上月(こうづき)!!上月!!現在(いま)帰ったで!!!』

 海棠(かいどう) 慎司(しんじ)は、寝室のドアを開けると大声で叫んだ。

 東京都心のマンション。東京(こちら)に用がある時は、常に拠点にしている場所に、海棠はホトンド無理矢理恋人を住まわせていた。

 今日はハッキリ言って酔っていた。しかも凄く楽しい気分だった。時刻は午前3時。当然眠っている上月(こうづき) (しおり)のモトに海棠は帰宅と同時にシャワーも浴びずに押し掛けた。

『・・・・・・・なあなあなあ。起きいや。起きいや。栞、栞、栞!!!』

 いつものコトだが。

 これだけの大声で叫んでいるというのに。一度眠ってしまった栞はマッタク起きる気配が無い。

 キングサイズのベッドの上に丸まって、すぴー、とでもいう寝息が聞こえてきそうな、幸せそうな子供のような、何とも無防備な表情を浮かべて眠りこけている。

『何だあっ!?・・・・ちくしょうっ!!なあ、上月!!!上月って、呼んどるやろっ!!!』

 海棠は、ベッドで気持ち良さそうに眠っている栞の身体に背後から抱きついて、揺さぶった。

『・・・・・・・・。』

 栞はマッタク気付かない。嫌がる気配すらない。寝息もマッタク乱れない。

『・・・・・・・・。』

 海棠は自分の額に青筋が立つのを感じた。苛立たしげに、栞のパジャマの上衣の裾をたくし上げて、胸の小さな飾りをいじる。

『・・・・・・・・。』

 何の手応えもない。

(・・・・・こいつ!!例えソーニューされても、気付かんのやないか!?)

 敏感。感じやすい。

 そういった言葉とは、栞は、マッタク無縁だった。

(どっちかというと。このアホは不感症や。この俺のテクニックで、何にも感じず寝よるとは・・・・・!!!なんちゅう奴や!!!)

 微妙にプライドを傷つけられた海棠は、左手で栞の身体を弄りながら右手で、栞の鼻を摘んだ。

『・・・・・・・?』

 この程度では、ホトンド反応が無い。だが多少は呼吸が苦しいのか、幸せそうに眠っていた栞の口が開いて、綺麗な白い歯と赤い舌先が微かに覗く。

『・・・・・・・・・・。』

 海棠は。遠慮することなく、その口に喰い付いた。勿論。鼻は摘んだまま。

『・・・・・・・・?・・・・・・・!!・・・・・・・・っ!?』

『ん・・・・・。ううっ・・・・・?』

 さすがに呼吸が苦しくなったのか。栞が段々暴れ始めた。

 本格的に抵抗を始めたのを見極めてから。海棠は鼻を摘んだ手を離してやった。唇を貪る舌は抜いてやる気は無かったが。

『んーーーーっ!!んーーーーっ!!!』

 栞がうめき声を上げて、もがく。海棠は栞がグッタリと力を失うまで唇を貪り続けた。両腕が力なくベッドに落ちるのを見届けて、ようやく溜飲を下げたように唇を離した。

『な・・・・・!!!何、しやがるっ!?』

 激しい口付けから。ようよう開放された栞が荒い息を吐き、涙目になって海棠を睨む。

『・・・・・今日な。すげー、良えモン買うたんや。楽しみにしとれよ。』

『はい?』

『はよう、クリスマスにならんかなあ。』

『・・・・・・・まだ、真夏だっ!!何がクリスマスだっ!訳のわからんコトを!!この酔っ払いの変態野郎!!!!』

 安眠を妨害されて、怒り狂う栞の肢体を腕の中に封じ込めながら。

(はよう、クリスマスが来れば良えのんに。)

 海棠は幸せな気持ちで、栞を抱きしめて眼を閉じた。

 

サイレント ナイト

 

