ろくでなしの神話 3
love story

「・・・何や、早かったんやな。」
 海棠(かいどう) 慎司(しんじ)が、その障子を開いた時。
「・・・一体、何の真似なんだ?」
 上月(こうづき) (しおり)はこの上も無く不機嫌な顔で、いかにも高級そうで重厚な紫壇の磨き抜かれた座卓の前に座っていた。
 築地にある高級料亭。政治家や何かの御用達の店は、建設会社勤務の栞もマッタク縁が無いとは言わないが、少なくともこうして個室に上がったコトはない。せいぜいが玄関脇の小部屋で、上役の接待が終るのを待っていたくらいだ。
「たまには外で、食事をしようと思うたんや。」海棠は上機嫌らしく、ニコニコ笑いながら、慣れた様子で栞の向かいの席に腰を降ろした。
「会社の近くに、ヤクザなんぞにウロウロされたら困るんだ。」栞は眉間に皺を寄せた。会社からの帰宅途中、まだ最寄り駅にたどり着く前に、海棠の配下の人間にホトンド拉致るように車に連れ込まれた。もしも会社の人間に目撃されていたらと考えると気が気では無い。
「大丈夫や。気を付けるように言うとったさかい。」
「・・・本当か?」
「失礼致します。」
 栞が海棠の顔を覗きこんだトコロで、食事が運ばれてきた。懐石らしい。美しく手間を掛けられた高級そうな食材が、色とりどりの高価そうな器に盛られて運ばれてくる。
「後は適当にやるから、良えで。」
 海棠はそう言うと、仲居たちを追っ払った。それから栞を見た。
「魚料理。好きなんやてな。洋二が言うとった。」
「・・・。」
「良え本マグロが入ったと訊いたから、さばかせたんや。喰え。旨いで。」
「・・・さばかせた・・・?」栞が驚いたように顔を上げた。
「・・・あんた。このトコロ食欲無いそやないか。洋二が、どう工夫してもアンマリ食べてくれんて途方にくれとったで。あれでも料理にはそれなり自信があるんや。」
「・・・馬鹿な・・。」
 栞は小さく呟くと、呆然と目の前の料理を見詰めた。こんな一流料亭で、マグロを一匹さばかせたらどれだけの金額になるのか。栞には検討もつかない。
「何で、こんな真似を・・・。」
「馬鹿ってことは無いやろが。良えから喰え。」
 海棠は少しムッとしたようだったが、運ばれてきた料理に遠慮なく箸を付け始めた。
「旨い。」
 海棠はにっこりと微笑んだ。それから顎を上げて、栞に食べるように促す。
「・・・。」
 目の前には、見た事もないような脂の乗った大トロの刺身。思わず咽喉が鳴った。
「・・・。」
 震える箸で、刺身を摘む。醤油皿に身を乗せてほんの少しワサビを載せると、栞は一気に口に運んだ。
「・・・旨い・・・。」
 栞は目を閉じた。
「せやろ。」
 海棠の声は嬉しそうだ。
「旨い。・・・こんな物、食べたこともない・・・。」
 栞が普段食べているトロとは、根本的に何かが違った。ボーナス後などには、大トロの刺身を食べたコトもあるのだが。
「どんどん喰え。」
 海棠はそう言うと、自分の皿の刺身を、栞の方に押しやった。
「海棠。」
「俺はモトモト、大トロより中トロの方が好きなんや。良えから、喰えや。」
 海棠は目を細めて、栞を見た。
「・・・。」
 こんな時。栞は分らなくなる。
 なぜ、この年下のヤクザは。
 自分をこんな目で見るのか。
 まるで、これは。
 これでは。
(愛しい者を、見ているようだ。)
 栞は慌てて海棠から目を逸らすと、目の前の食事に没頭した。余計なことを考えないように。


