ろくでなしの神話 3

<6>

20. 恋慕

「・・・せっかく逃がしてやろ、思うとったのに。俺から自由になれるチャンスを遣ったのに。このアホが・・・!!!」

 海棠は呻くようにそう呟くと、(しおり)の両腕を掴んで強引に引き寄せた。

「・・・・海棠・・・・?」

 見上げた栞の顎を掴むと、海棠はその唇に思いっ切り噛み付いた。

「・・・!!!いひぇっ・・・・!!!!」

 ()てっ。と言おうとしたらしい栞のくぐもった悲鳴が聞こえた。と同時にくちゅくちゅという湿った水音のようなものと、どちらともなく漏らす熱い吐息が、ベンツの車内に満ちる。

 ギシッと後部座席のシートが軋む音。

 微かな衣擦れの音と、唇が何かに吸い付くような音も聞こえる。

 それらが意味するトコロは、明確だった。

「・・・・カ・・・カシラ・・・。ここで・・・?そりゃチョット・・・・。」

 助手席で前を向いて固まった状態の石黒は、自然に額に垂れてくる脂汗を拭いながら、後部座席の海棠に声を掛ける。

「・・・・すぐにマンションに着きますよって・・・・。カシラ・・・。」

 哀願するように呟きながら横目で隣を伺うと、運転手を勤めている組員の顔も蒼白である。

「分かっとる。最後まではせん。」何かで口が塞がっているような感じで、海棠が答える。

「いや・・・。そういう事や・・・・・。」

 有りません。と言おうとした石黒は、反射的にバックミラーに目を遣ってしまい、絡み合う2人の男の肢体を目にして、大慌てで顔を背ける。

「・・・・・!!!!」

 だが目を逸らす寸前に、海棠に圧し掛かられて、これもまた羞恥で真っ赤になっている栞とミラー越しに目が合ってしまい、何ともバツが悪い。

「・・・海棠。イヤだ。止めてくれ。」栞が(たま)()ねたように叫ぶ。息が荒い。

「ちょっとだけや。」飢えたような。どこか切羽詰ったような、海棠の(つや)っぽい声が聞こえる。

「う・・・・・・。」栞の微かな喘ぎ声。

 石黒は隣の運転手の肩を思いっきり叩いた。

「もっと飛ばさんかいっ!!!赤信号なんかで停まるんや無いでっっっっ!!!!」

「はっ、はいっっっ!!!!」

 赤くなったり蒼くなったりしている憐れな組員は、スピードメータの針をぶっ千切る勢いでアクセルを踏み抜いた。

 

 

 

 

「・・・・・上月さんは・・?」

 風呂場からバスローブ姿で現れた海棠を見て、リビングに控えていた石黒は顔を上げた。

さっきまでは、いきなりマンションの部屋の玄関で絡み始めた二人に遠慮して、自分用に与えられている部屋で息を殺すようにしていたのだが、海棠がバスルームに向かった気配を察して、打ち合わせておきたいコトもあり、リビングに出てきていた。

「寝とる。」海棠は髪の毛の水滴をバスタオルで拭きながら、答えた。

「・・・・壊しはったんやないでしょうね。」

 石黒はちょっと心配そうに寝室の方に目を遣った。

まるで飢えたように栞の身体を求めていた海棠。部屋に入った途端、いきなり玄関先で、乱暴に栞の身体を壁に押し付けて、嫌がる栞に行為を強いていた。

「ちょっと。無理させたな。ひと月振りやったさかいな。」

 海棠はいやらしい笑いを口元に浮かべた。

「・・・抜かずの3連発は、ちょっと上月にはキツかったやろな。」

 それはベッドの上だけでのコトだろう。他の場所も加えれば一体何回ヤッたんだと、この精力の固まりのような若い海棠に(むさぼ)り尽くされただろう栞の身体を、石黒は心配した。

