我が愛しきやくざに捧ぐ
<ろくでなしの神話3 番外編>

 多分。
 肩がぶつかったとか。足が当たったとか。
 原因はそんなコトだったと思う。

「このクソ餓鬼があっっ!!!舐めとったら、いてこます(・・・・・)ぞ、コラァッッッ!!!」
「・・・っっ!!」
 夜半を過ぎた盛り場。
 乱立する雑居ビル。その狭間の忘れ去られたような、狭い汚い路地裏で。
 仲本は。明らかに。カタギ(・・・)とは言えない風体の男に、胸倉を掴んで捻り上げられた。
「・・・。」
 正直。泥酔しているため、5分前のコトもよく覚えていないが。
 だが、何となく。スナックで今自分と取り囲んでいるチンピラたちと些細な事でトラブルになって、ココに引き摺り出されたコトは覚えている。
「・・・。」
 激昂しているチンピラたちに向かって。仲本は、ふいに微笑んだ。
「なんや、テメエッ!!」
 チンピラたちが、その笑みを見て一気に殺気立つ。だが仲本は、少しも怖いとは思わなかった。自分よりハルカに若いオトコたち。お前たちは本当の絶望など知るまいと。仲本は笑いが止まらなかった。
 もう、どうでも良いのだ。
 自分など、もうどうなっても良い。
「お前ら、何で関西弁を喋ってるんだ?ここは東京だぞ。」
 仲本は笑いながら、殺気立ったオトコたちを見回した。我ながらロレツが怪しい。明日は二日酔いは間違いないほどグデングデンだ。もう。
 どうでも良いことだが。
「何やと!!」
 仲本を取り囲んでいるチンピラたちの周りの温度が、急に下がったような感覚を覚える。だが、仲本の口は止まらない。こんなに滑らかだった事など無かったかもしれない。顔色を変えている男たちのサマが、愉快で仕様が無かった。
「関西の田舎者が、大都会の東京に何の用だ。」
「・・・っ!!!」
 仲本が、敢えて放った挑発に。
 我慢が利かない年齢の。若いチンピラたちは、見事に嵌まってくれた。
「・・・っ・・・。」
 自分に向かって降ってくる。硬い革靴や、固く握った拳の感覚を鈍く感じながら。
 ほんの4日前までは。
 こうしたモノを死ぬほど恐れていた自分を、思う。
「・・・。」
 守るべき妻と娘のために。
 人生を踏み外すコトがないよう。
 レールを外れるコトが無いよう。
 同僚と飲みに行っても、暴力的な気配のものには決して近づかなかった。だが。
「・・・。」
(もう、どうでも良い。・・・何もかも。何もかも、終わった。)
 男たちの怒声を頭上に聞きながら、容赦ない暴力に身を任せ、仲本は意識を手放そうとしていた。
 殴り殺されなくても。ボロ布のように傷ついた身体を、このままココに放置していってくれれば、朝までには、死ねるかもしれない(・・・・・・・・・)と。だが。

「・・・お前ら。何を、やっとるんや。」

 そんなセリフと、場にそぐわない静かな声が。失いかけた仲本の意識を、現実(この世)に引きずり戻した。
「あっ!」
「・・・か。かしら・・・。」
 仲本に殴る蹴るの暴行を加えていたチンピラたちが。
 バツが悪そうに、動きを止めたのを感じた仲本は。腫れ上がって開き難くなっている瞼を懸命に開いて、声の主を見た。
「・・・。」

