その日。
勝又 翔と風間 零一朗は。久方振りに、二人きりで会っていた。
(・・・・怒ってやがるな。)
風間 零一朗は、港区にあるホテルの有名な日本料理店の座敷仕立ての豪勢な個室で。
いかにも高級そうな懐石料理と日本酒を味わいながら、彼としては。本当に滅多に無いコトだが。目の前に座っている男の顔色を窺(うかが)っていた。
「・・・・・・・・・・。」
零一朗と向かい合わせの席に座っている勝又 翔は、この30分の間ずっと無言で、眉間に皺を寄せたまま詰まらなそうに杯を舐めている。
普段の、天使もかくやというばかりの得意の(?)笑顔も一切見せず。ついでに三度の飯より好きだという零一朗の顔も見ようともしないで、窓から見える綺麗に手入れされた日本庭園を睨むように見ている。
(・・・・・何か、マズイ事を言ったかな?)
零一朗は、小さく溜め息をついて、この席に着いてからの会話を反芻した。といってもそう長く話していた訳ではない。食事が始まってから10分くらいで、既に勝又の機嫌は悪くなっていた。
だが今夜最初会った時には、これ以上は無いというほど勝又は上機嫌だった。
ということは、そのわずか10分の間に、零一朗が勝又の機嫌を損ねるようなコトを言ったかシタことになる。
「・・・・・・・・・。」
勝又という男は、他人に滅多に怒った顔を見せない。怒り狂っている時でも、大概はニコニコと可愛らしく笑っている。それはそれで恐ろしいとはいうものの、長い付き合いでもあからさまに、うわ怒っているなあ、という姿を見たのは2、3回に過ぎない。
「・・・・・・・・。」
その勝又が、思いっ切り怒っている。俺は物凄く不機嫌だと言わんばかりのオーラが、全身からビリビリと出ている。
怒っている勝又は、歳相応に見えた。40歳後半のいかにも仕事の出来そうで高給取りといった風な、強烈な『雄』の匂いを放っている。
こう言っては何だが。カナリ渋くてカッコ好い。だが零一朗は、格好の好い勝又はどっちかというと苦手だった。
「勝又。何が、そんなに気に入らないんだ?俺、何か言ったか?」
「・・・・・・・・。」
堪り兼ねたように言った零一朗の言葉に、勝又はチッと舌打ちをした。そして、さも憎々しげに彼を睨み付けた。
「・・・・・・・。」
まるで子供のようだ。零一朗は溜め息を吐いた。オトナっぽくてカッコ良いと思った意識を訂正する。かなりオトナ気なく怒ってやがる。
確か、仕事のコトを少し訊いたような気がする。それが原因だろうか。
勝又は仕事上の敵が多い。いや、ストーカー紛(まが)いに、彼に異様に心酔している一部の人間を除けば、敵しか居ないと言ってもいいくらいだ。
零一朗が退職してからは、特にそうだろう。皆が、勝又が失敗するのを手薬煉(てぐすね)引いて待っている。そのプレッシャーは物凄いものがあるハズだ。さすがの勝又も、煮詰まっていたのだろうか。
「・・・・・・・。」
零一朗は首を振った。
いや。そんな可愛らしいタマなら、誰も苦労はしない。
零一朗の脳裏に、勝又を陥(おとしい)れようをした人間が辿った悲惨というしかない末路が、おぼろげに甦る。今更ながら、元直属の上司として胃が痛くなりそうだ。
「おい。いつまでも、そんな風なら、俺は帰るぞ?」零一朗は杯を置いた。勝又の機嫌を取ってまで、酒を飲むつもりは無い。
「ふん。お前でも一応気になるのか?俺のことが?」
勝又は暗い笑みをみせた。
「・・・・・・・・。」
「だが言ったトコロで、仕様があるまい。俺が不快だからと言ったトコロで、お前が譲歩した事が今までに一度でもあったか?」
「そりゃ。しょっちゅうとは言わんが、一回や二回は譲っただろう?」零一朗はちょっとムッとした。
