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24. 願い
玄関先までベンツを乗り付けて、海棠は憤怒の表情を隠そうともせずに荒々しく車から降た。同時に素早く彼の前後を石黒たち組員が固める。
「上月はどこや!?」
玄関まで出迎えた辰巳を見ると、海棠は噛み付くように叫んだ。
「・・・さっき帰ったトコロだ。入れ違いだったな。」嘘では無かった。
辰巳は、海棠の態度に血相を変えて集まってくる組員たちを、目で制しながら対した。
「適当なコトを言うなや!!ここに来た事は分かっているんや!!!」当然ながら海棠は修まらない。
「・・・・お前が疑う気持ちは分かるが。帰ったのは本当だ。今さっき不破に、お前のマンションに送らせた。お前が来るかどうか分からなかったんでな。まだ着いていないかもしれないが、確認してみろ。」
「・・・・・なんや。前と随分態度が違うやないか・・・。」
「・・栞が。お前との争いは止めるように言いにきた。栞の説得に納得をしたという事だ。」
「・・・・・・・。」
海棠は疑わしそうな顔で、辰巳の顔を見詰めた。だが。
「・・・・カシラ。どうやらホンマみたいです。まだ到着はしとらんようですが、洋二に今から帰ると上月さんから連絡が入ったようです。」
携帯電話を手にした石黒が、海棠に言った。
「・・・・・妙やな。」
「何がだ?」
「あんた。俺と話す事も嫌がっていたやろう?いくら上月が説得したから言うて・・・・。そんなに簡単に納得するもんなんか?」
「・・・・納得出来んか。」
「出来ん。・・・なんぞ、上月に交換条件でも出したんか?」
「・・・・・・。」
辰巳は苦笑した。確かに、こんな説明ですんなり納得するようでは、ヤクザなど。少なくとも上の立場は勤まらない。
「・・・そうなんやな。上月に何を約束させたかは知らんが。そんなんは無効や。俺の知らんトコロで上月に妙な真似はさせへんんで。」
海棠はすっと。眼を眇めた。生まれた時からヤクザに囲まれて育った辰巳でさえ、薄ら寒くなるような眼差しだった。
「・・・・お前のオンナだからか。」
「当たり前や。」
「・・・・・。」
辰巳は改めて、海棠を見詰めた。若い男。若く、力に満ち溢れた強く美しい。極上の雄。
栞は、辰巳も海棠も、栞の中に自分より不幸な何かを見たから、癒されたのだと言った。
「・・・・・。」
順風満帆のように見える海棠も。心の底にはそんな闇を抱えているのかと、妙な感慨を感じた。
「なんや?何か文句あるんか!!」
ジッと自分を見詰める辰巳に、海棠は怒鳴った。
「栞は・・・。・・・お前を愛しているそうだ。」
辰巳は小さな声で呟いた。
「・・・・何やて?」
「・・・・・・聞こえなかったのか?栞は、お前を愛しているそうだ。」辰巳は繰り返した。
「何を。妙な事を言うとんのや。」
妙にうろたえた様子で、海棠は辰巳を伺うように見た。
「・・・・・・。」
「・・・ホンマか?」
「・・・・・・。」
答えない辰巳に。海棠は苛ついたように、言葉を重ねる。
「・・・上月が、そう言うたんか?」
そう言った言葉は。哀願に近かっただろう。
「・・・・ああ。そういうことだ。」
辰巳は詰まらなそうに頷いた。
栞は。自分の残りの数ヶ月の命を、海棠にやると、言った。辰巳は悟った。これは栞の、海棠への愛の告白だと。栞は海棠を愛しているのだと。栞自身が自分で気付いているのかどうかは分からないが。
そうでなければ、辰巳は栞を海棠の元に返すつもりは無かったのだ。
「・・・・帰るで。」
海棠は石黒を促した。