石黒は読んでいた新聞を乱暴に畳むと、厭味ったらしい口調で言った。

「・・・・たく。まるでひと月の間ずっと禁欲していたかのような口振りでんな。」

「・・・・・嫌な事を、言うなや。」

 海棠は顔を顰めると、キッチンの冷蔵庫からミネラルウォータを取り出して蓋を開けながらリビングのソファに腰を降ろす。

「・・・・・・。」

 石黒は溜め息を吐いて、穏やかな表情を浮べている海棠の顔を見た。こんな表情の海棠を見るのは、本当にひと月振りかもしれない。

 実際、大阪に帰ってからの海棠は荒れていた。

 仕事上のコトはキッチリこなしていたから、誰も文句は言えなかったが、色事に関しては、まったくの節操無しとなっていた。

 毎夜毎夜。狂ったように違う女を抱いた。

 そして荒み切った表情で、配下の者の少しのミスも許せないような余裕の無い生活が続いていた。

「・・・・・・。」

 こんな穏やかな海棠を見るのは、栞との別れて以来確かに始めてかもしれない。石黒は、改めて海棠の中で栞の占める比重の重さを考えた。

「・・・欲しゅうてたまらんのや・・・。」

 ポツリと。海棠は、呟いた。石黒が顔を上げる。

「・・・上月に無理はさせとうのうても。どないもならん。高校生のガキみたいに、上月が欲しゅうてたまらんのや。」

 実際。車の中で、栞の甘い肌の匂いを嗅いだ途端。海棠の下半身には、自分でもどうにもならないほどの熱が集まってきた。

 石黒は小さく溜め息を吐いた。

「いい加減に認めはったらどないです?上月さんに惚れてはることを。」

「・・・・あんなオッサンに、別に惚れてないわ。」

 海棠は石黒を睨んだ。

「・・・そんなコトを言うとると、ホンマに後悔しはるコトになりますで。」

「あほらし。するかい、そんなモン。・・・大体、上月は俺のことが嫌いなんやないか。」

 海棠はソッポを向くと、ミネラルウオータのボトルを(あお)った。

「・・・カシラ・・・。」石黒は、いささか驚いて海棠を見た。

「知っとるやろ。降って湧いたような借金をカタに、上月が俺に何をされたのか。自分を遠慮無く殴る俺を。自分を無理矢理犯した俺を、上月は恨んどる。憎んどんのや。辰巳と俺と。どっちがマシと思うとるか分からんで。ひょっとしたら、俺の元へ来るくらいなら辰巳のトコロに居りたかったかもしれへん。」

 海棠は、眉間に皺を寄せると唇を噛んだ。

「・・・・・・。」

 今まで。一度も聞いたこともない海棠の泣き言に、正直石黒は心中仰天(ぎょうてん)した。こんな自信の塊のような男でも。恋をすると不安になるのかと、(いささ)か可笑しくもあった。長い間下に付いて居るが、海棠が歳相応に見えることは稀だ。だが。少なくとも今は。カナリ可愛く見えた。

海棠は石黒に何か言って欲しかったのかもしれないが。バカバカしい。痴話喧嘩モドキにいちいち付き合ってはいられない。石黒は海棠の言葉を無視して、話題を変えた。

その(・・)辰巳のコトなんですが・・・。」

「分かっとる。多分、このままでは済まんやろな。」海棠は瞬時に普段の若頭補佐の顔に戻ると、ペットボトルを放り投げた。

「上月がどう思うとるのかは、この際関係無い。こうなった以上、俺の面子に掛けて渡す訳にはいかへんからな。」

「どないします?」

「どないもこないも。敵対してくるようやったら、妾の子の味方に着くだけや。組長には、指の一本も渡さなならんハメになるかもしれんがな。けど辰巳もそんなコトは百も承知のハズや。性急に迂闊(うかつ)な真似はするまいよ。大阪の海棠が動いたというインパクトはそれなりにある筈やからな。」

「・・・カシラ。関東連合の誰ぞに仲裁に入ってもらったらどないです?」

「アホ。それこそホンマに指詰めるコトになるわ。辰巳の面子のためにな。そんなんはゴメンや。」

「・・・・どっちにしろ、明日には大阪に帰らにゃなりませんで。上月さんをどないします?大阪に連れて帰りはりますか?」

「・・・・・・。オンナを囲うような真似は、上月にはしとうない。上月は立派な一人前の男や。あいつの意思を尊重してやりたいんや。」

「カシラ。しかし・・・。」

「上月は会社を辞めて、どこへ行こうとしてたんや?心機一転とか言うとったけど。再就職先は分かったんか?」

「いえ。それが・・・。」

「まあ。どこでも()え。上月のしたいようにさせたってくれ。」

()えんでっか?」

「俺に囲われて、三食昼寝付きでセックスだけしとるような男とは、上月は違うやろ。俺を怒らすようなコトをガンガン言うからこその上月やないか。あいつはマゾやからな。」海棠は幾分愉快そうに笑った。

「・・・・そらまあ。けど、滅多に会えんようになるかもしれまへんで。」

「・・・・しゃあないわな。一週間に一回会えたら、我慢するわ。」

「上月さんがカシラから逃げたら、どないします?」

「見つかるまで捜す。見つからなんだら・・・・。」

「・・・しゃあない。ですか。」

「そやな。」

 海棠はどこか遠くを見ていた。切なそうな何かが、その表情を掠める。

「しゃあないやろ。上月は俺のことを好きやないんや。逃げられるモンなら逃げたいやろ。けど俺かて上月が傍に居らんと死にそうになるほど惚れとる訳やない。やから、俺と上月は・・・。多分、それで()えんや。」

 石黒は思わず、苦笑した。

「・・・・死にそうにならはるくせに・・・・・。」

 石黒はこの一月ほどの海棠を思い出し、小さな声で呟いた。

「・・・何か、言うたか?」

 それを聞き咎めたのか。海棠は怖い顔で、ジロリと石黒を睨んだ。

 

