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1. プロローグ
勿論。嫌な予感はしていた。
「・・・・・・・・・。」
高村 栞は、溜め息を吐いた。
栞は、今年36歳の会社員である。オールバックにキッチリと固められた髪。極度の近視のために眼鏡は手放せない。常にスーツをきっちり着込み、夏でも半袖のワイシャツなど着たことも無い。バツいち。妻とは彼女の浮気が原因で10年前に別れた。「こんなツマラナイ男だとは思わなかった。」というのが、ホトンド押し掛け女房だった彼女の出て行く時の弁である。
高校の同級生で、生徒会の書記を務めていた栞に、彼女はずっと憧れていたといって卒業後、家庭の事情ですぐ就職し、一人暮らしを始めた栞のモトに転がり込んで来たのである。すぐに妊娠。結婚というハコビとなった。
だが。愛だの恋だのは、儚いもので、子供が生まれて一年もすると二人の間には隙間風が吹き始め、専業主婦だった妻はお決まりのようにセールスマンとデキてしまい、当事6歳だった息子を連れて、男のモトに去ってしまった。男はその後実家のある大阪に移ったので、栞はそれ以来、数えるほどしか二人に会っていない。
養育費だけは毎月5万円ずつ払っている。本来なら、こちらが慰謝料を請求しても良かったのだが、金に困っているワケでもなかったし、栞には、夫婦仲がウマクいかなくなったのは、妻のせいだけでは無いという自覚もあった。だから、お互い何も奪い合うことはなく離婚(わかれ)た。妻は身勝手なオンナではあったが、ズルイ女ではなかった。自分だけが悪いとは更々思ってはいなかったが、自分が何をしたのかは、ちゃんと分かっていた。
妻と息子が居なくなっても。栞は、特に辛いとも寂しいとも思わなかった。妻が愛想を尽かしても、仕様の無い夫だったというコトである。
その。10年前にはなればなれになった息子が。今年、確か16歳になったハズだが。今どきのガキらしく金色の髪の毛にピアスの穴を開け捲った、栞とはコレッポッチも血の繋がりを感じない。とにかく滅多に会わずに、会えば栞のコトを『あんた』呼ばわりする息子が。
非常識にも真夜中にわざわざ、東京の栞のアパートを訪れ、寝惚け眼(ねぼけまなこ)の栞にこう言った。
「お願いや。お父さん。他に頼むヒトおらへんねん。お父さんが、最後の頼みの綱なんやわ。」
何やら怪しげな、布製の黒い袋(重量はカナリある)を預かってくれという。
「・・・・・・・・・。」
当然、断るべきだった。息子はどうやら学校にも行かずにチンピラ紛いのコトをしているのは分かっていたし、どうもこれには犯罪の匂いがした。
「お願いや。お父さん。」
「・・・・・・。」
栞は断ろうと、レンズが厚めの眼鏡が少し鼻先にずれてきたのを直した。そして。
「・・・・分かった。いつまでだ?」
口をついて出たセリフは、これだった。
「・・・・・・・・。」
息子が帰ってから、栞はバックを前に考え込んだ。
中身を見ないでくれ。
誰にも渡さないでくれ。
この二つが、息子の頼みだった。
「・・・・・隠し場所。考えなきゃな・・・。」
最悪。家捜しされても見つからないところに。
2. 招かれざる客大阪より来る
翌日からも、勿論栞は、長年勤めている会社に出勤した。学歴が高卒だし、栞は真面目ではあっても、有能とはいえないゴク普通の能力しか持っていないコトが分かっていたので、身分不相応な出世は望んではいなかった。どうせ、気軽な一人暮らしで、コレといった趣味も無い(せいぜいが散歩)。特定の女性も居ず、マンションを買う予定もない。毎日食べていけるだけの金がもらえれば、それで良かった。
栞は。そういう無欲な愛すべき、ある意味面白味の無い人間であった。
一週間は何事も起こらなかった。
だが。
丁度、息子の非常識な来訪から、一週間が過ぎた頃。
いきなり栞は、謎の集団に。いや服装や言葉遣いからみて明らかにヤの付く職業。しかも関西方面の訛りを喋る人々に、会社帰りに拉致された。
「・・・・・・・・!!!」
