例えば。野に放たれた獣のように

 

 付き合っているとか、惚れているとか。

 マッタク冗談じゃない。

 

「・・・・・。」

 北条(ほうじょう) 高彬(たかあきら)は。

 自分に縋りつかんばかりに手を伸ばし、何か叫んでいるチンピラ風の若い男に、傲慢とも言える冷たい一瞥を与えて背を向けた。

「北条さんっ!!!お願いです!!アニキをアニキを助けてやって下さいっっ!!!!」

 背中を向けたというのに。

 さっきより、何故か声がハッキリ聞こえる。

「・・・っ!!」

 高彬は苛立たし気に舌打ちをすると、足を速めた。

「お客様。」

 尚も自分に追い縋ろうとしているチンピラを、常連で上客である高彬の目配せを受けて、ホテルのスタッフが阻む声が聞こえる。このホテルは会社の接待等で良く利用する。スタッフとも高彬は顔見知りだ。カナリの融通も利く。

「北条さんっっ!!!」

 悲痛な声。確かナオトと呼ばれていたチンピラヤクザ。あの情けない腰抜け野郎(チンピラ)の、唯一の舎弟。あの腰抜け野郎のドコが良いのか、アニキ、兄貴と犬コロのように纏わり付いていた。

 アニキは優しいんですよ。

 確かそんなコトを言っていた。田舎から出てきて右も左も分からないナオトの面倒を、本当の親身になって見てくれたのだと言っていた。

「・・・。」

 優しいだと?そんなモノが、一体何になる? 

 ヤクザの世界も。そして高彬が生きているビジネスの世界も。

 優しさなんかでは、渡ってなどいけない。優しさなど、一歩間違えばスグに弱さに繋がる。あの腰抜け野郎には、そんなコトも分らないのだ。バカだから。

 バカで弱いモノは、淘汰される。自然の摂理だ。

(・・・俺が、イマ少しくらい手を貸してやったからといって、どうなるっていうんだ。)

 高彬はもう一度、舌打ちをした。

 向いていない。あの男には、ヤクザなど。田舎にでも篭もって土に塗れているのがお似合いだ。高彬は眉間に皺を寄せたまま、苛立たしげに唇を噛み締めた。

 その時。

「高彬さん」

「北条さん。」

 似た声質の、僅かにトーンが違う声にホトンド同時に声を掛けられて、高彬はまるでスイッチを切り替えるように、完璧な営業スマイルを浮かべた。

 日曜の午後。昼下がりの一流ホテルの明るいカフェテリア。

 二人の上品で上等な女性が、高彬を見て微笑んでいた。

「・・・・どうしたんですの?何だか、ロビーが騒がしいようね。」

 和服姿にまだ艶気の充分残るいかにも良家の奥さま風の中年の上品な女性の方は、いささか尊大な態度で高彬に向かいの席に座るように促しながら、美しく整えられた眉を微かに寄せた。

「どっかのチンピラが、紛れ込んでいたようですよ。」

 高彬は微笑みを浮かべたまま、指定された席に腰を降ろした。隣には、ピンク色の品の良いワンピースを着たいかにもお嬢様然とした美しいというより可愛らしい女性。

 和服のオンナに似た面差し。一目で母娘と知れる。今年大学を卒業したばかりの彼女は、今月23歳を迎える。高彬とは、丁度10歳違いだ。

「まあ、怖い。」

 ピンク色のワンピースを着た女性が、不安そうに眉を顰める。

「このホテルも、質が落ちたモノね。」母親の方も不快そうだ。

「もう大丈夫ですよ。スタッフが追い出したようですから。」

 高彬の微笑は、少しも揺るがない。自分の知り合いなどとは、毛ほども悟らせる訳にはいかないのだ。

「まあ、何があっても北条さんが一緒なら、安心ですわ。ねえ香奈枝。」

「・・・・・ええ。」

 ピンクのワンピースを着た女性は頬を染めて、上目遣いに高彬を見た。

「勿論。いざとなったら、香奈枝さんもお義母(かあ)さんも、私が全力で護りますよ。命に代えても。」

 ホトンド190センチに近い身長。学生の頃は名門大学のラクビー部のFWとして鍛えに鍛えた逞しい身体を持つ高彬は、その日本人離れした彫りの深い男らしい顔に、自信たっぷりの笑みを浮かべた。女性二人がほうっというように、高彬の艶気のある美貌に見惚れているのが分る。今まで出会ったオンナたち全員がそうだったように。

「そろそろ行きましょうか?」

 高彬は立ち上がると、香奈枝と呼ばれた女性の方に手を伸ばした。

 当然のように彼の手を取るのは、高彬の勤める大手ゼネコンの、次期社長は間違いないと言われている実力者である専務の娘。高彬とは大学の先輩後輩という関係で知り合った。同窓会で見た高彬が、父親の会社の有能な社員だと知って、実力者の父親経由で食事に誘ってきたのは彼女の方だった。大学は卒業しても、就職する気などモトから無い生まれ着いてのお嬢様。そのお眼がねに、高彬は適ったというコトらしい。そのまま順調に付き合いを続け、一ヶ月後には、結婚式を挙げる予定で、今日は彼女のウエディングドレスの仮縫いのために、やって来た。

「パパったら、どうしても私のウエディングドレス姿を見たくないっていって、来なかったのよ。でも夕食には合流するって。」

 香奈枝は当然のように高彬の腕に腕を絡めながら微笑んだ。会社の実力者の掌中の玉。目の中に入れても痛くないほど可愛がっている愛娘の婿。高彬の将来は保障されたも同然だった。