「・・・上月に、二度と勝手な真似はせんように言い聞かせなならん。」
「・・・・カシラ・・。」
石黒は小さく苦笑を漏らした。彼には海棠が栞に会いたくて堪らなくなったのが良く分かった。
「・・・・・やが、その前に。」海棠は、鋭い瞳を辰巳に充てた。
「・・・・・妙なカタチやが、これでオタクとは手打ちというコトで良えんやな。」
その言葉に辰巳は頷いた。
「・・・・・そういう事だ。お互い、遺恨は無しだ。」
「めでたいこっちゃ。・・・・ホンマに素人のサラリーマンのクセに・・・・。俺らには、出来んことをしよるわ。」
海棠は小さく笑った。
「ほなら。正式な挨拶には、また寄せてもらいまっさ。今日とトコロはこれで。」
そう言って、海棠はベンツに向かった。
「・・・・・海棠。」その背中に辰巳は声を掛けた。
「何でっか?」
「・・・・もしいつか。栞が、あんたの元からも居なくなったら。」
辰巳はニヤリと笑った。
「二人で、慰め合おうぜ。」
「何や。キショイな。マッピラごめんや。・・・・それに残念ながら、そんな事は絶対にあらしまへんで。」
「・・・・・そうか。」
辰巳は溜め息とともに呟いた。
「・・・・・邪魔しましたな。」海棠はもう一度頭を下げて、ベンツに乗り込んだ。
ベンツはエンジン音を響かせながら、来た時と同じく唐突に去っていった。辰巳はその後ろ姿を見送りながら。
「・・・・・海棠。本当に、そうだと良いな。」
心の底から、そう呟いた。
25. 不確かな想い
「この・・・!とろとろ走るな。もっと急がんかい!!!」
ベンツの後部座席から、海棠は運転席の背凭れをガンガン蹴飛ばした。
「急いどるやないですか!!石黒さん!!カシラに何とか言うて下さい!!!事故りますで!!!」
「・・・・カシラ・・・。」
石黒は溜め息を吐いて、後部座席を振り返った。
「・・・・・・。」
海棠は両肘をそれぞれの膝に載せ、自分の顔前に両手を拝むように置いて、にやにや笑っていた。
「石黒。上月は、俺に惚れとるそうや。」嬉しそうに石黒を見る。
「・・・・・バカバカしい。」石黒は首を竦めると、正面に向き直った。だが。これはいよいよ洋二が前に言ったように、栞が姐さんになる日が近付いたのかもしれんと思った。
(・・・・栞ちゃんは、大阪の水に直ぐ慣れてくれるやろか。)
普段は上月さんとしか呼ばないものの。正直、石黒も洋二やその他の下の者たちが、海棠にナイショで密かに呼び続けているその名が気に入っていた。
(上月。上月・・・・。)
海棠は胸の中で、その名前を呼び続けた。
今日の夕食は、栞が好きだと言っていた旨い魚を喰わせる築地の料亭にでも連れて行こうと思った。時計の時は怒らせたが、食事なら喜ぶだろう。明日にはまた大阪に帰らなければならない。栞の行方が分からないと聞いて、無理矢理仕事を抜けてきたのだ。組長はオカンムリだろう。本当は今日中に帰った方が良いかもしれない。海棠は片付けねばならない煩わしい問題をイロイロ思い出して、溜め息を吐いた。
「・・・・・・・。」
だが。まずは栞に会ってキスをしよう。キスをしてそれから・・・・。
二年前。ピンク色のネグリジェを着た自分を見て大笑いしていた実直そうなサラリーマン。
なぜ。俺は。彼の事を忘れなかったのだろう。
ふいに海棠は思った。
あの頃は、まだ栞の肌の味も。甘い体臭も知らなかったのに。
『何で好きやと言わんのです?』
石黒の言葉が、脳裏に甦った。
「・・・・海棠さん。この車を追い掛けて来ているそうですぜ。」
携帯電話を切った不破は、隣に座っている栞に話し掛けた。