凄まじいブレーキ音とともに。いきなり目の前に真っ黒な外国製高級車が2台停まったと思ったら、中から5、6人のその筋の方々が現れ、栞は、あっという間に車の中に押し込められた。
「・・・・誠(まこと)くんの遺伝学上のお父さんやな。高村 栞さん。」
押し込められたベンツの中には。どうみても年齢は20代で、身の回りモノ全てをブランド物に固めた、偉そうで謙虚という言葉からは縁の無さそうな、栞が今まで見た事も無いようなハンサムで美々しい自信に満ち溢れた男が座っていて、鷹揚にそう言った。
男の。多少外国の血が混じっているのではないかと思うような彫りの深い整った顔立ちに、栞は圧倒された。栞と同じオールバックだが、前髪が数本ハラリという感じで、その美しい顔に落ちていて、それがなんともいえない艶っぽさを演出している。長い睫毛と切れ長の鋭い瞳。適度に日に焼けた肌は、まるで黄金色だ。世の中には、こんな男も居るのだと、栞はこんな場合だったが、感心した。
ちなみに誠とは、我が愚息の名前である。
「・・・・・・。」
こういった事態は、ある程度は覚悟をしていたので、自分でも思ったよりも冷静だと、栞は思った。
「堅気さんに、手荒な真似はしとうないんやよなあ。どっちか言うたら、穏便に済ませたいんや。」
栞を連れ込んだどこかの倉庫のような建物で、さっきの若い男は、そう言った。立ち上がると、男は長身だった。190センチに届くような体躯。胸板は逞しく見事な逆三角形を描いた上半身。腰は引き締まって細く、長い足が続いている。
これに、さっきの男らしくも美しい顔が乗っている。女性にさぞモテルだろう。放っておくわけが無い。
「息子から預かったモンやというたら、見当が付くやろ。どこにある?さっさと言うたら、すぐに帰したる。」
「・・・・息子とは、10年前に別れてから、滅多に会わない。何も預かってない。」
「息子を庇(かぼ)うとるつもりかもしれんが。あんたに渡した言うたんは、誠くんやで。」
「・・・・・・・・。」
自分で喋ってどうする。何のためにわざわざ自分に預けに来たんだ。アシが付き難いからだろが。最近の若いモンはマッタク。栞は天を仰いだ。だが。
「・・・・・知らん。」
「・・・・あれの中身が何か知っとんのか?」
「中身も何も・・・・。何も持っていない。」
「強情なオッサンやな。あのな。アレは組の三日分の上納金や。あんたのドラ息子とその仲間どもは、ヤクザの上前をハネようとしくさったんやで。」
「・・・・・・・・・。」
なんちゅう、命知らずな真似を・・・。さすがの栞も顔色を変えた。
誠は。殺されるかもしれない。いや、まさか。もう・・・・!?
「ま、誠は・・・!!誠は、無事なのか!?」
「ヤクザの上前をハネよったんやで?普通は生きではおらんわなあ。今頃は魚の餌や。」
「ひ・・・・・!!」
「けど、まあ。ガキどもやよってな。金が返ってくれば、腕の一本くらいで済ませたろ思うとるんや。死ぬよりマシやろ?」
「腕・・・・?き・・・切り落とすとか・・・?」
「凄いこと言いよるオッサンやな。・・・せいぜいハンマーで叩き折るくらいや。」
「・・・・は、はんまー・・・・・・。」
「死ぬより、大分マシやろ?な。だから教えてくれ。金は、どこや?」
「・・・・知らん。」
「何やて?」
男の目が。スッと。剣呑な光を湛えて眇められた。
「・・・・誠に会わせてくれ。」栞は。震える声で、男に頼んだ。
「・・・調子に乗るんやないで。オッサン。」
男は。ゆっくり息を吐くと、顎で配下らしいオトコ達に指示を出した。
3. 変人
「・・・・・・・・・。」
栞が重たい目蓋を開くと、自分の眼鏡が転がっているのがぼんやりと見えた。栞は近眼だから、眼鏡がないとホトンド何も見えない。無意識にそれに手を伸ばそうとした。途端。
「・・・・・痛っ!!!!」
身体中に、激痛が走る。
あのアト。情け容赦なく殴る蹴るのリンチを受けた。差し障りがあるのか、顔はアマリ殴られなかったが、その分身体の方を、シツコイほど殴られた。スーツのポケットを探られ、部屋の鍵も盗られた。今頃はアパートを家捜しされているのだろう。