 勿論、それだけでは無い。

 同期の中でも、トップを切って、課長職に付き、その後も順調な実績を積み重ねている。正直いって、専務のヒキ(・・)などなくても、高彬は独力で、頂点に登りつめる自信があった。寧ろ、愛娘の伴侶としてまた、自分の片腕として専務に見込まれ、請われて彼女と結婚するといった方が正しいのだ。

「・・・・・。」

 順風満帆。

 高彬の人生は、まさにその只中にあった。

 

 ある。一人の男との関わり合いを除けば。

 気が強いばっかりで、ヘナチョコで見栄っ張りの腰抜けヤクザ。安藤(あんどう) 康孝(やすたか)という男との。心の底からの不本意な縁を除けば。

 

 

 

「高彬って。公家さんみたいな名前だな。」

 ヤスタカは酔っ払うと、良くそう言って笑った。

 高彬など聞いたコトも無い、地方の。名も無い公立中学を卒業し、上京してきた田舎モノのガキ。勿論、高彬と出会ったときは、もうサスガにガキではなかったが。

 どういう経緯を辿ったのかは知らないが、高彬と出会ったときは、もうイッパシのチンピラだった。年齢は、高彬より少し下だろう。興味も無いので、訊いてもいないが。

 但し。果てしなく弱っちい、しかも根性のマッタク座っていない、テレビドラマなら、まず真っ先に殺される役ドコロの末端のチンピラだが。

 高彬のようなエリートビジネスマンとは、マッタク接点の無い男。高彬の勤務先はゼネコンだから、暴力団と関係が皆無とは言わないが、ヤスタカのような吹けば飛ぶようなチンピラは、本当に何の関係も無い。それが。

 ずるずると個人的な付き合いに発展してしまうとは。

 サスガの高彬も、自分で自分が信じられなかった。

 

 

 出会いからして最悪だった。

 日本の若者文化を見たい、などという悪趣味な海外のクライアントの要望を当たり障りなく適えた渋谷での接待の帰り。

「てめえ!!!待ちやがれ、安藤!!!」

 複数の人間の気配。あきらかな殴り合いの気配。次の瞬間。

「!!」

 高彬の目の前。あるとすら気付かなかった小さな路地から。

「・・・・・!!!!」

 男が一人飛び出して来て、高彬に思いっ切りぶつかった。

「・・・っ!!!!」

 男の撒き散らしている鼻血が、高彬がわざわざイタリアまで行って誂えた冬物のスーツを汚す。高彬は思わず舌打ちをして、そのあきらかなチンピラを自分の身体から払い除けようとした。だが。

 チンピラは、身体の大きな高彬の背中に素早く回りこむとしがみ付いて離れない。

「おいっ!!!」

 高彬は怒鳴って身体を捩るが、まるでオンブしているかのようにチンピラはガッチリと高彬の背中にしがみついている。そうこうしている間に、二人は背中のチンピラを追って来たらしい、その筋の男たちに取り囲まれるハメになった。

「おいっ!?」

 高彬がもう一度、自分の背中にしがみ付いているオトコを怒鳴りつけようとした瞬間。

「待ちやがれ、くそ野郎っ!!」

「どこ行きやがった!?」

 複数の荒々しい足音が、路地のカドから現れた。

「居やがった!!!」

「・・・・・!?」

 呆然と目の前に現れた、いかにもその筋の方々ご一行様に。

 高彬は、面倒の予感を感じて息を飲んだ。

「何だ、テメエ?」

「安藤とどういう関係だ?」

「・・・・何の関わりもない。タダの通りすがりだ。」

 事実を告げた高彬を、胡散臭そうにチンピラどもは眺める。だが。

「・・・・じゃあ、とっとと行きやがれ。」

 高彬の身につけた高級そうなスーツやいかにもエリート然とした立ち居振る舞い。明らかに住む世界の違う雰囲気に、社会の底辺を生きる彼らも関わり合いにならない方が得策だと判断したのか、いささか引いた雰囲気でそう告げた。

「・・・・・・。」

 高彬は立ち去ろうとしたが、背後に回ったチンピラがスーツを握り締めたまま離さない。どころか。

「・・・・し・・・・知り合いだ。こいつは!!!お前らを叩きのめすと言っているぞっ!!!」

 震える声で。掠れた声で。

 だが。しっかり聞こえる音量で、高彬の背後に居るオトコは彼らにそう告げた。

「ナニっ!?」

「何だとおっ!!!」

 高彬とチンピラどもの上げた声は同時だった。

 チンピラどもの目の色が変わっていた。

(冗談じゃない!!)

 高彬は舌打ちをした。

 妙な面倒ごとに巻き込まれるのゴメンだった。

「いい加減にしろっ!!!俺はこんなコトをしているヒマは・・・・!!!!」

 自分の背後を睨んで怒鳴り声を上げた高彬を。

「・・・・・・っ!!!」

 貧相なチンピラは、唇を噛んで見上げた。気の強そうな。だが、弱そうなオトコ。高彬がその気になれば、腕の一振りで吹っ飛ばせそうだった。だが。躊躇った。つい躊躇ってしまった。高彬はその一瞬の躊躇いをしばらくの間、後悔するコトになるのだが。

 それが。

 彼らに向かって、威勢良い言葉はポンポン吐くが、決して高彬の大きな背中から出て来ようとはしない、信じられないホド腰抜けのチンピラヤクザ。

 ヤスタカとの。高彬の人生史上、最低最悪の出会いであった。

 行きがかり上。

 止むを得ず、ヤスタカを助けるカタチにはなったものの。当然ながら、高彬は二度とあんなチンピラとは関わりあいになりたくないと思っていた。当然だ。高彬の目の前には、一部上場企業の代表取締役へと向かう道が。いや例えそうでなくても、どんな道でも必ず成功に続く道が、彼の前には開けていた。高彬はそれだけの実力も魅力もある男なのだ。自分もそう信じていたし、周囲の人間も勿論、そう思っていた。