21. 決意

「上月を当分の間はこのマンションから出すな。辰巳の手の者が、隙あらばと見張っているやろからな。俺らは今週末には帰ってくるさかい、それまであのハネッカエリを宜しく頼むぞ。辰巳の方ともそれまでに出来るだけハナシを付ける。」

 海棠と石黒は仕事の関係で、どうしても大阪に帰る必要があった。その間、護衛と世話係りを兼ねて、栞と面識のある洋二と数人の組員をマンションに置いて行くことにした。

「・・・・それから、洋二。」海棠は身支度を整えながら、咥えタバコで洋二に手招きした。

「はい・・?」

 洋二は傍に寄ってくると、真っ直ぐに海棠を見返す。

「上月が寝室に居る間は、お前は絶対部屋に入るんやないで。妙な真似をしくさったら、ホンマに殺すぞ。」

「わ・・・分かってますがな。」洋二は少しだけ視線を彷徨わせた。

「おい!・・・そのセリフ、俺の目を見てちゃんと言えるんやろな。」海棠が眉間に皺を寄せる。

「モ、モチロンです・・・!俺にはオッサン趣味はありません。」

 洋二は胸を張った。

「誰がオッサン趣味や。」海棠は明らかにムッとしたようだった。

 

 

栞ちゃん。栞ちゃん。

 誰かが、自分を呼んでいるのが分かった。

 やさしく髪の毛を撫でられる。

 起きようと思った。だが身体がダルくて動かない。特に腰の辺りがタルい。

 ちくしょう、海棠。やりたい放題やりやがって。サディストめ。俺を殺す気か。ここまできて(?)腹上死はゴメンだ。いや、この場合は何て言うんだ?腹下死?・・・まあ、そんな事はどうでもいいか。

 栞は無意識にギリギリと歯軋りをした。

「栞ちゃん。」

「・・・!!!」

 明らかに至近距離からした声に、栞はパッと目を開いた。

「!!!!!」

「目ぇ覚めたか。栞ちゃん。」

 すぐ近くで自分を覗きこんでいる洋二のドアップに、栞は思わず仰け反った。

途端。

「ああ!う・・・・!!!」

 身体の奥の方に鈍く激しい痛みを感じて、再びベットに突っ伏した。

「うわ。凄いな。栞ちゃんの身体。カシラはホンマ情熱的やな。」

「え・・・・?」洋二の言葉に、栞は顔を少し上げた。

「キスマークや。うわ。ほんまに際どいトコロまで・・・・!!!」

「!!!!!」

 栞は大慌てで、布団に潜り込んだ。

「・・・おおおおお起きるから。ちょっと出て行ってくれ。」栞は素っ裸だった。

「ええ?だって、立てんの?手伝うたるで。風呂に入るやろ。湯船にお湯張ってあるし。」

「・・・・良い!」冗談じゃない。

「別に恥ずかしがらんでも良えやん。カシラと昨夜何やっていたかは知っとるんやし。」

 洋二はにやにやと笑った。

「・・・っ!!海棠は・・・?」

「大阪に帰った。石黒さんもや。寂しいやろうけど、偉い人たちにはイロイロ抜けれん仕事があるんや。けど週末には帰って来るそうやから、心配はいらんで。それまでは俺とココでお留守番や。イッパイ遊ぼうな。あ。ベッドでという意味やないで。」

「・・・・・・。」

 セクハラだ。栞は唸った。

「洋二。頼むから、出て行ってくれ。・・・いい加減にしないと海棠に、洋二にセクハラされたと言うぞ。」

「エッ、嘘。・・・そりゃ、ヤバイ。カシラに寝室には入るなと言われてるのに。」

「・・・・・・。」

 じゃ、何でお前はベッドの端に腰を降ろしているんだ。

 栞の無言の問い掛けに気付いたのか。洋二はあっけらかんと。

「だって。いつまで経っても栞ちゃん起きて来んのやもの。退屈やないか。」

「・・・・・・。」

 この野郎。俺は玩具か。

 ちくしょう。テレビや映画では、不治の病の人間はもう少し大切に扱われているハズなのに。俺は世を儚むヒマも無い。一体、どういう事なんだ。

 栞は小さく溜め息を吐いた。

 

 

「栞ちゃん。朝ご飯出来とるで。一応、和食も洋食も用意しといたけど。」

 時刻はもう昼だったが。

 バスルームから出てきた栞に、エプロン姿の洋二は愛想良く声を掛けてきた。

「・・・有難う。けどアンマリ食欲が・・・。」

「あかんあかん。昨夜あないな激しい運動をしとるんや。キチンと食べんと。需要と供給のバランスちゅうもんが崩れる。」

「・・・・・・。」

 洋二の言い草に、栞は思わず笑った。笑いながら食卓に付く。食欲をソソル匂いが鼻腔を刺激する。

「・・・洋二。ちょと聞きたいんだが。・・・海棠は、あれからずっと俺のことを監視してたのか?」

 栞は味噌汁をすすりながら、ずっと気になっていた事を、洋二に尋ねた。あまりにもタイミング良く海棠は現れた。栞についての情報を、リアルタイムで抑えていたとしか思えない。

