色彩(いろ)の名前

 

「・・・・・・っ・・・・・・!!」

「・・・・・・・フランソワーズ・・・・・・。」

 クリミア国王ユージーンは、王妃の耳元で吐息のようにその名前を囁いた。

 そして。組み敷いている自分に比べればハルカに華奢な王妃の身体を、右腕一本で軽々と膝の上に抱え上げた。

「くっ・・・・・・!!」

 一気に腰に自分の体重が掛かった王妃は、悲鳴を上げる。

 仰け反る頭を右手で捕らえて、若干無理な体勢ではあったが、唇を合わせる。

「・・・・・んんっ・・・・・。」

 首を振って逃れようとする王妃を力ずくで抑え付けて、ユージーンは更に深く唇を重ねる。

「・・・・・!!!」

 今度は王妃は本気で抗った。ユージーンの首に爪を立てて顔を引き剥がすと、大袈裟にゼエゼエと息を吸い込む。

「・・・・・・っ!!!いい加減にしろっ!!!息が・・・出来ん。・・・殺す気かっ!!!」

「・・・・・・・・・・。」

 その王妃の反応に、ユージーンは右眉を上げた。

「・・・ふうん。妙に、冷静じゃないか。何だ?今までのは全部演技か・・・?」

「・・・。」王妃は黙った。

「・・・。」ユージーンは眉間に皺を寄せた。カナリ気を悪くしたようだ。オトコとしてのプライドも当然、傷ついている。

「・・・そういう可愛げの無い妻は・・・・・・・。」地の底から響くような低い声がクリミア国王の口から漏れる。

「・・・・・うあっ・・・!?」

 ユージーンは王妃の腰を固定したまま、上半身だけを乱暴にベッドに倒した。そのまま右足を肩に担ぎ上げて、ググッっと体重を掛ける。

「・・・・・・・・・っ!!!!!」王妃は息を飲んで、喉を仰け反らせる。

「もう、殺してくれと言いたくなるようなメに合わせてやる。」

 いかにも。イクぞという体勢を整えながら、ユージーンはその端正で元々冷たい感じのする美貌にピッタリの悪魔のような微笑を浮かべた。

「・・・・・・!!!やめてくれ・・・!俺はお前ほど若く無いんだ。勘弁してくれ・・・っ!!」

「黙れ。老獪(ろうかい)な演技力で俺を誤魔化そうとした罰だっ!!!」

「・・・やめ・・・。俺が悪か・・・っ!!!・・・うあっ!!く・・・そおおうっ!!!ユージーンッ・・・!!!!覚えてろ・・・っ!!!」

 深いトコロを抉るように、情け容赦なく突き上げられ揺さぶられて、王妃は今度こそ本当に本気で悲鳴を上げた。

 

 

 

 翌日の午後。

 クリミア王妃フランソワーズは痛む腰を宥め宥め、馬に乗っていた。

(ちくしょう。あの最低野朗・・・・・・・。)

 あれから。王妃は本当に、もう死ぬと間断無く泣き叫ぶというホドのメに合わされた。朝方まで、ホトンド一睡もさせてもらえなかった。

 ああ。もう。太陽が黄色く見える。

 フランソワーズは額に滲んでくる脂汗を、右手の甲で拭った。

 大体。3回に1回くらい、イった振りして何が悪い!?ユージーンとのセックスでは、どう考えても王妃の身体に掛かる負担の方が遥かに大きいのだ。しかも相手は10歳も年下で、体力自慢の肉弾野郎である。毎回マジメに対応していたら、マジで命が危ないではないか。

 しかも。王妃は女と違って肉体的に顕著な特徴が現れるのだから、イク振りといってもカナリのテクニックと体力が必要なのだ。

 王妃は憤懣(ふんまん)やる方無いといった風に、舌打ちをした。

 今日は本当は馬車か何かにしたいくらいだったのだが、体調が悪いなどとウッカリ口にしようものなら、その場に居る騎士や従者やその他モロモロ全員が、一斉に国王夫妻の閨(ねや)の中の事を想像するような気がして、恐ろしくてトテモ言えない。