 イマの会社の同僚であり、かつてはラクビー部の後輩でもあった矢野という男は、常々こう言っていた。

「北条さんの人生のゴールが、ウチの会社の代表取締り役社長ぐらいなんて、何となくガッカリですね。」

 ラクビー部の後輩は、信じられない言葉を吐くと、笑った。あの頃の仲間は皆、そう言っていますよ、と。

「北条さんは、もっと凄いエキサイティングな人生を送るんだと思っていましたよ。もっともっと派手で、でっかい花火を打ち上げて。」

 もし花火を打ち上げる気になったその時は、是非俺も呼んで下さい、と。

 どんな仕事も地位も放り出して、北条さんのモトへ馳せ参じますよ。と。

「まあ。会社の中で、色んなコトを企んで、ライバルたちを蹴落としているセンパイも、それなりに良いですけどね。」

 と。

 この。小さな頃から、エリート街道を真っ直ぐ突き進んできた、ラグビーにおいては信頼できるFBであった後輩は、イタズラっぽい顔でそう言っていた。

 

 人生は。

 思い通りにはならない。

 ある日。高彬は、しみじみとそれを思い知った。

 

 二度と会うコトもないだろうと思っていたヤスタカと。不本意ながら二度目に会ったのは。

 信じられないコトに、本社ビルの玄関を出たトコロだった。

「・・・・・・・。」

「よう。」

 北条 高彬は。

 悪夢の只中に居た。珍しくの定時退社。彼の勤める大手ゼネコンの本社ビルを出たトコロで。

「この間は世話になったな。」

 原色にハイビスカス模様。真冬だというのにアロハシャツ上に安物合皮のブルゾンを身に纏い機嫌よく左手を上げた、いかにもアタマの軽そうな

「あ!!おい!!俺だ!!忘れたのか!?この間、助けてくれただろう!?」

 二度と思い出したくもない、チンピラが。高彬を待ち構えていた。

「・・・・・ヒト違いでしょう。」

「そんな訳ないだろ!!アンタみたいな目立つ男を間違えるもんか。・・・礼を。あの時の礼をしようと思って・・・。」

「ケッコウですよ。」

「そうはいかない!!ヒトに親切にされたら、チャンと礼をするようにって、ばあちゃんからズット言われてたんだ。」

「ばあちゃん?」

「両親に捨てられた俺をずっと面倒みてくれた、バアチャンだ。」

「・・・・お気持ちだけで。」

「何だよ!!何でヤなんだよ!!ちゃんと金も持ってる。ほら・・!!」

 チンピラはポケットを探るとグチャグチャの数枚の一万円札と千円札と小銭を、高彬に見せた。

「・・・・どっかで、酒でもご馳走するよ。ホントに助かったんだ。迷惑も掛けて悪かったと思っている。」

「・・・・・・・。」

 今だって充分迷惑なんだよ、と思いながらも。

 高彬は、大柄な自分の歩幅にあわせて必死に小走りに必死で追い掛けてくる、小柄で貧相な体格のオトコ。そしてその姿が思いの他周囲の注目を集めているコトに気付いて、盛大な溜め息とともに立ち止まった。

 

 

 オトコに連れて行かれた飲み屋は。いかにも日雇い労働者とかが行きそうな、立ち飲みやに近い薄汚れた店だったが。料理は絶品だった。

「美味い!!!」

 高彬は、何だか怪しげな煮込みに手を付けた途端、大声を上げた。

「だろう?アンタみたいなエリートは、こういうトコでは飯は食わんだろうけど、悪かないだろう?」

 チンピラは、嬉しそうに顔を綻ばせた。

「・・・・日本では、こういうトコにはアマリ来ないがな。中東では良く行ったよ。」

「中東?中東って、イランとかイラクとかってトコかい?何しに行ったんだ?」

「・・・・橋を架けに行った。ボランティアみたいなモンだ。紛争中でな。兵士にアタマに銃を突きつけられたコトもある。」

「・・・・・・・へ・・・。」

「もう二度と生きて日本の土は踏めないかもと思ったけどな。・・・俺を殺そうとした奴らも、銃の前に飛び出して、『このヒトは、良い人だ』と叫びながら俺を命懸けで助けてくれた奴らも。同じ国の人間だった。」

「・・・・・・・。」

「人間てのは、不思議なもんさ。」

「・・・・・・だから、アンタは肝が据わってるんだな。」

「ん?」

「アノトキも強かったもんな。4人をアッという間に叩きのめした。あんたは身体もでかいけど、度胸も据わっていると感心したよ。」

「・・・・・・。」

「修羅場を潜ってきたオトコってのは・・・。凄げえよな。」

「おい。テメエ。オカマじゃねえだろうな。オンナみてえなコト言いやがって・・。」

「何だと?」

「言っとくがな。俺は修羅場を潜ってきたから、強ええんじゃねえぞ。」

「・・・・・・。」

「その時だって、工事現場のスグ近くに爆弾が落ちた時も、チビリそうなくらい怖かったよ。怖かったし、馬鹿ばかしかったよ。何でコンナとこでこんなメにあってんのかと、笑っちゃったさ。俺はあの時、生命が助かるなら、土下座でも何でもした。だがな、それを恥とは思わねえ。」

「・・・。」

「それを、みっともないとも、誰にも言わせねえ。俺は、震えながらでもチビリそうになりながらでも、そこから逃げたりはしなかったぜ。ハタから見てどう思われようがな。やるべきコトはキッチリやった。やるべきコトのためには、どれだけ生き恥を晒してでもやるのが男だ、違うか?」

