愛 人

(後編)

「・・・。」

 その夜。

 櫻 大吾が。

 勝又 翔のマンションの無機質な色合いのインテリアで統一された、ヒトのヌクモリのマッタク感じられないリビングに入ると、途端に何とも場所にそぐわない安っぽいソースカップ焼きそばの暴力的な匂いが漂ってきた。

 まるでショールームのようなリビング。

 高級そうな応接セット。センス良く並べられた家具やオーディオや大きなテレビ。ホームシアター用だろう設備。だが、それらのドレにも、この部屋の主の匂いが感じられない。勝又の趣味や好みといったモノの気配がマッタク無いのだ。いかにもインテリアデザイナーに任せましたと宣言しているような部屋。美しく整えられてはいても、けして居心地が良いとはいえない。

「・・・・あんな高級料亭に居たクセに、結局、晩飯はソレか?」呆れたように言いながらリビングの入り口に、ノッソリと立っている大吾を横目に見て。

「大きなお世話だ。」勝又は、割り箸を横に口に咥えて手で引っ張り、二つに割る。それから青海苔を袋を破ってソースの掛かった麺に振りかけた。

「・・・。」

 手加減抜きで殴られて。実は少し、というかカナリ怒りモードだった大吾だが、カップ焼きそばの麺をソースになじませようとと真剣な顔で割り箸で掻き混ぜている勝又を見て、何だか毒気を抜かれてしまった。

(妙なオトコだ。)

 つくづく思う。

 まるでアタマの悪い成金並みに、高級品しか手にしないように見えて、こういうヘンに庶民嗜好のトコロもある。ちなみに大吾が知っている限りでは、カップ麺はカレーヌードルと赤いきつねが好きらしい。

「いただきます。」

 勝又は礼儀正しくそう言うと、豪快にズルズルと麺を吸い上げた。唇に付いたソースと青海苔を赤い舌が素早く舐め取っていく。

「・・・。」

 大吾はそれを見て、微かに身体の奥に灯り始める熱を意識しながら、勝又の座っている本皮のソファの隣に腰を降ろした。

「・・・・痛かったぞ。」大吾はそう呟いて、顎を撫でる。

「・・・・。」

「まだ、顎がガクガクしやがる。零一朗の右目も、ありゃ当分痣が消えねえな。」

「ふん。」

 そう言って勝又は、あっという間に食べきったカップ焼きそばの容器を放り出すと、飲みかけの缶ビールに手を伸ばした。

「・・・・・・。てめえ、何であそこに居た?」

 勝又が剣呑な眼差しを大吾に向ける。

「偶然だ。」

「ウソつけ。そんな都合の良い偶然があってたまるか。」

「・・・・・・そうだな。零一朗と手前を二人っきりにしたくなかったとでも言えば、気が済むのか?」

 大吾は口の中で小さく笑うと、勝又の反応を(うかが)うように視線を充てた。

「・・・・・・。」

 勝又は、大吾の視線(ソレ)に気付いて、不愉快そうに小さく舌打ちをした。

「何で、今日はあんなに、怒ったんだ?零一朗の無神経は今に始まったコトじゃねえだろ?」

 大吾の言葉に。

「・・・・くそったれ。」

 思わずといった風に。勝又が声が漏らす。たかがこんなことで。と勝又も思わない訳ではないが、今日はどうにも腹が立って仕様が無かった。

 零一朗は勝又と二人で会っている時、よく時計を見る。それを見ると、勝又は本当にイライラした。まるで早く帰りたいと言われているようで、何度もやめてくれるように言ったのだが、零一朗は気にも留めていない。それがホントに腹立たしい。

(せっかくの夜がだいなしだ。)

 今夜のために、一週間も前から零一朗の好きな酒を用意し、料理メニューに注文をつけ、一番静かな個室を用意してあったというのに。零一朗は席に着くなりいきなり時計を見たのだ。

(ふざけんな。ちくしょう。俺を何だと思ってやがる。)

