遥かな国の物語

 昔、昔。遥かな昔。
 遥か遥か遠く。遠く。遠く。遠き大陸。
 その小さな王国。
 国の世継ぎ王子は16歳。その小さな国の政治的な危うさには関係なく。その美貌は幼き頃より近隣に鳴り響いていた。
 大国に王に見初められ、所望されても。断ることなど出来もしない吹けば飛ぶような弱小国。
 悔し涙にくれる家臣の前で。
 聡明は王子は。青春の結晶のような輝く笑みを浮かべて言った。
「案ずることなど何も無い。我が王室には、我など及びもつかぬ優秀な弟が居る。」
 自分が居なくとも、祖国は永劫に続くと。



 その日より20年。
 もはや(おと)なう者も絶えて久しい、豪奢な後宮の奥深くの居室に与えられた一室で。
 
「騒がしいな、ナアナ。」
 その部屋の主人である王子は、優雅にお茶のカップを傾けながら、舞い落ちる砂埃とさっきからひっきりなしに聞こえてくる人の怒鳴りあう声に、顔を顰めた。
「ほんに・・・。静かなだけが取り得のお部屋ですのに。」
 主人が生まれたときから侍女を務め。この王宮にやってくる時もただ一人供を許された50歳前後であろう年配の女性は、揺れる天井を見詰めて溜め息を漏らした。
「お茶請けは、またこのクッキーか。好い加減、飽きたな。」
 王子は乾いてボロボロのクッキーを手に取って、溜め息を吐いた。
「贅沢を申すものではありません。昔、食事に文句を付けた私に、『ナアナ。世間にはこの菓子ひとつ、口にするコトも出来ずに、命を落とす子供がたくさん居るのだぞ。』とお叱りになったのは、王子ではございませんか。」
「そんなコト、あったっけ。」
「ございましたとも。」
「生意気な子供だな。」
 王子は照れたように、笑った。
 20年の年月は。美しかった王子の上にも確かに過ぎた。輝く金髪は色褪せくすみ。真っ白で艶のあった肌には、皺が目立つようになっていた。
 25歳を過ぎるまでは、寵妾として国王の訪れも多かったが、30歳を過ぎてからは後宮の主たる国王陛下の夜の渡りは完全に途絶えた。だが。だからといって自国に戻してもらえるワケではなく、後宮の片隅に与えられた居室で誰からも忘れられ、死を待つのみの完全な飼い殺し。それでも。
『衣食住に困るワケでは無いではないか。』
 本来なら。まだ一花も二花も咲かせるコトが出来るだろう年齢の王子は、これだけは幼き頃と変わらない爽やかな笑顔を、口惜しさに泣くナアナに向けたものだった。
「お茶の御代わりは、どうですか。」
「うん。もう良いや。」
 王子は溜め息を吐いてカップを置くと、部屋の窓から見える緑の庭に目をやった。
「王子が丁寧に世話をしたお陰で、この庭は城のどこよりも綺麗な花を咲かせます。」
 ナアナは午後のお茶の後かたずけをしながら、王子の視線を追って、微笑んだ。
「ああ。城を出たら、私は庭師になる。」
 得意そうにそう言う王子の真意は、ナアナには図れないものの。
 この20年。こんな暮らしの中でも。彼女の主人は何らかの楽しみを見出し、常に前向きであった。もし。
 もしも。彼が祖国の王となっていたならば。と。ナアナはいまだに思いを馳せてしまう。さぞや立派な君主に。名君と呼ばれる国王になったことであろうに。と。
「・・・。」
 その気持ちを押し隠して。
「庭師になるのは、青虫を見る度に大騒ぎをしなくなってからですわ。」
 おどけた口調で、ナアナは笑った。
「大騒ぎなどしておらん。ちょっとビックリしただけだ。」
 ナアナの言葉に。王子は珍しく幼い仕草で、唇を尖らせた。
 それに16歳だった少年の面影を見出したナアナは。つい。といった風に、小さな声で呟いた。何故か。視線は居室のドアへと向かう。
「レナードは・・・。今頃、どうして居るのでしょうか。」
「・・・全軍の将だからな。天幕の影で、ふんぞり返っているんじゃないか?」
 王子は、ナアナを見ずにそう言った。
「・・・。」
 ナアナは眉を顰めて、王子を見る。思いは、過去に戻る。