「大阪から・・・。帰っていたのか・・・?」
栞はビックリしたように不破を見る。不破は運転手にゆっくり走るように指示を出していた。
「上月さんが行方不明だと聞いて、文字通り飛んで帰って来たようですね。」
「・・・・・・。」栞は何と答えたものかと、不破の顔を凝視した。
「・・・・身体。大丈夫ですか?」
ふっと。不破の眼鏡の奥の色素の薄い茶色の瞳が和んだ。
「へ・・・?」
「辰巳が、無茶してたみたいだったから・・・。海棠さんが怒りますかね?」
「・・・・・・・それは・・・。」
栞は息を呑んで不破から顔を逸らした。耳朶まで赤くなっていた。
「まあ、せっかくの上月さんの努力が無駄にならないよう。穏便にお願いしますな。」
「・・・・・はあ。」
栞は顔を逸らせたまま、消え入りそうな声で答えた。
「・・・上月さん。」
「は・・・?」
口調の変わった不破の声に。栞は顔を戻した。不破は真剣な目を栞に充てると、微かに頭を下げた。
「・・・・感謝しています。・・・こんな事言うのは初めてで、上手くは言えないんですが・・・。」
「・・・・・・ちょっと。やめてくれ・・・。」栞は、慌てた。
「辰巳も。・・・多分。」
「・・・・・・不破さん。」
「すぐには無理でも。海棠さんも。」
その言葉に、栞は少し顔を歪めた。
「・・・海棠は、どうかな?・・・俺は、あいつにずっと八つ当たりをしてきたからな。」
「・・・・八つ当たり・・?」
不破は顔を上げて、栞を見た。
「・・・・俺は死にたくなかった。だから。そういう苛立ちを、ずっと海棠にぶつけて解消していたんだ。どうせヤクザだし、人に恨まれるのは慣れているだろうと。・・・ケッコウ最低だろ?」
「・・・・・・。」
「・・・俺は、感謝されるような立派な人間ではないよ。不破さん。弱い。情けない、タダの中年男さ。」
不破は首を振った。
「・・・・・・死ぬのが怖いのは、ヤクザもカタギさんも同じです。弱いとも情けないとも思わない。ごく普通の事ですよ。」
「・・・・・・。俺は海棠に借りがある。恐らく生きているうちには返せない。だから・・・・。」
「抱かれている、と?・・・海棠さんは、貴方に貸したなどと思ってはいないのに?」
「・・・・・・・。」栞は唇を噛んで、目を逸らした。
「・・・・私が口を出すことではありませんでしたね。済みません。」
不破はもう一度頭を下げると、話を打ち切るように栞から視線を外した。だが。
「・・・海棠は。ヤクザだ。」栞はポツリと呟いた。
「バリバリですね。」不破は答える。
「・・・・ヤクザでも。他人を愛したりするのか?」
「・・・・。」
不破は苦笑した。栞のヤクザ観は、カナリろくでも無いようだ。
「・・・・あの人は、貴方が辰巳に攫われたと思って、大阪から血相を変えて、飛んで帰って来た。・・・二度も仕事を放り出して・・・。自分の立場の事など論外だった。」
「・・・・・・。」
「普通は。充分、意味のある行為ですよね。」
「・・・・・・。」
栞は、小さく溜め息を吐くと、黙って窓の外に眼をやった。
26. 或る恋の終わり
「栞ちゃんっ!!!」
マンションの玄関に車を着けると。マンションの玄関ロビーに待機していたらしい、洋二ともう二人が転がるように飛び出して来た。
「ひ・・・酷いやないか!!!俺を騙すなんて!!!」
「洋二・・・。ゴメンな。」
洋二は栞に縋りつくと、啜り泣いた。携帯電話で何か話していたもう一人の組員が。
「カシラ。あと5分ほどで着かれるそうや。」そう洋二と栞に告げた。
「・・・・それなら、俺も、待たせてもらいましょうか。ちょっと、ご挨拶もしたいですし。」