「・・・。」

「サラリーマンを舐めんなよ、チンピラ。」

「・・・・ごめん。」

 そう言って、チンピラは店の中でも掛けていた趣味の悪い安っぽいサングラスを外して、高彬に頭を下げた。思えば、ハジメテ会った時も夜だったというのに、ヤスタカはサングラスを掛けていた。だから高彬は、ヤスタカの素顔を見たのはハジメテだった。だから。

 瞳を伏せたヤスタカの。

 長い睫毛に気付いたのは、その瞬間だった。どこか外国の貴族の落とし種だと言われてもつい信じてしまいそうな品の良い色素の薄い顔をしている事に、高彬は始めて気付いた。

 その顔立ちが、美しいといっても良いホド整っているコトに。いや、正直。イマまでお目に掛かったコトが無いほど綺麗だということに。

 

 魔が刺した。

 そうとしか言えない。

「んっ・・・・ん。」

 その日の帰りに。

 高彬は、ヤスタカにキスをしてしまった。

「・・・綺麗な顔だ。・・・。」

 最初は、火が点いたように抵抗していた、ヤスタカが、次第に力を無くし。ウットリと、自分との口付けに溺れていくその顔を高彬は見詰めた。ハッキリ言って高彬の好みにドンピシャの顔だった。

 美しい顔といってもイロイロある。だが、ヤスタカの頼りなげで色素の薄い、微かに不幸そうな憂いを帯びた美貌は、本気で高彬の好みであった。ヤスタカが女であったなら、絶対抱いていただろうと思わせるほどに。

 

 

 

 その後も二人は、何度となく会った。

 繁華街で偶然のように顔をあわせることもあったし、ヤスタカが遠慮がちに、高彬の帰りを待ち伏せているコトもあった。高彬は。

「・・・。」

 振り払えない自分を不思議に思いながらも、ヤスタカと酒を呑んだ。呑めば、必ずキスをした。だが、それ以上は決して進まなかった。どちらも進もうとはしなかった。

 そうしている間に、ぼちぼちと、ヤスタカの所属している組のことやヤスタカの立場などを知るコトとなった。

 ヤスタカの組は、一年前に先代組長が死んでから二つに分かれたらしかった。表向き代紋を継いだのは、先代の遺児であったが、先代のモトで代貸しとして実質組のbPの実力者だったオトコが、それを機に独立した。彼に付いて行く舎弟は多く、またそれを止める実力もイマの組長にはなかった。良くも悪くもボンボンである現在の組長のモトで、ヤスタカの組は急激に力を失ったばかりか、独立した代貸し一派にシマをホトンド乗っ取られた状態であるらしい。

 初めて遭った時も、新しい組のチンピラと、ある店のみかじめ料をめぐって揉めていたらしかった。

「ヤクザはヤクザで、大変だな。」

 高彬は呟いた。

「・・・・アニキは優しいから。」

 ヤスタカと付き合ううちに顔見知りになった、ヤスタカの弟分というチンピラ、ナオトが。声を顰めて言った。ヤスタカは手洗いに立って、居ない間のコトだった。

「・・・どんな店にも、強くは言えねえんですよ。イロイロ事情があるのが分っているから。」

「腰抜けなだけだ。自分の仕事がキチンとこなせないなら、転職すべきだ。大体、奴がやらなくても誰かがやる、そういうコトだろう。」

 訳のわからない腹立ちに、高彬はつい声を荒げる。

「アニキは。先代に恩があるから。今、こんな時に、組を抜けるなんてこた出来ないんですよ。」

「それに・・・・アニキの素顔・・・。見ました?」

「・・・ああ。」

「そこらの女なんか、メじゃねえでっしょ。」

「・・・かもな。」高彬は急に喉が渇いたような気がして、目の前の飲みかけの生ビールを呷る。

「あんなに綺麗だから・・・。余計、色んな奴らにコナ掛けられるんですよ。今までは、組がそれなりの勢力を持っていたから、平気だったけど。これからは・・・・。俺、心配で仕様が無いんすよ。アニキ、威勢は良いけど、腕っ節はイマイチだから。」

「・・・。」

「本当にアニキ。先代に恩があるから・・・。ウチの組も見捨てられねえんすよ。」

「・・・。」

 高彬は思わず喉を鳴らした。もしそういう(・・・・)目的で、ヤスタカに絡んで来る男の前で、ああいう生意気な態度を取っているのなら、その気が無くても男を煽っているようなものだ。注意しておかないと。

 その時。

 高彬は、無意識に力の入った掌に微かに滲んだ汗に気付いて、不快な感覚を味わった。

(何で、俺がそんなコトを、心配してやらなきゃならん。)

 そう思ってはみたものの。

 その時感じた不快感は、ナカナカ消えなかった。

 

 

「最近。ヤクザと付き合っているらしいですね。」

 矢野にそう話しかけられたのは、喫煙ルームのブースに珍しく二人きりになった時だった。

「今度、会う時は俺も誘ってくださいよ。面白そうだ。」

「誰に訊いた?」

「蛇の道はヘビですよ。」

「・・・。」

 噂になっているのだとすれば、ヤバイな。高彬は眉間に皺を寄せた。何と言っても、専務の娘との結婚が目の前だ。

 潮時だな。

 高彬は、淡々と考えた。

「お先。」

 と言葉を残して、その場を去ろうとしていた矢野が、ふいに足を止めて、高彬を見た。

「・・・何だ?」

 紫煙を吹き上げながら、高彬は矢野を見た。

「最近。・・・少し、変わりましたね。」

「あ・・?」

「何だか、ギラギラした、野獣っぽい雰囲気が出ている時がありますよ。昔みたいに。」

「何だ、それは?」

「何だか、センパイが昔に戻ったみたで、俺は嬉しいですが。・・・リーマン向きとは思えませんね。出世なさるつもりなら、気を付けた方が良いかもしれませんよ。この世界。異質のモノは嫌われますからね。」