 勝又は唇を噛み締めた。

「時計だと?」

 大吾は、呆れたように呟いた。

「ああ。」

「それで、キレたのか?」

「ああ。」

「・・・・・。俺は、そんなコトで張り飛ばされた訳か・・・。」

「そういうコトだ。」

「・・・あれは、零一朗のクセだ。俺と居る時も良くやる・・・。仕事上で、何か意味があるのかと思っていたぜ。」

 大吾は勝又から視線を外すと、スーツの内ポケットから取り出した煙草に火を点けた。それからもう一度、勝又を見据えた。

「それで手前は。ドサクサ紛れに零一朗に、襲い掛かりやがった訳か?」

「・・・・・。てめえなんぞが現れなきゃな。今頃、良い目を見れてただろうぜ。」

 笑いながら呟く勝又の言葉に、大吾の目付きが険しくなる。右目を微かに眇める。

「・・・・シャワーを浴びたいなら、その位は待っててやるぞ。」

 大吾はそう言いながら、紫煙を吐き出した。

「・・・・何だと?」

 勝又は、自分見ている大吾を睨み付けた。

「必要無いなら、ベッドに行け。それほど飢えているなら、俺が貴様が空砲も出なくなるまで、愛してやる。」

 大吾は煙草を、乱暴な仕草で灰皿の上で揉み消して、勝又を睨み返した。

「・・・ざけんなよ。」

 勝又が唇だけで笑った。だが瞳は剣呑の光を宿し、少しも笑っていない。次の瞬間。

「俺を抱きたいなら。」

 勝又は大声で叫ぶと、飲んでいた缶ビールを大吾の身体に叩き付けた。

「どうか抱かせて下さいと、(ひざまず)いて乞えっ!!」

「・・・!!」

 肩に当たった呑みかけのビールの缶から、茶色の液体が飛び散り、大吾の身体を濡らす。

「・・・・・っ!」

 大吾は低い声で何か罵りながら、勝又の腕を掴んだ。

 わずかな攻防。

「・・・いてっ!!!」

 勢いがやや勝った大吾が、勝又をそのまま冷たいフローリングの床の上に、乱暴に押し倒す。

「・・・っ!!」

 その瞬間、肌に当たる床の冷たさに、大吾は眉を顰めた。

 これだけの設えのマンションなら、床暖房も完備だろうに、一度も入っていた試しが無い。大吾は妙に物悲しい思いで、そのコトを考えた。

 心地良いもの。快適なもの。

 勝又は、そうしたものが嫌いなのだ。

「・・・・・っ!!」

 何時だったか。

 真夏の熱帯夜に、大吾がこの部屋を訪れた時。

 エアコンを付けることもなく。窓を閉め切った状態で、上半身裸でクラシック音楽を大音量で聞いていた勝又の姿を思い出す。

 室温は50℃を超えていただろう。

 そんな部屋で。

 勝又は、流れ落ちる汗を拭おうともせずに一人で水割りを舐めていた。どこを見詰めているのだか、分からないような目で。

「・・・!!」

 その姿を見た瞬間の。

 胸を抉る様な凄まじい痛みを。大吾は思い出した。

 この男(勝又)。人の優しさを、知らない。

 そう直感した瞬間に、大吾の胸の奥、深い部分を走り抜けた泣きたいホドの激しい哀しみを。

「・・・。」大吾は、今、この瞬間に思い出していた。

「・・・何て顔をしてやがる・・・・。」

 勝又は、その大吾の感情を読んだかのように小さく笑った。

「・・・・。櫻、俺に何も求めるなよ。」

 勝又が、大吾に圧し掛かられたまま、呟く。

「・・・俺が。お前に一体何を求めた?」

 大吾は真上から、勝又の瞳を捕えたまま離さない。