とにかく。栞は眼鏡がないとどうにもならない。栞の伸ばした手からの距離は2メートルほどだが、今の栞には、20キロあるのと違いはない。
「・・・・・・・・。」
ホフク前進のようなカタチで、栞は呻きながら眼鏡に向かった。あと少しで届くという時。
「・・・・・・あ!!!」
それは。ヒョイと誰かの手で拾い上げられた。
何しやがる、と歯を剥き出して、その相手を睨み上げる。
「眼鏡を取ろうとしたんか?オッサン、近視か?」
さっきのブランド野郎だった。男は少しも悪びれず、栞を見下ろしていた。
「・・・・返してくれ。」
「・・・・・喋る気になったか?」
「・・・・・・・・。」
「強情なだけやのうて、意地っ張りなオッサンやな。頑固というヤツか?」
相手はあきれたように、栞を見下ろした。それから眼鏡を返してくれた。
「若頭・・・・!!」
ずっとこの若い男に付き従っていた、栞と同じ歳くらいの男がドアを開けて入ってきた。会った時から、ずっと思っていたが、俳優の佐藤 浩市にちょっと似た、渋い感じの男前だった。サングラスが良く似合っている。身体つきは男同様。いや身長は男よりは幾分低いが、その分横に厚かった。太っているのではなく、逞しいのだ。やはり見事な逆三角形を描いた上半身。身長も男には及ばないとはいえ180cmを優に超えているだろう。
栞は自分が昔から『青びょうたん』と呼ばれるような色素が薄い容姿で、身長も170センチを僅かに切る。運動をしても大して筋肉もつかず、運動神経も良くなかった。だから、こういう男には、心底憧れる。ああ。こんな風に生まれたかった。
佐藤 浩市似のヤクザは、チラリと栞を見た。それから、若い男に向かって。
「アパートの部屋からは、見つからないそうです。」
「・・・・・・・・。」
若い男は溜め息を吐いた。
「どないする?オッサン。このままやったら、あんたも息子も死ぬ事になるで。」
「・・・・・息子に会わせてくれ。」栞は冷たい倉庫の床から何とか起き上がると、男に頭を下げた。
「会うてどうするんや?」若い男は、首を傾げた。
「息子の口からコトの経緯を聞きたい。」
「・・・・・・・・。」
「・・・・息子の言うことしか、信じる気はない。」
「・・・・・そんなに息子が可愛いか?」男は薄い嘲笑を見せた。だが、栞は首を振った。
「・・・・逆だ。」
「・・・・・何やて・・・?」
栞は、ゆっくりと息を吐いて、男の目を見た。呻くように囁く。
「俺は。息子が生まれてから一度も、息子を可愛いと思ったコトが無い。・・・だからだ。」
「・・・・・・・・。」男は、まっすぐに栞の目を見返した。僅かな嘘も許さないような、厳しい眼差し。やがて。
「加納(かのう)。」男は、傍らの男に声を掛けた。
「はい。」佐藤 浩市似の男が答える。
「誠を、ここへ連れて来い。」
「わかりやした。」
加納と呼ばれた男は、静かに立ち上がると、素早く倉庫を出て行った。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
現在、倉庫の中には、この若い男と栞の二人きりである。男にじっと見詰められて、栞は何だか居心地が悪かった。
「・・・・・間宮(まみや) 亨(とおる)や。」
「え・・・・?」
「俺の名前や。・・・・組の若頭で、組長(おやじ)の孫や。」
「・・・・・・。・・・・よ、よろしく?」他に言うべき言葉も見つからなかったので、栞は取り合えずそう言った。
「・・・・・・・!!!!」
間宮はいきなり爆笑した。腹を抱えて笑いながら、こう言う。
「・・・・・・・・あっはははは!!!!あんた。もの凄い、変わりモンやな!!!」
「・・・・・・そんなことは。言われたコトは無い。」
「・・・・・・!!!」
栞の言葉に、男はやっぱり爆笑し、シツコク笑い続けた。
4. 危機
「・・・・・・・・。」
栞は夜中になっても。倉庫に転がされたままだった。全身が重い。今日受けた暴力によって、少しの動きで激しく痛む。多少、発熱もしているのかもしれない。