 王妃は、誰にも気付かれないように小さな溜め息を漏らした。しかし。

「・・・・・王妃様。何だか顔色が悪いようですが・・・。お加減でも?」護衛についている銀色の鎧のクリミア親衛隊の騎士が、心配そうに声を掛けてきた。

「いや、別に何でもない。今日は少し暑いようだな、オズ。」

 王妃はニッコリ微笑んで、傍らのハンサムな騎士を見た。特にこの男はヤバイ。例のキスマークの一件もある。

「・・・・・それなら宜しいのですが・・・・。」

 だがオズは、納得していないというような口調で、眉を寄せた。更に探るような視線を王妃に充てている。

「・・・・・・・・。」

 王妃は、再び小さく溜め息を吐いた。良いから、放っといてくれと思っていた。

「・・・・・・・・。」

 オズは王妃が今にも気を失って馬から落ちるのではないかと、心配だった。そう思ってしまう位、今日の王妃は何だか身体が辛そうに見えた。だが、何でも無いと本人が言う以上、オズには何も出来ない。ただ。

 何となく。イヤな予感がオズを捉えていた。

「・・・・・・・・。」

 オズは、もし王妃が落馬してもスグ対応出来るように、自分の馬を出来るだけ王妃の愛馬に近寄らせた。

 

 

 その最悪な体調にも関わらず、王妃がわざわざ国境まで馬に揺られて遣って来たのは。

「・・・オメガ王子!!」

 王妃は、手を振った。

 国境の一本道を。出迎えに行った彼の幼馴染で現在はクリミアの騎士であるルミナスと一緒に、オメガ王子が馬に乗ってトコトコとやって来る。

「王妃さまっ!!!」

 オメガ王子も満面の笑顔で、手を千切れんばかりに振り返している。

(・・・・本当に、愛らしい王子だ。)王妃は本当に、オメガ王子を息子のように愛していた。

 カリンの一件のアト。

 一度、アルテミスに帰してやったルミナスが、豪雪で結局王子には会えず、しかもその折の経緯をオズから聞いた王妃は、何とか王子をルミナスに会わせてやりたいと思い、イロイロとオメガ王子をクリミアに招く手立てを考えた。

 アルテミスの王妃、オメガ王子の母親が、クリミアとの付き合いを快く思ってはいない気持ちは解るし、その懸念もアナガチ的外れでは無い。何とかドコにもカドを立てずにクリミアに招く方策は無いかと王妃は知恵を絞った

 多少強引だが、何とか不自然では無い理由をこじつけて、今日はやっとオメガ王子をクリミアに招いたのだった。

「お疲れではないですか?オメガ王子。」馬を並べて城に向かいながら、王妃はオメガ王子に声を掛ける。

「いいえ、とんでも有りません。道中、イロイロなお心遣い、有難うございます。おかげさまで快適な旅でした。」

 オメガ王子は本当に嬉しそうに王妃に答える。もし彼に尻尾があったら、きっと千切れるほど振っているコトだろう。彼も、優しくて強いクリミアの王妃が大好きだった。

「・・・・・ですが。王妃さまこそ、お加減が悪いのではありませんか?何だかお顔の色が・・・・・。」

 オメガは、少し顔を曇らせた。王妃は苦笑を浮かべた。誰が見ても分かるほど、今日は不調が顔に出ているらしい。

「いや。何でもありません。・・・・少し寝不足で・・・・。心配かけて申し訳ない。」

「・・・・・・・・・。」

 寝不足。―――――

 王妃がそうオメガ王子に答えているのを聞いて、オズは少し頬を染めた。

 そういう事か。道理で身体が辛そうな訳だ。

「あっ。オズ殿。」

 オズがそんなコトを考えていたタイミングで、オメガが傍に居たオズに気付いて声を掛けてきた。

「え・・・・・?」

 ついボンヤリ顔を上げたトコロ。

「・・・・!!」

 王妃とマトモに目が合ってしまった。

 ボンッ!!!

 と音をたてて、一気にオズの顔が真っ赤になる。

「・・・・・この間は有難うござ・・・・?どうしました?顔が赤いですよ?」

「い・・・・いいえ。何でも・・・・・。こちらこそ。あの折は失礼いたしました。」

 オズは真っ赤な顔のまま、俯いた。小さく深呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻そうとする。

「・・・・・オズ殿。何、考えていたんですか?」

 ルミナスが悪戯っぽいニヤニヤ笑いを浮かべながら、馬を寄せてくる。

「い・・・・いや。何でも。」

 慌てて首を振るオズの耳元で、小さな声で囁く。

「・・・・寝不足なんて言われちゃ、イロイロ想像しちゃいますよね。」

「・・・・・・・・・。」

 オズは、自分より10歳近く年下の少年にからかわれて、大きな溜め息を吐いた。

 

 

 一行は。

 クリミア王妃とオメガ王子。

 オズとルミナスにクリミア親衛隊の王妃護衛のための騎士があと2人居た。

 だが。

 ここはクリミア国内。しかもクリミア城のお膝元である。

 全員が多少、油断していたコトは間違い無い。

 