「うーん。いや、ホンマはな。カシラやのうて石黒さんが気を利かせてたんや。いずれ、カシラが栞ちゃんの動向を知りたがるやろうとな。」

「・・・・・・。」

「けど、そしたら。栞ちゃんは、いきなり会社は辞めるし、ヤクザの銃撃戦には乱入する。テッポウで撃たれてケガするし。辰巳の若ボンには(さら)われる。」

「・・・・・・。」

「栞ちゃんのオカゲで、俺らは全員もう少しで胃潰瘍(いかいよう)になって、血を吐くトコロやったわ。」

「・・・・す・・済まない。心配掛けて。」

「・・・良えんや。こうして、カシラのトコロに戻って来てくれたんやさかい。」

 洋二は、本当に嬉しそうだった。

「・・・・・・。」

「雨降って、地固まるってやつやな。」洋二はにっこりと笑った。

「・・・・・・。」

 その言葉を聞いて。

 ふいに栞は。零れそうになる涙を隠そうと、洋二から顔を背けた。何だか胸が締め付けられるようだった。必死で昂ぶった感情を(なだ)める。

 昨夜。栞を思うさま弄りながら、海棠が言った言葉を思い出した。気のせいか、今にも泣き出しそうな顔をしているように見えた。

『俺が嫌いやろ?憎んどるのやろう、上月?・・・・それでも良え。別に構わへん。例えそれでも。お前は俺のもんや。少のうても、俺に抱かれとる瞬間だけはな。』

 嫌ってなどいない。そんな事は無いと海棠に答えそうになる自分を。その逞しい身体に腕を回して抱き寄せそうになる自分を。

 栞は浅ましいと、泣きたいような気分で感じていた。こんな美しい男が。自分など元々相手にするはずもないような男が。きまぐれに口にする言葉に、一体自分は何を求めているのだ。思わず叫んだ。

『お前など・・・・!!大嫌いだっ、海棠!!!地獄に堕ちやがれっ!!!』

 その言葉を聞いた海棠の顔が。一瞬、激しく歪んだのを栞は見た。それは多分、怒りのためだったのだろう。だが。栞は、海棠の心を傷つけたような気がした。この後に及んでまで。海棠(たにん)を傷つけるような言動を抑えきれない自分に、心底嫌気がさした。

「・・・栞ちゃん?」

 黙りこんだ栞を。洋二が心配そうに覗き込む。栞は息を吐いた。

「・・・・いや。洋二。海棠と辰巳は平気なのか?こんなコトで組同士の抗争とかには発展したりはしないだろうか・・・?」

 栞は正直、それが心配だった。海棠が出てくる前までは、自分が逃げればそれで済んだが、海棠が姿を見せた以上、コトはそう単純では無くなったハズだ。極道の世界の理屈は栞には分からないが、多分それは間違い無いだろう。

自分のせいで、誰かが死ぬようなコトになるのは、いくらなんでも勘弁して欲しい。

「辰巳さんトコは、今それどころや無いとは思うけどな。・・・どっちにしろカシラが話をつけると言うとったから、栞ちゃんが心配することは無いで。」

「・・・・・・。」

 栞は唇を噛んだ。

 不破の話を聞いただけでも、辰巳と父親の仲が一瞬即発なのは容易に想像が付く。確かに今は海棠に関わっているヒマは辰巳側には無いかもしれない。だが。

 例え、今スグ表面化しなくとも。

 2人の間に、自分に絡んだコトで禍根(かこん)を残しておきたくは無い、と栞は思った。

 もし将来。二人の間に何かが起き、遠因が自分にあったとしても。その頃自分がこの世に存在している確率は限りなく低い。

 時間が無い。全然無い。栞は初めて焦りのようなモノを感じた。

(俺がやらなければ。やっておかなければ(・・・・・・・・・)・・・。辰巳と話を付けるコトが出来るのは。この件で辰巳を納得させることが出来るのは、多分俺だけだ。)

 海棠にも辰巳にも。それぞれの組の構成員たちにも、必要の無い迷惑を掛けることになってしまう。

 栞はぼんやりと。だが小さく重大な決意を固めた。

 

22. それぞれの思惑

「大阪の海棠から、近いうちにハナシをしたいと言ってきました。」

「・・・・舐めやがって・・・!!話すコトなど何も無い。・・・栞を俺に譲るなら、考えてやると伝えろ。」

 不破の言葉に、辰巳は奥歯を噛み締めながら吐き捨てた。

 辰巳家の広大な日本家屋は、今は雄一郎が主人(あるじ)である。彼の父親も母親も他に住居を設け、もうこの屋敷には10年以上も帰ってきてはいない。

「若・・・・。」不破は小さくため息を吐いて、この誰よりも孤独な男を見た。辰巳は外出に備えてネクタイを結んでいたが、苛立ちのためか上手く結べないらしく、舌打ちを繰り返している。

