君の気高き眼差しに
時は過ぎ行くとも


『わかっているでしょう。接吻は接吻だし、吐息は吐息のまま、何も変わりはしないのよ。例え、どれだけ時が流れてしまっても。』

「As Time Goes By」より


「・・・伊庭さん!」
 雑踏でふいに声を掛けられ、帰宅途中だった伊庭(いば) (あきら)は、顔を上げた。
「伊庭さん。お久し振りです。」
 目の前には。仕立ての良いスーツに身を包んだ真面目そうな中年男が、伊庭を覗き込んでニッコリと微笑んでいた。
「松原さん・・・?」
 伊庭は呆然と、目の前に突然現れた、懐かしい顔を見詰めた。
「・・・。」
 松原と呼ばれた男は、伊庭とは同じ年のハズであった。東京の人間であったが、理由(わけ)有りで一時期は、カナリ親しい付き合いをした。
「・・・驚いたな、懐かしいでんな。今日はまた、どうして大阪に?仕事でっか?」
「ええ。何だか今日は、伊庭さんに会えるような気がしていたんですよ。予感が当たったな。」
 松原は嬉しくて仕様が無いと言った風に、笑みを深くする。
「そうなんでっか?・・・ああ、そうや。社長さんは、お元気ですか?」
「オカゲさまで。勘弁して欲しいくらいですよ。伊庭さんも・・・。お元気そうだ。」
 松原の表情が、ほんの少しだけ翳る。
「・・・。」
 伊庭は微笑んだ。彼と出会った、10年近い昔の日々を思い出す。こうして穏やかに笑いあう二人の最初の出会いは。
 しかし最低最悪の罵り合いから、始まった。