不破が、言う。不破に気付いた洋二たちは、俄かに殺気立った。
「なんや!!」
「あんた、辰巳とこの人間やろ!?どうゆう了見や!!」
「栞ちゃんを二度も攫いやがって・・・!!」
「止めろ。洋二。和解したんだ。」栞は慌てた。
「ええっ!?」
「それに、今回は、攫われたんじゃない。」バツが悪そうに、洋二を見る。
「えええっ!!じゃあ。ヤッパリ。栞ちゃんは、俺を騙したんやな!!」
「ごめん!!」
「酷いやないか!!カシラに怒られるのは。俺やで!!」
洋二は叫んだ。
「洋二。俺が姿を消してすぐ、海棠に連絡をしたのか?」海棠の動きは、栞の思惑よりはるかに速かった。
「当たり前やろう!!栞ちゃんに何かあったら、俺は、カシラに遭わす顔があらへん!!」
「・・・・・・。」
栞は。洋二のアマリの純粋さに、息を呑んだ。そして。心底、申し訳無く感じた。もし。海棠が洋二を罰しようとしたなら、命を懸けても阻止しなければならない。
「・・・・!」
その時。
見覚えのある黒塗りのベンツが、マンションの玄関に横付けされた。
「カシラ!!」
洋二が慌てて、出迎えのためにベンツに近寄った。
「・・・・上月!!」
その声とともに、ベンツの後部座席から海棠が降り立った。
「海棠・・・・。」
栞は、歩み寄ってくる海棠に声を掛けて、自分も彼の方に近付いた。
『普通は。充分、意味のある行為ですよね。』不破の言葉が、脳裏を過ぎる。
「海棠・・・・?」
栞は訊いてみようかと思った。海棠に。その行為が意味することを。そして・・・・。
と。
その瞬間だった。
「上月さんっ!!!」
不破が悲鳴のような声を上げた。
「・・・・・!!!」
ほとんど同時に。
海棠が栞を引き寄せて、その場に引き倒した。
「・・・・!!!!」
銃声が聞こえる。
凄まじい怒声が、頭上を行き交う。
「・・・・・・・。」
慎司。――――――
栞は、自分に覆い被さって庇ってくれている海棠の顔を見上げた。いつ見てもオトコマエだなあ、と妙に感心する。そして自分の顔のすぐ傍に置かれている海棠の右手に、そっと指を這わせた。
「・・・・ごめんな。それから、有難う・・・・。」
栞はそう呟いて、小さく微笑んだ。そして。海棠の手を力の限り握り締めた。
「・・・・どこのモンやっ!!逃がすんやないでっ!!!」
海棠は叫びなから、腕の中の栞を抱き寄せた。ふと見ると。栞の左手の指が海棠の右手にしっかりと絡まっていた。
何や。怖かったんか。――――
海棠は薄く笑って、絡まった栞の手を安心させるように強く握り返した。
「・・・怖かったか。上月、もう大丈夫やで。」
海棠は、自分を狙ってきた鉄砲玉たちが部下や辰巳の手のモノに捕らえられるのを確認した。それから、栞の身体の上から身を起こして、栞を抱き起こそうとした。しかし。
「・・・上月・・・?」
腕の中の。栞の身体は異様に重かった。
「・・・どうしたんや?」
栞の背中に左腕を回した海棠は。
ぬるり。
とした生暖かい感触に、動きを止めた。
「・・・・上月・・・?」
海棠は反対側の手で、栞の背中を支え、自分の左手を見た。
「・・・・・!!!」
それは、真っ赤に染まっていた。
「・・・こ、上月っ!?」
海棠は悲鳴を上げた。
「上月!!上月っ!!!どないしたんやっ!?」
「・・・・・・。」
海棠がどれほど揺さぶっても、栞はピクリとも動かない。床にはいつの間にか血溜りが出来ていた。
「馬鹿なっ!!そんな馬鹿なっ!!!!」
海棠はそれを見て、思わず周囲を見回した。コレは何かの冗談なのか!?