 その強気で豪胆な瞳に、時々掠める哀しげなイロ。

(・・・・もし上月が、この男のモノになってくれたなら・・・。)

 辰巳は二度と、こんな哀しい苛立った瞳をしなくて済むのだろうか、と不破は思った。

「・・・・・・。」

 その瞬間。

 何とか。

 何とか、出来ないだろうか。そうした考えが不破を捕らえた。

 不破は栞を迎えに来た海棠の。同性ながら惚れ惚れとするような男振りを思い出した。だが、男振りなら辰巳だって負けては居ない。

 栞が、男でもイケるのなら。

 辰巳に乗り換える可能性は充分あるのではないのか。

 不破は真剣に考えを巡らせていた。その時。

「・・・栞は。今、海棠のマンションに居るのか?」

 ネクタイを締め終わった辰巳は、不破を見た。栞がここを去ってから、三日が経過していた。

「・・・はい。海棠は所要で大阪に帰っています。だが上月は、一歩もマンションからは出ません。多分、海棠の指示でしょう。護衛モドキの組員も5、6人は残っているようです。」

「・・・・迎えに行く。」辰巳はダークグレーのスーツの上着を羽織って、部屋の出入り口である障子に手を掛けた。

「若・・・!」

「俺が直に出向いたなら。海棠のところのチンピラなんぞ、何も出来まい。」

「若っ!!海棠と戦争する気ですか!?ウチには正直。現在(いま)そんな余裕はありません!!」

「・・・・・っ!!」辰巳が唇を噛む。

「・・・・海棠が言った通りです。組長のメカケに付け込まれるコトになるだけです。オマケに海棠もあっちに付く。お願いです。今は上月のことは諦めて下さい。」

「・・・・どうしても・・。これほど望んでも。栞は手に入らないのか?」

 辰巳は振り返って不破を見た。その目が。また諦めるのか、失うのか。と不破に問い掛ける。だが。

「いいえ。」

 思いの外強い声が、不破の唇から漏れた。

「・・・いいえ。若。いずれ必ず俺が何とかします。・・・メカケとの決着が付けば、必ず。俺が上月を、若のものにしてみせます。」

「・・・・・・不破。」

「・・・・・あれは、若のモノです。これほど望んでいるのです。手に入れて当然だ。」

 死んだチンピラも。海棠も。当然のように手にしているそれ(・・)

 辰巳だって手に入れて悪いワケが無い。

 不破は決意をした。

「・・・・・・。」

 栞の人生を狂わすかもしれない。

 だが、そんな事はどうでも良かった。不破にとって、一番大事な人間は、アクマで辰巳なのだから。

 

 その時。

 2人が話しをしている日本間の廊下を。

 凄い足音が駆け抜けた。

「・・・・若っ!!不破さん!?いらっしゃいますかっ!?」

「・・・・どうした?」

 既に障子に手を掛けていた辰巳が、それを開く。

「こ・・上月が・・・。」

「・・・栞がどうした・・・・?」間髪入れずに辰巳が訊く。

「今。玄関先に・・・・。」

「何だと・・・・?」

「・・・・・!!」

 辰巳と不破は、思わずお互いを見詰め合った。

 

 

 

 

「・・・・・・。」

 栞は、通された応接室で、腕を組んでいた。

 洋二を騙した後ろめたさが残る。

 百戦錬磨のサラリーマンの栞が、まだ二十歳そこそこの洋二を騙して、監視を掻い潜るのは、正直言って簡単だった。

(・・・洋二は。海棠に連絡を取っただろうか。)

 常識で考えれば、海棠に叱られるのを承知で、そんな真似はしない。少なくとも最初は自分で何とかしようとして、その分時間が稼げるハズだ。

「・・・・・。」

 栞は、今日一日くらいの時間はあるだろうと踏んでいた。

 