「・・・こちらの用件は、お分かりでしょうね。」
 松原と名乗ったオトコは、伊庭を蔑んだように眺めた。
「・・・さっぱり分りませんね。」
 伊庭はしゃあしゃあと応えた。
 伊庭はこの日。
 仕事の都合により、二泊三日の東京出張に来ていた。
「・・・。」
 苦虫を噛み潰したような苦々しげな顔で、伊庭を睨んでいる男は。
 (たちばな) 将悟(しょうご)の、実の父親の秘書を勤めているというオトコであった。この出張そのものが、彼の仕組んだコトであるのは伊庭は薄々気付いていたし、会社に呼び出しを受けた時は、ついに来たなという感じだった。そして、伊庭と大して歳が変わらないだろうこのオトコが。自分の雇い主の息子(・・)の愛人を、どんな目で見ているかなど、考えるまでも無かった。
「・・・。」
 伊庭は、いかにもエリート然とした松原を、鼻で笑った。
「な・・・!!」
 松原が血相を変える。
 最近、あろうことか仕事上で圧力を加えてきた将悟の父親のことを、伊庭は正直カナリ怒っていた。この秘書が一枚噛んでいるのは間違いの無いところだろう。伊庭は松原を睨み据えた。
「・・・俺は。正直、将悟の父親に会うたことは一度もないし、将悟は父親のコトを蛇蝎の如く嫌っとらしが、俺は何とも思っとらへんし、将悟の一方的な意見を信じる気ぃも無かった。今まではな(・・・・・)。」
 伊庭は腹立たしげに、言った。
「・・・。」松原は無言で伊庭を睨む。
「これからは、別や。将悟の大学の学費は俺が出すつもりやったが、多分、その前に接触してくるやろう父親の出方次第では、俺は将悟との仲を取り持ってやっても良えと思うとったんやけどな。」
「・・・・と、取り持つとは・・・?」
 松原が、少しうろたえたように呟く。
「例えば。父親が学費を出す言うても、将悟は受け取らんやろ。けど、当面は俺から出したコトにして父親が学費を払うといたら良えと思うとったんや。頃合いを見て将悟にその事を言えば良え。将悟も今は若うてまだ頑なやが、もう少し歳がいったら、父親の気持ちも分るようになる日も来るやろ。」
「・・・。」松原は黙った。目の前の。オトコを恋人に持つようなオカマが、そこまで先のコトを考えていることに正直仰天していた。自分達が、将悟の進学前に接触を取ってくるコトも予想していたらしい。だが。
(・・・信用するコトは出来ない。)
 このオカマ野郎が、将悟の父親の地位や財産が目当てで、彼を騙して付き合っていないとは誰も言えないのである。
 その時。
「ふん。いい加減なコトを。金も出さない。出した振りをして将悟の信頼だけを勝ち取る気か。」
 地を這うような低い声が、部屋に響いた。
「・・・!!」松原は振り向いた。
「・・・。」
 伊庭は、その声を発した存在を無視するように、懐からタバコを取り出すと、断りも無く火を着けた。
「禁煙です。」
 苦い顔で呟く松原に向かって、紫煙を吹き付ける。それから、いつの間にか部屋に入ってきて仁王立ちで伊庭を睨み付けている男の方に目をやった。
「似とるな。やっぱり、将悟と。将悟はあんたの血は一滴も入ってないと、言うとったけどな。」伊庭は、自分よりは少し年上だろうハンサムな男に向かって、そう言った。
売女(ばいた)め。」
 男は伊庭を見据えて、ハッキリとそう言った。
「・・・。ふん。たかが売女(ばいた)相手に、仕事上の立場を利用して絡んで来る人間なんぞに何を言われても痛うも痒うも無いわ。」
「何だと。」
「将悟のハナシを訊いとらんかったとしても。あんたは、最低の人間や。」
「生意気な・・・。」
 将悟の父親は、拳を震わせた。
「ふん。やりたいんやったら、やってみい。俺は一人の男として、あんたのコトなんか認めひんで。ケンカやったらしっかり、受けて立ったるわ。それとも今度は俺の会社に俺を懲戒免職にするように圧力を掛けるか?その時は、俺はあんたの息子の愛人やと、ハッキリ言うてからクビになるさかいな!!」
 あんたも、あんたの息子も道連れや、と怒鳴る伊庭に。
「貴様・・・!!息子の将来を、どう思っているんだ!?」
 将悟の父親は、声を荒げる。
「言うとくがな。将悟は、そんなコトでへこたれるような男やない。確かにまだ十代やろうが、あいつは男として立派にその足で立っとる。少のうても立とうとしとるんや!!あんたや俺に出来るコトは、それを見守ってやることと違うんか!!」伊庭は叫んだ。
「・・・。」
 父親が唇を噛んだ。
「言うとくが。・・・俺は、口では負けんで。」
 伊庭は、小さくしたたかな笑みを見せた。目の前の。いかにもエリートでございと言ったオトコたちになぞ、叩き上げの意地に掛けても負けられない。伊庭がそう思った、その時。
 部屋の入り口の辺りが騒がしくなった。
「・・・何事だ?」
 松原が眉間に皺を寄せると、ドアに向かう。だが、彼がドアに辿り着く前に。
「伊庭さんっ!!!」
 それは大きく開かれ。廊下から詰襟姿の大きな少年が飛び込んできた。
「・・・し、将悟・・・?」
 伊庭は仰天したように、ソファから立ち上がった。
「どうして、ここが・・・?」
「このクソ野郎のコトや!!遠からず伊庭さんにチョッカイ掛けて来るやろうと踏んでどったんや。案の定や!!」
 将悟はギリギリと奥歯を噛み締めながら、父親を睨んだ。
「し、将悟さん。お父様は・・・。」
 松原が場を取り成そうと、口を挟むが、将悟の凄まじい一瞥にあって思わず口を噤む。
「伊庭さんに、何かしたら・・・。あんたを殺すで。もし、伊庭さんを傷つけたら・・・。」
 将悟は、立っている伊庭と父親の間に割り込むと、伊庭を背後に庇いながら、父親に言った。
「将悟。俺は、平気や。ちょっと、落ち着け。」伊庭が顔を顰めて、将悟に話し掛ける、これ以上、親子関係を悪化させるコトは伊庭の本意ではない。
「・・・伊庭さんは黙っておいてくれ。これは、俺とこのクソ野郎との問題や。」将悟は伊庭を振り返らずにそう言うと、父親を睨み続けた。
「お父さんと俺は、仕事のハナシをしとるんや。お前のオヤジさんやったんは偶然や。お前とは関係あらへん・・・。」
「無いわけ無いやろ!!」将悟が怒鳴った。
「関係無いのに、伊庭さんを、このオトコが呼び出す訳あらへん・・・!!」
「お前がどう思おうと、無いと言うたら、無いんや!これは、偶然や。良えな、将悟。」伊庭は声を荒げた。
「・・・。」将悟が唇を噛む。
「・・・。」
「・・・。」
 伊庭を除く全員が、口を噤んで伊庭を見た。
「・・・社長さん、松原さん。俺の言いたいコトは、さっき言うたことだけですわ。・・・後は良しなに頼みますな。」
 伊庭はそう言うと、松原と将悟の父親に向かって頭を下げた。
「ほな、今日はこれで。将悟、帰るぞ。」
 伊庭はそう言うと、まだ父親を睨んでいる、将悟を促してドアへと向かった。