「・・・。」

「けど。本来の自分を偽って生きていくのもどうかとも思いますがね。それじゃ、お先・・。」

 そう言い捨てて、立ち去っていく後輩の大きな背中を見詰めながら。

「・・・。何を言ってやがる。」

 高彬は、乱暴に灰皿にタバコを押し付けた。

 

 だが。潮時だと分っていても。

 高彬は、何故か結局ヤスタカに会うことを止められなかった。

 ある日。

 どこで嗅ぎつけてきたのか。矢野が高彬に付いてきた。

「綺麗なヒトですね。」

 矢野は、ヤスタカが席を外したのを見計らって、意味ありげに笑った。

「センパイの好みだ。・・・俺は、ヤクザっていうからテッキリ、何か事業でも起こすつもりで幹部クラスの人間と会っているのかと思っていましたよ。」

 単なるデートだったんですね。

「・・・・。」

 デートという単語に目を剥きながら。高彬は無言で酒を呷った。

 何度もヤスタカと、キスをした。

 ヤスタカはそういう行為に、マッタク慣れてはいなかった。初心と言っても良いその反応。まさか、童貞とは思わないが、経験は数えるほどだろう。高彬の口付けが深くなると、スグに腰が砕ける。思わずそのまま、押し倒して肌に唇を這わせようと思ったコトも何度もあったが、その度に死に物狂いで自分を抑えた。

 それは。高彬のプライドだった。

 彼には認められなかったのだ。こんな、腰抜けのチンピラヤクザに溺れそうになっている自分のコトが。

 限界だった。

 イマ、手を切らねば。別れられない。

 焦燥に駆られて、高彬は決心した。

 

 

「もう、会えない?」

 この所。高彬と会う時は、いつも素顔のヤスタカは、キラキラした茶色の大きな瞳を困惑したように見開いて、高彬を見た。

 綺麗過ぎて、この眼で見詰められると、男だと分っていても落ち着かない。

「そうだ。結婚するんだ。チンピラと関わりがあるなんて噂が立つと、迷惑だ。」

 その思いが、必要以上に、高彬の言動を乱暴にする。

「結婚?」

「そうだ。」

「・・・・そっか。そりゃ、そうだよな。」

 ヤスタカは薄い笑みを見せた。子供のような邪気の無い笑み。高彬を(なじ)るコトもない。勿論、(なじ)られる覚えもない。いまどき。キスくらいで不実を(なじ)られる覚えはない。だが。

「・・・・。」

 世界中で一番、綺麗な笑顔だ。

 高彬は、そう思って、目を逸らした。

 

 ヤスタカと会わなくなって、二ヶ月が過ぎた。

 ヤスタカはあれからマッタク連絡してこない。良く考えると。お互い携帯電話の番号も知らない。ヤスタカが、高彬の会社にでも来ない限り、二人の接点は本当に何も無いのだ。

「・・・。」

 その間に、専務の娘との結納も終わり、式は一月後に迫った。

 今日は挙式予定のホテルでウエディングドレスの仮縫いだった。それが終ると、専務の一家との夕食会。これで今日一日は全て潰れる。いい加減うんざりだが、仕方ない。結婚式までには、コマゴマコマゴマしたことを死ぬほど決めなくてはならず、このところ、高彬の休日は全てそれに忙殺されていた。

 しかも。そこへ。

 どこで、高彬がココに居ることを聞きつけたのかは知らないが、例のナオトというチンピラが、アニキを助けてくれなどと言ってやってきた。

「・・・。」

 試着室に入っていった母娘を待ちながら。

 高彬は苛立っていた。

 気になる。

 一緒につるんでいた時から、トラブルはしょっちゅうだったが、何だかいやな感じだ。

 本当は。一度痛い目を見て、田舎にでも帰ってくれれば良いと思っていた。だから、高彬は手を貸す気など無い。大体、そんな義理も無い。二人は何の関係も無いのだから。ただ、ほんの一時期、酒を呑んでキスをしたことがある。ただそれだけの関係だ。

「・・・・。」

 高彬は待合室のソファに腰を降ろしたまま、タバコに火をつけようとして、ここが禁煙だったコトを思い出し、唸りながら唇からタバコを毟り(むしり)取った。

 その時。

「まあまあ。北条さん、見てやって下さい。」

「本当に、お綺麗。」

 母親と職員の言葉に連れられて。

 その言葉とともに、香奈枝が純白のウエディングドレスを身に纏って現れた。

「高彬さん。」

 ばら色の頬。

 幸福な娘。

 その光景に。高彬の頬にも、思わず笑みが零れた。

 その時。

「あら。矢野さん。」

 突然、香奈枝が言った。

「矢野?」

 高彬が顔を向けた先に、後輩の矢野が立っていた。若干、息が荒い。

「センパイ。」

 矢野は他人は全て無視して、高彬のモトへ真っ直ぐにやって来た。

「センパイ。ヤスタカさんが、他の組とトラブルを起こして相手の組にとっ捕まった若い者のコトで、話をつけにどっかの事務所に向かったそうです。ナオトくんが、会社にセンパイを捜しに来まして・・。俺、たまたま休日出勤してたもんで。この場所を彼に教えたのは、俺です。」

