聖母の祈り

―愛しているの言葉を添えて―

「・・・・・・・・・。」

 日菜は、手の中の物体を見ながら小さく笑った。

 明日はカタラナート将軍との最後の決戦。

 ハルシオン城と、さして離れていない草原の野営地で。日菜は敢えて、皆から少し離れた場所に塒(ねぐら)を設けていた。

 日菜が手にしていたのは。元の世界から持ってきたもので唯一捨てられなかったモノ。携帯電話だった。

 零とロオンに見せて以来。手に取ったのは初めてだった。何となく、今日は何日なんだろうと、思ったのである。

 携帯の画面は。日本を遙か離れたこの地でも、正確な時刻(とき)を刻んでいた。

「聖夜。とはね・・・・。」

 日菜は夜空を見上げた。

 今日は闇夜らしい。星ひとつ見えない。

「・・・・聖夜?」

 背後から声が聞こえた。現れたのは。エル・ハルシオンの元王弟。零・アリアス・ハルシオン。ハルシオン城奪還の総大将であった。

「クリスマス・イヴ。」

「・・・・お前の世界の。特別な日なのか?」

「・・・・・なんていうか。救世主の誕生日の前日?」

 零は驚いたように、日菜を見た。

「・・・・・お前の世界には救世主が居るのか・・・?それは、さぞかし素晴らしい世界なんだろうな・・・。」

「・・・どうかしら?2千年ほど前に自分たちで殺しちゃったらしいから。」

「・・・・・・・・・。」零は眉間に皺を寄せた。

「・・・・・・・・・。」日菜はいたずらっぽく笑った。

「・・・・・そんな事をして・・。バチが当たらないのか・・・?」

「・・・・当たっているようなモノなのかもね。一応はメシアの愛は全てを許すという触れ込みだけど?」

「・・・・・・・・・。」零は複雑な表情を浮かべて日菜を見た。それから、隣に来て焚き火の前に座った。

「・・・・初めて声を掛けた時も。お前はこうやって焚き火の前に座っていたな。」

 零が少し感慨深げに呟いた。

「・・・・・何か用?」

「いや。・・・・軍議の時、元気が無いように見えたから。」

 二人の前の焚き火は赤々とした炎を上げていた。

「・・・・・そう。大丈夫よ。ちょっと一人になりたかっただけ。」

「そうか。それなら、良いが。」炎は零の美しい横顔を照らす。

 日菜はその横顔を見詰めながら、呟いた。

「何よ。言いたいことがあるなら言えば?」

「・・・・怖いのか?日菜。」

「・・・・・・・・。」その言葉に。日菜は目を開いて、零を見詰めた。

「・・・・・考えてみれば。お前がエル・ハルシオンのために命を懸ける理由など、どこにも無い。」

「・・・・・・・・今頃気付いたの?」日菜は笑った。そして無意識に右手の親指に嵌めた紅石榴の指輪に触れた。

「・・・・・それで。縛り付けてしまったな。」

「・・・・やめてよ。結婚指輪じゃあるまいし。これは正当な報酬でしょう。」

「・・・・・・・。」

「何よ。その沈黙は・・・・・。」

「いや・・・・。」

「そういえば昔。二人でエル・ハルシオンを去るとき。何か言ったことがあったわよね。あれは・・・・何だったの?確か、訊いたけど答えてくれなかったわね。」

「・・・・・・・。」

 

 俺は、必ず、ここに帰ってくる。例え、望み敵わず異郷で果てるとしても、魂(こころ)は必ずこの緑の草原に還る。

 

「零。あれは・・・・・。」

 零は日菜の目を。まっすぐに見た。

「祈りだ。」

「・・・・・祈り・・・・。」

「そうだ。」

「・・・・・・・・・。」

 日菜は小さく笑った。あれは。

 

 零の祈りだったのか。

 

「・・・・聖夜にはぴったりね。」

 そして瞳を閉じた。

 

 たとえ、望み敵わず異郷で果てるとしても・・・・・・。

 私は。

 

「・・・だが。今は違う。」零が小さく呟いた。

「え・・・・?」日菜は目を開くと、零を見た。

「俺の魂(こころ)の還る場所は、お前の胸だ。」零もまっすぐに日菜を見返した。そして。

「・・・・・・・・。」

「この。少しボリュームの小さめのな。」苦笑とともに。指先で少しだけ日菜の胸に触れた。

「・・・・・セ、セクハラ?」

「・・・・また。訳のわからん事を。」

「私の胸に?あんたの魂が還ってくるの?だって?ひょっとしたら、私あんたが死ぬ頃には、元の世界に帰っているかもしれないわよ。」

「・・・・それでもだ。例えお前がどこに居ようと。誰と時を過ごしていようと。俺の魂はお前の元へ必ず還る。」

「・・・・・・。」

「これは。俺の”祈り”だから。」

「・・・・・・。零。もしかして、私の事が好きなの?」

「・・・・実はそうだ。・・・・鈍いんだよ、お前。」

 日菜は零の少しだけ赤くなった顔を見て、自分もちょっと頬を染めた。

「・・・・じゃあ。私は明日。カタラナート将軍と、あんたを挟んで決闘しなけりゃいけないのかしら?」照れ隠しのように日菜が呟く。

「・・・・・馬鹿!」日菜の言葉に、零が小さく罵った。

「・・・・その時は零。真ん中で、両手を揉み絞りながら、私を応援してくれる。?」日菜は笑った。

「・・・・馬鹿モノ。」

「・・・・・・・・。」

 日菜は笑いながら、もう一度夜空を見上げた。

 父や母。夢にまでみた日本。どれほど腐っていても懐かしい故郷。いつかは・・・と。思い続けてきた世界。

「零。私。・・・昔。言ったわよね。人生に意味なんて無いと。ただ、生きるだけだと。」

「・・・・・・・。」

「・・・・私がこの世界に。やって来た事にも。意味なんか無いと。」

「・・・・・ああ。」

「・・・・それでも。これだけは思うの。・・・・・零。あんたは凄い男よ。誰も。カタラナートだろうと誰だろうと、貴方を汚しも支配も出来やしなかった。貴方はどんな酷い目にあっても、誇り高く真っ直ぐに前を見据えて立っていたわ。貴方はいつでも、どんな時でも零・アリアス・ハルシオン以外の何者でもなかった。他の誰でもない。誰にもなれない。」

