幸福な男
<可愛い男 番外編>

「知ってますか。久能さん。資料室(ここ)。何年か前に首吊り自殺があったらしいですよ。」
「・・・。馬鹿なこと言っていないで、資料を探して下さい。」
 深夜に近い時間。地下にある資料室で。あきらかに久能を怖がらせる目的で、そんなコトを言う上司を。久能は疲労のアマリ血走ってきている目で、睨んだ。
「いや。本当ですって。何年か前、上司と不倫していたOLらしいんですけどね。」
 柏崎課長補佐は、いかにも意図的な深刻ぶった顔で、久能の傍に近寄ってくる。
「最初はOLも、なるようになっただけだから遊びの不倫で身体の関係だけで良いって言ってたのに、上司の方が俺は本気だ。女房とは別れて君と結婚するって言って、彼女の縁談とか全部潰して、そのOLも最後には男の言葉を信じていたらしいんですよ。でも結局全部ウソで。何度も彼の子供を堕胎していた彼女が35歳を過ぎて妊娠して、医者からもうこれ以上子供をオロシタら、二度と生めないと言われて、生むといった途端に、捨てたらしいんですよ。」
「・・・。」
 ナマナマシイ話しだ。作り話だとしても、吐き気がする。久能は眉を顰めた。
「それで彼女は。復讐のため、上司の子供を誘拐して殺して、自分も自殺したんですが。首を吊ったのが、この資料室なんですって。」
「作り話にしては、いやにナマナマしいな。よく出来ているというべきだろうな。」
 久能は、柏崎を睨んだ。
「・・・そうだと思っていたんですけど。久能さんは、霊なんて信じてないみたいですね。」
 柏崎はあからさまにガッカリしたような顔で、溜め息を吐いた。あーれーとでも叫んで抱きついてでも欲しかったのか。
(変態野郎。)
 久能は胸のうちで罵った。
「・・・。」
 実は。
 久能は。みえる(・・・)男なのだ。
 のべつまくなし年から年中というのは、20歳を過ぎてからは無くなったが。現在でも。例えば疲れ等が一定レベルを超えて脳内麻薬が放出された時。ハイになると同時に、異様に感覚が研ぎ澄まされるコトがある。すなわち。現在(いま)のように。
 もし、何かが居るとすれば。
 現在の自分なら、100%に近い確率で、みる(・・)自信が久能には、あった。
「・・・。」
 今朝起きた段階でヤバイ(見えるモードに入った)感じがして、いざという時のために久能は懐に塩を忍ばせていた。だが。今のところ。それを使うような気配はまったく感じない。
「・・・。」
 久能は無言で、探し物を続けた。だが。
「!」
 見てしまった。
「久能さん・・・?」
 いきなり立ち上がった久能を。柏崎が訝しげに見る。
「・・・。」
 本棚の下の段を探していた時。確かに目の隅を横切った。だが。噂のOLではない。
(・・・子供の足だった・・・。)
 半ズボンを履いた。小学生くらいの。
「・・・柏崎・・・。」
「はい・・・?」
「その殺された子供って・・・。幾つだったんだ・・・?」
「えーー?どうしたんですか?久能さん。タダの良くある怪談ですよ。根拠の無い噂ですよ?」
「良いから、言え!!」
「・・・小学生だと、聞きましたが・・・。でも。大谷さんですよ。訊いたの。」
「・・・。」
 柏崎は、久能の同期で好奇心の塊のような女性の名前を出した。なるほど確かに彼女の好きそうな話題だ。だが。
(・・・これは。ヤバイかもしれん・・・。)
 久能の顔色が変わったのだろう。
「・・・久能さん・・・?」
 柏崎が驚いたような表情で、久能を見ていた。久能は柏崎を見た。
「・・・首吊りじゃない・・・。」
 小さく呟く。
「・・・えっ?」
 柏崎の後ろに。
「・・・。」
 血塗れのオンナが立っていた。
(妙に具体的すぎると思ったんだ・・・!!)
 久能は唇を噛んだ。首吊りでは無い。手首を切ったのか、それとも胸を刺したのか。刃物による出血多量で死んだと思わせる姿だった。
 多少の齟齬はあるにしても。大谷が聞きつけたコトに近い事件は。確かにココで起きたのだろう。
 どこかで、走り回る子供の足音が聞こえる。可愛らしい笑い声も。
「・・・柏崎。課に戻ろう。」
 うっかりしたことは言えない。柏崎の言葉を信じるならば。彼女は、上司(・・)を怨んでいるのだ。
「久能さん。・・・怖くなったんですか・・・?」
 柏崎の表情が微妙に変わる。
「・・・。」
「あんなの。タダの噂ですよ。」
「・・・。」
「・・・そんな蒼い顔をして・・・。」
「・・・。」
「・・・貴方は。本当に。何て。可愛らしいんだろう。」

「柏崎ぃっっっ!!!!」


 久能は叫ぶと、柏崎の手首を握って後ろも見ずに走った。
 オンナは。
 柏崎を見ていた。
 柏崎を見ながら。
 手が。
 振り上げた彼女の手に光る血塗れのジャックナイフが。
「・・・!!!!」
 柏崎の首筋を狙っていた。
(やば過ぎるっっ!!!)
 久能は柏崎を部屋の外に引き摺り出すと、懐の塩を部屋に投げ入れてドアを閉めた。
「・・・久能さん・・・?」
「・・・。」
 久能には、聞こえた。
 悲鳴が。
 身体を突き刺すような。
 総毛立つような。おぞましい声が。
「・・・!!!」
 久能は。弾かれたようにエレベーターまで全速力で向かった。疲労も相まって、毒気に当てられ倒れそうだった。


「・・・久能さん。脅かしすぎたようですね。タダの噂ですよ。」
 乗り込んだエレベーターで、柏崎は久能を抱き寄せた。
「・・・。」
 久能には。もう抵抗する気力も無かった。
「資料は。明日にでも俺が探しておきます。」
「・・・大谷に任せろ。お前は二度とあそこに行くな!!」
 久能は、珍しいような鋭い声で、柏崎に言った。
「・・・久能さん・・・。」
 柏崎は。
 明らかに誤解していた。だが。それを訂正するような気力は、現在の久能には無かった。
「久能さん。貴方は本当に・・・。」
 久能を抱く柏崎の腕に力が籠もる。
「・・・柏崎・・・。」
 久能は溜め息交じりの声を出した。
「はい・・・?」
「お前は・・・。鈍感で、本当に羨ましいよ。本当にお前みたいに鈍くて幸福なオトコに生まれたかったよ。」
「・・・・。」
 オフィスのあるフロアで停まったエレベーターから。
 恨みがましい目で自分を見ながら、ヨロヨロと立ち去る。
「・・・・。」
 柏崎から見れば。これほどアカラサマな自分の想いにコレッポッチも気付かない。誰よりも可愛く愛しい、凄まじいまでの鈍感(しあわせ)だと思っている男に。
「・・・。」
 鈍感といわれてしまった柏崎は。その後姿を、複雑な気分で見送った。

−fin−

2004.08.18

 あはは。鈍感のレベル(流派?)が違うというコトですか?久能にも言い分があるといったトコロでしょうか。凄い短編ですが。
 もう1作くらい書きたいトコロですが。
 決して約束はしません!!!