「何だと?余計な真似を・・・。」高彬は、眉を顰めた。

「・・・良いんですか?」

 矢野は真剣な顔で高彬を見ていた。

「何がだ?」

「ヤスタカさん。逃げたら、センパイに顔向け出来ないって、震えながら出向いたそうですよ。」

「・・・・・。」

 ヤスタカは橋を架けた時のハナシを覚えていたのだろうか。

 高彬はぼんやりと思い出していた。

 ごめん。

 高彬にそう言った時の、ヤスタカの顔を。

「それに・・・。」

「それに?」

「俺、思っていたんですよね。確かにヤスタカさんの組はイマ、ヤバイ状態でしょうが、それにしても末端のチンピラに過ぎないヤスタカさんに、絡んで来る奴らが多過ぎるって。」

「・・・・何が言いたい?」

「・・・ヤスタカさん。チンピラにしては、美し過ぎると言っているんですよ。オトコが、妙な気を起こすには充分過ぎる・・・。」

「!!!」

 高彬は音を立てて、椅子から立ち上がった。

「・・・高彬さん?」

 高彬の剣幕に。専務婦人が驚いたように、高彬を見ている。ウエディングドレスに身を包んだ香奈枝も。

「・・・・話し合いだなんて呼び出されても。実際、どんなメに会わされているか、分りませんよ。」追い討ちを掛けるように、矢野が高彬の耳元で囁く。

「!!!!」

 高彬は。

「・・・。」

 無言で、スーツの上着を放り投げた。

 瞳が。

「どこの事務所か、知っているんだろうな。」

 野生の獣のように、燃え光っていた。ネクタイを毟り取るように外す。

「・・・・勿論!!!」

 矢野はニヤリと笑った。

「・・・・高彬さんっ!?!」

 何か不穏なモノを本能で感じ取ったのだろう。

 香奈枝が、普段の慎ましさをかなぐり捨てた様に、ドレスの裾をからげながら高彬に駆け寄ってくる。

「・・・!!」

 自分の腕に縋り付こうとした可憐な女性を、だが高彬は容赦無く振り払った。

「香奈枝っ!!!北条さんっ!!これは、一体どういうコトなのっ!!!」

 金切り声を上げて床に倒れこんだ娘に駆け寄る母親は一顧だにせず、高彬は香奈枝を真っ直ぐに見詰めた。そして。

「・・・・許してくれとは言わない、香奈枝。思う存分、恨んでくれ。」

 そう言うと、背を向けた。

 

 追い縋ってくる女性の声は、もう今の高彬には聞こえなかった。

 

 

 

 ヤスタカは小刻みに震えていた。

 通された事務所の応接室らしい部屋。

 ヤスタカの向かいに座っている男は、少なくとも顔馴染みだった。

 昔は。自分の下に付いていた男。モトモト要領の良い男だったが、組が割れてからは、代貸しの方に付き、新しい組ではそれなりの()になっているらしかった。

「困りましたね。ヤスタカさん。」

「・・・。」

 男はいきなりヤスタカの名前を呼んだ。苦手だった。昔から、この男が自分を見る視線が。

「・・・・良く、言い聞かせるから。知らない仲ではないんだ。今回は抑えてくれないか。」

 この男の組が、ヤスタカの組からショバを鵜の目鷹の目で狙っているコトは、いくらヤスタカでも知っていた。弱みを作りたくはないが、組の若い者を見捨てる訳にはいかない。この男は、ヤスタカを名指しで、ハナシをつけに来いと言ってきたのだ。

 サラリーマンを舐めるな。

 そう言った男の、この上も無いほど男らしい美貌を思い出す。

 例え。ハタからどう見えようが、やるべきコトをキッチリやるのが男だ。

 逞しい身体。長い足。ヤスタカがどれほど羨んでも手には入らないモノを持っている男は、そう言っていた。その通りだ、とヤスタカも思った。難しい理屈はこねることは出来ないが。

 だからこそ。その男に軽蔑されたくは無いからこそ。無い勇気を振り絞って、ココまでやって来た。

「・・・。」

 あの男は。

 本来なら、自分など足元にも寄れないようなエリートサラリーマン。

 あの男はどうして、自分に何度もキスをしたのだろう。ヤスタカはぼんやり考えていた。自分がある一部の男に好まれるような容姿を持っているコトは、今までの経験で何となく知っているが。高彬は別に自分など相手にしなくても、男にも女にも不自由などしないだろう。それなのに、何故。

「・・・・。」

 手馴れたキス。ヤスタカなど意識を簡単に持っていかれる。ヤスタカは自分の置かれた状況を忘れて、その感触を思い出し赤くなった。

「・・・うわのソラですね。」

 ふいに間近に聞こえた声に、ヤスタカは慌てて身体を引こうとした。が、その瞬間にはもう腕をガッチリ掴まれていた。気が付くと、応接室に居るのは、男とヤスタカだけになっていた。