 まだ若い男だった。

 他人を威圧する事に慣れているような声音とは裏腹に。
 男は、仲本よりも若そうだった。チンピラたちとは違い、スーツ姿にきちんとネクタイを締めている。ちょっと見には、どこかのベンチャー企業の若き社長が何かのように見える。だが。その全身から漂う雰囲気は。仲本が良く知っている世界の人間たちとは、違う。そして、自分を暴行していたチンピラたちともぜんぜん違う、格上の迫力があった。
「・・・。」
 だが。
 そんな事は、今の仲本には何の意味も持たない。
 相手が誰であろうと。
(・・・誰だって。誰だって同じだ。俺を殺してくれるなら・・・。)
 仲本は、やっぱり笑った。
 絶望というものを、あんたは知るまい。
 普通であれば。
 震え上がるだろう暴力の気配を漂わせるその見るからに上質そうなスーツに身を包んだ、ただものとは言えないオトコを。仲本は笑いながら、睨んだ。
「・・・・くくく・・・。」
「・・・っ!!」
「このっ!!!」
 思わず笑い声を漏らした仲本に。チンピラたちが血相を変えて、もう一度殴りかかろうとする。多分こいつらの上司なんだろう。仲本は思った。ヤクザに上司という言い方が通用するならば、だが。サラリーマンなんかより、よっぽど上司を慕っている訳だ。仲本は笑いが止まらない。自分の会社で、飲み屋で悪口を言われない上司など居るのだろうか、ヤクザの世界の方が、どこか健全な気がする、と。
 だが、チンピラたちが仲本に殴り掛かるコトはなかった。
「・・・やめんか!ココをどこやと思うとる。東京や。俺らのシマとは違うんや!!」
 若いヤクザは、仲本の嘲笑など屁とも思っていないようだった。
「・・・。」
「しかも。相手はどう見ても、カタギさんや無いか・・・。カタギ一人に複数で襲い掛かるとは、どういうこっちゃ?えぇぇ?石黒?」
 そのヤクザは、少し振り返りながら多少ふざけた口調で、そう言った。
「・・・地回りやと、もっとマズかったですがね。」
 ヤクザの背後に居る彼より年長に思えるヤクザが、嫌そうな顔をしてそう言った。
「石黒。こいつら、キチンと躾けろ。どんな末端でも、ウチの組のモンや。東京モンに付け込まれる原因を作ってどないするつもりや。」
 命じられたヤクザが顔を強張らせるほどの、ゾッとする様な声音。人に命令し慣れている口調。
「・・・。」
 凄まじい怒りが、仲本を捕らえた。
 こいつなど。
 他人の命など。屁とも思っていないに違いない。
 ヤクザのくせに。ヤクザのくせに。
 仲本などよりよっぽど良い暮らしをしているに違いないのだ。
「・・・。」
 仲本の脳裏を。100円ショップで細々した雑貨を嬉しそうに買い集めていた妻の笑顔が過ぎった。
 人並みの収入ではあるが。贅沢はさせてやれなかった。いつか家を買おうと、色んな我慢をして、一生懸命頭金を貯めていた妻。
 許せない!!何が!?誰が!?
「・・・何だよ。もう、終わりか・・・。」
 気が付けば。刺々しい声を出していた。
「・・・。」
 若いヤクザは。
 ボロ切れのように路地に転がっていたサラリーマンが、自分に向かって声を出したのに、多少驚いたようだった。だが。苦笑しながら仲本に対した。まるで、あやす(・・・)ように。さも。こんな自暴自棄なカタギには慣れているかのように。
