宵待(よいま)(ぐさ)

 

 待てど暮らせど 来ぬ人を     

   宵待ち草の やるせなさ        

  こよいは月も 出ぬそうな     

 

 

 誰か。誰か。

 タスケテ。タスケテ。

 小さな。何の力も持たない幼い少年が泣いていた。

 いやだいやだ。

 こわいこわい。

 彼の周りには、彼を保護するべき大人は誰も居なかった。彼はひたすら泣いて助けを求めているだけだった。

 何の力も持たない小さな存在。

 吹けば飛んでしまうような幼い少年。

 目の前に広がるのは、荒涼とした暗黒の荒野。何の光も見えない。どちらが前でどちらが後ろか。いや、天と地すらハッキリしない。

 心細くて。不安で。

 小さな自分の身体を、その小さな手で抱き締めて、蹲(うずくま)る。

 その両の手は、血に塗れていた。

 身を護り敵を倒す逞しい身体も、鋭い爪も牙も。何ひとつ持っていないというのに。

 手だけは。拭えない血で穢れていた。

「・・・・・誰か。助けて・・・・・・。」

 だが。

 血を吐く思いで、少年が求めたモノは。

 ついに、彼の手には入らなかった。

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・。」

 勝又は目を開いた。

 妙な夢を観たと思った。

(・・・・・熱のせいか・・・・・。)

「・・・・・・・・。」

 勝又は小さな溜め息を吐いた。思ったより重症だった例の『ケルベルス』騒動で負った腹の傷が、まだ癒えていない。

(・・・・・あれから二日か・・・。)

 勝又はベッドサイドに置いているタバコに手を伸ばすと、仰向けになってそれに火を点けた。途端に携帯電話が着信を知らせる。

「・・・・・・・・・・。」

 ジョウだ。

 着信音で分かるようにしてある。すぐに出た。

『・・・・勝又?いつものホテルに居るのよね?』

 名乗りもしないで、ジョウがいきなり喋り始める。

「何だ?いきなり。どうして俺がここに居ると分かった。」

『今、ホテルの前だから。スグに行くわ。』

「・・・・・って。ジョウ?おい?」

 電話は既に切れていた。

「・・・・・・・・・・。」話がサッパリ噛み合わない。勝又は苦笑すると携帯電話を放り出してベッドから起き上がった。

 すぐ近くに居るらしいから、着替えをしているヒマはなさそうだ。勝又は、ガウンをパジャマの上に羽織った。

 広いスイートルームの寝室からリビングに移ったトコロで、直ぐに部屋のチャイムが鳴った。

「もう!!!ケダモノなんだから。ケガをする度にどっかに籠もるの止めなさいよね!!!」

 ドアを開くと、憮然とした表情のジョウが、荷物をイッッパイ持って立っていた。

「何で、わかった?」

「親父よ。多分、ここに居るだろうから、見舞いに行ってやれって。」

 ジョウは入れと言われる前に、勝手知ったるといった風にズカズカと部屋に入ってきた。

「お弁当とかお茶とか持ってきたわ。そりゃ、味はホテルのモノには適わないけど、こういう手造りモノの方が弱った身体には優しいのよ。」

 そう言いながら、大きな紙袋からタッパーに入ったイロイロなモノを取り出している。

(・・・・やれやれ。大学でも、こんなお節介をしてるのか。友達に嫌われてなきゃ良いが。)

 まるで押しかけ女房のようなジョウに、苦笑を浮かべながら。勝又はリビングのガラスのドアのトコロに凭れて、立っていた。

「・・・・・・・顔色悪いわね。・・・・熱は?傷が痛いの?」

 ジョウは勝又の顔を見て、眉間に皺を寄せた。

「・・・・少しな。」

「・・・・寝て。寝て寝て!!!」

 ジョウは強引に、勝又を寝室に押しやった。

「・・・・・・・・・。」

 勝又を強引にベッドに寝かせると、ジョウはずりずりとベッドサイドにドレッサーの前にあった椅子を引き摺ってきた。

「・・・・・どこが痛い?一番、痛い?」

 椅子に腰掛けて、寝ている勝又の顔を覗き込むとそう訊いた。

「・・・・腹だ。」勝又が腹部に手を充てる。

「・・・・・・・・。うわっ。」ジョウは勝又のパジャマの前を開くと、包帯だらけのその身体に驚いたように声を漏らした。

「・・・・包帯が大げさなんだ。」勝又が苦笑した。

「・・・・・『手当て』してあげる。」

 ジョウはそう言うと。

 繊細な仕草で、勝又の腹部に両手を乗せた。

「・・・・・・・。」

 これは、零一朗と勝又の影響だった。

 特筆するほどでは無いが、零一朗にも勝又にも多少のヒーリングの能力がある。ジョウが子供の頃、ケガや病気の際、『手当て』と称して、二人はジョウの患部に掌(てのひら)を当てて撫で擦った。ジョウはその時。身体が楽になったコトを覚えているのだ。だから。