 前から、大きめの幌を付けた馬車がやって来ていた。荷台の荷物は農作物のようだ。2頭の馬がそれを引いている。御者は白い口髭を蓄えた農夫だった。傍らに居るその息子らしいかっちりした身体つきの農夫が、王妃たちには背を向けて、背後の荷の内容を確かめているようだ。

 道幅ほとんどギリギリの大きさの幌馬車に。

 6人は、道を譲った。

 自然。隊形は一列になる。

「・・・・・どうも。騎士さま方。」

 御者の農夫が帽子を取って頭を下げる。

「・・・・・・・?」

 オズは一瞬、違和感を感じた。何かは分からない。無意識に王妃を庇うように近寄ろうとする。と。

「!!!!!?」

 馬車がやって来た丘の方角から。いきなり数十騎の馬が凄まじい地響きを立てながら、こちらに向かって駆け下りてきた。

「!!!!」

「・・・・・・!?」

 王妃たちは全員。一瞬そちらに気を取られた。

「・・・・・・・・・・。」

 そのタイミングを狙ったように。馬車が王妃の真横に位置した。

 農夫の息子らしいオトコが。低い声でこう呟いた。オズには聞こえた。

「浅葱(あさぎ)・・・・・!」

「・・・・・!!」

 王妃がオトコの方を見るのと。農夫の息子が馬車から身を乗り出して、王妃に当身を喰わせるのは、ホボ同時であった。

「・・・・・・・っ!!!!!」

 王妃は声も立てずに崩れ落ちた。

 農夫の息子の腕の中に。

 通常の体調であったなら。王妃もこれほどアッサリとはやられなかったかもしれない。しかし。今日、彼の体調は最悪だった。

「王妃さまっ!!!!」

 異常に気付いたオメガ王子が、大声で叫んで荷馬車に引き込まれるクリミア王妃にしがみ付くのと、御者席の老農夫が馬車をクリミアの騎士たちに押し付けて来るのはほぼ同時だった。

「フランソワーズ様あっ!!!?」

「ぐわあっ!!!」

「オメガ王子っ!?」

 いつの間にか、馬から切り離されていたイッパイに野菜を積んだ重い荷台は、バランスを失って、騎士たちの方に倒れこんで来る。

 

(しまった!!!!!!)

 オズは、顔色を変えた。

 騎士は全員、その荷台を避けるために後ろに下がらねばならなかった。

 フランソワーズが・・・・・!!!オズは歯噛みをした。

「・・・・・・!!!!」

 王妃を腕に抱いた農夫の息子は、馬車から切り離した馬に飛び乗った。その王妃にはオメガ王子がしがみ付いたままだ。

「オメガ王子っ!!!!」ルミナスの悲鳴のような叫び声が聞こえる。

「はいやあっ!!!!」

 馬は一気に加速した。農耕馬では無い。

 オズが感じた違和感はこれだった。馬は二頭とも荷馬車を引くような馬ではなかったのである。

「待てえっ!!!!フランソワーズッ!!!!」

 オズはいち早く体勢を立て直すと、王妃を乗せた馬を追おうとした。いかに駿馬でも、3人乗りでは、スピードは落ちる。追いつけるハズだ。・・・・・と。

 

 丘の上から駆け下りてきた騎馬集団が、オズの行く手を阻んだ。

「・・・・・・・!!!!おのれええええっ!!!邪魔だあっ!!!」

 しかも全員が、かなりの手錬だった。

「・・・・・・!!!!」

 手間取る。逃げられてしまう。

 ルミナスを含む残りの騎士も必死で突破しようとするが、相手が多すぎる。

「・・・・・・・!!!」

 オズは強引に突破しようとした。が。右に居たオトコに剣の柄を右肩に当てられ、馬から弾き落とされた。

「・・・・・・・・・。」

 胸を強打して、一瞬息が詰まる。意識が遠のき掛かる。

 その目に。

 ある程度、時間を稼いだオトコ達が、身を翻すのが見えた。

 周りを見ると、クリミア騎士は全員馬から落とされていた。それが、彼らの役割だったのだ。何故かは解らないが、殺意は無い。

「・・・・・・・・・。」

 オズは悔しさで歯噛みをした。まんまとフランソワーズを奪われた。何のための護衛だ!!!