「・・・あんたもな。カタギのサラリーマンがヤクザなんぞに絡んでどうする。ヤクザで良かったんやで。大陸系やったら、今頃生きてへんで。」
 チンピラに対するとは比べ物にならないような優しい口調で、仲本に言う。
「・・・。」
 適当にあしらうつもりなのは、見得見得であった。仲本はカッとした。
「・・・待てよ。逃げるのか。」
 仲本は、踵を返そうとしたヤクザのズボンの裾を掴んだ。
「・・・。」
 ヤクザは、これ見よがしに溜め息を吐いた。
「・・・ええ加減にするんやな。大怪我。することになるで。」
「はっ!!あはは。大怪我!?望むところだっ!!」
 仲本は、大声で笑った。
「・・・。」
 ヤクザはギロリと仲本を見た。そして。
「あんた・・・。幾つや?」
 目付きとはそぐわない。優しいとも言って良い声で、そう訊いた。
「・・・歳なんか。知ってどうする・・・。」
「35歳くらいか・・・。」
 ヤクザは溜め息のように、そう言って。じっと仲本を見詰めた。
「・・・喪服か・・・。」
 そう呟いた。
 確かに。仲本が着ている服は、ただのスーツでは無かった。道路に転がったせいで埃塗れ泥塗れの血まみれになってはいたが、喪服と言われるものだった。
「・・・。」
 何故か。ヤクザの視線に堪え切れず。仲本は思わず顔を背けた。途端。
「・・・あんたにも、イロイロあるんやろうが。自分を大事にするこっちゃ。あんたが死んだら、泣くヤツも居るやろ。後悔するコトになるで・・・。」
 ヤクザはそう言うと、仲本に背を向けた。
「・・・っ!!!」
 仲本は視線を戻した。どうしようもない。
 自分でもどうしようもない怒りが。
 仲本の体内を食い尽くしていた。叫ぶ。絶叫する。
「ふざけんなあぁっっっ!!!何も知らないくせにっ!!何にも知らないくせにっ、適当なコトを抜かすなああああっっ!!!」
 仲本は、ヤクザに縋り付いた。
「俺はっ!!どうなったって良いんだっ!!!生きている理由も。気力も。無くした!!俺にはもうっ!!もう、何も残っちゃいないっっ!!!」
「・・・。」
 ヤクザは。眉間に皺を寄せて、仲本を見下ろした。だが。仲本の激昂は止まらない。
「女房も・・・。娘もっ!!死んだっ!!!一瞬だった。結婚して10年。娘が生まれて9年。その日々が、一瞬で終わった!!!馬鹿な大学生の酒酔い運転で・・・!!!一瞬だっ!!!10年が、たったの一瞬でお仕舞いだああっ!!!!」
 悲鳴のように叫ぶ。ヤクザを睨み付ける。八つ当たりでも何でも良かった。だが。
「・・・気の毒やが。俺には関係あらへんな。」
 ヤクザは静かに言った。
「・・・か、関係ないっ・・・!?」
 仲本は、絶句した。呆然と。ヤクザを見詰める。
「せや。俺には関係あらへん。」
 感情のカケラも見えない声で。そのヤクザはそう言った。
「・・・っ!!!!」
 仲本は、両腕で顔を覆った。その肩が大きく震える。
「・・・。」
 ヤクザには、立ち去ろうとする気配は無かった。ただ。黙って、仲本を見詰めている。
「殺せよっ!!!」
 涙と鼻水を撒き散らしながら、仲本が絶叫した。
「・・・何やと?」
