「何やて!?」
間宮( 亨(は、顔色を変えた。
「やから。親父は今朝早うに、東京に帰ったと言うたんや。」
父親である高村( 栞(との再会後、栞が店長をしているコンビニでアルバイトを始めた誠は、しれっとした顔でそう言った。
「何でやっ!?何で今更、東京へなんか・・・!!」間宮は唇を噛んだ。
「さあなあ・・・?実は、あんたが鬱陶しくなって逃げたんだったりして?」
コトある毎に、栞と間宮の間を邪魔する小姑と化している誠は。にやにやしながら、間宮の顔を見た。
「東京へ行くでっっ!!!」
血相を変えて事務所に現れた間宮の剣幕に、組員と談笑していた加納は、慌ててソファから立ち上がった。
「ど、どないしはりました?」
「栞が逃げた。」
間宮は吐き捨てるように、言った。
「えっ!?」
「東京に帰りよった。」
間宮は唇を噛むと、拳を壁に叩き付けた。
「・・・!!」
ズボッと鈍い音とともに、壁が軋む。
加納は目を見開いた。それから小さく咳払いをして、口を開く。
「栞が東京に帰ったのは、今朝のコトでっしゃろ・・・?それやったら、俺、聞いとります。家族の墓参りやと・・・。」
間宮が弾かれたように、加納を見た。
「何やと!?何でお前が知っとるんや!?」
「そら、コッチのセリフでんがな。何で若頭は知らんのですか?」
「・・・。」
間宮は、歯を剥き出して加納を睨んだ。
「・・・何ぞ。栞とありましたんか?」
「うるさいっっ!」
間宮は大声で怒鳴ると、顔を背けた。
「栞!?・・・栞じゃないか!」
「・・・!」
自分の記憶には無い家族の墓の前で。
手を合わせた姿勢のまま。ぼんやりとしていた栞は、背後から掛けられた声に驚いて振り返った。
「・・・あ!おじさん。お久しぶりです。ご無沙汰してます。」
栞は慌てて立ち上がると、頭を下げた。
「・・・よく帰って来たなあ。大阪に転職したと聞いてたから、今年は無理じゃないかと思っていたんだが。」
柔和な笑顔を浮かべて。叔父が、花束を手に立っていた。栞の母親の弟だというこの叔父は、親戚の中でも特に栞を可愛がってくれた。嫌な予感に駆られて。栞たちの心中現場を発見したのも、この叔父だった。
「・・・日帰りですが。せめて掃除だけでも自分の手でと思って・・・。」
栞は場所を叔父に譲った。
「・・・お前は本当に良い子だ。姉さんも義兄さんも、草葉の陰で喜んでいるだろう。」
叔父は花束を墓の前に置き、ゆっくりしゃがむと両手を合わせた。
「いえ、俺は・・・。」
栞は口篭った。家族のためなどではない。墓参りを口実に逃げて来ただけだ。
「・・・。」
間宮から。
「・・・。」
栞は叔父に聞こえないように、小さく溜息を吐いた。
栞。――――
慣れたハズの口付けが、いつもとはどこか違った。
掠れた。どこか飢えたような艶っぽい声。
肩に回された手の熱さ。
栞を片手で簡単に捻じ伏せるコトが出来る腕の逞しさ。
怖かった。
急にどうしようもなく間宮が怖くなってしまって、栞は逃げた。
(10代の少女じゃあるまいし。)
栞はもう一度。今度は大きな溜め息を吐いた。
「・・・。」
間宮は呆れただろう。呆れて、栞のコトを面倒臭いと思ったかもしれない。
「・・・。」
嫌われてしまったかもしれない。――――
栞は唇を噛み締めた。
「晩ご飯、食べて行けるの?時間は大丈夫?」
連れられるまま訪れた叔父の自宅で、叔母が麦茶を出してくれながら訊いて来た。
「今日、明日。休みを取ってあるんだ。」
「あら。じゃあ、久し振りだもの。今夜は泊まって行ってよ。ねえ、お父さん。」
「ああ。せっかく来たんだ。そうしたら良い。」
「・・・。」
栞は躊躇した。
今日中に大阪に帰るつもりではあった。だが。
正直。
まだ帰りたくなかった。
帰って、どんな顔で間宮に会えば良いのかわからなかった。
「・・・。」
あの夜。
覆い被さってくる間宮を突きとばして、彼のマンションから逃げ帰ったあの夜から。栞は間宮を一方的に避けていた。間宮は何度も、コンビニやアパートに栞を訪ねてきたが、栞は居留守を使って会わなかった。
彼を嫌っているのではない。
決して違うのに。
自分でも。どうして良いのか分からないのだ。
「・・・。」
今は我慢してくれているが。そう遠くない未来に間宮がキレ(るだろうことは、明白だった。だから、思わず逃げて来てしまった。大阪から。
「・・・。」
一応、墓参りに行くコトを加納に告げては来たが。自分に何も言わなかったコトに、間宮は腹を立てているだろう。