「・・・・・・・・。」
栞の見張りに残されただろうヤクザは、二人。倉庫の隅に置かれたテーブルでカードか花札だかに興じている。
「・・・・・・・・。」
熱のせいか。栞は少しウトウトまどろんでいたようだ。だから、人が入ってきたのにも気付かなかった。
「・・・・・お前らはメシでも喰って来いや。アトは俺が見張る。」
誰かが、そう言っているのが聞こえた。それじゃ、申し訳ないとか何とか言っている若い声が聞こえたが、結局はそれじゃ甘えさせてもらいますとか何とか言うのが聞こえた。
「・・・・・・・?」
薄く目を開くと、男が一人で、こっちに向かって来るトコロだった。
「・・・・・・こんな時に良く眠れるもんやな。太い肝っ玉やで。こんなに華奢やのにな。ここなんか力を入れたら、握り潰せそうや。」
「・・・・・・・!!」
いきなり右手首を掴まれて、栞は一気に目を覚ました。目の前には例の佐藤 浩市。いや、加納と呼ばれていた男の渋い顔があった。
「・・・・・な、何でしょう・・・?あ!!・・・誠が・・・!?」
息子が到着したのかと思って、慌てて起き上がって周囲を見回す。加納はそれでも栞の手首を離さなかった。
「・・・・あんたの息子が着くのは、どんなに急いでも、早朝になるやろな。」加納は渋い笑みを浮べながら、薄い色のサングラスを外した。やっぱり好い男だ。
「・・・・・そうですか。」
栞は加納に見惚れながら、なら、一体何の用事だろうと思ったが、そんな事を問い質せる立場では無いので黙って加納を見ていた。
「・・・・つまり。時間はある、っちゅうことや。」
「はい?」
加納は栞の両の二の腕を掴み直すと、乱暴に自分の方に引き寄せた。
「・・・・・・白い肌やな。」
右手を栞の背中に回すと、左手を栞の顎の下に差し込んで顎を持ち上げた。露になった首筋にそのまま手を這わせて喉仏を撫で擦る。
「はい?」栞はくすぐったさに身を竦めた。
「肌理(きめ)も細こうて、綺麗や。オンナ顔負けやな。」
こんな時でも、ワイシャツの第一ボタンまでキッチリ留めて、ネクタイも乱れていない栞の服装に、加納は小さく苦笑した。
「はい?」
「あんた、女房と別れてからずっと独り身やそうやけど、オトコとは経験あるんか?」
「はあ!?」栞は自分でも素っ頓狂だと思う声を上げた。独り身だとゲイなのか。短絡的過ぎるだろう。偏見も入っているし。栞はちょっと怒った。だが。
「・・・・・無いんか?・・・初物は、ちょう苦手なんやけどな。」
そう溜め息を吐く加納に。栞はふっと。嫌な感じを覚えた。
「・・・まあ、しゃあないな。」
加納はそう言うと同時に、栞を組み敷いた。
「・・・・・・・!!?」
栞は一瞬、固まった。
何が何だか分からなかった。
加納の唇が栞の唇を捕らえるまでは。
「うわあああああああっ!!!」
「・・・・・・っ!」
いきなり暴れ出した栞に、加納は舌打ちした。
「ええから。オトナししとれ!!」
怒鳴るでもなくそう言った。
「い・・・!!いやだっ!!!放せっ!!放してくれっ!!!!」栞は叫んだ。
「・・・・・・!!!」
途端。頬に凄まじい一撃がきた。特に強く叩かれたとも思えなかったのに、手首のスナップが利いて凄い威力だった。一発で意識が持っていかれそうになる。
「大声を、出すんやない。・・・ええから黙って俺のオンナになれ。悪いようには、せん。」
「・・・お、オンナって・・・・・。ゲ、ゲイ・・・・!?」
栞は呆然と、加納の。そのオンナなら誰も放っておかないだろう美貌を見詰めた。
「別に。オンナだって充分鳴かせられるで。」加納は見惚れるほど魅力的な笑顔でそう言った。
「・・・・・・・!!!」
ホンモノだ!!栞は血の気が引いた。
栞にも、オトコ同士の性交に多少の知識はあった。アナルを使った性交は、男女間でも行われる。
だが、痛いハズだ!!ソープで前立腺マッサージとやらをされた同僚が、ソープのおジョウさんの細い指でも痛かったと言っていた。
オトコは・・・・!!挿(い)れるのだろう?然るべきものを!!!