「いいや。一度も無い。お前が俺に譲歩したことなんて。」
勝又は、断言した。
「・・・・・・・・。」
零一朗は、一瞬言葉に詰まりながらもそんなハズは無いだろうと思った。無いだろうとは思ったが、具体的な事例が頭に浮かばない。仕方なく。
「・・・・・・いいじゃないか。お前だって俺以外の誰かに何かを譲ったコトなんて無いだろう。タマにはそういうのも。」
若干、開き直ったような言葉を吐いた。
「・・・・ほらな!お前は、所詮そういう男だよ!!!」
勝又は、杯を乱暴にテーブルの上に叩き置いた。
「お前なんか、誰にも何も譲らねえクセにっ!!!一回くらい謝れ!!!素直に俺に謝ってみろ!!!」
「・・・・・・・・。」
勝又の剣幕に怯(ひる)みながら、零一朗はふと思い出した。
『手前・・・・!!謝らねえつもりか・・・・!!』
凄まじい目つきでそう言って、零一朗を詰(なじ)った若かった頃の勝又を。
あの時は。明らかに零一朗のミスで勝又が死にかけたのだった。
だが。零一朗は確か二枚舌三枚舌を駆使して、口先三寸で上司等を丸め込み、自分が悪いとは絶対に認めなかった(←アクマ)。あの時は確か。勝又がぶちキレて、ふっ飛ばしかけたのだった。
皇居を。
(・・・・・もしかして、ヤバイか?)
零一朗は、勝又の顔をマジマジと見詰めた。
勝又は、滅多に怒りを顕わにしないだけに、キレると、とんでもない事態になるコトがある。分かってはいた。謝った方が無難だと。勝又がこうして怒っている以上、零一朗が何かシタことは多分間違いない。理由も無いのに怒るほど、勝又もヒマじゃ無い。だが。
「理由も分からないのに、謝れるか。」
零一朗は胸を張った。
零一朗の負けず嫌いもハンパじゃない。他人に謝るのが、死ぬほど嫌いなのだ。社会に出てからは、正しい間違っているではない。丸め込んだ方が勝ちだと悟り、口喧嘩では負けた事が無いと豪語する零一朗は、考えてみるとホトンド誰にも謝った事が無い。
「・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・。」
まさにハブとマングース。かつて宮内庁において、色々な意味で恐れられた二人組。
二人は無言で睨み合った。
「・・・・・俺は、今夜、物凄く楽しみにしていたんだ。あんたが退職してから、二人キリで食事をするなんて、滅多に無い事だからな。」
勝又は、ギラギラした目で零一朗を睨み据えたまま、呻くように言った。
「あんたも、すっかり出不精になって、どっか行く時は、大概ジョウが一緒だし。」
「・・・・・・・。」
「俺は一週間前から、楽しみにしていたんだ。」
確かに、今夜の食事の約束をしたのは一週間前だった。
「・・・・・・勝又。」
零一朗も何が原因かは分からないものの、少しは悪かったかもしれないと思って、勝又の顔を覗き込んだ。その途端。
「もう、ウンザリだ、ちくしょうっ!!!勝手にしろっ!!」
そう怒鳴ると、勝又は口を噤んだ。
乱暴に懐からタバコを取り出すと、口に咥える。
「・・・・・・・・・・・。」
零一朗は無言で、勝又が馬鹿みたいにプカプカ紫煙を吐き出すのを見ていた。
ここまで勝又が怒っているというのに。まだ零一朗は原因が分からない。
「・・・・・・・・・。」
零一朗は脂汗が出てきた。
瞬間。
「・・・・ちくしょうっ!!」
勝又は聞くに堪えない言葉で、零一朗を罵りながら。
「・・・・・・・!!!」
いきなり重い座卓を、一撃で蹴り飛ばすと、さすがに仰天している零一朗の両肩を抑えてその場に押し倒した。
「ふざけんな。ちくしょう。俺を一体何だと思ってやがる!?」