「ヤクザだろぉっ!?他人を殺すコトなんか、どうとも思ってないんだろっ!!!殺せ、殺せよ!!俺を殺してくれよおおおおっっ!!!」
「・・・。」
 その若いヤクザは。
 ゆっくりと。仲本に近づいた。
 彼の背後に居る。側近らしいヤクザが、ハッと息をのむ気配がした。
 若いヤクザは仲本を頭上から見下ろしながら。傲慢に言い放った。
「・・・死にたいヤツは、とっとと死ねや。」
「・・・。」
 仲本が唇を噛んで、ヤクザを見上げる。
「・・・舌かんでも。首を吊っても、死ねるやろ。とっとと自分で死ねや。」
 唇には。嘲笑が浮かんでいた。
「・・・。」
「死ねっ。」
 その言葉に。仲本の身体が一瞬大きく震えた。そして。顔色が、白から蒼く。そして、だんだんと赤くなっていく。
「・・・何にも。何にも知らないくせに・・・。」
 仲本は、戦慄(わなな)く唇で、呟く。瞳は怒りを称えてギラギラと光っている。
「ああ、知らへんなあ。何や、死なんのか?女房子供の後を追う度胸も無いんか!?」
「うるさいいいいっ!!!」
 仲本は、叫んだ。
「・・・やったらっ!!手伝うたるわ!!石黒ぉっ、チャカ出せ!!」
 仲本の興奮が伝わったかのように。
 若いヤクザは、激昂していた。背後を振り返りながら、叫ぶ。
「カシラ・・・。」
 彼の背中に張り付いているようなヤクザが。躊躇して、若いヤクザの顔を覗き込んだ。
「良えからっ、出せっっ!!」
「・・・。」
 部下が。しぶしぶ出した、拳銃を、若いヤクザは、仲本の前に投げた。
「それを口に銜えて、引き金を引けや。一発や!!脳みそ撒き散らして死ねるでっっ!!!」
「!!!」
 仲本は、呆然とその黒光りのする物体を見つめた。
「・・・拾わんかいっ!!拾うて、口に銜えろ!!!」
「・・・っ!!!!」
 その怒鳴り声に、仲本はとっさにソレ(・・)を手に取った。途端。その。ずっしりとした、冷たく硬質な手触りに、ゾッと身が竦む。
「・・・。」
(くわ)えろ。」
 そう命じるヤクザを見た。思わず。縋るような目をしていたかもしれない。
「・・・。」
(くわ)えんかいっ!!!」
 だが。ヤクザは容赦しなかった。
「・・・。」
 仲本の両手は、ブルブルと震えた。仲本の意識には無い涙が、後から後から頬を伝う。それでも必死に銃口を口に含んだ。
「引き金を。引けっっ!!」
 ヤクザはボロボロ涙を流す仲本を見ても、少しも躊躇しなかった。
「・・・。」
「死にたいのやろがあぁっ!!引けやっ!!引かんかいっ!!!」
 ヤクザは。
 鬼の形相で、仲本に迫った。
「・・・っ!!!!」
 限界だった。
 仲本は呻き声とともに、銃を放り出すと、道路に蹲って大声で泣いた。
「うわあああああああっ!!安美っ!!美智ぃっっっ!!!!」
 交通事故で、あっという間に奪われた。命より大事だった妻と子の名前を呼んだ。
 愛していた。愛していた。嘘じゃない。
 自分の命より、こんな命より。よっぽどに大切な存在だったのだ。この命と引き換えに。妻と娘が戻るなら。仲本は絶対に躊躇わない。躊躇うわけがない。
「・・・。」
 ヤクザは、しばらく無言で号泣する仲本の姿を見ていたが。
 やがてポツンと。先ほどの激昂など少しも感じさせない、静かな声で呟いた。