「・・・お言葉に甘えさせてもらおうかな。」
力なく呟いた栞の言葉に。何も知らない優しい老夫婦は嬉しそうに笑って、頷いた。
中学校の3年間。栞はこの家で暮らした。
決して裕福な家庭では無かった。育ち盛りの男の子を引き取ることは、タイヘンだっただろう。だが、叔父も叔母も、従兄弟で同い年の一志も。そんなコトを言ったり態度で表したコトは一度も無かった。一志に至っては、自分の部屋を栞と共有することになったというのに、文句のヒトツ栞に言ったコトは無かった。学校で親が居ないコトを悪く言うクラスメートが居たら、身体を張って庇ってくれた。栞が高校生になり、バイトをしながら一人暮らしをすると言ったときには、家族中が泣いてくれた。不甲斐ない親類でゴメンと泣きながら栞に謝った。謝りたいのは、栞であったというのに。それから親戚中を駆け回り、皆で出来るだけの援助をしてくれた。月々振り込んでくれるそれらのお金は、多いとは言えなかったかもしれないが。栞が無事高校を卒業するには充分な金額であった。
「・・・。」
栞は、懐かしい家を見た。
優しい親戚たち。
家族は失ったが。栞は、自分が不幸だったとは、決して思わない。
「一志は元気?ヨメさんも、息子も?」
もうトックに独立して家庭を構えている従兄弟のコトを、栞は口にした。
「ああ。元気にやってるよ。息子は今年から高校生だ。」
叔父の顔が溶け崩れる。大学を出て、一流企業に就職した自慢の息子なのだ。だが叔父は、自分の息子を大学まで行かせたことで、栞に対して罪悪感を感じているらしく栞の前では、決して息子の話をしない。そんな必要はどこにも無いのに。だから、こうして時々、栞から話題を振ってやるのだ。叔父が自慢したいのは分っているから。
「・・・そうか。ウチの誠より下だものな。」
「・・・。」
「・・・。」
老夫婦は、少し複雑な顔で、栞を見た。それから二人で少し目配せした後、叔父が躊躇いながら言った。
「栞。お前、もしかして秀美さんを追って、大阪に行ったのか?」
「え・・・?」
秀美とは、離婚(れた妻の名前だった。
「い・・・。いや、違う。大阪に行ったのは偶然だ。イロイロ事情があって・・・。誠とは、顔を合わすようになったけど。」
口篭もる栞を心配そうに見ながら、叔父は眉間に皺を寄せた。
「・・・そうか。だが、どうして突然、会社を辞めたんだ?お前みたいなクソが付くほど真面目で融通の利かないオトコが・・・。」
「それは・・・。」
栞は苦笑した。そして叔父夫婦を見た。
「・・・好きな人が・・・。」
「え・・・?」
「いい歳して恥ずかしいけど。俺、好きな人が出来たんだ。その人が大阪の人だったんで、追い掛けて行ったんだ。」
頬が熱い。栞は、穴があったら入りたいような気持ちで、告白した。
「・・・。」
「!!!」
二人とも。
鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして黙り込んだ。
「恥ずかしいよ。」
栞は曖昧に笑いながら、叔父夫婦から目を逸らす。だが。
「そうかっ!!」
叔父が大きな声を上げた。意外なコトに嬉しげな響きが伴っていた。
「・・・?」
栞は顔を上げた。
「お前に、そんなヒトが・・・。」
叔母は涙ぐんでいた。嬉しげに。
「・・・叔母さん?」
「俺たちは、ずっと心配していたんだ。お前には、そういう感情が乏しいような気がして・・・。」
叔父は噛み締めるように、呟いた。
「叔父さん・・・。」
「家族が・・・。あんなコトになって、親戚中を転々としたせいか・・・。お前は自分以外の人間に対する執着というか、いや家族に対しても、感情が・・・。何というか、普通とは違う・・・。」
「・・・。」
栞は黙った。
「離婚する前に。秀美さんが、俺たちに言ったことがある。お前は、決して自分のモトには帰って来てくれないのだと。『ただいま』と言って家には帰ってはくるけれど、決して自分のモトに帰ってきてくれたという気がしない、とそんな風に・・・。」
「・・・秀美が。」
栞は驚いた。
秀美は結婚している間中、栞にたくさん文句を言った。だが、そんな風に言ったことは、一度も無かった。
「俺たちが。お前に帰るべき家庭をキチンと与えてやれなかったから・・・。お前はそんな風になってしまったのだと。俺たちはずっと悔やんでいた。」
「叔父さん。そんな・・・。」
栞は慌てた。だが、叔父夫婦は慈愛に満ちた目を栞に向けて、本当に嬉しそうに微笑んだ。