「!!!!!」

 海棠は。

 弾かれたように、ベッドから起き上がった。

 大阪の海棠の自宅マンションの寝室。

 見慣れた部屋。そして、キングサイズのベッドの上。

「・・・・・・・・・ああっ!?」

 海棠は。

 必死の形相で、ベッドの上をまさぐる。

 大きな両手が何かを求めるように彷徨(さまよ)う。

 自分以外は誰も居ない、そこ(・・)を。

「・・・・・・・・つっ・・・・!」

 さっきまで。

 この腕の中に居た。

 確かに居たと思った。

「・・・・・っ!!!!」

 海棠は唇を噛み締めた。

 海棠よりハルカに小柄な身体。ハルカに高い体温。不感症の・・・・。

「・・・・・・・・上・・・月・・・・。」

 あの頃。あれほど待ち望んでいた。

 クリスマス・イヴ。その日。

 海棠の隣に。

 恋人(しおり)(ぬく)もりは。

 

 無かった。

 

 

「カシラ。今夜はどこで過ごされる予定なんでっか?」

 石黒が、事務所の海棠の机の上に散らばっている書類を片付けながら声を掛ける。

 少しだけ間を置いて。

「自宅や。」海棠は、事務所の窓からクリスマス一色となっている大阪の街を眺めながら、呟いた。

「へ?」

 石黒が、動きを止める。

「ウチに居る。」

「何かの、冗談でっか?今夜はクリスマス・イヴでっせ?」

 石黒は笑いながら、海棠の傍に立った。

「・・・・・・・・・・。たまには。良えやろ。」

 海棠は、机の上にあるタバコを手に取った。

「美恵子はどないしたんでっか?麗華は?晴美と由香は?あ。ひょっとしたら、まとめて家に呼ばれるんでっか?」

 石黒は引き攣ったような笑顔を浮かべながら、海棠に食い下がる。

「予定は無い。帰って寝るだけや。」海棠はタバコに火を点けると、紫煙を吐き出しながら石黒を見た。

「・・・・・・カシラ。」

「・・・・・・・・・。」

 再び、窓の外に眼をやる海棠を見詰めながら。

 石黒は、ポツンと呟いた。

「そう言えば。今年はどなたにもクリスマスプレゼントを贈るようには言われませんでしたな。」

 石黒の頬に、自嘲のような笑みが浮かぶ。

「毎年毎年。ヤマの様な贈り物を、馴染みのオンナたちにマメに贈らはるのに。」

 うっかりしとりましたわ。

 哀しそうなイロが、表情を掠める。

「・・・・・・・・・。」

 海棠は敢えて無視した。

「・・・・一体。どないされたんです?カシラみたいなマメで派手好きなヒトが。クリスマスみたいなイベントを無視するやなんて。」

 答えはトウに知っているだろうに。石黒はホトンド泣き出しそうな表情で、海棠に食って掛かった。

「・・・・・無視なんてしてへん。それに、クリスマスプレゼントかて買うとる。一つだけ・・・。」

 海棠の言葉に、石黒は首を振った。力なく笑いながら。

「・・・・・夏に。東京で。・・・ブランドショップを冷やかして衝動買いしたヤツでっしゃろ。・・・覚えとります。」

「・・・・・・・・。」

「贈る相手が。もう居ぃひんのに、何でキャンセルしいひんかったんですか?それとも。他の誰かに贈るつもりですか?」

 石黒は海棠から、顔を逸らした。声は泣いているかのように震えていた。

「勝手やろ。」海棠はタバコを机の上の灰皿で揉み消した。

「・・・・・・・。」

「・・・・・・・。」

 二人は暫らくの間無言で、佇んでいた。

 やがて。

 石黒が振り絞るように、口を開いた。

「・・・・・・カシラ。今夜はどこぞのホテルに泊まって下さい。」

「アホ。イヴの夜に予約も無しにホテルに泊まれる訳ないやろ。どこもイッパイや。」

「何としてでも。俺が部屋を用意しますよって。」

「何でや?バカバカしい。」

 海棠は舌打ちをした。

 石黒は、海棠を見詰めた。

「・・・・今日中に。カシラのマンション。モトに戻しますわ。」

「・・・・・・・・・・。」海棠は無言で石黒を見た。

「あの部屋に。一人で居るのは、カシラには良えコトとは思えまへん。」

「・・・・・・・・。」

 思い詰めたような表情で。自分を真っ直ぐに見る石黒から、海棠は視線を逸らせた。

 

『大阪の俺のマンションに、栞の部屋を造る。』

 あの夏。

 栞を辰巳から取り返したアト。仕事の都合で一旦大阪に戻った海棠は、栞を囲うつもりは毛頭無いと言いながらも石黒にそう告げた。心持ち赤くなった顔を石黒から逸らせるようにして。