「死ねんのやったら。生きるしかないわな・・・。」

 生きるしかない。生きていくコトしか出来ない(・・・・)
「・・・っ!!!」
 仲本は、泣き叫んだ。
「・・・。」
 ヤクザは、無言でゆっくりと仲本に背を向けた。そして今度こそ淡々と。
 そう淡々と。仲本から遠ざかって行った。
「・・・っ!!!!」
 その背中を。ぼやけた視界に納めたまま。仲本は声を上げて泣き続けた。



 それからどの位時間が経ったのか。仲本には分からない。
 何度か太陽を見たような気もするし。違うような気もする。夢を見たような気もする。妻と子が、傍で心配そうに仲本を見ていたような気もする。そして。あの引き金を。確かに引いたような気もしていた。

「・・・何を、しとるんや。」
 仲本は、ぼんやりとその声の方を見た。
「・・・。」
 あのヤクザが。呆れたような表情をして、そこに。立って居た。
「・・・あれから。ずっとココに居ったんか。」
 どれだけの時間が経っていたのか、仲本には判断が付きかねたが。
 それには答えず。仲本は、言った。
「・・・あの銃。俺に、売ってくれないか・・・。」
 ふいに。思い付いたコトだった。
「銃?」
 ヤクザは、訝しげだった。
「・・・ああ。」
「手に入れてどうする?」
「妻と娘を殺した大学生を、殺す。」
「・・・。」
「・・・あれは。殺人だっ!!!・・・っなのに・・・。」
「・・・。」
「あの大学生は。絶対に死刑にはならない・・・っ・・・!!」
 命より。大切だった、妻と娘。
 仲本は。
 決死の目で。ヤクザを睨んだ。勿論。彼には何の関係も無いことは分かっていたが。
 この理不尽を。
 やるせなさを。
 誰かにぶつけなければ、堪え切れなかった。
「・・・。」
「娘は・・・。意識を失うまで、ずっとパパ、パパと俺の名を呼んでいたそうだ。俺に助けを求めていたんだ。痛くて、苦しくて。俺に助けを・・・・。」
「・・・甘えるな。」
 ヤクザは、キッパリと。仲本を、断罪した。
「何だと!!」
「銃が欲しかったら、今はどこででも手に入るやろ。ネットででも探してみたら、どうや。」
「・・・っ!!!」
「あんたは、結局やる気が無いんや。世間の常識から外れる気にはなれんのや。」
「う・・・。うるさい!うるさいっ!!」
「・・・。」
 その通りだった。仲本は涙の浮かんだ暗い目で、ヤクザを睨み上げて唇を噛んだ。噛み締めた唇が切れて、赤い血が滲んだ。
 ヤクザは。溜め息を吐いていた。
「・・・責めとる訳やない。タダのサラリーマンが、普通に切った張った出来る訳ないやろ。ヤクザかて、怖いんやからな。」
「・・・。」
「あんたは、何もかも失ったと言うた。けどホンマは違う。友達かて、肉親かて、まだ居るやろ。あんたが死んだら、泣くやろ?」
「・・・。」
「・・・生きいや・・・。」
 若いヤクザは、静かに言った。
「・・・月並みかもしれんが。この世には、どんなに生きとうても、死ぬ運命しか持ん人間(ヤツ)も居るんや。」
「・・・。」
 確かに。それは、誰もが語る月並みな慰めの言葉だった。だが。
 仲本は、その言葉に。
 ヤクザの言葉の持つ響きに、何かを感じて顔を上げた。その瞬間だった。

「海棠っっ・・・・!!!!!()ったああああああっ!!!!」

 悲鳴のような叫び声が、聞こえた。
「・・・!」
 仲本に見えたのは、銀色に輝く何か(・・・)
 それを脇の辺りに構えた若い男が、かなりの至近距離から仲本とヤクザに向かって凄い勢いで突進してくる。
「・・・っ!!!くそがああっ!!!!」
 凄まじい勢いで。ヤクザが仲本の身体を右腕で抱きこんだ。そして。
「・・・!!」
 微かな、衝撃。
 大勢の怒号。
「ああ・・・。」
 仲本は、呆然とヤクザを見た。
 改めて見ると、ヤクザは大きな男であった。仲本の身体は、彼の身体にスッポリと覆われていた。そして。光る銀色のモノは、ヤクザの二の腕辺りに潜り込んでいた。
「・・・っ。このガキ・・・。」
 ヤクザは、地を這うような声でそう言うと。
「・・・ぐぎゃ・・・っ!!」
 その腕の一振りで、突っ掛かってきた若いオトコを張り飛ばした。
「カシラッ!!大丈夫でっか!?」
 この間会ったときも彼に影のように寄り添っていたオトコが、血相を変えて駆け寄って来た。
「大したコトない。平気や。」
 ヤクザは自分の腕に刺さったナイフを、チラリと見て言った。
「・・・。」
 確か石黒と呼ばれていたヤクザは。ヤクザの傷を確かめるように見ていたが、ちょっと顔を顰めると。
「ナイフはこのままで。医者に、見せましょう。」
 そう言うと、ナイフが刺さっている箇所の少し上を何かの布で縛った。
「・・・。」
 二人の背後では、凄い怒号が飛び交っている。
 怒声と血。白刃。