 手を患部に充てて、一心不乱に撫でれば、きっと皆、身体が多少なりとも楽になるのだと信じている。モチロン、間違ってはいない。ジョウにその能力は無いが。

「・・・・・・・・・。」

 勝又は。空調が効いて、丁度好い室温が保たれている寝室で。ジョウの額にうっすらと汗が滲んでくるのをぼんやりと見ていた。

「・・・どう?ちょっとは、楽?」

 額の汗を無意識に拭いながら、ジョウが微笑む。

「ああ。」

 勝又は小さく答えると、ジョウから目を逸らした。

 ぱらりらぱらりら。パラリラパラリラ。

「・・・・・・・・?」

 聞き覚えの無い品のカケラもない音楽が、寝室に響いた。

「・・・・・・・・・。」

 ジョウはまるで聞こえないかのように、ピクリともしない。

「・・・・・・電話じゃないのか?」勝又は、ベッドの上に放り出してあるジョウの携帯電話を指差した。

「・・・・・良いのよ。」そう言うと、ジョウは眉間の皺を寄せた。

 ナカナカ鳴り止まない。

「出てやれよ。」勝又は首を伸ばして、液晶画面の名前を見る。

「・・・・・しつこいのよ。話すことなんて、無いわ。」ジョウは苛立たしげに呟くと、乱暴に電話を切った。

「・・・・・平蔵じゃねえか。ケンカでもしたのか?」

「ケンカ?喧嘩するような仲じゃ無いわ。」

 ジョウは吐き捨てた。

「どうした?何があったんだ?」勝又は少し眉根を寄せた。知ったこっちゃ無いが、『ケルベロス』の影響が、平蔵の精神に多少出たのかもしれない。

「・・・・・・・・。」

 自分に向けられている勝又の視線が居心地悪そうに、ジョウは何度も唇を舐めた。そして、あきらめたように。

「・・・・・・キス・・・・。」小さな声で呟く。

「ん?」

「キスマークが。・・・・平蔵の・・・項(うなじ)に。」ジョウは、一瞬泣きそうな顔をした。

「・・・・・・・・・。」勝又は黙った。

「・・・別に、関係ないけどね。」ジョウは小さく笑う。

「付き合っている訳でも無いし。」

 勝又は、小さく咳払いをすると口を開いた。

「・・・・・・・満員電車ででも・・・。付けられたんじゃ無いか?」

「バカバカしい。口紅じゃあるまいし。それに立った状態で、平蔵の項に唇が届くオンナなんて、どんな大女よ。」

 ジョウはキッとした目付きで、勝又を睨んだ。

「そ、そうだな・・・・。」

「別に。関係ないわ・・・・・。恋人じゃあるまいし・・・・。」だが次の瞬間には。ジョウは力なく項垂れると、ピンク色の唇を噛んだ。

「・・・・・・・・・。」

 勝又は、険しい表情を浮かべたジョウを見詰めて、もう一度咳払いをした。

「・・・・良いじゃないか。あんなヤクザ。この機会に、縁を切ってしまえよ。」

「・・・・・・・!」ジョウはビックリしたように顔を上げて、勝又を見た。そして。

「そ・・・。そうね。ヤクザなんか・・・・。勝又も親父も。大嫌いだもんね・・・・。」引き攣った笑顔を浮かべながら、目を逸らす。

「・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・。」

 寝室に沈黙が流れた。

 勝又があきらめたように、溜め息とともに呟く。

「・・・・・訊いてやったのか?平蔵の言い訳を・・・・・。」

「言い訳なんて・・・。私は、自分とのデートの時に、キスマークを付けてくるなんて非常識だと言っただけよ。バンソコーか何かで隠してくるのが礼儀でしょう、って。そしたら・・・・・。」