「零が・・・。俺には決して与えないモノを、与えようとしている。・・・だろ?」

「・・・。」

 大吾は勝又の瞳を見詰めたまま離さない。

「要らないんだよ。」

 そう言った勝又が唇を噛み締めるのを、大吾は見た。

 大吾は、一瞬瞳を閉じてから、気持ちを落ち着けるように息を吸った。そして目を開くと同時に問いかけた。

「・・・欲しくはないのか?」

「・・・。」

「・・・欲しくはないのか、勝又?」

「・・・要らない。」

「俺は。欲しくないのか、と訊いているんだ。」

 今夜の大吾は、物分かりの良いオトナの振りをして、引くつもりは無いようだった。勝又の顎を掴むと至近距離からその目を覗き込む。嘘も欺瞞も許さない牡の目で。

「・・・・。」

 勝又は無言で、自分の顔を抑える大吾の手に右手を這わせた。そして。

「・・・要らないんだよ、俺は。櫻。」

 静かに目を閉じた。

「・・・。」

 かつて。

 求めても求めても、得られなかったモノ。

 当の昔に諦めたモノ。

 俺は。

「・・・・もう(・・)、要らない。」

 欲しかったのは、遥かな昔。現在(いま)ではない。

「・・・勝又。」大吾は溜め息を漏らす。

「・・・櫻。お前は、零の目を通して俺を見た。」

 勝又は両目を開いた。自分を見下ろす男を見詰める。

「・・・。」

「零という男が・・・。あの信じられない程の公平な目線を持った、優しい男が居なければ。お前は、俺を見たりはしなかった。櫻、今と同じ目線では。」

「・・・。お互いさまだろう?」

 勝又は首を振った。

「俺は、零の。・・・・傍に居たい。あの優しいオトコの目に入る一番近くに居たいんだ。誰よりも・・・っ!!手前よりもな!!!」

 例え、何も与えてくれなくとも。あのオトコと出会ったから、俺は。

 こうして生きてココに居る。

「俺は、あのオトコを愛している。」

 勝又の言葉に、大吾は瞬間、顔を歪めて顔を逸らした。そして、ゆっくり溜め息を漏らすと、もう一度勝又の瞳を見据えた。

「勝又。お前は、永遠に、アイツの唯一無二の存在にはなれん。」

「うるせえ。」

「零一朗は、確かに誰も忘れやしねえ。誰も見捨てやしねえ。俺とお前の違いはな、勝又。俺が10代であの優しいオトコに出会えたからだ。」

「うるせえっ!!!」

「会えて良かったと、心底思えるオトコと。人生にとって、大切な時期を生きたからだ。だから、俺は、お前にならずに済んだ。」

「・・・っ!!」

「零一朗は傍に居る。お前が望もうと望むまいと。必要な時に振り返れば、あいつは必ずソコに居る。そういうオトコだ。だが。」

「・・・・。」

「だが。誰もアイツの唯一無二の存在にはなれん。お前だけじゃない。俺もだ。」

「・・・。」

 大吾はもう一度大きく溜め息を吐くと、勝又に覆いかぶさって首筋に顔を埋めた。

「頼むから分かれよ。分かってくれよ。お前の一番近くに居るのは、俺だ。勝又。」

 勝又を抱き締める腕に、力を込める。

 そして顔を上げると、再び勝又を見た。勝又も大吾を見た。

「・・・・そうだな。それは、認めるよ。だがな、櫻・・・。」

「・・・。」

 勝又は続きを言おうとはしなかった。無言で大吾の顔を引き寄せると、彼の唇に自分のそれを重ねる。

「・・・。」

「・・っ。」

 口付けは。

 すぐに深いモノに変わっていった。

 

 

 

 

 

 