「・・・!!!上月さんっ!!!」
事態に気付いた不破が、慌てて栞の右手首に飛びついて、脈を取りながら左胸に耳を付けた。
「上月っ!?上月いいっ!!!」
その間も海棠は栞に向かって叫び続けた。
「・・・・・・っ!!!」
不破が顔を上げた。蒼白な顔が、引き攣ったように歪んでいた。
「・・・・・・!!!」
海棠の顔が歪む。
不破は。
海棠の顔を見たまま。ゆっくりと顔を左右に振った。
「・・・・!!!」
「・・・そんな。・・・馬鹿なっ!!!」
海棠の傍に駆け寄って来た石黒が、慌てて海棠の背後から、栞の手首を握って脈を取る。
「・・・・こんな馬鹿なっ!!!なんで上月さんが・・・!!!」
石黒は叫びながら、栞の首筋で手を這わせた。あるはずの熱い脈動を探る。だが。
「・・・・・・・!!!なんでやっ・・・!!」思わず床を拳で殴りつける。他の人間は、全員掠り傷も負っていないというのに。なぜ、栞だけが。
「・・・!!!!」
全員が呆然として。栞を見詰めた。
海棠の腕の中で。既に、その呼吸を止めている。まるで、まどろんでいるかのような穏やかな白い顔を。
「・・・・・。」
海棠は、顔を上げた。
そして、呆然とした顔で。その場に居る全員の顔を見回した。
泣き出しそうな。縋りつくような表情で。
「・・・・俺が、・・・殺したんか・・・・!?」
誰にも聞こえないほどの小さな震える声が。海棠の戦慄く唇から漏れる。
「・・・・カシラッ!!!」
石黒が、悲鳴のような声を上げる。
「・・・俺が・・・。俺なんかと関わり合いを持ったから・・・。上月は、死んだんか?俺が。・・・俺がっ!!殺してしもうたんか!?」
「・・・!!!」
「違いますっ!!そうやないっ!!」
石黒は海棠を見た。だが。
「・・・・・・っ!!!」
海棠は。石黒に向かって、その手の拳銃の銃口を向けていた。
「・・・・!!!カシラッ!!!!」
「・・・・まだ。温かいんや・・・。」
海棠は自分の頬を、栞の頬に押し当てた。
「カシラッ!!!」
「・・・・傍に来るんやないっ!!!全員、下がれやああっ!!!」
海棠は、栞を左手に抱いたまま。銃口を大きく左右に振った。
「・・・・まだ、間に合う。今やったら、上月に追い付ける・・・。」
「カシラッ!!!」
「傍に来るなっ!!!!」
海棠は、更に銃口を左右に大きく振って、部下の全てを下がらせた。誰も海棠に飛び掛ることの出来ないくらいの距離を取ると。
「・・・・・・・。」
海棠は、ゆっくりと銃口を自らのコメカミに当てた。
「カシラあっ!!!!」
「海棠さんっ!!!」
悲鳴のような声が響く。
「・・・来るなっ!!今ならまだ、上月に追い付ける!!追い掛けて、手を引いてやらんと・・・!!上月はドンクサイ男やさかい、一人やと道に迷うかもしれんやないかっ!!」
「・・・・かしら・・・・!!」
「・・・俺が逝ってやらんと・・・!!逝って、手を引いてやらんと!!」
海棠は人差し指に力を込めた。
「・・・・!!あきませんっ!!!カシラが一緒逝ったら、上月さんは、天国に行けまへんでっ!!!!」
石黒は叫んだ。
「・・・・・何やとっ!!!」
「言うとったやないですか!!上月さんは、天国へ行きたいと!!!忘れはったんですか!?カシラが一緒やったら、地獄へ落ちてしまうやないですかっ!!!止めて下さいっ!!!」
「・・・・・・っ!!」
海棠は、栞の言葉を思い出した。
『・・・なあ。天国ってあると思うか?』
「・・・・・!!!」
『・・・あると良いな。』
そう言って微笑んだ顔を。
「そうやっ!!!」
洋二が泣きながら叫んだ。
「カシラが一緒やったら、栞ちゃんは天国には行けへんっ!!逝ったらあかん!!カシラっ!!!・・・栞ちゃんは・・・。喜ばんでっ・・・。」
「・・・・・。」
海棠はゆっくりと空を仰いだ。仰いだまま眼を閉じた。
「・・・・・・上月・・・。」
瞳から涙がぼろぼろ零れた。
ぼろぼろと泣きながら、海棠は拳銃を床に落とした。
「・・・・・こうづきいいっ!!!」
海棠は、栞の亡骸を抱き絞めた。