「・・・あのガキを引き渡しても良いですよ。俺の一存で。でも、それなりの報酬はもらわなきゃ・・・。ねえ。ヤスタカさん。」

「・・・!!!!」

 男は、ガッチリとソファの上にヤスタカの身体を押さえ込むと、唇を寄せてきた。

「・・・・やっ・・・・!!!」

 暴れるヤスタカの顎を掴む。強引に唇を重ねようとする。

「・・・やめ!!」ヤスタカは左右に頭を振って暴れた。

「大人しくしやがれ!!初めて見た時から、いつか絶対に手に入れてやろうと思っていたんだ。」

 男の下卑た怒声が聞こえる。荒い息が、頬に当たる。肌が総毛立った。

「・・た・・・たかあきらっ!!!!」

 ヤスタカは無意識に、その名前を呼んだ。

 その瞬間。

「・・・・呼んだか・・・?」

 応接室の入り口アタリで。

 ここ数ヶ月で聞き慣れた、バリトンが響いた。

「な・・・・!?」

 男は振り返るヒマもなかっただろう。

「!!!!」

 気付くと。

 ヤスタカの上に居た男は、部屋の隅に吹っ飛ばされていた。

「・・・・。」

 高彬の。長い脚の一撃で。

これ(・・)は、俺のモンなんだよ。」

 高彬は。ヤスタカが今まで見た事もない表情で、笑っていた。

 ケダモノのような。恐ろしく野性的な表情で。

「・・・・俺のモンに手を出して。手前、タダで済むと思うなよ・・?」

「・・・・!!!」

 次の瞬間から。

 凄まじい暴行が始まった。

 ガタガタ震えているヤスタカを背に。

 高彬は、男に悲鳴も上げるヒマが無いほどに、徹底的に叩きのめしていた。男がもはや意識が無くなっても容赦無く、拳を顔面に叩き込む。あげく最後に。

「―――――!!!!!」

 高彬は、男の股間を踏み潰した。捻じ切るように足をニジル。

「・・・・・・っ!!!」

 泣きながら小さな悲鳴を漏らしたのは、ヤスタカだった。男は悲鳴も漏らさず悶絶した。

「ヤスタカ。」

 高彬は、やっと振り返った。振り返ってヤスタカを見た。そして。

「・・・・俺から、逃げられると思うなよ。」

 凄みのある笑みを、浮かべた。

「!!!」

 高彬に引き摺られるようにして、ヤスタカが応接室を出ると。

「アニキっ!!!」

 ナオトが嬉しそうに抱きついてきたが。その背後には、地獄絵図が広がっていた。

 一度だけ会ったことのある。高彬より大きな身体の矢野という男が、ナオトの後でニコニコと人好きのする笑顔を浮かべているのが、却って不気味だった。

 彼の背後には。

 ヤスタカのこの事務所に訪れた時に居た人間たちの。生きているのかもしれないが。一見屍に見える姿が。少なくとも圧倒的に暴力で叩きのめされた姿が。累々と連なっていた。確かにこの時、事務所に居た人数は5、6人程度であったとはいえ。本物のヤクザを。事務所に乗り込んで?カタギのサラリーマンが?

 ヤスタカは、呆然と立ち竦むしかなかった。

「・・・復讐しようなんて気を起こされては、面倒だからな。」

 ヤスタカの背後に立った高彬は、そう言って小さく笑うと、ヤスタカの手首を握ると強引に引いた。

 

 引き摺られるように連れ込まれた、見た事もないような高級マンション。

 彼らをBMWで送り届けてくれた矢野と高彬の言動から、高彬のマンションだと何となく分った。だが。

「・・・・!!!」

 ヤスタカは。

 その部屋に入るのに最後まで抵抗した。

 入れば。とんでもないコトになるという本能的危機回避能力が働いたのだ。

「・・・。」

 所詮は、無駄な抵抗だったが。

 

 圧倒的な腕力で、部屋に引きずり込まれると。

 そのまま、寝室まで引き摺っていかれた。

「・・・・っ!!!」

 ヤスタカに否やは無かった。

 ヤスタカの見たコトも無いような。大きなサイズのベッドに、放り投げられる。

「・・・・!!!」

 スプリングに弾む身体を、抑え付けて。顔を上げたヤスタカの前に。

「!!!」

 鬼のような形相を浮かべた、高彬が仁王立ちをして見下ろしていた。

「ひ・・・!!!」

 ヤスタカは、正直竦み上がって、いざりながらベッドの隅まで逃げた。

「何で、お前なんかのために・・・・。」

 高彬は、自分を呆然と見上げているヤスタカの腕を取って引き摺り寄せると、その胸倉を乱暴に掴み上げた。

「・・・・っ!!」ヤスタカが、声にならない悲鳴を上げる。

 中卒で田舎モノの。世間のゴミと言われている類の男。そんな男のために。

「・・・この。北条 高彬が・・・・・!!!」

 高彬は唇を噛んだ。

 輝かしい未来。

 黙っていても転がり込んで来たハズのもの。それら全てを捨てることになった。

 腰抜けのヘナチョコの。取り柄と言えば、バカの付くお人好し加減と美しい顔だけの。

 何の力も持たないチンピラ風情のために。

「手前なんかのために・・・・っ!!!!」

 高彬は。

 本気で。心の底から。目の前のチンピラを憎んでいた。まるで獣が獲物を喰い殺すような視線を、その顔に充てる。そして。

「俺を・・・・。愛していると言え・・・。」

 高圧的に、命令した。

「な・・・何・・・?」ヤスタカが、震えながら呟く。

「俺を愛しているから。抱いて下さいと頼めっ!!!」

 高彬は喰いつくような眼差しを、ヤスタカに向けたまま、叫んだ。

「・・・・な!?ち、ちくしょうっ!?テメエ、調子こくなっ!!!」ヤスタカが半泣きで、それでも気の強いトコロをみせる。だが。

「・・・・俺は。家族を捨た。」

 高彬は低い声で、ヤスタカの罵声を遮った。自分を勘当してくれと言った電話口で、泣き叫んでいた母親。息子の輝かしい成功を、その瞬間まで信じていただろうに。少々見栄っ張りでも。高彬を充分に愛してくれた父や母。兄弟たち。確かに高彬は彼らを愛していた。しかし。

「!!」

「貴様のためにだ、ヤスタカ。」

 家族はもはや、高彬にとってどうでも良い存在に成り果てた。

 この。高彬の目の前でみじめに震えているチンピラのために。このチンピラと歩いていくために、高彬は、現在手にしている一切合財を捨てるつもりであった。つまり。カタギとしての生活を。全て。