勝又は今夜のために、一週間も前から零一朗の好きな酒を用意し、料理メニューに注文をつけ、一番静かな個室を用意してあった。だが何もかも台無しだと思うと、腹が立って腹が立って仕様が無かった。
このままでは、収まりが付かない。
「か・・・・!!勝又!!!?」
「・・・・・・零・・。」
勝又は。零一朗の身体に跨(またが)った体勢で、不敵な笑みを唇に上らせた。
「・・・・もう良い。別に謝らなくても良いさ。」
「・・・・・・・・。」
「その代わり、今夜は俺のベッドに入ってもらうぞ。」
「なっ!?何で、代わりがソレなんだっ!?」
「・・・・嫌なら、この場で犯す!!」勝又の瞳が鋭い光を帯びた。
「おい・・・。」
「本気だ。」
「・・・・・・・・。」
「・・・・・仲居が来ようと、誰が来ようと。俺は誰に見られようが、別に気にならねえ。・・・お前は知らんがな。」
「・・・・・・・。」
勝又の目の色を見て、零一朗は血の気が引くのを感じた。本気だ。
「・・・・・・・。」零一朗は、無意識に首を振った。
「・・・・・ここで犯(や)られたいなら、それでも良いぜ。」
勝又は小さく笑いながら、零一朗のネクタイの結び目に手を掛けた。
「・・・・落ち着け。勝又。」零一朗は自分の声が掠れているのを意識した。
「俺は落ち着いている。うろたえているのは、あんたの方だ。」
勝又は小さく笑った。
「・・・・・・・・・。」
「大人しくするなら、ホテルのスイートで抱いてやる。お姫様のようにな。」
「あのな、勝又。」
「喧(やかま)しい!!言い訳なんぞ聞きたくもねえ。だいたい、俺が。この俺が?どれだけ我慢して待ってやったと思ってやがるんだっ!!」
勝又はそう叫ぶと、零一朗のネクタイを一気に解いてワイシャツのボタンを引きちぎった。
「・・・・・!!!」
露わになった真っ白な肌。美しい鎖骨に、勝又は喰いついた。思いっ切り歯を立てる。
「痛っ!!・・・ちょ!!!」零一朗はもがいた。だが、馬鹿力を誇る零一朗を以ってしても、勝又の身体はビクともしない。逆に両手首を取られて、女のように畳に張り付けられた。昔、スタンガンで麻痺させられた時を除けば、零一朗にこんな格好をさせられるほど、力で勝る男は勝又以外にはいない。
「選べ、零。ここかホテルか?」勝又は余裕で零一朗を見下ろすと、容赦無く言った。
「・・・・・・・・・。」
零一朗は生唾を飲み込んだ。
「・・・ここで良いのか?」
勝又は猶予を与えるつもりは無いようだった。薄く微笑むと零一朗のスラックスのベルトに左手を掛ける。
「・・・・ほてるっ・・・!!」零一朗は、勝又の手を掴むと必死の形相で叫んだ。せめて時間だけでも稼がなければ。
勝又は怖い。最強の男だ。
本気になられたら、絶対に敵わない。そして、ヤルと言ったら絶対にヤル。
まずい。やばい。
零一朗は、必死でこの場から逃れる方法を探して頭を巡らせた。瞳が忙(せわ)しなく辺りを彷徨う。だが。それを嘲笑うように。
「何を考えようが、無駄だ。」勝又の声が頭上から降ってきた。
「・・・・・・・・!!」
地の底から響いてくるような低い声に、零一朗は息を呑んだ。
「逃がさんぞ。零」
勝又はスッと右目を眇めた。
「・・・・服装を整えろ。俺は別に乱れたままでも構わんがな。」
「・・・・・・・!!!!」
零一朗がシャツの前を合わせた、その時。
誰かの話し声が、廊下から聞こえてきた。
どうやら仲居と客が、何か話しているような感じだった。
「・・・・・・・・・!」
ふいに。
何故か勝又の意識が、急にそちらに逸れたのを感じた。
「!!」
その隙を逃さず。零一朗は、右足で思いっきり勝又の股間を蹴り上げた。
「・・・・・ぐ!!!」