「・・・ごめんな!!すまん!許してくれえっ!!上月いいいいっ!!!」
「・・・・カシラ・・・。」
「ちゃんと言えば良かった。言わんといかんかったんやっ・・・・ちゃんと・・・っ!!!栞っ!!!」
「・・・やからっ!!!言うたやないですかっ!!言わな絶対に後悔するコトになると!!!好きなら好きと!!!何でちゃんと言わんかったんですっ!!!妙な意地を張って・・・!!」
石黒が泣きながら、海棠の背中を撫でた。撫でながら、床に力なく落ちている栞の左手を拾い上げた。
「・・・・・・っ!!」
その手を撫でながら。石黒は涙を流した。
「・・・・すんまへんっっ、上月さん!!俺がもっとカシラをちゃんと説得して、ちゃんと言わせれば良かったんや・・・・。カシラは。栞ちゃんに惚れとりましたで。誰よりも大切に思うとったのに。アホやから!!アホで意地っ張りやから、自分からは言えんかったんですっ!!許したって下さいっ!!!」
「わあああああっ!!!カシラのあほうっ!!!俺が言うたったら良かった!!カシラに遠慮なんかせんで、好きやと言うたったら良かった!!!」
洋二は、石黒の手の中の栞の手に縋って泣き叫んだ。
「・・・・・ホンマに。俺は。・・・どうしようもないアホや。」
海棠は、冷たくなっていく栞の体温を留めようと、死に物狂いでその身体を撫でさすった。骨が砕けるほどの力で抱き締め続けた。
27. 青い空と海と墓標
―咲き誇れ。愛しさよ。艶やかな強がりを笑おう。たかが恋。浅い夢ならアカツキに目覚めるでしょう。―
80年から90年代に掛けて一世を風靡したアイドル歌手の曲がどこからか聞こえていた。
「・・・・良いトコロだな。海も見えるし。」
辰巳 雄一郎は立ち上がって、景色を眺めると。もう一度、墓石に眼を向けた。
高台にある霊園の。多分一番見晴らし意の良いだろう場所にその墓はあった。かなり大きな区画を買い取ったらしく、回りには他の墓は見えない。
墓石には名前は刻まれていない。いわゆる変わり墓石というヤツで、芝生の上に楕円のタマのようなモノが置かれている。
「・・・・まあ。ちょっと違うかもしれんが、魚料理が好きやと言うとったから、海に近いトコロが良えやろと思うてな。」
苦笑しながら、傍らに立つ海棠 慎司が答える。
「・・・・死んだなんて、まだ信じられん。この墓は、お前が用意したのか、海棠?」
「・・・・せめて骨だけは、上月と一緒に埋めてもらおう思うてな。上月も俺も身寄りは無いさかいな。」
「・・・そうか。」
二人はそのまま無言で、暫くの間、墓を見詰めた。
口を切ったのは、海棠だった。
「・・・・あの時は。お前んとこの不破さんに世話になったな。俺んとこのモンが、誰も使い物にならなかったからな。」
「・・・・礼など言うな。俺はお前に謝らなければならん。済まなかった。あの鉄砲玉は、俺の親父の手の者だった。俺とお前が組んだと思ったらしい。ヤバそうな芽を早めに摘もうとしたんだ。」
「目端の利くこっちゃ。」海棠は苦笑した。
「・・・済まん。」辰巳は唇を噛んだ。
「・・・・・・しゃあないな。俺ら、そういう世界に生きとるんやさかいな。」
海棠は溜め息とともに、遠くに見える海を見詰めた。
「・・・その時計は・・・。」
辰巳が海棠の左腕を見た。
「ああ・・・。上月のや。初任給で買うたんやて。大事にしとったから、形見にもろうたわ。」
「・・・・・・。」
「俺が、一生大事にしたろ思うてな。」
海棠は無意識のように、時計を撫でた。
ブランド物で固めたような海棠のイデタチには。その時計はいかにも安っぽい。似合っているとはいえなかった。
辰巳は目を逸らした。海棠の気持ちは痛いほど分かっていた。だが。
「・・・・・ここは、堪えてくれ、海棠。栞のカタキは、必ず俺がとる。約束する。」
海棠は、小さく笑った。
「・・・わかっとる。俺かて、組を危険に晒す訳にはいかん立場やからな。上月を殺した鉄砲玉を渡してもろうただけでも、破格の事やった。感謝しとるで。」
海棠は凄まじい表情を浮べて、辰巳を見た。
「・・・・・・・。」