「愛しているから、抱いて下さいと言えっ!!」

 高彬はもう一度、叫んだ。

「・・・。」ヤスタカが唇を噛む。

「そうすれば。この、北条 高彬は・・・。」

 高彬は、ヤスタカの目を覗き込みながら。ゆっくりと喋った。

「・・・。」

「お前の腕に・・・。堕ちてやる!!」

「高彬・・・。」ヤスタカが息を飲んだ。

「だから言えっ!」

「・・・たか・・・・・。」

「俺が欲しいと、言えっ!!」

 ヤスタカが、震えながら目を閉じた。長い睫毛が微かに震えている。

「・・・・っ!!好きだ・・・・っ。」

 ヤスタカは叫んだ。

「!!」

「俺っ・・・・!!俺っ・・・!!・・・好きだ・・・。たかあき・・・・っ!!お前がっ!!欲しいっっっ!!!」

 ヤスタカの目尻から。

 涙が一筋こぼれた。

 

 

 

「・・・・・・っ!!!」

 ヤスタカの。

 唇から喉モトに舌を這わせる。

 たったそれだけの、その一瞬のために。

 

 高彬は。彼の全生涯を懸けた。

 

 

 

 

 

 

 

 時刻は午前4時。

 高彬は、大きなアクビをしながら、まだ暗いマンションのエントランスを出た。

「・・・・。」

 立ち止まって、スーツの懐からタバコを取り出すと口に咥えた。 

 これから。やるべきコトはイロイロあった。このマンションも解約して、姿を消すつもりであった。取り合えずは、会社に向かうためにタクシーを捕まえようと大通りに足を向ける。

「・・・・。」

 ふと。寝室のベッドの上で、死んだように眠っているだろう男のコトを考える。その男が夕べ見せた、艶やかで甘い媚態を思い出す。

 高彬は満足そうに、唇だけで微かに笑うと咥えていたタバコに火を点けた。

 その時。

「センパイ。」

「・・・?」

 ふいに車道側から聞こえてきた声に、高彬が訝しげに振り返る。

「センパイ。会社に行くんでしょ。送りますよ。」

 見慣れたBMW。何を考えているのか良くわからない後輩の矢野が、嬉しそうに声を掛けていた。

「・・・・これから、どうするんですか?」

 高彬は車に乗り込みながら、溜め息を吐いた。

「取り合えずは。会社に辞表を出してから、姿を隠す。有給もたっぷり残っているし、依願退職扱いにはなるだろう。退職金をもらって・・・。それからのコトはこれからだな。・・・イロイロ考えているコトもあるし。」

「お供しますよ。」

「はあ?」

「俺も、辞表を出します。」

「バカ。お前、俺は・・・。」

「分ってますよ。カタギとはいえない商売を始めるんでしょ?ヤスタカさんのために。彼の組の力になるような。」

「・・・。」

「言ったじゃないですか。花火を打ち上げる時は、必ずお供すると。良かった俺。結婚してなくて。」

「俺は夕べ。家族との縁を、すべて切った。・・・・母は、電話口で泣いていた。」

「・・・。」

「お前は。それだけの、覚悟があるのか?」

「・・・センパイとなら。センパイだから、お供します。他の誰が相手でも、こんなコトは言いやしません。俺の。エリート人生を。そのために死ぬほど受験勉強をしてきた日々を。センパイなら託せる。そして。信じられないほど派手でエキサイティングな日々を送れると、俺は確信しているんですよ。」

「・・・・。」

「北条さんが立つと訊いたら、俺と同じ行動をする人間は多いと思いますよ。皆、何かに燃えたい。まだまだ不完全燃焼なんですよ。だけど、生涯を預ける相手は誰でも良いわけじゃない。」

「・・・。」

「北条さんだから、俺は付いて行くんです。絶対に倒れない男だと信じているから。例え、どんなフィールドに立っても、貴方なら必ず望みの獲物を仕留めると分っているから。」

「・・・。」

 矢野は。

 まるで学生時代の。獣じみて凶暴だったFBの頃のような顔で。笑ってみせた。

「俺の人生だ。俺が好きに選んでも良いでしょう。」

「・・・勝手にしろ。」

 ついに。高彬は苦笑した。

「はい。そうさせてもらいます。」

 矢野は嬉しそうに笑った。

「・・・。」

 高彬は、助手席のシートに深く凭れ掛かった。

 エリートコースから外れ、野に下る。

 確かに世間的に見れば、そういうコトなのかもしれない。だが。

「・・・・。」

 高彬は口元に、不敵な笑みを浮かべた。

 頭の中は。これからするべき事のため。フル回転を始めていた。

 

 彼は、不安も敗北感も、コレッポッチも感じてはいなかった。寧ろ、やっと居るべき場所を見つけたような、不思議な満足感と高揚感でわくわくしていた。これから面白いコトが始まる。実のトコロ。気分は矢野と大差なかった。

「会社に着いたら、起こせ。」

「はい。」

 高彬は微かに身じろぐと、目を閉じた。ほんの束の間。休息を貪るために。

 戦うための、牙を研ぐために。 

 

−fin−

 2004.02.08

 

 キリリクでは初めての。オリジナル小説のリクエストでした(笑)。他にも加納の幸せ話というものもあったのですが、これは「君の・・・」終了まで待ちましょうか(ニヤリ)。

 少し、はーれくいんろまんす風味過ぎたかもしれません(笑)。題名は意味不明(爆)。まあまあまあ。あはは。

 本当は、もっとカナリ細かく設定して頂いていたのですが、小説にする上で、無視したモノもあります。ごめんなさい、じゅん様。にゃむにゃむ風味というコトで気に入って頂ければ良いのですが。