 そして。忙しい仕事の合間を縫って、組の配下の工務店に自分のマンションのリフォームの設計図を最優先でせっつくようにして描かせた。

 そんな海棠に苦笑しながら。

「・・・・・。」

 三日で仕上げろ。

 海棠が納得した設計図を手に、工務店にそう命令したのは石黒だった。

「・・・・・。」

 だが。一度もその部屋を使うことなく。栞は死んだ。海棠がそんなコトをしていたことさえ知らずに。彼は逝ってしまった。

 

 アトに。その部屋だけが残されたことに石黒が思い至ったのは。

 栞の思い出の染み付いた東京に居るより大阪にいた方が海棠には良いだろうと、嫌がる海棠をホトンド無理矢理大阪に連れ帰ってきた時だった。

 石黒も海棠も。マンションに栞の部屋を造ったコトをすっかり忘れてしまっていた。

『・・・・・!!!』

 変わり果てたマンションの部屋に足を踏み入れた時。石黒は愕然とした。愕然とした表情のまま。海棠を振り返った。

 その瞬間の。海棠の表情を、イマでも石黒は忘れるコトが出来ない。

「・・・・・。」

 だが。

 土下座して。二日で元に戻すと言った石黒に。海棠はその必要は無いと答えた。

 特に実害がある訳でもないから、このままで良い。と。

「・・・・・。」

 だから。海棠のマンションには、未だに栞の部屋が残っている。主が。一度も見た事がなく。いや、あったコトさえ知らなかった部屋が。

 それは。以前から、喉に刺さった小骨のように石黒を不安にさせていた。

 

 

「・・・・俺が。あの部屋に居るんが、そんなに心配か?」

 海棠は小さく苦笑すると、石黒に視線を戻した。

「・・・・はい。」石黒は答えた。

「別に平気や。何でもあらへん。上月が少しでもあそこで生活しとったなら、ともかく。上月は一度も大阪には来ぃひんかったやないか・・・。」

 海棠は、淡々と言葉を紡ぐ。

「あの部屋には、上月の思い出なんか一個もないで。何を心配しとるんや。」

「・・・・・・。」石黒は唇を噛んだ。

例え。栞の思い出はなくても。あの部屋には、海棠の栞への想いが籠もっている。例え栞が住むことがなくても、部屋を用意しておきたいと願うほどの海棠の栞への執着と恋情が。

「・・・・・・。」

栞の亡骸を。火葬場で、まさにもう火を入れるという直前まで棺に入れることを拒み、腕に抱き続けていた海棠の姿を思い出し、石黒は微かにその身を震わせた。

 火葬場でも。海棠はナカナカ栞の遺骸を離そうとはしなかった。さすがに限界にきた石黒の命令で、配下の組のモノが数人がかりで、ホトンド力ずくで栞の遺体を海棠から引き離した時は。海棠は文字通り半狂乱になって、栞の遺体をその腕に取り戻そうと手当たり次第に何人もの組員を殴り倒して暴れまわり、泣き叫んだ。

『栞ちゃんは、もう死んだんです!!!カシラ、カシラッ!!!!』その海棠の身体を抑え付けながら。石黒は聞いた。

 連れて行かんでくれ。――――――

 血を吐くような海棠の慟哭を。聞いたことも無い悲痛な海棠の声を。

『!!!!』

 決して。生涯忘れることは出来ないだろう。海棠の栞への想いを。

 

 

石黒は震える声で、呟く。海棠に訴えかけるような視線を向ける。

「カシラ。・・・・・確かに、栞ちゃんには気の毒しましたが。カシラは、これからもあのヒトの居ない長い時間を生きていかんとならんのですぜ。」

「・・・・・・・・・・。」

「俺には。カシラが死にたがっているように見えて、不安なんですわ。・・・・あの部屋に暮らすと言い出した時から。ずっと不安だったんですわ。」

「・・・・・・・・・・。」海棠は無言で机の前の椅子に腰を下ろした。両手を机の上で組むと顎を乗せる。

「俺は・・・・。カシラには、正直。栞ちゃんのことは忘れて欲しい。・・・・また恋をして。誰かと結婚して子供を作ったかて良えやないですか。由美でも紗江子でも誰でも良え・・・・。カシラに栞ちゃんを忘れさせてくれるんなら。」