 ついこの間まで、仲本には何の関係も無かったもの。これからも。関係ないだろうもの。

「・・・。」
 呆然と。ヤクザの腕の中で立ち竦んでいる仲本を。
 ヤクザは、信じられないほど優しい表情を浮かべて、見た。
「・・・。」
 仲本は。初めてこのヤクザの顔を、見たような気がしていた。
 美しい男であった。
 個々のパーツは端正に整い、その中でも大きな二重の瞳がタレ気味で、愛嬌がある。
 さぞや、女にモテルだろうと、思わせる美貌であった。
 そのヤクザが。まるで宝物を護るように仲本を抱いたまま、小さく言った。
「石黒・・・。」
「はい。」
「・・・今度は、(まも)ったで・・・。」
「・・・。」
 石黒と呼ばれているヤクザは、それには答えず頭を下げた。そのまま、なかなか顔を上げようとはしなかった。

「・・・。」
 仲本は放心状態で、ずっと若いヤクザを見上げていた。
「・・・。」
 その仲本を。
 ヤクザは、じっと見返した。そして。
「・・・っ。」
 ふいに小さな呻き声を漏らすと、乱暴に仲本の頭を後方に引いた。ヤクザの顔は、奇妙に歪んでいた。そして。
「・・・昔っ。」
 ヤクザは苦しそうに呟いた。
「・・・?」
「・・・昔。あんた位の。普通のサラリーマンを知っとった・・・。」
「!!!!」
 そして、そう言うが早いか。噛み付くような口付けが仲本の唇に降って来た。
 飢えたような。切羽詰ったような、ソレ(・・)
「・・・ん・・・。」
 不思議と。嫌悪感はなかった。
 身動きひとつ出来ない。
 その逞しく、温かく。力強い腕の中で。仲本は奇妙な安心感を覚えていた。幼い頃、母に抱かれた時に感じたような。
「・・・っ。」
 その時。
「・・・しぉ・・り・・・。」
「・・・!」
 ヤクザが誰かの名を、呼んだような気がした。
「・・・。」
 通常なら考えられないが。
 仲本はヤクザの逞しい身体に腕を回した。自らその唇に唇を押し付ける。
「・・・み・・・ちっ・・・・・っ!!!」
 仲本は。
 ヤクザの唇に、熱い舌に自ら溺れながら、愛しい娘の名を叫んだ。
 パパ、パパと。最後まで呼んでいたという娘。
 ごめんな。ごめんな。助けてやれなくて。
 何の力も無い。役立たずの父親でごめんな。
「・・・んぁ・・・っっ・・・。」
「・・・!!!」
 二人はまるで。溺れる者が何かに縋るように、互いの身体に縋りついていた。まるでセックスのように、身体をまさぐる(・・・・)
「・・・・っっっ!!!!」
 仲本は、叫んだ。
 恨んでいる。憎んでいる。二人を殺した男を。
 だが。
 それ以上に、情けなかった。
 無力な自分が。どうしてもやれなかった己が。
「・・・ごめんなあ・・・。」
 仲本は。
 どこの誰とも知らないヤクザの腕の中で。
 泣いた。許しを請いながら、泣き続けた。