「栞・・・!!」

 応接間のドアを開くなり、辰巳は中に飛び込んできた。後ろには不破が続いている。

 まるで駆け込むように部屋に入ってきた辰巳に、栞は一瞬戸惑ったが、椅子から立ち上がるとサラリーマンらしい綺麗な姿勢で頭を下げた。

「・・・・辰巳さん。この間の晩は、門や塀を乱暴に傷つけるような真似をして、申し訳ありませんでした。」

「帰ってきたのか、栞。」

 抱き寄せんばかりに、栞の肩を掴む辰巳に。

「・・・・・いや。」

 だが栞は、はっきりと。そう言った。

「・・・・・。どうしても。話をしておきたかった。俺が全てを覚えている(・・・・・・・・)うちに(・・・)。辰巳さん。」

 辰巳は唇を噛んで、栞を見詰めた。

「・・・・海棠の指示なのか?」

 不破が辰巳の背後から、栞に問い掛ける。

 栞が一人で現れたことは確認してあったが。どうにも信じられない事態だった。

「・・・・いや。そうじゃない。」

 栞は真っ直ぐに、辰巳を見詰めた。

「だが。海棠のためでもあるかもしれない。」

「・・・・・・!」

 栞は間近で自分を見下ろしている辰巳の美しい瞳に、抑えきれない怒りと嫉妬の色が浮かぶのを見た。正直、足が竦むほどの恐怖を覚えたが。それを逸らさずに話しを続ける。

「・・・同時に辰巳さんのためでもあるはずだ。俺のことで、海棠や彼の組に対して遺恨を持つような真似はしないで欲しい。」

「・・・何だと?」

「俺にはヤクザの理屈は分からない。あんた達の言う命より大切な面子や何かは、俺にはさっぱり分からない。俺に分かっているのは、俺に関する事で二つの組が争う必要などマッタク無いということだ。・・・・そんな必要はどこにもない。俺は俺だ。誰の所有物でもない。それに・・・。」

 どのみち、近いうちに居なくなる。栞はそう言おうとした。しかし、つい躊躇してしまった。それを口にすれば、それが間違い無く現実になってしまうようで怖くなってしまった。まだタップリと未練があるのだ。生きるというコトに。この世の中に。

 だが、そんな事は知らない辰巳は、視線を険しくした。

「・・・・・・・海棠は、あんたを自分のオンナだと言った。そう言って俺からあんたを奪って行った。全部、嘘だったというのか?」

「・・・・いや。俺は確かに海棠に抱かれていた。それが海棠の言うトコロのオンナというのかどうかは分からない。だが・・・。」

「・・・・・!!!!」辰巳は栞に最後まで言わせなかった。無言で栞の腕を掴むと、引き摺るようにしてドアに向かう。

「・・・辰巳・・・・!?」栞がうろたえたように叫ぶ。同時に不破に視線を走らせた。

「・・・・・。」

 不破は二人から視線を外した。栞を助けるつもりはなさそうだった。

「敵対する組に捕らわれた、極道のオンナがどういう扱いを受けるか、知っているか、栞・・・?」

栞に背を向けたまま。栞を引き摺りながら廊下を歩む辰巳が、激情を抑えたような静かな声を出した。

「・・・・・・・!!」

「・・・ふさわしい扱いを、お前にしてやろう、栞。海棠と二人掛かりで、ようも俺を馬鹿にしてくれた。」

そう言って振り向いた辰巳の表情は、まぎれもないヤクザのものだった。

 その辰巳の表情を目にして、栞は一瞬、瞳を閉じた。そして小さな吐息とともにそれを開くと、冷静に言葉を口にした。

「・・・・辰巳さん。言っても無駄かもしれないが、俺はあんたを馬鹿にしたつもりは無い。少しで良いから、俺の話を聞いてはくれないか?」

 辰巳は嘲笑した。そして栞の顎を掴むと乱暴に顔を寄せた。

「・・・・確かに。俺はヤクザだよ。栞。あんたには理解出来ないコトが、何よりも大事なんだ。そして、俺は海棠のオンナの言葉なんか聞く気は無い。あんたに出来ることは、俺に突っ込ませるコトだけだ。飛んで火にいるとかという(ことわざ)を、知っているか、栞?」

「・・・・・・・。」

 今は何を言っても無駄だと。栞は観念して瞳を閉じた。

 

23. 羨望

「・・・・・・。」

 不破は。障子を開いて辰巳の部屋に入ると、寝室にしている部屋の閉じられた襖の前に正座して、中の様子を伺った。

「・・・・・・。」

 普段なら、不破も辰巳のプライベート。特にベッドにまでは踏み込まない。だが。栞がもしかすると海棠の何らかの意思に従ってやって来た可能性もある。辰巳を危険から護る意味合いもあって、不破は二人の気配に耳を澄ませた。

「・・・・・・。」

 栞の小さな悲鳴が聞こえる。不破は、辰巳がここで栞を手に入れる事に、もはや反対するつもりはなかった。

 最初はある程度力ずくでも仕方無いと、不破は思っていたし、いずれはきっと。栞も必ず辰巳を愛してくれると、確信していた。

 彼にとって。もっかの心配事は、海棠のコトだけだった。彼の組にメカケと手を組まれる事だけは避けねばならない。だが、三日前に海棠が言った通り、たかが男のケツの事が原因だとすれば、海棠のところの組長(おやじ)がそんな事は許さないだろう。

 栞を抑えてさえしまえば。何とかなる、と不破は不敵に笑った。確かに将来に禍根は残すだろうが、逆の立場なら、それはこっちも同じ事だ、と。

 

 