「・・・・・オメガ王子っ!!」

 傍らではルミナスが蒼白な顔で、ハルカ遠くなる砂埃を見詰めて、呆然と立ち竦んでいた。

 

 

「何たる失態だっ!!!!貴様ら、何のために護衛に・・・・・!!!!」

 ライナスは声を震わせて、四人の騎士に怒鳴った。

「・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・。」

 オズを始め、王妃の護衛に付いていた騎士は。唇を噛んで俯いた。全員が無傷では無かったが、少なくとも五体満足だった。五体満足なのに、ムザムザ王妃を何者かに奪われたのである。

 申し開きの余地も無かった。その時。

 ドア付近に慌ただしい気配が漂った。それと同時に。

「・・・・・こ・・・国王陛下・・・・・。」

 クリミア国王ユージーンが、入って来た。

「国境は全て封鎖したんだな。」

「はっ。もはや蟻の這い出る隙間もありません。王妃さま必ずクリミア国内にいらっしゃいます。」

 ライナスが血走った目で断言した。

「今。ありとあらゆる街や村。郊外の廃屋等にシラミ潰しに捜索しております。逐一報告が入る手はずになっております。賊を追い詰めるのは時間の問題です。」

 ユージーンはライナスに向かって頷くと、護衛に付いていた四人の騎士の方を見る。

「・・・・・申し訳・・・・・。」

 全員が泣き出さんばかりに、国王に向かって頭を垂れた。

「・・・・・涙を流すなどど持っての外だっ!!しっかりしろっ!!奪われたモノは、取り返すしか無いっっっ!!!起きてしまった事を悔やんでいても仕方が無い。それよりも。賊について何か気付いた事は無かったか?」

「・・・・・・・名前を。」オズが顔を上げた。

「名前?」

 オズは周りを気にするように、一息置いた。

「・・・・・・・。」

 ユージーンは何かを感じたようにオズに顔を寄せた。オズが耳元で、抑えた声で囁く。

「王妃さまのコトを。浅葱(あさぎ)と・・・。」国王は目を見開いた。

「・・・・・間違い無いか・・・・?」

「はい。王妃さまは、それで一瞬、気を取られたようでした。」

(・・・・・・・エイジア・・・・・・・。)

 ユージーンは舌打ちをした。王妃をその名で呼ぶ人間たちは、限られている。

 性懲りも無く。王妃を連れに来たのか。

 クリミア国王の瞳に、抑え切れない怒りの炎が燃え上がった。

 このクリミア国王から、最愛の王妃を奪おうとする者は・・・・・・。

 ユージーンは、爪が皮膚を突き破るほど強く。両の拳を握り締めた。

 

「・・・居場所が特定されたら、私も出る!」

「はっ!」

 そう言い置いて部屋を出ようとしたクリミア国王は。

「・・・・・・・・。」

 唇を血が出るほど噛み締めているルミナスに気付いて足を止めると、ゆっくりと少年騎士に歩み寄った。

「ルミナス。・・・オメガ王子には、気の毒をしてしまった。済まぬ。」

「い・・・・いいえ。とんでもございません。国王陛下。」

「恐らく、賊は、王妃の故国の者だと思う。そうであれば多分、オメガ王子のお命に別状はあるまい。約束はしてやれぬが・・・・。」

「はい・・・・・。」ルミナスは俯いた。王妃がクリミア国内で賊に拉致されるような非常事態。何が起こっても不思議では無かった。それに優先されるのはクリミア王妃の奪還であって、オメガ王子では無いという事を、ルミナスは良く理解していた。

「・・・・オメガ王子は、王妃を護ろうとして下さったのに。済まぬ。」

 クリミア国王は、ルミナスの肩に手を置いた。

「・・・・・・・・・。」

 ルミナスは唇を噛み締めて、首を振った。声を出すと涙が零れそうなのだろう。

「・・・・・・・・・。」

 オズは。もし、オメガ王子に何かあったとしたら、ルミナスは生きてはいないだろうと思った。そして。

 もし。フランソワーズに何かあったなら。

 自分以外の。オトコの腕の中に居た王妃の姿が目に浮かぶ。

「・・・・・・・・・。」

 オズも自分が平静で居られる自信は、無かった。オズはこの時ハッキリと自覚した。

 もしもクリミア国王から、王妃を奪う人間が現れたとしたら。それは自分でなくてはならない、と。

 

 

「王妃様を、どうするつもりだっ!!!!絶対、お前たちの思い通りになんかさせないぞ!!!」

 オメガは意識を失ったままの王妃を背後に庇ったまま。目の前のオトコたちを睨みつけていた。

「私たちはクリミア王妃に危害を加えるつもりは無い。彼と話がしたいだけなのだ。」

 農夫の格好をしていた若い男は。毛を逆立てたネコのような状態のオメガ王子に溜め息を付いた。

「貴方の事は知っている。浅葱(あさぎ)が可愛がっている、アルテミスのオメガ王子ですよね。」

「・・・・・アサギ・・・・?」

 どこかで聞いたような異国風の言葉の響きに。オメガは、顔を上げて、そのオトコの顔を見た。

「・・・・・・・あ。」

 漆黒の瞳。同色の髪の毛の色。身体つきはハルカにがっちりしているものの、それらはクリミア王妃と同じ。

(エイジア・・・・・!)