鉄砲玉の運命については、考えるまでも無かった。
「・・・どうやら宗方組が動き出したらしいやないか。」海棠は言った。
「・・・ああ。隙を見せたら、ショバは全部持っていかれる。櫻は情け容赦ない男だからな。しかも妾の子だ。俺に好意的だとはとても言えんだろう。」
「櫻がナンボのもんや。根性見せたらんかい。」
海棠の言葉に、辰巳は苦笑する。
「・・・ああ。これは良い機会でもある。どうせ親父とは決着を付けなければならんからな。」
辰巳は。澄んだ美しい瞳を、海棠に向けた。
「俺は、高みの見物をさせてもらうで。」海棠は、喉を鳴らすように笑った。
「ああ。」
「・・・お手並み拝見や。」
「・・・・・・。」
辰巳は薄く微笑んだ。
「・・・それじゃ。俺は、これで。・・・また寄せてもらう。」
辰巳は踵を返した。
「辰巳。」
その背に、海棠は声を掛けた。
「・・・・・。」辰巳が足を止める。
「死ぬんやないで。」
「・・・・・。」
「・・・俺らオトモダチや無いが、一応、兄弟になっとったんやからな。そうやろ?」
「・・・・・。」
辰巳はそれには答えずに、右手を上げた。そして、そのまま小走りに、待たせていた車の方に向かって行った。車のドアの前に立って、海棠に向かって一礼した男は、多分不破だろう。
二人を乗せた車が走るのを見送ってから。
「・・・・・。」
辰巳は空を見上げた。
紺碧の空が。どこまでもどこまでも広がっている。
「今日は、ホンマに良え日やな。」
海棠は、小さく呟いた。
28. エピローグ
「停めろ。」
帰路。海沿いの国道を走っている時。いつもの車の後部座席に腰を降ろしたまま、海棠はふいに言った。
「どうされました?」
隣のシートから、石黒が顔を出す。海棠は窓の外を見詰めたまま、言った。
「・・・ちょっと砂浜に下りてみたいんや。」目の前に、砂浜が広がっている。
「危険です。」石黒は眉を顰めた。
「・・・ちょっとだけや。ちょっとだけ、浜を歩いてみたいんや。」
石黒は溜め息を吐いた。だが。
「・・・・わかりました。けど、ホンマにチョットでっせ。」
思ったよりアッサリと海棠の我が侭を認めると、護衛の手配をするために車を降りようとした。その背中に、海棠は。
「・・・石黒。済まんな。世話掛けて。」
そう声を掛けた。すると。
「止めて下さい。カシラらしゅうもない。」
石黒は怒ったように、そう言った。
「・・・・・・。」
栞が死んでから。
海棠は過不足なく仕事をこなしているつもりでも。ふと気付くと、ぼんやりしていることが多々あった。
上月が決して癒えない病を抱えていたことは、辰巳から聞いた。だが。それで、気が楽になるというモノでも無い。
そうした海棠のシワ寄せは、全て石黒が被っていた。だが石黒は、海棠を責めず、しかも少し優しくなった。少しの間は、海棠の我が侭を何でも受け入れるつもりのようだった。
海棠も。当分はそれに甘えようと思っていた。
「・・・・・・。」
海棠は浜に降り立った。
国道沿いの小さな浜辺だったが、砂が白くて美しかった。
暫く波打ち際を歩く。
石黒たちは、少しだけ離れた場所で、海棠の周囲の様子に油断なく目を配っている。
「・・・・・・・。」
暫く歩くと。
小学生だろう少女が、手に持ったキラキラするものを太陽に向かって翳していた。
なんだろうと。海棠は眼を凝らす。
それは、小さな小豆粒ほどの貝殻だった。
「可愛い貝やな。何て名前や?」
少女は、いきなり話し掛けられて、ビックリしたようだったが。物怖じしない性格らしく、にっこり笑うとこう言った。
「萎貝や!!」
「・・・・しおり・・?」
海棠は一瞬。時間が止まったような気がした。
「しおり貝とい言うんや!」少女は満面の笑顔で、もう一度繰り返した。
名前負けだろう。そう言って笑っていた栞の顔が少女のそれに重なる。
「・・・・・・・。」
海棠は。
無言で喰いつくように、少女の手の中のその小さな物体を見詰めた。
「・・・大丈夫か?オッチャン。」
心配そうな少女の言葉に、海棠は訝しげに顔を上げた。
「・・・だって。・・・・・泣いてはるで。」