「・・・・はあ。はあはあはあ。」

 栞は痛みを散らせようと、浅い呼吸を繰り返した。

「・・・・・!!!」

 栞の体内で大きさを増したモノが、物凄い圧迫感とともに奥まで入ってくる。

「うう・・・・。」

 栞は顔を仰け反らした。露になったその喉に、辰巳は唸りながら歯を立てた。強く噛む。

「・・・・・あ・・。」

 痛みを感じて思わず、栞の口から声が漏れる。だが栞は次に訪れるものが、苦痛だけではないことを知っていた。身体が期待にわなないているのが自分でも分かる。

「・・・・・。」

 自分の身体の浅ましさに吐き気を覚えながら。栞は薄っすらと瞳を開いた。

「・・・・・。」

 辰巳の澄んだ美しい目が、ごく間近で栞の狂態を映している。泣きたい気分だった。

「・・・・節操が無くて、醜いよな・・・。」

 荒い息の合間に、栞は辰巳に話し掛けた。

「・・・・・・。」

 辰巳は答えない。

「そう思わないか?誰でも良いんだ。誰の手でも、誰の身体でも反応する・・・・。」

 栞は再び目を閉じた。

 目尻から涙が零れる。

「・・・・・栞。」

 辰巳は。

 行為が始まってから初めての優しい仕草で、それ(・・)を拭った。そしてそのまま首筋に唇を這わせながら、ゆっくりと腰を動かし始めた。

「・・・・・!!!」

 栞が引き攣ったような悲鳴を漏らす。辰巳の動きが少しずつ、激しさを増してくる。

 栞は辰巳の背中に腕を回した。逞しい身体。生命力に溢れた若く美しい獣。

(・・・・欲しいのは、俺の方だ。)

 栞はその背中に思いっ切り爪を立てながら、声にならない叫び声を上げた。

 

 

 辰巳は、グッタリしている栞を満足気に見詰めながら、彼の髪を指で梳いた。優しく梳きながら、栞のむき出しの肩に唇を落とす。強く吸った。

「・・・・・っ。」栞が痛みに顔を歪めて、微かに身を捩ろうとする。

 それを許さず、海棠は、微かに開いた栞の唇に自分のそれを重ねる。浅くついばむようにそれを重ねながら、辰巳は、懇願のように呟いた。

「栞・・・。頼む。俺の傍に居てくれ。ただ傍に居てくれるだけで良いんだ。それだけで・・・。」

「・・・・・・。」

「お前が傍に居てくれるなら、俺は・・・・。海棠に頭を下げても良い・・・。土下座だって。必要があれば・・・!!」

「・・・辰巳さん。」

 その言葉に栞は少しだけ顔を上げて、辰巳の瞳を見詰めた。初めて会った時と同じ、驚くほど澄んだ美しい瞳が栞を見詰めている。栞は、ゆっくりと口を開いた。

「俺は。もう先が(なが)くは無いんだ。」

「・・・・・・・。」

 辰巳は意味が分からなかったようで、微かにそのカタチの良い眉を寄せた。

「アト半年もすれば、死ぬことになる。と言っているんだ。」

「・・・・・何を言っている・・・?」

 辰巳が動きを止めた。栞は瞳を逸らさずに、言葉を続けた。

「頭に性質(たち)の悪い腫瘍があって・・・。もう二ヶ月もすれば、あんたのコトも多分、海棠のコトも忘れてしまう。たくさんのクダラナイ事も。大切な事も何もかもだ・・・。」

「・・・・・・・・。」

「最後には赤ん坊のように、何も分からなくなって。・・・死ぬんだ。」

「・・・・まさか・・・。冗談だろ?」

「あんたがもし。海棠に頭を下げてくれたとしても。その頃には。俺はもうこの世には居ない。・・・俺が今日言いたかったのは、そういうコトだ。」

「・・・・・・・。」

「俺の・・・・。アト数ヶ月の命に免じて。海棠とのコトは収めてくれないか?」

「・・・・・・やめろ、栞。俺はそういう性質(たち)の悪い冗談は嫌いだ。」

 辰巳の声は、酷く掠れていた。栞はようやっと辰巳から視線を逸らすと、小さく笑った。

「辰巳さん。今更、言うまでもないが、人は、皆。いずれ死ぬ。そして俺にははっきりとした期限が決まっているんだ。」

「・・・・・・・・栞。」

「・・・あんたの境遇には同情しているよ。不破さんに訊いた。あんたは確かに孤独な男だ。あんたほど愛情に飢えている男を俺は知らない。まるで母親の乳房を求めて泣いている小さな子供のようだ。」

 栞は視線を戻すと、辰巳の頬に手を充てた。

「・・・・それでも。辰巳さん。俺はあんたが羨ましい。」

「・・・・・・。」

「・・・あんたは若くて美しい。健康な身体も持っている。何事も起こらなければ、10年後の。20年後のこの世界を、見ることが出来るだろう。その可能性を持っているあんたが、俺は死ぬほど羨ましい。」