「・・・・・。」

 海棠は何も言わない。石黒は唇を噛んで、俯いた。

 

 

「・・・・・・・。」

 石黒が部屋を出て行ってから。

 海棠は、無言で机の一番上の引き出しを開けた。

 

 有名なパリの宝石店の包み紙が見える。

「・・・・・・。」

 海棠は無造作に、包み紙を破いた。

 そのクリスマスプレゼントになる筈だったモノの包み紙を。

 

 中身は。小さなペアのリングだった。

 

それぞれ側面に、フランス語で文字が刻まれている。

Serment de verite(真実の誓い)』

Lien de eternite(永遠の絆)』

栞が。さぞ、嫌がって迷惑そうな顔をするだろうと、贈る一瞬を楽しみにしながら。あの夏に買い求めたモノだった。クリスマスに間に合うように、とサイズを指定して注文をした。

マンションの時のように。これの存在を海棠は忘れていた訳ではない。ただ、どうしてもキャンセルする気にならなかった。なれなかったのである。

「・・・・・・・・。」

 海棠は、それをスーツのポケットに仕舞うと、再び窓の外に目をやった。

 

 静かな。夜だった。

 

 街に繰り出せば、さぞや凄まじいクリスマスの喧騒が待っていただろうが。

 地上20階にある、海棠の部屋には、何も聞こえない。煌びやかな灯りが街を彩っているのが見えるだけだ。

 都会では、ホトンド星も見えない。

「・・・・・・・・・。」

 海棠は大きな溜め息を吐くと、八杯目のブランデーをグラスに注いだ。

 結局彼は、石黒の懇願を振り切って、マンションに帰ってきていた。

「・・・・・・・・・。」

 誰かと過ごす気には、どうしてもなれなかった。ましてや、無機質なホテルの部屋などでは。

 いつもの年のように、大勢でバカ騒ぎをして、気に入りのオンナのモトで夜を過ごせば、石黒が安心するのは分かっていたが。

「・・・・・・未練か・・・。」

 海棠は自嘲した。

 リビングのソファに座って、テーブルの上のリングの入った小箱を手に取る。

 『Serment de verite』

 『Lien de eternite』

 指輪に刻んだ。言葉。

「・・・・・・・さぞ嫌がったやろな。」

 海棠は笑った。

 それでも。無理矢理でも嵌めさせるつもりだった。嫌がって暴れる栞を見るのを、楽しみにしていた。

 抑え付けて、指に嵌めてキスしてやろうと思っていた。

「・・・・・ふ。」

 暫らく無言で見詰めていたそれを。

「・・・・・・・っ!!!!」

 次の瞬間。

 海棠は思いっきり壁に叩きつけた。

「・・・・こんなモノッ!!」

 小さな音とともに小箱はひしゃげ、中にあったリングはふたつともコロコロと床を転がって行く。

「ちくしょうっ。」

 刻まれた言葉は。

 海棠の真実だった。

 栞に告げるコトの出来なかった、海棠の想いであり願いであり、夢であった。

「!!!!!」

 写真一枚残っていない。

 誰よりも愛した男。。

 

「・・・・・・・・・・っ!!」

 海棠は、ブランデーを瓶ごと呷った。

 残されたモノは、安物の時計。

 それだって、栞が海棠にくれた訳ではない。

 

 何も無い。何も残してくれなかった、憎い恋人。

 甘い愛の言葉すら。ただの一度も。

 

 石黒の言葉が甦る。

「・・・・・・・・っ!!!」

 あのヒトの居ない、長い時を。――――――――

 

「・・・・・・分かっとるんやっ!!!!そんなコトッ・・・・!!分かっとるっ!!!!」

 死にたいとは思っている訳ではない。絶対に。

 だが。もし、栞ともう一度会えると言われたなら。

 自分は何でもするかもしれない。

「・・・・・・・・・!!!」

 ベッドを探っても何のヌクモリも見付けられない。

 どうにもならない現実が。ただ、どうしようもなく辛いのだ。

 何かが欲しかった。自分が栞を愛し、栞も自分を愛してくれていたという証が。それは。言葉でも何でも良かったのだ。

 それさえあれば。

 生きていける。

 これからの。栞の居ない長い時間を。

 