「けど、やっと出来たんだな。お前が帰りたいと願う場所が。・・・それを。与えてくれるヒトに、お前は出会えたんだな。」
「・・・。」
帰る場所。それは。
栞の脳裏を、間宮の美しい顔が過ぎる。栞を見る時の優しい笑顔が。
「良かった。本当に良かった・・・。どんな方かは存じ上げないが、俺は頭を下げたい思いだ。」
「・・・。」
「今度、是非紹介して頂戴ね。今度は、その方と一緒に帰っていらっしゃい。」
「・・・。」
叔父も叔母も、本当に嬉しそうだった。だが栞は。
「そうなのかな、俺は・・・。」
栞は俯いた。
「・・・栞。」
「良くわからないよ、叔父さん。俺、秀美がそんなコトを思っていた事にも気付かなかった・・・。そんなコト。考えたことも無かった・・・。」
「・・・栞・・・。」
「・・・分らないんだ・・・。俺は、やっぱり・・・。ヒトとして、何かが欠けているのかもしれない・・・。」
何だか、涙が零れそうで。
栞は叔父夫婦を見ないように顔を上げると、窓から見える青空を見た。
大阪に続いているだろう、晴れ渡った夏空を。だが、その時。
「・・・栞。ヒトは皆、欠けている部分を誰かに埋めてもらうのよ。」
静かな叔母の声に。栞はハッとして、彼女を見た。
「そうだ、栞。ヒトは皆、多かれ少なかれ、そんなもんだよ。お前だけなんてこた、無いさ。」
「・・・。」
優しい老夫婦は。やはり慈愛に満ちた眼差しを栞に充てて、微笑んでいた。
結局。最終の新幹線に乗って、栞は大阪に帰ってきた。
泊まって行けと、何度も勧める叔父たちには、申し訳無かったが。栞はどうしても今日中に大阪に帰りたいと思った。
間宮に会おうと思った。
会って、イロイロな話をしようとしようと思った。
自分のコトを。誰かに知って欲しいと、初めて思った。
「・・・。」
栞は自宅アパートへ帰ろうと、駅から出た。日が暮れても、気温は少しも下がらない。駅構内から一歩足を踏み出した途端に、身体中から一気に汗が吹き出す。
(タクシーを使うか・・・。)
何だか疲れてしまった栞は、タクシー乗り場に目をやった。その時。
「・・・間宮・・・!?」
いつから待っていたのだろう。
苦り切った表情をした間宮が。栞を睨むようにして、駅前のロータリーに立っているのに気付いて、栞は大きく目を見開いた。
「・・・。」
間宮は苦り切った表情を崩すことなく、栞の方に歩み寄ってきた。
「間宮。」
栞はもう一度、名前を呼んだ。
「まみや・・・。」
栞は、馬鹿みたいに名前だけを繰り返し呼んだ。
「・・・俺に黙って、どっかに行ったりするんやない。」
間宮は、栞を鋭い目で睨み付けると、吐き捨てるように言った。
「まみや。」
「帰るで。」
間宮は、栞を促すと背を向けた。
「間宮。」
「・・・この間は。悪かった。つい、ガッツイテしもた。」
間宮は栞に背を向けたまま、小さな声で呟いた。
「・・・間宮。」
「・・・栞。」
間宮は振り返った。そして、微笑んだ。
「・・・お帰り。栞。待っとったで。一日が、ごっつ長かったわ。」
「ま、間宮・・・。」
「うん・・・?」
間宮の。栞に向ける優しい笑み。
栞を安心させてくれるモノ。栞の欠けた部分を補ってなお。アマリあるだろう何か。
「・・・間宮。・・・・・・・ただいま・・・。」
栞は、蚊の泣くような声で、呟いた。
「栞・・・?」
「た。・・・ただいま、ただいま。間宮。まみや・・・。」
「栞?どないした?何を泣いとるんや?」
栞は何時の間にか涙を流していた。子供のようにボロボロと涙を流す。
間宮は暫し、両腕を彷徨わせていたが。やがて、涙を流す栞を腕の中へ、しっかりと抱き締めた。
「どうしたんや、栞。アホやな。泣く必要なんかどこにもあらへん。辛いコトも哀しいコトもどこにも無いやろ?俺が居るやないか?いつでもお前を、ちゃんと待っとるやないか。」
「・・・っ!!」
栞は間宮の大きな背中に手を回した。そして思いっきり力を込める。
「栞。」
閉じた目蓋の上から。間宮の声が聞こえる。全身を、間宮の香りに包まれる。
帰ってきた。―――――
栞はこの時。
心の底からそう思った。
−fin−
2004.08.21
複雑な精神構造の栞には、間宮も苦労しています(笑)。しかし間宮を連れて帰ったら、栞の叔父さん夫婦は、さぞ驚くでしょうね。また、何かのオリに書いてみたい気もします(笑)。
アト一本。クリミアが書けるかどうか・・・。絶対に、約束はしませんからね(笑)!!!
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