 辰巳を見詰める栞の両眼から、涙がポロポロ零れる。

「・・・・栞・・・。」

「・・・・あんたも海棠も。無意識かもしれないが。俺の中に、自分より深い絶望と孤独を感じ取ったんだ。だから俺を見て心が安らぐような気がした。そうでなければ。」

「・・・・・・。」

「お前らのような()い男達が、俺のようなオッサンに執着するワケが無かろう。」

「・・・・・・・・栞。」辰巳は泣きそうに歪んだ顔で、栞を見詰めた。生唾を何度も飲み込みながら、乾いた声で問いかける。

「・・・・本当なのか、栞?死ぬというのは、本当の事なのか。医者は・・・?誤診の可能性は?病院を変えて診察し直してもらったのか・・?そうだ。俺の知り合いに専門が脳外科の大学病院の医者(せんせい)がいる。彼に・・・。」

 栞は涙を流していたが、微かに微笑んでいた。そして小さく首を振った。

「・・・あんたが考え付くような事は、多分全部やったよ。」

「・・・・栞!」

(のが)れられない。俺は・・・。もう逃げられないんだ。」

 死という絶対的な運命から。

「栞・・・。」

「・・・・。こんな腐った国でも・・・。俺は。20年後、30年後の姿を見てみたかったと思う。」

「・・・・・・・栞!!」

 辰巳は栞の身体を抱き締めた。栞の身体は熱かった。指を首筋の動脈に這わせる。

 こんなにも熱いのに。心臓の鼓動も流れる血の脈動も感じるのに。

 無くなってしまうというのか?

 すぐに何も。何も無くなってしまうというのか。どうして!?

 辰巳には信じられなかった。栞が呻き声を上げるほど強く両腕に力を込める。

「・・・・海棠は・・・。海棠は知っているのか?」

「・・・いや。」

 辰巳は更に強く、栞を抱き締めた。

「ならば!!・・・栞。ここに居ろ。俺が最後までお前の面倒を見てやる。お前が赤ん坊になったら、おしめだって俺が取り変えてやる。」

 栞は涙を流したままで、苦笑した。

「馬鹿な。あんたにそんな真似が出来るワケないだろ。トイレ掃除ひとつした事無いだろうに?」

「やる。やり方を教えてもらって・・・。きっと、すぐに上手くなる。お前に不自由はさせない。・・・だから俺の。逝くなら、俺の腕の中で逝け・・・!!・・・誰よりも。誰よりも大切にする・・・!!お前が何も分からなくなったとしても。」

「・・・・・・・。」

 栞は。一瞬言葉に詰まった。だが、ゆっくり首を振った。

「・・・・・・気持ちだけは有り難くもらっておく、辰巳。だが、俺は近いうちにホスピスに入る。そして、そこで死ぬ。もう、そう決めたんだ。」

「栞・・・。」

「・・・・辰巳。・・・お前は生きろ。生命(いのち)に汚いくらい執着して行き続けろ。海棠と争う必要などない。海棠だってお前と争う必要は無い。」

「・・・・栞。・・・お前。もしも俺が納得しなかったら・・・。怒った俺に殺されても良いと思って、ここに来たのか?」

「・・・数十年分ならゴメンだが。数ヶ月分の命なら・・・・。海棠にくれてやっても良いかと思ったんだ。・・・俺が今日まで正気を保っていられたのは、あいつのお陰だ。ずっとあいつに八つ当たりをしていたから・・・・。」

「・・・・・・。」辰巳は、唇を噛んだ。栞は言葉を続けた。

「・・・・・そのホスピスはな。漁港が近くて魚が新鮮で美味(うま)いらしい。俺は魚が好物だから、それを楽しみにしているんだ。」

 栞は瞳を閉じた。

 涙は相変わらずその目から、流れ続けていた。

 

 

「・・・・栞を。海棠のマンションに送り届けてやってくれ・・・。」

 寝室から出てきた辰巳の顔を見ないようにして、不破は小さく頷いた。そして。

「大阪の海棠が・・・。上月の行方不明を聞いて、まっすぐコッチに向かっているそうです。」

「・・・・そうか。」

「どうしますか?」

「放っておけ。ここに来るなら、俺が話をする。今日の予定は全てキャンセルだ。」

「はい。」不破は俯いた。二人の会話は全て訊いていた。辰巳に掛ける言葉は何も無かった。

 辰巳は大きな溜め息を吐いた。

 ・・・数十年分ならゴメンだが。数ヶ月分の命なら・・・・。くれてやっても良いかと思った。

 栞の言葉は。確かに。辰巳の。完膚無きまでの敗北を示していた。

「・・・・・。」

 辰巳はそのまま黙って部屋を出て行った。

「・・・・・・。」

 不破は寝室を見詰めた。そして、奥歯を噛み締めた。

 

 

 血相を変えた海棠が、辰巳邸を訪れたのはそれから二時間後のコトだった。

 

−to be continued−

2003.08.02

 次。最終回です。今回ちょっと、えろえろだったかなあ・・?

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