『必ず。必ず、お迎えにあがります。』
 王子がこの城に来る時。
 王子の幼馴染の騎士であるレナードは、王子より2つ年下の僅か14歳であった。
 だが。家臣は皆知っていた。
 王子の私室で。
 王座の影で。
 幼い騎士が。美しい王子を、まるで宝物を抱くように口付けていたことを。
 幼い幼い。清らかな恋。キス以上の関係があったなど、誰も思っては居ない。
 何事も無かったならば。
 長じて互いに妻をもらい。
 記憶の彼方に。美しい思い出として刻まれたに違いない淡い想い。
 だが。
『必ずです。王子。ほんの暫く、ご辛抱下さいませ。』
 まだ幼いといって良い騎士が。悔し涙を堪え、歯を喰いしばりながら呻くように呟いた。あの瞬間の。彼の真実の言葉を。

 王子もナアナも。
 20年間。決して、忘れるコトはなかった。
 縋りつくように思い出した。
 祖国を遥か離れた土地で。忘れられたように閉じ込められた王宮の奥で。折に触れ、二人は、彼のコトを語った。彼が迎えにやって来る日のコトを語った。
 愚かなコトだと。
 知りつつも。

 時の流れの非情さを。
 分かりつつも。


 20年の月日は。
 国同士の政略図も大きく塗り替えた。
 王子を差し出すことで。大国の庇護を得られるようになった王子の祖国は、着々と力を蓄えていった。10年も経った頃には、押しも押されぬ大国の仲間入りをしていた。
 だが。王子の国は王子を迎えには来なかった。
 世継ぎ王子を人身御供に差し出したなどというコトが、恥ずかしいと思うほどの大国になってしまったのだ。彼らは王子の存在を無かったものとして扱い始めた。それらの情報は、この国の国王が、閨で王子に教えた。さも愉快そうに。祖国の繁栄を横目で見ながら、王子は相変わらず閨で太鼓腹の国王の相手を務め続けていた。
「・・・。」
 ナアナはその時のことを思い出すと、今でもハラワタが煮えくり返る思いがする。
 殺してやる。
 祖国の国王陛下に対して、本気でそう思った。
 王子をこの城に寄越すときには、国王陛下も弟殿下も涙を流して王子の手を握り締め、必ず帰ってこれるように尽力すると誓っていたというのに。いや。国の重臣たちも、全員涙にくれながら、ほんの少しのご辛抱をとかなんとか言っていたくせに。
 ナアナはもしも王子の父たる祖国の国王陛下とどこかですれ違うことでもあれば。絶対に刺し殺してやろうと、一振りの懐剣を密かに手に入れていた。実際はそんな機会などある訳はないコトは分かっていたが。どうにも我慢が出来なかった。それほどに怒っていた。
 王子がナアナを哀しませないために、ショックを押し隠し、何でもないように振舞っているのが分かっていたから余計に。赤子の頃からお仕えしてきた王子の哀しみが良く分かるが故。王子の代わりに、ナアナは怒った。死ぬほど怒ったのだ。
 例え祖国で自分の一族郎党が処罰されるコトになろうとも、知った事ではない。本気で()るつもりであった。

 だが。
 その機会はついに巡ってはこなかった。
 祖国でクーデターが起き、ナアナが殺すハズだった恩知らずともが一掃されたと知ったのは。それから数年が経った頃であった。
 王子の父王も母も。弟も妹も重臣たちも、全てが断頭台に消え、新王が立った。
 新王は。かのレナードであった。
 ナアナは。ああ、と思った。
 王子の代わりに。レナードが。
 レナードが怒ったのだと。
 その日から。ナアナにとって。
 レナードは同志であった。どれほど遠く離れいても。レナードだけが、ナアナと同じ想いを共有しているのだと、信じた。

 レナードは破竹の勢いで、近隣諸国を統合していった。王子を慰み者としたこの国と同等となるまでに、時間はそうは掛からなかった。
 昇る国と落ちる国。国力は同等でも、勢いが違った。実質。王子の祖国に敵は居なかった。この国でさえ、レナードの顔色を伺わねば、生き残ってはいけなくなったのである。

 そして。

 今日の日が、やってきた。


 待ち望んだ日。
 長い間。王子を捕らえてきた檻が壊される日が。
 国力にモノと言わせ、無理無体を通し続けた、大国が滅びる日が。

 皮肉なコトに。
 王子の肉親を(しい)したかつての臣下。レナードの手によって。
 彼の軍勢は。
 一気呵成に攻め上がり。2日と置かず首都を陥落せしめ、今まさに。この王城に雪崩を打って攻め込んできたところであった。