「・・・・・・・。」

「もし。例え明日。生命を落としても、私は・・・・・。」

「・・・・・・・・。」

「貴方をここまで。この地まで連れてきた事に、胸を張れるわ。世界中の誰に向かっても。鈴木 日菜は貴方の騎士としてそれをやり遂げたと。」

 日菜は微笑んだ。

「日菜。」

 零は日菜の目をまっすぐに見詰めた。

「この世界に来て、私の歩いてきた道は、血に塗れ、ぬめった吐き気を催すような道だけど。・・・貴方に出会えた事だけは感謝しているわ。零・アリアス・ハルシオン。」

「・・・・・!」零の白い頬に一気に朱が刺した。

「貴方に。会えて。良かった。」

「・・・・・・・・。」

 零は乱暴に日菜の腕を掴んで引き寄せると、無言で抱き締めた。力いっぱい。

「零。私は・・・・。神など信じない。信じたりしない。」

「日菜。」

「・・・・どれ程、願っても助けてくれない神になど。会った事も見たことも無い神になど。これ以上願いも感謝もしない。期待もしない・・・・でも。」

 

 貴方に会えて良かった。――――

 

「・・・・・・・。」

「・・・貴方に会えて良かった。」

「日菜。」

 抱き締められたまま。

 日菜は三度(みたび)夜空を見上げた。

 

 星は見えない。月も見えない。自分には何も。何も見えない。だが。

「愛している。」零が耳元で呟いた。

「・・・・・・・・・。」

 頼みも。願いもしないわ。

 日菜は涙を流した。

 でも。

 この男を。

 私は明日。必ず勝たしてみせる。

 鈴木 日菜の名に懸けて。その名だけに懸けて。例え天上に居る何かを敵に回しても。そいつらを殺すことになろうとも。キリストを殺したユダヤの王のように。私には何も恥じる事など無い。

 例え。

 両腕が、永遠に消えない血に塗れる事になろうとも。

「・・・・・・・・・。」

 それが間違いだというのなら。罪だというのなら。誰かがそう言うのであれば。それに対しての災いは、この身に甘んじて受ける。

 全てを。

 私が。この身にだけ背負って、然るべき場所に持って行く。いや。堕ちて行くのかもしれないが。

「・・・血塗れの道で何が悪いの。これは私にとって、何よりも神聖な道だったわ。」日菜は不敵な笑みを浮かべた。

 

「・・・・・・・。」

 ロオンは振り返った。

「龍(ろおん)将軍。兄上はそちら?日菜も一緒かしら。確認しておきたい事が・・・・。」零の妹の栄子(はるこ)・ルナ・ハルシオンは、日菜のテントがある場所を見詰めて背を向けている元エル・ハルシオンの四天王と呼ばれた将軍に声を掛けた。

「・・・・・・・・。」

 ロオンは。

 ハルコに黙って首を振った。

「・・・・二人だけにしておいてあげましょう。・・・・最後の夜になるかもしれません。」

「・・・・将軍。まさか・・・・泣いていらっしゃるの?」ハルコが驚いたように呟く。

「・・・・・今夜ばかりは。恥ずかしいとは。・・・思いません。」

 ロオンは。ハルコが声も無く見詰める前で、はらはらと涙を零した。

 ロオンは今まで。誰よりも世俗の事を良く知っていると思っていた。

 愛も夢も。汚れ。醜くなっていくものだと。知っていた。それが必然だとあきらめていた。だが。

 遠い異世界からやって来た女は。

 その小さな身体で。細い腕で。

 どんな男よりも逞しく人生を切り開き。血と罪に塗れ汚れながらも、何もあきらめない。誇り高く真っ直ぐに前を見据えて、どれ程辛い現実にも目を逸らしたりはしなかった。

 「・・・・・・・・。」

 

 罪などない。あってたまるか。―――――

 

 お前こそが。零にとっての運命の女神だ。

 

「・・・・・・・。」

 ロオンは、空を見上げた。そして。

 二人に幸あれ。と。祈った。 

 

 時空を超えて出会った。

 二つの魂に。幸運と平穏が訪れるようにと。心の底から。祈り続けた。

 

 二人が初めて結ばれたその夜。

 

「・・・・・・・・。」

 日菜は。その暖かで逞しい腕の中で、祈りを呟いた。

 例え、望み敵わず果てるとしても、魂(こころ)は必ず貴方の胸に還る。

 

 そして。

 一言だけ添えた。

 「愛している」という。言葉を。

 少なくとも。この聖夜にだけは。

fin−

 

 こっから、あーなってこーなって。「はあとに火をつけて・・・」の意味に、成る程!となるんだけどな・・・(笑)。

 名前を使い回してしまっているから、ややこしい!

 「神々・・・」の零一朗さんとは何の関係もありません。

 「はあと・・・・・」佳境に入ってからの一幕。と思っていただければ・・・・。

 まだ。少し、この話を亀の如き歩みでも。進めるかどうか迷い中です。

 嬉しかった方には、光栄です。何だか良く分からなかった方は、どうかご容赦。