えないなりに、その気配は分かった。

 大吾は小さく微笑んだ。

「・・・・・なあ。話せよ。女ともだち。どうしてるんだ?」

「・・・・遠藤は、2度離婚した。もうすぐ、3度目の結婚をするらしい。」

「・・・・・・すげえな。」

「遠藤は・・・・。彼女にとっては。相手が小林でなければ、誰だって同じなんだ。」

 零一朗は、少し哀しそうに呟いた。

「・・・・・・小林か。懐かしいな。」

 大吾は、少し遠くを見るような眼差しをした。バスケットボールを自在に操っていたハンサムな男の面影を思い出していた。

「・・・・・・・・・。」

「・・・藤原は、どうしているんだ?」

「・・・・意外だが、バリバリのキャリアウーマンだ。世界中を飛び回っているよ。和賀は・・・。」

「和賀は良い。あいつの事は、イヤでも知っている。」

「和賀家と宗方組は切っても切れない間柄だからな。」零一朗は小さく笑った。

「・・・・・・・・・。」

「お前の方はどうなんだ?」

「うん?」

「忙しいらしいな。」

「まあな。」

「眠り竜。最近、起きているんだな。」

「・・・・・そうだな。お前が叩き起こしてから、ずっとな。」

 初めて会った頃。竜頭 達彦はまだ竜頭組の組長では無かった。彼の義理の兄がその地位に就いていた。当事。誰もが竜頭をその地位にと望んでいたにも関わらず、どうしても組を継ごうとしなかった彼の事を皆が『眠り竜』と呼んでいた。そして。それに至った経緯を知っている人間は、彼の事を『狂竜』とも。

 関東連合の中で、誰もがその実力とカリスマ性を認めていたあの男と大吾の間には。本当にイロイロあった。まだ17歳だった大吾に、竜頭が頭を垂れるなどと、竜頭より許せないと言う輩(やから)は多かったのである。