 奴らはまた必ず、王妃を連れにやって来る。―――――――

 彼の脳裏に。そう憎々しげ呟いた、クリミア国王陛下の言葉が甦った。

「巻き込んでしまって、申し訳無い。オメガ王子。・・・・私は。クリミア王妃の、血縁だ。従弟なんだよ。」

 それは2人の民族的な特徴を見れば、明らかだった。

「・・・・な、何故、今頃?王妃さまは、クリミアに留まると言っておられたではないですか。」

 オメガの言葉に、王妃の従弟と名乗った男は唇を噛んだ。

「王子は事情をご存知のようだ。確かに、私はサイトウから彼の答えを訊いた。だが。彼の口から。直接、真意を聞きたいのです。そうでなければ、諦めきれない。」

「・・・・・・・・・。」

「約束する。絶対に危害は加えない。話をするだけだ。」

「・・・・・・・・・。」もし。このオトコの言う事が本当なら、王妃はこの男と確かに直接話しを付けるべきなのだろう。オメガ王子は、クリミア王妃の方を見て、唇を噛んだ。

 

「・・・・私も。立ち合わせてください。」

 だが。危害を加える可能性が無い訳ではない。オメガはいざとなれば、王妃の盾となる覚悟を固めていた。

 

 

 フランソワーズは気付け薬を嗅いで、飛び起きた。

「久し振りだ。」

「・・・・・・・!!サナダ・・・・・。伊吹(いぶき)!?」

「ああ。」

「馬鹿な真似を・・・・!ここは、まだクリミア国内か!?」王妃は周りをキョロキョロと見渡す。

「・・・・・お前と直接、話しがしたかったのだ。」伊吹と呼ばれた男は、フランソワーズを真っ直ぐに見詰めた。王妃は、自分より二つ年下の従弟の腕を掴んだ。

「はやく、逃げるんだ!!クリミア国内であれば、ユージーンはスグにここを探し当てるぞ。そうなったら、皆殺しだ。話がしたいなら、そう言えば良かったのだ。」

「例え、正式に申し込んでも、ユージーン殿は、お前に会わせてはくれまい。それに。お前の返答次第では、俺はお前をこのまま国外に連れ去るつもりだ。」

「・・・・・伊吹。」

「・・・・・お前には。エイジアのためとはいえ、本当に苦労を掛けた。国王陛下も死ぬまでずっと気に病んでおられた。オトコを。女として嫁がせるなど。・・・・苦肉の策とはいえ、お前には屈辱の日々だっただろう。」

「何を今更・・・・。今更、そんな事を言ったトコロでどうにもならん。それに。俺の気持ちはサイトウに全て話したハズだ。」

 伊吹は顔を歪めた。

「俺にはどうしても信じられんのだ。お前がユージーン殿を愛しているなどと。エイジアと引き換えに出来るほどに。相手は、10歳も年下の。・・・しかも男ではないか!」

「・・・・・・・・。」王妃は溜め息を吐いた。そして。

「信じられなくとも。事実だ。」

「いいや!俺には、信じられん。俺には。お前が、オトコを愛するなどと・・・・。ユージーン殿が、あるいはお前に惚れるコトはあるかもしれん。それであれば・・・。得心がいくのだ。」

 伊吹は、従弟の美しい顔を見詰めた。そして。

「・・・・もしかすると、お前。ユージーン殿に。何か言い含められているのではないのか?」

 伊吹は探るような視線を王妃に向けた。彼は王妃が国王に、何かで脅されているのではないかと訊いているのだ。

「・・・・伊吹。ユージーンは、そんな悪党では無い。」

 王妃は苦笑した。

「・・・・・・・・。」

 伊吹は呆然とした面持ちで、美しい従弟の顔を見詰めた。美しいが。誰よりも強く立派な男だった。それが、本当にクリミア国王に女性のように愛されてそれで満足しているなどと…。どうしても伊吹には信じられなかった。