「・・・・・・・・・・。」

 夜半。

 海棠は。肌寒さに目を開いた。

 いつの間にか。海棠は栞のために創った部屋の中で眠っていた。

「・・・・・・・・。」

 机と本棚。小さなソファー。仕事をするなら使うだろうと、デスクットップのパソコンも用意してあった。それらは全て新品のまま埃を被っている。

 海棠は、その机に凭れ掛かったまま、酔いつぶれて少し眠ってしまったようだった。

(・・・・・石黒が心配するハズや。)

 海棠は自分のテイタラクに、微かな苦笑を漏らした。

 立ち上がって、部屋を出ようとする。

 

 その時。

 

「・・・・・・・?」

 海棠は。机の上に設置された使われていない筈のパソコンの、電源が入っているコトに気付いた。

 物音ひとつしない部屋に。

 パソコンのブーンという微かな機械音が、響いている。

「?」

 海棠は不思議に思って、机の前に回りこむとパソコンの画面を覗き込んだ。

 一通のメールが届いていた。

 設定した海棠しか知らないアドレスだ。多分、間違いメール。だが。

「・・・・・・・・。」

 誰とも分からない人物からのメールを。海棠はホトンド何も考えずに開いた。

 

 

 

『プレゼント有難う。大切にするよ。』

 

 

 

 短い。文章。

 

「・・・・・・・・・。」

 海棠は無言で。

 長い間。

 それを、見ていた。

 

 

 慎司。――――――

 

 

 懐かしい。

 栞の声が、聞こえた気がした。

 

「・・・・・・・・。」

 やがて。

 画面を見詰める海棠の目から。

 涙がはらはらと零れた。

 

「上月・・・・。」

 海棠は小さく呟いた。

 

「・・・・上月。俺は・・・・。俺は、あんたに。・・・言いたいコトが有るんや。ずっと。ずっと、言いたかったんや。」

 

 海棠は、ゆっくりと口を開いた。

 言葉は。

 祈りとなって、唇から滑らかに零れていった。

 

きよし この夜 星は光り 
    救いの御子(みこ)は 馬槽(まぶね)の中に眠りたもう いと安く
    きよし この夜 御告(みつ)げ受けし 牧人(まきびと)たちは
    御子の御前(みまえ)に ぬかずきぬ かしこみて
    きよし この夜 御子の笑みに 恵みの御代(みよ)の 
    朝(あした)の光 輝けり ほがらかに

 

 

 

想いは。

時空(とき)を越えて、届くだろう。

この。

静かな静かな。聖なる夜なら。

カタチにならなかった、幾千の願いも。

 必ず愛しいヒトの胸に融け落ちていくだろう。

 

まるでアスファルトに降る雪のように。

 

「カシラ!!カシラ!!!開けて下さいっ!!!」

 翌朝。9時に海棠の自宅マンションを訪れた石黒は大声で叫びがら、玄関のチャイムを押し続けた。

 5分ほど経ってから。

「・・・・・何や。朝っぱらから・・・・・・。」

 海棠が目を擦りながら、玄関のドアを開ける。

 ムッとするほどの酒の匂い。かなり皺くちゃになった、昨日別れた時に着ていたスーツ。石黒が思った通り、海棠は着替えもせずに酔いつぶれてそのまま眠ったようだった。

「・・・・カシラ!!!ニューオータニのスイートに部屋を取りましたさかい、そこに入って下さい!工務店の人間が下に控えてますさかい、直ぐに作業を開始します。」

「・・・・・・・・・・。」

 海棠は面食らったように、必死の形相を浮かべた石黒の顔をマジマジと見詰めた。そして、石黒の背後で、これもまた決死の覚悟を決めているかのような表情で、歯を食い縛っている洋二をはじめ、石黒配下の面々を、面白そうに見た。そして。