「・・・あの子は。約束を守ったのです。」
「・・・。」
 呟くように言ったナアナの言葉に、王子は微かな笑みを浮かべた。
 そこには。
 16歳の。
 才気に溢れ。他の国のどんな美姫よりも美しかった王子は、もはやどこにも居ない。
 20年間の過酷な地獄は。眩しいほど輝いていた少年を、変えるには充分な年月だった。
 無垢だった少年は。
 汚され、穢され。
 真珠のようだった肌には。
 20年間の。彼の無残な忍従の歴史が刻まれている。
 蝋を受けた火傷。鞭で打たれた傷跡。傷つき動かなくなった左足。
 男の抱き人形として暮らした日々は。
 彼から急速に、若さを奪った。
 年齢より、遥かに老け込んだ顔。荒淫に荒れ果てた肌。男盛りのハズなのに。老人のような(さま)の王子。後宮の若い妾姫たちに影で(あざけ)られている王子の容色に関する噂は、大国の国王であるレナードに伝わっていない訳は無い。王子のコトを忘れていなければ、必ず王子の近辺のコトを間諜に探らせているに違いないのだから。だが。
「あの子は、約束を守ったのです。王子。王子を迎えに参ったのです。」
 ナアナは強い声で断言した。
「・・・。」
「・・・私は。彼の国の前国王の最後の王子だ。血を根絶やしにする必要があるだろう。」
 淡々とそう語る王子の顔に悲壮感はこれっぽっちも無い。そんなモノはこの20年間に使い果たしてしまっていた。
「災いの根は絶つ。当然の政略だ。」
 王子の言葉に。
「・・・あの子が。国王を手に懸けたのは。国王陛下が、貴方を見捨てようとなさったからです。」
 ナアナは王子の目を真っ直ぐに見据えて、そう言った。
「・・・。」
「貴方を取り戻すために。あの子は、国を奪ったのです。」
「・・・。」
 そんな馬鹿な。と言いたげに王子は笑った。だが。ナアナの想いを打ち砕くようなコトは言おうとはしなかった。
 レナードを『あの子』と呼ぶナアナ。幼い頃。あの懐かしい祖国の王城で。まだ若かった彼女は悪ガキどもに振り回されながら、甲高い声でよく怒鳴っていた。『坊やたち。ナアナの言うコトをきかないと、罰を与えますよ』。愛情溢れるその声。『坊やたち』。
 ナアナが縋って生きてきた人間の真実(まこと)といったモノを、王子は否定をしようとは思わなかった。彼自身は、コレッポッチも信じてなどはいなかったが。
 ふいに。
「・・・賭けますか?王子。」
 ナアナが、微笑みながらそう言った。
「賭ける?何をだ?」王子も。穏やかな顔で微笑み返した。
「レナードが。貴方を迎えに来たのか殺しに来たのか。」
「・・・。」
「迎えに来たのならば、この部屋に真っ先に飛び込んで来るのは、レナード本人でしょう。でも、違うなら。別人がやって来て、彼が手を汚すことなく貴方を()い奉るでしょう。」
「・・・。」
「私は、レナードが。あの子がやって来ると思います。」
 ナアナは瞳をキラキラさせながら、そう言った。
「・・・有力国から、美しい王妃をもらったらしいぞ。」
 時代の寵児たる国王陛下との縁を望む国は、ひきも切らない。また。若く美しく逞しい国王陛下を慕い憧れる女性も、身分の貴賎に関わらず溢れんばかり。この後宮でも。レナードの絵姿を見ながら、溜め息を漏らす女性たちを良く見掛けた。
 少年は。
 20年の間に。意思の強そうな鋭い瞳の少年は、溜め息の出るような美丈夫に成長していた。
 