「・・・・・・・・・・。」

「恥ずかしいようなマークじゃ無え。生命を救ってくれたマークだから、誇らしいくらいだ。・・なんて訳の分からないコトを・・・・!!!」

「・・・・・・・・・・。」

 勝又は目を閉じると、小さく溜め息を吐いた。そして。

「・・・・・・俺だ。」

 あきらめたように呟く。

「はい?」

「・・・・そのキスマーク。俺が付けた。」

 勝又はジョウの目を見ると、ハッキリした口調でそう言った。

「・・・・・・・。」

 ジョウは、目を大きく見開いて、勝又を見た。

 パラリラパラリラ・・・・・。

 途端に着信音が、寝室に響いた。

「・・・・・・・。」

 ジョウは暫らく、勝又を見詰めていたが。

「・・・・うん。・・・私・・・。」

 躊躇いがちに、電話に出た。そして。

「・・・・・・はい。・・・・うん。うん。・・・・今、どこ?」

 喋りながら、ゆっくりと寝室を出て行った。

「・・・・・・・・・。」

 勝又は小さな苦笑を浮かべて、それを見送った。

 愛しき者。

 愛しき小さな可愛い者たち。

 愛されて愛されて愛されている者たち。

「・・・・・・・・・。」

 勝又は荒野に一人きりで取り残されて泣いていた少年を思い出して、小さく溜め息を吐いた。

「・・・・・勝又。」

 ジョウが、寝室のドアから顔を覗かせた。

「・・・・・ちょっと、出掛けるわ。」

「・・・・そうか。」

「・・・・・お弁当。食べてね。一生懸命作ったんだから。」

 そして微笑みながら、ベッドに近付いてくる。

「・・・・・・・・・。」

 無言で、勝又の首に両腕を回して抱きついた。

「・・・・・大好き。一番、好き。」

 勝又の頬に頬を押し付けて、小さな声で呟く。両腕に力が籠もる。

「・・・・・・・。」

「・・・・・・・じゃあ。行って来るわ。」

 身体を離すと、照れたようにそう言って笑った。

「ああ。行ってらっしゃい。気を付けてな。あまり遅くなるなよ。零が心配する。」

「うん。勝又も、ちゃんと寝てなきゃ駄目よ。」

「ああ。」

「・・・・・・・・・・。」

 ジョウはもう一度微笑むと、寝室を出て行った。

 暫らくして、部屋の扉が閉まる音が聞こえた。

「・・・・・・・・・。」

 一番好きだと言いながら、別の男の元に向かう娘。

 小さな胸の痛みを、勝又は気付かないフリをしてやり過ごした。

 あれは。

 零一朗の娘。

 零一朗の娘だから、可愛がったのだ。将を射止めんとすれば・・・・。まず、馬を・・・・・。

「・・・・・・・・・。」

 可愛い娘。素直な娘。

 甘やかして甘やかして。

 一生懸命、育てた。

「・・・・・・・・・。」

 勝又は、小さく微笑むと目を閉じた。

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・。」

 暖かいモノを感じて、目を開いた。

 辺りは、もう真っ暗だった。思ったより長い時間、眠ってしまったようだった。

「・・・・・何か、喰うか?」

 低く良く通る声が。

 すぐ近くから聞こえて、勝又は驚いてソチラを見た。

 風間 零一朗が、ベッド脇の椅子に腰掛け、右手を勝又の腹に充てて、左手にタバコを持って窓の方を見ていた。

「・・・・・今日は、中秋の名月だそうだ。残念ながら曇りだが。」

 だが、微かに月明かりが室内を照らしている。

「・・・・いつ、来た?」勝又は掠れた声で、零一朗に訊いた。

「・・・・ジョウから電話をもらったからな。カナリ具合が悪そうだと。」

「・・・・・・・。」

 あれは、午後だった。今は一体、何時なのか。

「ずっと、ここに居たのか?」

「『手当て』だ。しないよりはマシだろう。」

 世界で一番美しい顔が。

 勝又を見て、微笑んだ。

「・・・・・・・・・。」

 勝又は、嬉しそうに微笑み返すと。無意識に、再び瞳を閉じた。

 

 

 教えてやりたかった。

 あの荒野で。一筋の光も無い。真っ暗な闇の中で。

 自分の身体を抱き締めて震えていた。幼い小さな少年に。

 

 もう少しすれば。

 もう少しすれば。

 

 温かな腕が。

 温かな優しい手が。

 

 君を待っているのだと。

 

 君の痛みも苦しみも。恨みさえも癒してくれる温かな手が。

 君が心底求めたものが。

 

 

「・・・・・・・・・。」

 再び眠りに入ったらしい勝又を。

 零一朗は、無言で見詰めていた。

 腹の傷は思ったよりも重症で、宮内庁からも零一朗に連絡が入っていた。

 勝又は痛いとか辛いとか言うことをホトンド口にしない。

 天使のような微笑で。全てを隠してしまう。

 損な性質(たち)だ。

「・・・・・・・・・。」

 零一朗は勝又の額に手を当てた。先ほどよりはマシだが、まだ熱が高い。

 零一朗は溜め息とともに、額にかかる勝又の前髪を梳いてやった。

「・・・・無理をするな。たまには、休め・・・・。大吾も。死ぬほど心配していたぞ・・・・。」

 小さく呟く。

「・・・・・・・・・。」

 眠る。まさに天使としか言いようの無い美貌の。長い睫毛の下から。

 涙が一筋、頬を伝っていった。

「・・・・・・・・。」

 零一朗は。

 勝又がそれに気付かないように。

 細心の注意を払いながら。

 優しくそれを指先で拭ってやった。

 

 

 教えてやりたい。

 震える小さな君に。

 誰かの手を求めて。

 震えている小さな手に。

 優しい手が。

 君を待っているのだと。

 一番好きだと囁いてくれる、優しい腕が待っているのだと。

 知っていれば。

 知ってさえいれば。

 君は違う人生を歩めただろうに。

 

 

 

 

「生きてさえいれば。人は何度でもやり直せる。」

 零一朗は小さく呟くと、瞳を閉じた。

 中秋の名月は。

 淡い光を。

 朧(おぼろ)に、部屋に投げていた。

 

 何もかもを。許し、慈しむように。

 

−fin−

 2003.09.23

 一体、お前何者なんだ、勝又?という感じですが(笑)。

 まあ、彼のハナシはおいおいに・・・。しかしギャグにするつもりだったのに。何でこんなハナシに(笑)。

 いかがでしたでしょう?

 キリ番。踏まれた方のリクエスト、お待ちしております。宜しければ、どうぞ?