「・・・・・・・!」
気付くと。海棠は、ぼろぼろ涙を流していた。
「泣いたらあかんで。男やろ。」
少女の言葉に、海棠は苦笑した。そして大きく息を吐く。
「・・・・ほんまやな。男やもんな。けど、これは嬉しい涙や。もう二度と会う事が出来へんやろうと思うとったヒトに、思いも掛けずに会えたんや。嬉しゅうて嬉しゅうて、つい泣いてしもた。」
少女は不思議そうに、海棠を見た。
「そうなんか。オトナは嬉しゅうても泣くんやな?」
「・・・・・・・。」
海棠は、泣きながら笑った。少女の頭を撫でる。
「な。この貝。おっちゃんに、くれへんか?」
「良えよ。けど、別に珍しいモンとちゃうで。」
女の子がそう言って、海棠の前にその小さな手を突き出した。
「良えんや。オッチャンにはダイヤモンドより価値があるんや。」
海棠は、自分でも。声が震えているのが分かった。やっぱり震える手で、小さな少女の手からその貝を受け取る。
「・・・・有難うな。」
海棠は、鼻をすすり上げた。
「・・・もう泣いたらあかんで。オッチャン。ほな。おかあちゃんが、待っているさかい。もう帰らな。知らんオッチャンと話した言うたら、怒られるわ。」
少女は顔を顰めて立ち上がった。
「ほなら、な。」
少女は、そう言うと、道路の方に向かって、走って行ってしまった。その背中に、もしかして羽根が生えているのではと、海棠はじっとその後姿を見送った。
「・・・・・・・。」
もう二度と。死んでも会えないと思っていた。
海棠は手の中の貝をじっと見た。そして。
それをそっと少女がしていたように日に翳して見た。
「・・・生きているウチにちゃんと言えんでゴメンなあ。好きやったで。誰よりも惚れとった、お前に。」
海棠は、死んでからもずっと海棠の手を握り締めて離さなかった、栞を思った。栞は辰巳が言ったように、本当に自分を愛してくれていたのだろうか。今となっては分からない。だが。
ごめんな、海棠。―――――――――――――――
大阪に帰る海棠に向かって、そう言った栞の顔を思い出す。
「・・・お互いもうちょっと。上手に恋をしたら、良かったなあ。上月。」
海棠は、手の中の小さな貝を握り締めた。
この恋の続きは。お互い生まれ変わってからやな、栞。―――――――――――――――
「・・・・・どこに居っても。どんな姿になっとっても、俺は絶対にお前を、捜し出すで。」
海棠は祈るように囁いた。
「・・・カシラ。大丈夫でっか・・?」
いつの間にか。石黒が傍に来て、海棠を覗き込んでいた。
「・・・・・大丈夫や。」
海棠は小さく呟くと、何かを吹っ切ったように立ち上がった。一瞬だけ海の方を見詰めて、無言で振り返る。
その目に、やっぱり自分を心配そうに見詰める部下たちの姿が映った。洋二も居る。
海棠は、大きく息を吸い込んだ。そして。
「・・・・大阪に帰るで!!仕事が溜まっとるさかいにな。」
大声で怒鳴る。
「・・・・カシラ・・。」
戸惑いと喜びが半々に混ざったような表情で。石黒は海棠を見た。
「・・・・・・・。」
海棠は小さく微笑むと、貝殻を胸の前で大切そうに握り締めた。そして。オトコ達に向かって、ゆっくりと歩き始めた。
再びどこからか。
昔のアイドル歌手の懐かしい曲が、漂うように聞こえてきた。
―咲き誇れ。愛しさよ。新鮮な笑顔で泣こう。私には永遠の月。あなたには時の砂。―
−fin−
2003.08.02
終わった終わった。いや難しかったです。イロイロ。もしも。がっかりさせてしまったなら、ごめんなさい。しかし、にゃむにゃむ的には、この辺が限界なのかもしれません。いや。TRIALで書き始めたモノでなければ、もう少し設定等はまとめてから始めたとは思いますが。でも、勢いという点では、どっちが上かは分かりませんからね。ヤクザ関係は、また挑戦してみたい題材です(笑)。今度は超シビアなものを。
感想等。頂けると嬉しいです。また懲りずにここではイロイロなジャンルに挑戦してみますので、ヨロシクお願いします。えへへ。またお会い出来れば光栄です。それでは。