「伊吹。・・・・浅葱という名の人間はもう、どこにも居ない。8年も前に、死んだのだ。お前は。その幻影を追っている。」

「・・・・・浅葱・・・・・。」

 王妃は少しだけ笑った。

「八年の間に・・・。俺はクリミアの人間になったのだ。クリミア王妃にな。・・・ユージーンのことを・・・・。」

 王妃は少しだけ言いよどんだ。そして。

「愛している。多分、女のように。」

 王妃は、ふいに昨夜のユージーンの情熱を思い出した。その声を。多分誰よりも愛している、かけがえの無い男の眼差しを。

「・・・・・・・・・・浅葱・・・。」

「エイジアのことを。お前に頼みたい。伊吹。」

「・・・・・・・・・・。」

「伊吹。」

 伊吹は小さく溜め息を吐いた。

「昔。母上が言っておられた。父上を愛して嫁いで来た訳ではないが、夫婦となれば、そのウチに相手が誰より愛しくなってくるモノだと。」

「・・・・・・・・・。」

 伊吹は立ち上がった。王妃から視線を逸らす。

「・・・カタチは違えど。お前の気持ちも同じようなモノなのかも知れぬ。・・・・済まぬ。要らぬ気を回して、お前に辛い思いをさせた。・・・余計な事を言わせてしまったな。」

「・・・・・気にするな。」

 伊吹は、王妃の方を向いて微笑んだ。

「・・・やはり。お前は変わらんな、浅葱。誰より強く優しく、俺の尊敬する立派な従弟殿だ。」

「・・・・・・。」王妃は小さく微笑んだ。

「本当は俺と一緒に戦って欲しかった。自分ひとりだけでは自信が持てなくて、お前に力になって欲しかったのだ。」

「・・・・大丈夫だ。伊吹。お前なら・・・・。ユージーンがクリミアを復興させたのは、20歳前後の事だった。今のお前に出来ぬハズが無い。」

 伊吹は目を閉じた。そして再び開くと。王妃の目を見詰めて、こう言った。

「・・・・・一つだけ。俺の目を見てちゃんと答えてくれ。…本当に幸福なのか?あさ…。いや。フランソワーズ。」

「・・・・・そうだな。多分、普通くらいにはな。」

 王妃は。まっすぐに伊吹の目を見て、答えた。

「・・・・・・・・・。」

 伊吹は笑った。小さな声で。良かったと呟いた。そして。

「・・・オメガ王子。」

 伊吹は振り返ると。自分の背後にある衝立に向かって声を掛けた。

「・・・・えっ?オメガ王子だと・・・・・?」

 王妃はうろたえて衝立の後ろを覗き込んだ。

「・・・・・・・すみません。王妃さま。」

 衝立の影で、いつでも飛び出せる状態で身構えていたオメガは、王妃が自分の目の前に立っても俯いたままその顔を上げなかった。王妃のプライベートに関わる話を盗み聞いたという自覚があった。伊吹が苦笑しながら王妃に言った。

「・・・・・・・・・。王子は。いざとなれば・・・。命を懸けて、お前を護ろうとして下さったのだ。」

「・・・・・・・・・オメガ王子。」

 フランソワーズは。その小さな肩に手を掛けた。かたじけない、と呟いた声は微かに震えていた。

「・・・・・確かに。普通くらいには、お前は幸せそうだよ・・・・。」

 伊吹は笑った。何かが吹っ切れたようだった。

 

 

 

「国王陛下っ!!!!」

「どうしたっ!?フランソワーズに何かあったのか!?」

 鎧を身に着け、大剣を手に。今まさに、執務室を出ようとしたクリミア国王ユージーンの前に、ライナスが飛び込んできた。

「・・・・王妃さまが・・・・。」

「ユージーンッ!!!!」

 ライナスの後ろから、クリミア王妃フランソワーズが息を切らして駆け込んで来た。彼は従弟と別れると、クリミア騎士団の出陣を止めるため、なりふり構わず馬を駆ってきたのである。オメガ王子を伴う余裕すら無かった。

 騎士団が出てしまえば、全て無かった事には出来ない。

「・・・・・・・・・・!!」

「・・・・ユージーン。・・・・頼みが、・・・・ある。」王妃は荒い息を吐きながら、夫を縋るように見た。

「駄目だっ!!!」

 だが。

 ユージーンは憤怒の形相で叫んだ。王妃の言いたい事は見当が付いたが、はそれを叶えてやるつもりは無かった。

 伊吹たちの潜んでいる場所は既に特定されていた。アトは踏み込むのみ。クリミア王妃を攫った人間を、生かしておく訳にはいかない。

 今後のためにも。

「ユージーン!!!」

「・・・・・裁判は受けさせてやる。大人しく投降すればの話だが。」ユージーンはこの上も無く冷たい口調で言い放った。そして王妃を無視して、部屋を出ようとした。

 