「・・・。」
 それから、ヤクザは。
 暫らく無言で、じっと仲本を抱き締めていたが。
「生きい。」
 もう一度。命じるように、そう言った。そして、ゆっくりと仲本の身体を放した。
「・・・。」
 仲本は、ぼんやりとヤクザを見上げた。
「・・・。」
 仲本を腕に抱きながら。
 誰かの名を呼んでいた、このヤクザの声が脳裏によみがえる。
「・・・。」
 恋しさの。溢れる声音であった。胸が潰れるような、哀しい声であった。
 仲本は、目を伏せた。
「・・・あんた。天国を、信じるか?」
 ヤクザは唐突にそう言った。
「・・・え・・・?」
「信じろ。」
「・・・。」
 何と答えて良いのか分からず。仲本は視線を彷徨わせた。だが。
「あんたは、善人そうや。そのままいったら、あんたはいつか、天国で妻子に会える。」
「・・・。」
「・・・羨ましな。」
「・・・。」
「羨ましい・・・。」
 その瞬間。
 そのヤクザは。
「・・・。」
 夜の闇に消え失せそうな。儚げな表情で微笑んだ。
「・・・っ!!」
 その時。
 仲本の頬を、思いもよらない涙が伝った。
 このヤクザが憐れで。可哀想で。涙が止まらなかった。
 このヤクザの絶望が、仲本には分かった。
 彼は。もう二度と会えないのだ。例え命を引き換えにしたとしても。
「・・・くっ・・・。」
 胸が張り裂けそうだった。
 自分以外のために涙を流したのは、本当に久し振りだった。
 嗚咽する仲本に。
「達者で暮らせや。もう、会うことも無いやろけどな。」
 ヤクザは、そう言うと。
 ゆっくりと踵を返した。そして。
「・・・。」
 二度と振り返ることなく、夜の闇に消えていった。
「・・・。」
 仲本が、涙にぼやけた視界でこのヤクザの背中を見送るのは、これで二度目だった。そして。
「・・・。」
 生涯にもう二度と無いことだと、彼には分かっていた。








「・・・。」
 仲本は。葬式以来、帰っていなかった自宅アパートの部屋の前に立った。
 何日振りなのか、思い出すコトも出来ない。
「・・・。」
 忌引き休暇は終わったのだろうか。時間の感覚が曖昧になっていて、今日が何日なのかも分からない。このご時世、下手したらクビかもしれない、と小さな溜め息とともにドアの鍵を開けようとした。
 途端。
「仲本っ!!!」
「仲本さんっ!!」
「智っ!!!」
 誰も居ないハズの家の中から、何人もの人間が飛び出してきた。
「馬鹿野郎っ!!!」
「ふらっと居なくなりやがって・・・っ!!!」
「お母さんは、お前が自殺でもしたんじゃないかって・・・っ!!わあああああっ。」
 裸足で自分の身体にしがみ付いて泣く、老いた母を見ながら。
「・・・ごめん・・・。」
 死ななくて良かった、と本気で思った。
 仲本の行方を捜してくれていた友人や同僚。
 皆が怒りながらも泣いていた。

 あんたが死んだら。泣くヤツも居るやろ。

 あのヤクザの声が、聞こえたような気がした。



 それからの日々は。
 淡々と過ぎていった。
「・・・。」
 ふとした弾みで甦る。胸を掻き毟りたくなるような、寂寥感や悲しみは。まだまだ癒えるコトはないが。
 それでも。
 日常生活のなかで。
 少しづつ。少しづつ。
 思い出の中に埋没しつつあるのを感じる。
「・・・。」
 いつか。
 いつかは。
 妻や娘の写真を見て、微笑む日が来るような気がしていた。そして。素直に二人も、それを望んでくれているような気がした。



 その穏やかな日々のなかで。
「・・・・」
 仲本は願う。心を込めて、祈りを捧げる。

 ほんの一瞬だけ触れ合った。
 あの。
 もう二度と逢うことも無いだろう、あの若いヤクザの上にも。

 こんな風に。穏やかな日々が過ぎていっていますように、と。
 どうか。彼にとっても、時間(とき)は。優しくありますように。
 
 と。

−fin−

2005.04.09

 長らく。本当に長らくお待たせ致しました<(_ _)>。
 数々の優しいお言葉、本当にありがとうございました。暫らくぶりなので、イマイチかもしれませんが(いや。今までも充分イマイチなんですが、笑)。イロイロ途中まで書いていたんですが、どれが最初に出来上がるかと思っていたら(←おい!!)「ろくでなしの神話 3」番外編がまず出来上がりました(笑)。様子を見て(?)、リハビリ企画、3周年記念企画に変更するかもしれません。
 本当に久々のUP。少しでも楽しんで頂けたら、本当に本当に嬉しいです。