「旨かったか?良う食べたな。高い金を払うた甲斐があったな。」
 海棠は満足そうだった。だが彼自身は途中からはホトンド食事には手を付けずに、日本酒ばかりを呑んでいた。
「・・・。」
 食後のデザートのメロンを食べ終えて、日本茶を飲みながら、栞は首を傾げた。こんなに食事を食べたのは、何時以来だったかと。久し振りの幸福な満腹感が彼を包んでいた。
「・・・。」
 栞は海棠を見た。目の前の料理のホトンドに、手を付けていない。大トロの刺身以外にも、栞が好きそうだと思ったものは海棠は全て栞の方に皿を持ってきた。まるで栞が食べている姿をサカナにして、日本酒を呑んでいたようでさえある。無意識のウチに、言葉が漏れた。
「・・・何故だ?」
「何がや?」
「・・・好意としても、度を越している。」
 栞には、見当も付かない金額を。海棠はこの一回の夕食につぎ込んだのだろう。
「・・・。」
 瞬間。
 海棠は黙った。それから小さな苦笑を浮かべて、栞から目を逸らした。
「・・・好意か・・・。確かに、好意としてはな。」
 その顔は、少し淋しそうに見えた。だがスグに、気を取り直したように。
「あんた、建設会社の人間やろ?こういう料亭には良く来るんか?」
「接待とかで来ることはあるが、部屋に上がったのは初めてだ。俺は所詮、下っ端だからな。」
 栞はそう言うと、物珍しそうに部屋を見回した。隅々まで気を使って磨き上げられた和室。海棠の背後にある鹿の子模様の襖の向こうには次の間でもあるのだろうか。
「・・・何だか。」栞は小さく笑った。
「ふん?」海棠は口元に持っていった猪口を止めて、栞を見た。
「何だか、時代劇で町娘が悪代官に連れ込まれるような感じの部屋だよな。」栞は何だか愉快な気分だった。
「・・・この襖の向こうには、布団が敷かれとる訳や。」海棠はニヤリと笑った。
「そうそう。布団ひとつに、枕が二つ。何故か、部屋が赤いんだよな。」
 栞はクスクスと笑った。
「・・・。」
 海棠の笑みも深くなる。ふいに。
「?」
 海棠は立ち上がると、襖の前に歩いていった。そして意味有り気な笑顔を浮かべると。
 一気に襖を開いた。
「!!!」
 栞は思わず腰を浮かせた。
 襖の向こうには。
「な!ななななな・・・!!!」
 栞が先ほど想像していた通りの光景が、浮かんでいた。
「・・・背広ってのは、初めてやな。」海棠がスケベったらしい笑みを浮かべて、栞ににじり寄って来た。
「な・・・・!!!」
「マンションでは、あんたいっつも、風呂入ってパジャマ着とるからな。」
「!!!」
「ネクタイが新鮮やで。」海棠は栞の胸元から咽喉に向かって右手を這わせた。
「変態!!!!」栞は叫んだ。
「あーれー、とか言うてみいや、町娘やろ?」海棠は絹ずれの音を殊更響かせて、栞の首からネクタイを引き抜いた。
「いやだ!!チクショウ!!!海棠、止めろ!!!!」栞は海棠の腕の中から逃れようと、必死になって暴れた。
「誰が、逃がすかいな。幾ら投資したと思うとるんや。」
 畳を這いずろうとする栞を背後から押さえ込むと、ずるずると襖の向こうの部屋に身体を引き摺って行く。
「くそうっ!!!変態野郎!!!いやだ!!イヤだったらっ!!!」
「やから、あーれーと言うてみいって。可愛がったるから。」
「・・・このっ!!変態くそ野郎ううううっ!!!!」
 栞は大声で、叫んだ。



「・・・。」
 夜半。
 海棠は窓の障子を開いた。
 料亭の中庭に面した窓には、都心とは思えないような静寂が広がっている。空にはポッカリと満月が浮かんでいる。都会では、星は見えない。だが、月はどこから見ても、やはり美しい。
「・・・。」
 海棠は小さく溜め息を吐いた。