「・・・・・・それで気が済むんやったら、好きにせえや。」

 小さく笑うと、部屋の中に引っ込んだ。

「・・・・・カシラ・・・?」

 海棠の。

 昨日からは思いもよらない穏やかな表情に、石黒は驚いた。

「・・・・・カシラ?」

 海棠に付いて、リビングに入る。

「・・・・・何かありましたんか?」

「別に。」

 海棠はキッチンに行くと、インスタントコーヒーにお湯を注いだ。

「お前らも飲むか?」

「か、カシラ!!俺が、やりますよって。」

 洋二が大慌てでキッチンに入ると、海棠からヤカンを取り上げた。

「・・・・・・・・。」

 海棠はマグカップを右手に、左手で首筋を揉みながら、リビングに戻ってきた。

「妙なトコロで寝たさかい。身体中が痛いわ。」

 笑いながらそう言うと、ソファに腰を下ろした。その薬指に銀色のリングが光っていた。

「カシラ。やっぱり夕べ何か、あったんやないですか?」

 向かいの椅子に座った石黒が、探るように海棠の顔を覗きこむ。

「・・・・・・・・。」

 海棠はコーヒーを一口啜ると、小さく笑った。

「・・・・・・・リング。片方が、のうなってしもうたわ。」

「え?」

「夕べ。放り投げて、カーペットの上に転がってたんやが、今朝になって捜したら、どうしても片方が見つからんのや。」

「・・・・・栞ちゃんの・・・・・・?」石黒は、海棠の左手の薬指を見詰めた

「・・・・・・・。」

 海棠は無言で胸元を弄った。海棠の。二つほどボタンを外したワイシャツの喉モトから覗く金の鎖。先端には小さなロケット。

 それにはあの日。

 海岸で拾った小さな貝殻が、入っていた。

「・・・・・・・・。シャワーでも浴びるか。」

 海棠は立ち上がると、寝室に向かった。そして。

「工務店の連中に、リングを見付けたら取っておくように言っておいてくれな。」

「・・・・・・・・・・。」

 穏やかに笑う海棠の後姿を。石黒は無言で見詰めた。

「石黒さん。工務店の連中が、入って良いかと訊いとりますが。」

 石黒は。

 部下の顔を見詰めて、一つ溜め息を吐いた。そして。

「・・・・・中止や。」素っ気無く呟く。

「へ?」

「工務店の連中は、帰らせろ。」

「け、けど・・・・・。カシラが・・・・・。」

「良えんや。・・・・もう、良え。」

「・・・・・・・・・・。」

 おろおろしている部下に、小さく笑うと。

 石黒は、栞の部屋のドアに目をやった。

「見付からん方が、良え。」

 リングは、捜せばきっとスグ見付かるだろう。

 石黒は思った。

 多分、海棠の単なる勘違いや間違いなのだろう。だが。

 そんなワケ(・・)など永遠に分からない方が良い。

「・・・・・・そういうモンも。この世には、有る。」

 石黒は、小さく笑った。

 小柄な男の面影をが脳裏を過ぎる。同時に。石黒が知る限り一番幸せそうだった、あの夏の日の海棠の眼差しも。

 忘れたらアカンものも。多分。あるんや。

 石黒は、言葉には出さずにそう思った。

 

 

 今日は天気が悪く、空は今にも泣き出しそうな灰色をしている。気温はぐんぐん下がり、夜半は雪になるかもしれないというコトだった。

 地上20階の窓の外に。

 地上に着く頃には消えてしまうだろう微かな白いモノが、ちらつき始めていた。

 

 この聖なる。静かな。白い朝。

 

「メリークリスマス。」

 栞ちゃん。―――――

 石黒は、空を見上げて小さく呟いた。

 

fin−

 

 

 栞ちゃんが死んでからのアレコレをあれもこれも詰め込もうとしたら、収集がつかなくなって往生しました(笑)。海棠に何を言わせるかイロイロ考えたのですが。言葉にすると、どうもドレもコレもイマイチで・・・・・。それで、こんなコトに(笑)。

 「ろくでなしの神話 3」は、ウチの作品の中では凄く人気のあるモノで、皆さんが続編というか、別の視点のハナシを待っていてくれるのがヒシヒシと伝わってきていただけにプレッシャーもカナリ掛かり、書いているウチに訳が分からなくなっちゃって(笑)へろへろになってしまいました(笑)。満足していただければ、幸いですが。

 最初は、幽霊栞ちゃんを出して、「あなたの知らない世界」に入っていこうかと思ったのですが。それも何だかありがちかなあ、と。やめました。

 期間限定の物語ということで。気に入らなかったら、忘れて下さい(←いい加減)。喜んでいただけたなら、光栄です。