「・・・・・。」

「・・・・・・っ・・・・。」自分の身体の上を辿る、大吾の指先に勝又は小さな声を漏らす。

「・・・・翔・・・・。」

 愛しげに自分の名を呼ぶ愛人の。逞しい背中に勝又は意図的に爪を立てる。

「・・・・っ!!!」

「櫻・・・。」

 痛みに顔を顰める大吾の耳元に、勝又は甘い声を囁く。睦言のように。

「お前は俺になりたくなかったのかもしれないが、俺はイマの自分が嫌いじゃねえぜ・・・。」

「・・・っ!!」

 大吾は、顔色を変えた。

「零一朗に出会えなかった俺でも。」

「勝又・・・。」

 あえぐように大吾が唇を、戦慄かす。だが何かを言おうとした言葉は、諦めたように宙に消えた。

「別に構わない・・・。」

 勝又は鮮やかに微笑んだ。

「・・・。」

 大吾は唇を噛んだまま、勝又を抱く両腕に更なる力を込めた。同時に、大吾の背中に食い込む爪も深くなる。

「・・・。」

「必要なのは、ヤリたい時に、身体を満たしてくれる誰かだ。・・・誰だって。構わない。」

「・・・・。」

 大吾は答えなかった。そして。ゆっくりと、だが乱暴に身体を進めた。

「・・・っ!!うあああっっ!!!」

 強引に押し入られる感覚に、勝又が悲鳴を上げて仰け反る。

「・・・覚えておけ。」

 大吾も、微笑んでいた。

「それでも。・・・俺の全てはお前のモノだ、翔。お前が、どんなに要らないと言ってもだ。」

「・・・・ざ・・・・。ざけん・・な・・・。」

 勝又が痛みではなく快楽を得ようと、息を吐き出しながら、小さく悪態をつく。

「・・・ふん。まだ、憎まれ口を叩く余裕があるようだな。」

 大吾はニヤリと口元に笑みを浮かべると。

「・・・・・っ!!!」

 勝又の腰を掴んで容赦なく、大きく揺さぶった。

 

「あっ!!あっあっ・・・!!あああっ!!!」

 快楽には、トコトン正直な勝又の身体が、痛み以外の悲鳴を漏らし始めた時。

 大吾は激しく突き上げながら。勝又の耳元で小さく囁いた。

「零一朗は・・・。」

 大吾は、小さく溜め息を漏らした。汗が飛び散る。

「お前を愛しているよ。」

 そして。勝又の身体を包み込むように、逞しい腕の中に抱き締める。

「・・・・・!!!」

 勝又は、その瞬間。大きく身体を震わせて、()った。

 自分でも意識出来ていないだろう涙を。目尻から流しながら。その涙を。

「・・・っ!!!」

 勝又に引き摺られるように、ほぼ同時に達しながら、大吾は。

 見ない振りをして目を閉じた。

 

 

 

「・・・。」

 勝又が、シャワーを浴びてリビングに戻ると。

「・・・帰ったか・・。」

 大吾は既に、居なかった。

 リビングに。

 大吾の吸い残した外国製の煙草の、濃厚な馨りが漂っていた。

「・・・・・分かりやす過ぎだぜ、櫻。」

 勝又は小さく苦笑する。

 知っていた。

 大吾が、いつの間にか煙草の銘柄を変えたコトを。

「・・・・意外に少女趣味な野郎だ。」

 勝又は溜め息をついて、ソファに腰を降ろした。

「・・・。」

 全て勝又のモノだと言う男。その温かな腕。優しい吐息。

「・・・馬鹿馬鹿しい・・・。」

 勝又は小さく呟いた。そして。

「・・・・。」

 勝又は大吾の残した吸殻と同じ銘柄の煙草を、傍らのチェストから取り出すと、唇に咥えた。

 何かを。

 忘れ去ろうとするように。

 

 誰かを。

 想うように。

 

−fin−

 2004.02.01

   

 やっぱり勝又はイロイロ紙一重の危ない男ですね(笑)。それを承知で引き受けようなんて人間は、「神々の眼差し」を見回しても大吾と零一朗くらいしか居ませんさ(笑)。

 年に一度のにゃむにゃむのワガママに付き合って頂いて有難うございます。楽しんでいただけたなら、幸いなのですが(笑)。

 それでは。また、来年(?)。同じ季節に、お会いできれば幸いです(爆爆笑)。

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