零一朗の手加減なしの一撃を受けて、呻く勝又の身体の下から、零一朗は大慌てで抜け出した。そし転がるように、個室を仕切る襖を開いた。恥だの何だのと言ってられない。
そこには。
「・・・・・何だ。やっぱり零一朗か。声がそうだと思ったぜ。・・・・勝又も居るんだろ?」
大吾が能天気な顔をして笑っていた。どうやら漏れ聞こえる声を聞いて、勝又と零一朗が居るのではと仲居に聞いていたらしい。
もの凄い偶然だった。いや偶然ではないのかもしれないが。
どちらにしろ、助かった。
「・・・・・どうかしたのか?」
零一朗の真っ青な顔色に気付いたのか、大吾が怪訝そうに零一朗の顔を見ると同時に視線を後ろに流した。
「・・・・!!!」
途端に、顔を強張らす。
「・・・・・・・・・・・。」
零一朗も自分の背後から、まるでブリザードのような冷たい気が吹き付けてくるのを感じた。彼は恐ろしさのアマリ、振り返るコトが出来ない。
こ・・・・。殺される・・・・!?本気でそう思った。
「・・・・・・何してやがる、手前・・・・・・、櫻。」
地の底から這い上がってくるような声が。
二人を包んだ。
「・・・・・・・。」
「俺のやるコトにはコトゴトク邪魔に入りやがるな。・・・わざとなのか?」
「・・・・・・?」
大吾は。
何だか戸惑ったような、助けを求めるような視線を。零一朗と勝又に交互に充てていた。
「・・・・・・それで、何で俺は、いきなり勝又に張り飛ばされたんだ?」
勝又に吹っ飛ばされた大吾は、殴られてガクガクする顎を押さえながら、土間に仰向けに倒れたままで傍らに座っている零一朗を見た。
「・・・・・・さあな。イロイロ溜(た)まっていたんじゃねえか?・・・イチチ・・・。」
零一朗もぶん殴られた右目の辺りを仲居たちが大慌てで用意してくれた冷たい氷と濡れたタオルで押さえながら、素知らぬ顔で答える。勝又は二人をモノノ見事に張り飛ばしたアト。モノも言わずに姿を消してしまっていた。
「・・・・・俺はどう考えても、お前のトバッチリのような気がする。」
大吾は零一朗に剣呑な視線を向けると、軽く頭を振りながら、上半身を起き上がらせた。
どう見ても、零一朗より酷く殴られた大吾の男らしい顔には、微かな怒りが見えた。
「・・・・・・俺は知らん。勝又の虫の居所が悪かったんだろう・・・・?」
零一朗はアクマでとぼける。
「・・・・・・・。」
大吾は舌打ちをすると、零一朗を睨み付けた。
それからやっと零一朗の乱れた服装に気付いたように、眉を上げた。
「・・・・・何だ?勝又に襲われたのか?まさか?・・・・野郎、俺が邪魔したか怒ったって訳か?」
「まあ・・・。そういう訳でも無いんだが・・・・。」
零一朗はネクタイを結び直しながら、呟いた。
「お前。一体、何やったんだ?勝又は何であんなに怒ってるんだよ?あいつが少なくともお前に対してあんなに怒るなんて、ハッキリ言って珍しいぞ。」
「・・・・・それ(が分かれば、苦労は・・・・・。」
「・・・・・お前って野郎は・・・・・。」
大吾は盛大な溜め息をつくと、あきれ返ったように零一朗を見た。
「勝又にも、ちょっと同情するぜ・・・。」
しかし。
それから。低い声で。
「・・・だが、ソレとコレとは別だ。あの野郎、覚えていろよ。許してくれと、泣き叫ぶホドのメに遭わせてやる。」
そう言うと、小さな笑みを浮かべた。
それを(。
「・・・・・・・。」
零一朗は訊かなかったフリで、明後日の方を向いた。
−to be continued−
2004.02.01
さて。ここまでは、どうというコトもありません(?)。零一朗、危機一髪(笑)。
問題は後編です。速やかに引き返す方は引き返して下さいませ(笑)。
よござんすね!?よござんすか!?責任は取りませんよ!?