「あの時は、度肝を抜かれましたよ。大阪弁で、捲くし立てられたのも勿論ですが、ちょっと脅せば、黙るに違いないと踏んでいた貴方に、真っ向から喧嘩を買われたコトに。」
 二人は近くのカフェテリアでコーヒーを買って、オープンテラスで少し話しを続けた。
「いや。あの時は、俺もちょっと腹を立てとったんですわ。」伊庭は苦笑した。
「・・・それに。貴方は我々を庇って下さった・・・。」松原は伊庭を見た。あの瞬間に、松原の伊庭への印象が変わったのは間違い無かった。
「あんたたちを庇った訳や無い。ああした方が将悟のためやと思うただけや。俺は、自分を罵倒した相手を庇うほどお人よしやありませんで。」伊庭は笑った。松原も。
「でも、何だかあの時。貴方とは、長い付き合いになる、という予感がしました。」
「・・・。」伊庭は俯いた。
「・・・。」松原も、口を噤んで俯いた。
「・・・将悟。泣きよりましたわ・・・。」
 伊庭は俯いたまま、ポツンと言った。
「え・・・?」
「あの後。会社から出た後。」
「・・・。」
『俺は、早うオトナになる。伊庭さんを護れるような、地位もカタガキも手に入れる。他の誰よりも一日でも早う、そうなって見せる。』
「そう言うて・・・。泣きよりましたわ・・・。」
「・・・。・・・そうですか。」
 松原は。その当時の、痛いほど真っ直ぐな目をしていた将悟を思い出して、目を細めた。全身で恋人を護ろうとしていた、オトコとしての将悟の姿を。


 結局。
 それからもイロイロあるにはあったが。大学を卒業する頃には、将悟は父親と和解した。
 似た物親子で、不器用で頑固なコトが様々な二人の間にすれ違いを生んでいた。父親に引き取られていた将悟の妹の紗江子の存在が、結果的には二人を結びつけた。彼女は、二人の間に立って、根気良く仲を取り持ったのだった。
 将悟の父親は、伊庭が出張で東京に出向く度に、どういうルートで知るのかはしれないが、良く食事に誘ってきた。食事の間中、一言も口を利かないコトもあり、伊庭には拷問に等しかったそれを、だが、伊庭は一度も断らなかった。最後に一言だけ。『将悟は元気にやっているのか?』と訊くその男が、伊庭の答えを待ち望んでいるコトを知っていたからだ。食事はその返礼だとも。
 