 そして、その竜頭は。零一朗が欲しいと大吾に言った。

「・・・・・・・・。」大吾は小さな息を漏らした。

 全ては。終わったことだった。

 今は。竜頭は大吾の大事な片腕として、大吾の不在には代わりを務めさせるほど信頼を置いている男である。

「・・・・・・・・。」

 大吾は、ぼんやりと月光の方に顔を向けている零一朗の、変わらぬ美しい顔を見詰めた。

 この男が居なければ。

 竜頭とあれほどの死闘を演じる必要は無かった。だが、逆に。

 この男が居なければ。

 竜頭と、今のような信頼関係は築けなかっただろう。そして。

「・・・・・・・・。」

 この男が居なければ。やはり、今の大吾は無いのである。

 大吾は微笑んだ。

「・・・・お前は、最近、くそ生意気な部下に苦労させられているらしいな。」

「・・・・・まあな。」零一朗は苦い顔をした。

「・・・・・あいつは。得体が知れない男だな。」

「調べたのか?」

「・・・・・調べれば調べるほど、経歴が嘘っぽい。」

「・・・・そうかもしれん。だが。いずれ。俺などより遥か上にいく男だ。」

「・・・・・・・・・・・。追い越されるか・・・。ふふ。今まで前しか見てこなかったが。・・・俺たちも、振り返る時期が来たのかもしれねえな。」

「大吾。」

「・・・・・零一朗。俺は正直。・・・・・・。」大吾は言葉を切った。

「大吾。」零一朗にはその先の言葉が分かる気がした。

「・・・・今まで。イロイロなモノのために、死にモノ狂いで突っ走ってきたがな。俺は・・・・・。」

「大吾。」

「・・・・・・・いや。何でもねえ。今夜は。・・・・何だか物寂しい・・・。月が綺麗だからかな。」

 過ぎる日々の中。得たモノ。失ったモノ。

 どちらがどうとは言えないと、分かってはいても。失ってしまった多くのモノが、恋しい夜もある。

「・・・・・・・・・・。」

 零一朗は、無言で大吾の肩に腕を回した。

「・・・・・・・・・・。」

 大吾の肩が震えていた。17歳で、宗方組を背負い。配下の組織を纏め上げてきた不世出の極道と言われる男の肩が、抑えきれない思いに震え続けていた。

「・・・・・・・・・・。」

 零一朗は腕に力を込めた。

「・・・・・・・昔・・・。」

 こんなコトが。やっぱりあったな。と大吾は言おうとした。だが。言う必要も無かった。あれは父親に宗方組八代目を継げと言われたときだったか。

「・・・・・・・・・。」

 17歳の頃と。変わらぬヌクモリがここにある。

「・・・・零一朗。・・・お前は。少しはゆっくり休めたか・・・?」大吾は、小さく笑った。

「・・・そうだな。・・・・こんなにノンビリしたのは。久し振りかもしれんな。」

「・・・・・・・・・・。」

 零一朗は溜め息のように呟いた。大吾は無言で、自分を抱く零一朗の肩に手を回して腕に力を込めた。

 

 

 翌朝。

「・・・・・・・・・。」

 大吾が目を開くと。隣に敷かれた布団は、既にもぬけの殻だった。

「・・・・・・・・・。」

 大吾は小さく溜め息を吐く。それから、大きく伸びをすると、思い切ったように布団から抜け出し、フスマを開いた。

「・・・・・起きたのか。」

 零一朗は、既にホトンド身支度を整えていて、ネクタイを結びながら大吾を見た。

「・・・・直ったのか。」大吾は自分の目を指差した。

「ああ。」零一朗はスーツの上着を手に取って、立ち上がった。

 それだけだった。

「2日も休みは要らなかったな。」

「・・・・・・・・。」

 零一朗の言葉に、大吾は小さく苦笑を漏らした。

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・。」

 零一朗は、宗方本家の玄関を抜けた。溜め息を吐くと、タバコを口に咥える。

 ニコチンが恋しかった。考えてみれば、視力を失ってから一本も口にしていなかった。少し忙(せわ)しい気分で、ポケットのライターを探る。と、その時。

「零一朗。」

 同じようにタバコを咥えた大吾が、笑いながら零一朗に声を掛けてきた。

「・・・・・・。」

 ロールスロイスの傍らに立っている大吾に、零一朗は無言で歩み寄った。

 かきいいん。

 大吾が高らかに鳴らしたジッポライターの火を。二人で仲良く分け合った。

「・・・・・昔。こんな戦争映画を観たような気がする。」

 大吾は、ジッポを懐に仕舞いながら、微笑んだ。

「・・・・・?」

「戦場で。敵に取り囲まれた塹壕の中で、二人の兵士が仲良くこうやってタバコの火を分け合うんだ。」

「・・・・・・・・・。」

「・・・・そして、にっこり微笑みあって、勇ましく飛び出していく。戦場へ。そこで待ち構えていた敵に。ガガガガガ。とアッという間に撃たれて死ぬのさ。」

「・・・・・・・・・。」

 零一朗は大吾を見詰めた。

「・・・・・・・・・。」

 大吾もじっと零一朗を見ていた。

「零一朗・・・・・。」大吾が、静かに口を開く。

「・・・・・死ぬなよ。」零一朗が、ゆっくり応える。

「・・・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・・・。」

 二人は、ニヤリと口だけで笑い合った。

 

 

 背負っているものは、たくさんある。

 お互いに。

 捨てられないモノも。捨ててしまったモノも。たくさんある。

 それでも。

 

 いつかは必ず還(かえ)る。

 

 あの頃へ。

 あの幸福な時代へ。

 

「・・・・・・世話になったな。礼はいずれ・・・。」

「・・・・・・・・ああ。」

 零一朗は大吾に言葉を残すと。タバコを咥えたまま、徒歩で宗方本家の門に向かった。

 大吾も咥え煙草でロールスロイスに乗り込む。

 

 休暇は終わった。

 

 二人は歩き始めた。

 二度と。振り返らなかった。

 

 

 

 

 

 零一朗の視覚が、少しの期間失われた理由は。その後も結局、医学的に判明することは無かった。

 

−fin−

 2003.08.16

 まあ。戦士の休息という趣で(笑)。ちょっと題名が、気に入らないのですが。

 竜頭や白井。宗方組を彩る予定のヤクザたちをちょっと予告編ぽく出してみました。

 いかがでしたでしょう?

 キリ番。踏まれた方のリクエスト、お待ちしております。宜しければ、どうぞ?