「アクマで”側室”だと私は訊いております。」
 ナアナは揺らぐことなく、そう答えた。
「国王陛下になられたのです。近隣と縁戚を結ぶことも必要でしょう。」
「・・・。」
 王子は暫くナアナの真意を探るように、その顔を見ていたが。
 ナアナの微笑みが崩れないコトを知って、苦笑した。
「・・・良いだろう。何を賭ける?」
「・・・貴方の生命(いのち)を。」
「なに・・・?」
「やって来たのがレナードであったならば。約束して下さい。この先。どれほどの屈辱に塗れるコトになっても、必ず天寿を全うすると。誰に何を言われようと。ご自分を卑下するコト無く。命の限り、懸命に生きると。」
「・・・。」
 王子はナアナを見詰めた。
 物語のエンドマークが出た後も。人生は続く。
 決して優しいとは言えないだろう、人生が。
「・・・。レナードで無かったら・・・?」
「この手で、殺して差し上げます。」
 ナアナはふくよかな顔に、聖母のような笑みを浮かべて、そう言った。
「・・・ナアナ。」
「私の王子。私は、貴方が誇りです。」
「・・・。」
「貴方に仕えるコトが出来て。光栄でございました。」
 20年間。
 彼女も。女盛りを捨てて、王子とともにここに居た。
 愛情溢れる怒鳴り声。『坊やたち。可愛い坊やたち』。
「・・・。」
 王子は目を伏せて。涙を止める。
「・・・私からも言わせてくれ。貴女は。母以上の存在であった。」
「・・・光栄でございます。」
 ナアナは。スカートを手に持って、優雅な仕草で頭を下げた。


「・・・。」
「・・・。」
 何かが大きく壊れる音が、直ぐ間近でした。
 部屋の前を逃げ惑っているだろう、多くの女たちの悲鳴も聞こえる。
 敵兵が、後宮まで進入してきたのだ。
 二人がそう感じた、その瞬間。
「!」
「・・・。」
 王子の居室の。
 鍵の賭けられたドアが外部から大きな力を加えられたように、(たわ)み始めた。
 ミシミシ。ミシミシと。
 木の扉は限界まで、軋む。
「・・・さて。賭けは、どっちの勝ちかな?」
 王子は扉を真正面に見据え。ゆったりとソファに腰を降ろしたまま、ナアナに微笑んだ。
「・・・。」
 ナアナは王子の後方に立ち、ずっと隠し持っていた懐剣を取り出すと。王子の後頭部に当てて、やっぱり微笑み返した。
「私の勝ちに相違ありません。」
「・・・。」
 王子が笑う。
 彼は。どんなときにも。明るく微笑みを絶やさなかった。
『なんてコトないよ。いつかレナードがやってくるから。』
 信じてもいないくせに。そんな風に、ナアナに告げる笑顔。
 胸。潰れる日々。

「・・・。」
 先頭でなければ意味がない。
 ナアナはそう思っていた。危険を顧みず。先頭で飛び込んでくるほど、王子を欲していてくれなければ。
 これからの厳しい年月を生きてはいけない、と。

 愚かなコトかもしれない。
 人の想いは時間(とき)とともに変わって当然だ。どれほど美しい想いであったとしても。
 ナアナだって分かっていた。
 だが。信じていたかった。信じたかった。
 綺麗なものを。
 この世で、たった一つ。綺麗だと思ってきたものを。

 20年間の屈辱、忍従。
 そんな日々が。
 やっと終わる。
 例えどんなカタチであっても。
「・・・。」
 ナアナは、懐剣を持った右手と両足に力を込めた。
「・・・。」
 もしも。
 もしも、先頭に居る者が。
 ナアナの望んだ人間で無かったならば。
 愛おしい。この王子がそれを知る前に殺す。
 苦しむヒマも。
 悲しむヒマも。
 諦めるヒマも与えずに。
 この手で殺す。
「なあな・・・。」
 愛しい王子は。
 ナアナの意図を全て知っているように、微笑んだ。少年の頃のように。懐かしい祖国に居た無垢だった頃のように。
「愛しているよ。・・・有難うな。」
「・・・。」
 ナアナは、その瞳に浮かぶ諦めの色を無視して。
 大きな音を立てながらタワム。扉を、睨み据えた。


「・・・!」
 その部屋の。扉をぶち破って飛び込んで来た、侵略者の顔を。
 ナアナは、血を吹く思いで見詰めた。

 彼女の一生の願いを込めて。

 この国に来てから一度も祈ったことのない、彼女の神に。
 全身全霊で、祈りを捧げながら。
















 これは。
 遥けき国に伝わる。

 遠い遠い昔の。

 結末を誰も知らない。古い御伽噺。


 結末を知る者は誰も居ないが。
 その題名だけは現代(いま)に伝わる。すなわち。

 『幸福な王子の物語』

 と。



−fin−

2004.12.10

 あっ。あぅ。皆様、どうか怒らないで下さい(笑)。
 一度、やってみたかったのですよ。結末寸前で終わる物語を。あはは(←おい!!)。
 しかし、コレで『下克上』と言い張るのはちょっと。無理があるかもしれません。というか無理(←おい!!あはは)。
 ごめんなさい、じゅん様。気に入って頂ければ、幸いですが。