 好意としても、度を越している。――――

 栞の言葉が甦る。
(アホか。何が哀しゅうてこの俺が。債権者なんぞに、好意を抱かにゃならんのや。)
 海棠は、小さく舌打ちをした。
 幾度、肌を重ねても。どうしても近寄るコトの出来ないもどかしさが、海棠の心に重いモノを残す。
「・・・。」
 部屋の中に目をやれば、乱れた布団の上で死んだように眠っている中年男の姿が映る。自分より遥かに年上のハズなのに、無防備に眠っている姿は、時折まるで少年のように見える。
(この男に、俺は何を求めているのか・・・。)
 海棠にもハッキリとは分らない。ただ。何かを。どうしようもないほど切実な何かを。海棠は栞に求めていた。
「・・・。」
 海棠はもう一度小さな舌打ちを漏らすと、顔を伏せた。
「・・・。」
 微かな声が。
 聞こえたような気がしたのは、その時だった。
「・・・?」
 海棠は顔を上げた。
「・・・じ・・・。」
「?」
 それは。眠っている栞の唇から漏れていた。
「・・・慎司・・・・・・。」
「!!!!」
 海棠は弾かれたように、栞を見た。
「・・・栞?」
 海棠は、眠る栞の枕元に大慌てで近寄った。
「・・・栞?俺を・・・。呼んだんか・・・?」
 海棠は自分の息が荒くなるのを感じた。鼓動が高鳴る。
「・・・。」
 栞はブルリと剥き出しの肩を震わせた。その両腕が。
 布団の上で、何かを探すように動いた。
「・・・ああ。寒いんか。エアコンが効き過ぎやな。」
 海棠は慌てて、栞の隣に身体を滑り込ませると、肩に布団を掛け直してやって、しっかりと抱き締めた。
「栞・・・。」
「・・・・・・む・・・?」
 現実(うつつ)と夢の狭間の世界を、栞は彷徨っているようだった。
「栞。栞。さっき俺を呼んだやろ?何や?何なんや、栞・・・?」
 海棠は栞を抱き締めたまま。耳元で小さく。甘く囁く。
「・・・。」
 栞が何か呟いた。
「何や・・・?」
 海棠は栞の口元に、耳を寄せる。

「糞ガキ・・・!!覚えてやがれよ。こんちくしょー。」

「・・・。」
 海棠は呆然と栞の顔を見詰めた。
「・・・。」
 だが栞は。気が済んだのか、微かに頬を弛めると、ヌクモリを求めるように海棠の胸に顔を摺り寄せてきた。
「・・・。・・・おい・・・?・・・寝てるんか・・・?それとも起きて、言ったんか・・・?」
 海棠は栞の顔を覗きこんで確かめた。栞は、もうスッカリ熟睡モードだった。何のつもりか、ごしごしと髪の毛を押し付けてくる。
「・・・あんたて。・・・昔、飼ってた犬みたいや。」
 海棠は苦笑した。そして。
 小学生だった海棠のベッドに。どれだけ叱られても潜り込もうとしてきた愛犬を、思い出した。頭を海棠に押し付けてクンクンと鳴いた。
「・・・。」
 海棠は、疲れ果てたように長い溜め息を吐いた。だが。次の瞬間。
「・・・く・・・。」
 小さな声が、海棠の口元から漏れる。
「くくく・・・。」
 抑えきれない苦笑が。
 海棠の口から漏れていた。
 犬を自宅で飼っていた頃。
 海棠は幸福だった。
「・・・。」
 もう。当の昔に失ったモノ。失った幸せ。
「・・・。」
 栞を腕に抱いていると。海棠は自分がその頃の幸福な気持ちに満たされるコトに、気付いた。
 失いたくなかったモノ。取り戻したいモノ。だが、決して戻ってはこないモノ。
「・・・。」
 海棠は栞をしっかりと抱き締めた。命より大切なモノ。
「・・・心配するなや。ちゃんと覚えとるわ。」
 その言葉は。先ほどの栞に言葉に対する返答。
 海棠からすれば、特に意図のあったセリフでは無かった。
「・・・いつまでも。絶対に忘れへんよ。上月。」
 だがそれは。
 海棠はついに知ることの無かった、栞のたった一つの切なる願い。
「・・・。」
 海棠は栞を腕に抱いたまま、開いていた障子の隙間から空に輝く満月を見た。
 全てを慈しむような、その朧な光。
 まだ誰も知ることの無い。
 (はかな)く愚かで尊い愛の物語を。(それ)は、柔らかに優しく照らしていた。
「・・・。」
 海棠は眠ることなく、その光をいつまでも見詰め続けた。微かな笑みを、口元に浮かべながら。 

−fin−

2004.04.15

 時系列からみて、二人がこういった時間を持てたかどうかは、怪しいですが(笑)。「作品らんきんぐ」上の不動の1位である「ろくでなしの神話3」に敬意を表して(?)。この二人のアマアマの要望も多かったので、頑張ってみました。しかし一旦、エンドマークの付いたもののハナシを書くのはイメージを壊しそうで怖いですね。
 喜んで頂けたなら、光栄ですが。

 じゅん様。7くらいにしてみました(笑)。