「そうか・・・・!それならば、俺たちは近いウチに敵同士だ。」王妃がその背に声を掛ける。

「なに?」ユージーンは振り返った。

「サナダを失えば、エイジア復興の指揮は俺が取るしかなくなる!!その時は、クリミアは敵だ!!エイジアの援軍要請にも応えず、サナダを殺した国などはなっ!!!」

「・・・・・そんな事を。お前がこの国を去ることなど、俺が許すと思っているのか!?ふざけるなっ!!!!」

 ユージーンは辺りが震えるような大声で怒鳴った。

「・・・・敵となったからには、二度と俺の前では眠るなよ、ユージーン!必ず寝首を掻いてやる!!!」

 王妃も負けずに、怒鳴り返す。

「・・・・・!!!」

「本気だ。」

 王妃の瞳に、ユージーンが今まで一度も見たコトの無い、憎しみの炎が浮かんでいた。

「・・・・・・・・・そのオトコのために。俺を、殺すというのか・・・・・。フランソワーズ。」

 ユージーンの声は、いっそ静かなものではあったが。怒りのあまり、震えていた。

「・・・・・・・・・。」

 王妃は答えない。ユージーンを見る目にも、変化は無かった。

「ライナスッ!!!!」

 ユージーンは王妃から目を逸らさずに、叫んだ。

「はっ!」

 ライナスがユージーンの傍らに、膝を付く。

「王妃は誰にも攫われてなどおらんっ!!自分でフラフラと遊びに行っただけだそうだ。国境封鎖は解除だ!ご苦労だった!」

「・・・・・・はっ!」

 ライナスは余計な意見は挟まずに、執務室を飛び出していった。

「・・・・・・・・・・。」

 フランソワーズは、大きく溜め息を吐いて、力を抜いた。

「・・・・・・・・・・。」

 ユージーンは王妃を睨み付けたままだ。国王の怒りの波動が、辺りを凍りつかせていた。

「・・・・済まない。有難う。」王妃は、ユージーンの顔を見ずに、頭を下げた。

「・・・・・・・・。」

 国王はそれには答えず、踵を返すと足音も荒く部屋を出て行った。

「・・・・・・・・。」

 王妃はもう一度、溜め息を吐いた。

 

 

 

「また。ご迷惑を掛けてしまったな。いつもの事だが。オメガ王子。」

 クリミア国王ユージーンは。夕食後。執務室で、王妃に置いてけぼりを喰らってしまって、道に迷い迷い城に辿り付いたオメガ王子に頭を下げた。

「いいえ。…何の役にも立たないのに、王妃様にくっついて行ったりして、ルミナスにも拳骨付きで怒られました。」

「・・・・・・・そうか。」

 国王陛下は苦笑を浮かべて、2人を見る。

「・・・・・・・・・・・。」

 オメガ王子の傍らに立つ、ルミナスは、バツが悪そうに、小さな咳払いを漏らした。その隣に立っているオズも、小さく苦笑を漏らす。

 だが。彼は知っていた。オメガ王子が戻るまでのルミナスの苦悩を。

 彼は確かにオメガ王子を殴ったが。そのアト。

 いきなり王子の足元に跪いて。

『・・・・お願いです。どうか・・・。約束して下さい。もう二度と・・・。二度とこのような無茶はなさらないと・・・・。』

 肩を震わせて、頭を床に擦り付けたのだ

 臣下にそんな思いをさせてしまった自分の迂闊さに、オメガ王子も彼に抱きついて謝りながら泣いていた。

 アルテミスは現在は確かに。まだ取るに足りない小さな国に過ぎないが。

「・・・・・・・・・・。」

 この主従の代になれば。無視できない国になるかもしれない、とオズは思った。

 