 将悟の卒業式の朝。
 伊庭のアパートで、スーツに手を通している将悟に、伊庭は問いかけた。
「オヤジさんの会社は、結局誰が継ぐんや?」
「オヤジの再婚相手の息子・・・。俺の義弟か妹の婿やろ。」
「オヤジさん。最後までお前に継いで欲しかったみたいやけどな。」
 伊庭は溜め息を吐いた。優秀な成績で大学を卒業した将悟は、東京の有名な建築家の事務所に就職が決まっていた。
「俺は、建築家になるんや。そのために、勉強してきたんやないか。」
「まあな。・・・良くやったな、将悟。」
 伊庭は小さく微笑んだ。
 伊庭の援助があったとはいえ、将悟は朝夕バイトをしながら、大学に通った。楽な道のりでは決して無かったハズだが、将悟は最初の取り決め以上の援助を伊庭に求めたコトは無かった。
「ほんまに良うやった・・・。」
 伊庭は心底そう思っていた。そこらのチャラチャラした大学生とは将悟は違う、と親馬鹿丸出しで目を細めた。将悟が誇らしかった。
「どや?伊庭さん。」
「うん。好え男や。」
 将悟は、スーツの上着を着ると、伊庭に照れ臭そうに笑った。就職活動にも使った、少しくたびれた安物のスーツだったが、将悟が着ると随分立派なものに見えた。4年の間に、少年は逞しいオトコへと姿を変えた。少年の甘さが残っていた顔立ちは、精悍さを増し、首筋も胸も、頼りなさなど微塵も無いほど厚く逞しくなった。モトモト背の高かった将悟は道行くヒトが思わず振り返るような、立派な美丈夫に成長していた。
「仕事・・・。休んでも良かったんか?」将悟は少し心配そうに、伊庭を見た。
「うん。お前の晴れ姿を俺も見たいんや。カメラもちゃんと持って行くからな。写真は、オヤジさんにも送ったろうな。」
 頑張ったご褒美というのではないが、建築学部を代表して卒業証書を受け取る将悟の姿を見てやりたかった。それは、卒業祝いも就職祝いも、何一つ求めなかった将悟が伊庭に言った唯一のワガママだった。
「・・・。嬉しな。有難う、伊庭さん。」
 伊庭の言葉に、将悟は本当に嬉しそうに笑った。
「・・・。」
 二人は並んで卒業式の会場に向かった。その道すがら。
 有名なブランドのショップを見かけた伊庭は、そこにディスプレイされたスーツに目をやった。日本人にしては大きな体格の将悟に、良く似合いそうなデザインだと思った。
 将悟はスーツも何もかも自分のバイトで賄った。スーツは勿論、大量販店の吊るしで、安いモノだった。行き交う他の卒業生たちの服装は、親掛かりなのかもしれないが、将悟が身に付けているモノより、数十倍は立派なモノばかりだった。就職活動も卒業式も、たった一着のスーツで通した将悟が、伊庭は何だか可哀想に思えた。伊庭が新しいスーツを買ってやるのは簡単だった。だが、将悟は、アクマで固辞したし、彼のプライドを思えば、伊庭も無理強いは出来なかった。
「・・・伊庭さん?どうしたんや?」
 立ち止まったまま動かない伊庭に、将悟が訝しげに声を掛けてきた。
「あ?ああ・・・。」
 伊庭は少しだけうろたえて、将悟に向かって微笑んでみせた。そして・・・。


「そうやったな・・・。」
 伊庭はふいに呟いた。
「どうしました?」松原が声を掛ける。
「いや・・・。大学の卒業式の日に、将悟に言うたコトを、急に思い出したんや。」
 突然の言葉に、松原も戸惑ったようだ。
「・・・何を・・・?」それでも訊いてくる。
「・・・早う出世して、ブランド品のスーツを買うてくれな、て。頼んだんや。」
 本当は。将悟にこういうモノを着せてやりたいと、伊庭は思っていたのだが。口では確か、そんな風に言ったハズだった。
「・・・。」
「・・・そうやった。やから、将悟は・・・。」
 伊庭は唇を噛んだ。何着も何着も伊庭にブランドスーツを買い与えた将悟。
 あの時。
『伊庭さん。こういうんが、着たいんか。』
 そう言って、悔しそうにショウウインドウを睨みつけていた将悟の真っ直ぐな眼差しを、伊庭は思い出した。
『いつか・・・。10着でも20着でも買えるようになるからな。伊庭さん。今は無理やけど、絶対に・・・。』
 唇を噛んでいたオトナになりつつあった愛しい少年の姿を。
「・・・。」
 伊庭は俯くと、目を閉じた。何だか泣きたい気分だった。
(・・・俺が言うたんやったのにな。忘れとって、ゴメンな、将悟。)


「将悟さんの就職先が東京に決まった時、社長は大喜びでした。」
 松原は何かを思い出すかのように、そう言った。
「そうか。そうでっしゃろな。」
「将悟さんが身近にやってくるコトは勿論ですが、これから、伊庭さんも今までより、プライヴェートで東京に来るコトになるだろうと・・・。」
「俺が・・・?」伊庭は訝しげに松原を見た。
「社長は。伊庭さんを、息子の嫁だと思っていたようですよ。伊庭さんをゴルフに連れて行こうと、クラブを一式イソイソと揃えてました。」
「・・・何を・・・。考えているんや・・・。あないに反対しとったクセに・・・。」
「・・・伊庭さんが。将悟さんと別れられたと訊いて、一番ガッカリしたのは、社長でした。いえ妹の紗江子さんは、暫らく将悟さんと口を利かなかったようですがね。」
 松原は、苦い微笑を口元に浮かべて伊庭を見た。
「・・・どういうこっちゃ。息子の恋人がオトコより、女性と結婚した方が家族は普通喜ぶモンやろ。」
 伊庭はそれには、気付かないフリをして、そう言った。
「・・・普通は・・・。」
 松原は、苦笑した。
「ですが。私も社長と紗江子さんも。伊庭さんのファンでしたからね。」
「何や、それ。」
「・・・。」
 松原は笑いながら、腕時計に目をやった。
「ああ、すまん。何か予定があるんやな。つい、引き止めてしもうた。」伊庭はスツールから立ち上がった。
「いえ。引き止めたのは、私の方です。お話をしたいとズット思っていたのですが、機会が無くて。」
 松原も立ち上がる。
「ほならな。お元気で。社長さんにヨロシクお伝えください。」
 伊庭小さく笑う。が。
「伊庭さん。」
 松原は、真剣な顔をして伊庭の目を真っ直ぐに見た。
「・・・?」
「伊庭さんは、ジャズがお好きでしたよね。なら『As Time Goes By』という曲をご存知ですか。」
「ああ。勿論。『キスはキス。吐息は吐息のままで変わらない。どれだけ時間(とき)が経とうとも。』というヤツやろ?」
「そうです。どれだけ時間(とき)が経とうとも・・・。」
「・・・。」
「何も、変わったりはしないと、私も思います。」
 松原はそう言うと、満足したように微笑んだ。
「松原さん。」
「今日はこれで失礼します。・・・ですが、いずれ。きっとまた。・・・必ず。」
 松原はゆっくりと伊庭に頭を下げると、伊庭の答えを待たずに踵を返した。
「・・・。」
 伊庭は、その後姿が雑踏に消えていくのを無言で見送った。
「・・・キスはキス・・・。」
 伊庭は遥か昔の恋愛映画で流れていた曲として有名なそのコーラス部分の歌詞を思い浮かべた。
『わかっているでしょう。接吻は接吻だし、吐息は吐息のまま、何も変わりはしない。例え、どれだけ時が流れてしまっても。』
 伊庭はゆっくりと、瞳を閉じた。
『伊庭さん。俺はあんたを護れる男に、なりたいんや。あんたを居心地良う、甘やかしてやれるオトコにや。』
 将悟が学生時代に、繰り返し語った言葉を思い出す。
 甘く切なく。その言葉は、確かに伊庭をいつも幸せにした。・・・今でも。
 伊庭は小さな溜め息吐いた。
「・・・時は過ぎ行くとも・・・。」
 伊庭は小さく呟くと、空を見上げた。

 時は過ぎ行くとも、心は変わらない。

 伊庭は少しだけ躊躇してから、ゆっくりと歩き始めた。

−fin−

2004.04.18

 希望だけを食べていた時代が、実は一番幸せだったと思うのは、往々にしてあることでしょう(笑)。
 何か、私はジャズに詳しいと思われそうですが、実はマッタク知りません(笑)。訳詩とかを眺めるのが好きなだけです。今回の題名も「時の過ぎ行くままに」かもしれませんが、内容からみて「時は過ぎ行くとも」の方を選択しました。
 まだまだ子供で(精神年齢が)、ジャズを聴くと眠ってしまうんですよね(笑)。
 
 この間、メールを下さったM様。
 お返事で、質問に答えるのを忘れておりました。加納は栞に振られてから、伊庭に出会ったという設定です。まあ。ちょっと時系列整理しなきゃ、年齢的なモノが可笑しい気もしますが(←いい加減)。あはは。