「・・・・・お詫びと言っては何だが。」

 クリミア国王は、従者に合図をしてたくさんの絹織物を持ってこさせた。

「母上へのお土産だ。」

「・・・・・・・!!!」

 その色とりどりの美しい布(きぬ)に。

「・・・・・・こんな。とんでもありません。」オメガ王子は、大きく首を振って遠慮した。だが、目はその見た事も無い美しい品々に釘付けだ。

「私の気持ちだ。受け取って下さい。」国王は、オメガを安心させるように微笑んだ。

「・・・・・母上が喜びます。」オメガは心から、そう思った。アルテミスの女性たちがどんなに喜ぶだろうと。

国の女性たちは皆働き者だが、国の貧しさから自分を飾るということに罪悪感を感じてさえいるのだ。装飾品などを買っている姿など、滅多に見ない。

「・・・・・・・・・・・・。」

 ユージーンは、無言で反物のひとつを手に取った。

「変わった色合いでしょう?」

 オメガ王子に示す。

「そうですね。緑がかった青というんですか?」オメガは首を傾げた。何となく異国風の色合い。この辺りでは見掛けない色だ。

「・・・・・王妃の。国の色です。浅葱(あさぎ)色といいます。」

「・・・・!」

「・・・・・。」

「!!」

 オメガ王子。ルミナスそしてオズは、ハッとしてクリミア国王を見た。

「浅葱(あさぎ)というのは、色の。名前です。」

 クリミア国王はハッキリとした口調でそう言うと、3人を見詰めた。一人一人の目を。真っ直ぐに見た。

 その言葉の意味を。3人は正確に理解した。

「・・・・・・・・・。」

 だが、オズは。その名前を忘れるつもりは毛頭無かった。挑むような視線を。クリミア国王に投げかける。

「・・・・・・・・・。」

 それに気付いたのか。クリミア国王は、最後に、真っ直ぐにオズの目を見詰めた。オズも怯まずに見返した。2人の間に小さな火花が散った。

 

 オズとルミナスが騎士団の宿舎に去った後。

「・・・・・国王陛下。」

 客としてのモテナシを受けていたオメガは、クリミア国王に呟いた。瞳が少しだけ潤んでいた。

「王妃さまは。従弟殿に幸せだとおっしゃっておられました。クリミアに嫁いで来られて・・・・。」

「・・・・・・・・・・・。あの野郎が、そんなコト思っているとは、トテモ思えんがな。」

 クリミア国王が苦々しい口調で、そう言った。

「いいえ。あれは王妃さまの本心です。絶対です。」

 オメガは、微笑んだ。

「・・・・・・・・・・。」

 クリミア国王は、腕を伸ばすと、オメガ王子の金色の巻き毛をクシャクシャとかき混ぜた。そして。

「有難う。」小さな声でそう言った。

 

 

 夕暮れになって。

 クリミア王妃フランソワーズは、バルコニーに出て横笛(ようじょう)を吹き始めた。

 あれから。一週間ほど経つが。

 ユージーンは王妃の前に、サッパリ姿を見せていない。当たり前だが、相当怒っているらしかった。

 そろそろ機嫌を取る時期だと、王妃は思っていた。

 奏でる曲は。全て、ユージーンが好んでリクエストをするものばかりであった。

「そんなコトじゃ、誤魔化されんぞ。」

「・・・・・・・・・。」

 背後から聞こえる不機嫌そのものといった声に、王妃は横笛を吹くのを止めて、溜め息を吐いた。

「お前は。従弟のために、俺を殺すと断言したんだからな。俺は、久し振りに本格的に頭にきた。」

 振り返ると、国王は、腕を組んで不機嫌そのものの表情で、仁王立ちをしていた。

「・・・・・どうしたら、許してくれるんだ?」やれやれといった表情で、王妃は国王に訊いた。

「3回に1回、手を抜くのはヤメロ。」

 王妃は苦笑した。

「・・・・・知ってたのか?」

「分からない訳ないだろう。アホか。」

 王妃は横笛を持ったまま、右手で右眉を掻いた。そして。

「・・・・・・まあ。当分は・・・・。」

「・・・・・・・当分?」ユージーンは不満そうだった。

「精一杯、努めさせて頂きます。」

 王妃は微笑んだ。美しい笑顔だった。

「・・・・・・・・。」

 国王は、無言で王妃に近寄ると。

「うわっ!?」

 いきなりその両腿の辺りを右腕に抱き上げて、そのまま寝室に向かう。

 王妃はバランスを崩しそうになって、反射的に国王の首に手を回した。

「・・・・・さっそく、努めて貰おうか。」

 ユージーンは自分の首に手を回したために目の前にある王妃の右腕に噛み付いた。

「・・・・・・・・っ!」

「自分で頑張ると言ったんだからな。覚悟しろよ。フランソワーズ。」

 そしてニヤリと笑う。

「・・・・・・・・て、手加減を。」

 その時。引き攣った笑顔を浮かべたフランソワーズが。そのアト、やっぱりエイジアに帰れば良かったと思ったかどうかは、定かではない。

 

−fin−

 

 基本的に、フランソワーズの本名は出さない予定なので、これは一周年記念(しかも期間限定)の御礼企画です。

 アト。企画ものなので、ちょっとエロくしてみました。苦手だった方ゴメンなさい。でも所詮、にゃむにゃむですから、タカが知れていますけど(笑)。まあ。年下の嫉妬深くて、独占欲が強くて体力のある夫を持つと、王妃さまもイロイロタイヘンなのよ、という感じで(腐)。どんなもんでしょ(笑)?