「絶対、無理だっ!!!!!」
栞は狂ったように暴れた。
「大体、何で、俺なんかと!?」
自慢じゃないが、栞はその手の男たちにモテタことは無い。いや、勿論。女性にも大してモテないのだが。
確かに華奢かもしれないが、少年のように中性的でもなく、加納のように男性的でもない。肌が白い?キメが細かい?初めて言われた。
「・・・・あんただったら、選り取りミドリだろう!?面白半分にツマミ食いみたいな真似は止めてくれ!!」栞は半泣きで叫んだ。
「ツマミ食い?・・・あんた、ホンマに面白いヤツやな。本気で気に入ったで。この件が終わったら、若頭に頼んであんたを下げ渡してもらうさかい。」
加納はそう言うと、一層強く栞を腕の中に引き寄せた。愛しくてならないという風に、抱き締める。
下げ渡す?
大奥か!?ここは!!!
「ちょっ・・・・・!!!うわっ!!」
気が付くと。いつの間にか、ワイシャツのボタンは全て外されていた。
「・・・・・・・・。」
肌蹴られた胸元から、加納の大きな手の平が入り込んでくる。素肌の感触を楽しむかのように撫で擦る。栞は、何も感じないが、親指の腹で乳首をコネられると、嫌悪感で総毛立った。この際、相手が男前だろうが関係ない。栞は完璧なストレートだ。
「やめてくれ!!頼む!!!イヤだっ!!!」
力では完璧に敵わない。女のように抑え付けられて、身動き一つ取れない。栞は、自分のアマリの非力さに、情けなくて涙が出てきた。
その時。
「・・・・・その辺で、やめとけ!加納。」
誰かの声が掛かった。
弾かれたように。栞の身体の上の男が反応した。振り返って相手を確認すると、すぐ飛び起きる。
「・・・・・若頭!?・・・・ど、どうしてココに・・・?」
「・・・・・・・。」
見ると、間宮が苦りきった顔で、二人を見ていた。
「・・・・ソイツを好きにしてええなんて、言うた覚えはないで。」
間宮は小さく舌打ちした。
「・・・・・今夜は。例の銀座で拾ったホステスと朝まで過ごされるもんやと・・・・。」
「・・・・お前が朝までには帰る、言うて、どこぞに行ったと訊いたんで、ひょっとしたらこんな事やないかと思うたんや。昼間、妙な目で栞を見とったからな。」
「・・・・・金が返って来たら、もうこの男に用は無いですやろ。そしたら・・・。俺に、もらえませんか?」
「・・・・こんなオッサンのどこがええんや?大体、いつもの、お前の趣味と違うやないか。」
間宮も加納が両刀だというコトは知っていた。だが、今まで彼が相手にしているのは、ストレートの間宮でも納得するような美青年ばかりだった。
「顔や身体だけ綺麗な人形は、アクマで遊び相手ですわ。」加納は、涼しい顔で断言した。
「生涯の伴侶は別でっしゃろ。」
「・・・・だからといって、ノンケの堅気に・・・・。」
「・・・・気に入ったんです。顔も確かに綺麗とは言えんかもしれまへんが、俺好みの顔や。堅気さんに手を出すのはマズイのは承知しとりますが、こいつは、ずっと独り身で、もう身内も昔の女房子供以外はおらん。急に姿を消しても、ナンとでもなりますやろ?」
加納は懇願するように、言った。だが。
「・・・・・・あかん。」間宮は、微妙に加納から目を逸らして、そう言った。
「若頭・・・・!!」
「・・・・・・・あかん。何と言われても、あかんで!!栞、来い!!ここに居ったら、手籠(てご)めにされてまうで。」そして、栞を見た。
「・・・・・・・・・。」
栞は大慌てで、乱れた服装を整えるとそそくさと立ち上がった。そして、間宮のトコロへ走って行った。
「加納。お前は、今日はもうええ。好きにしろ。何だったらオトコでもオンナでも買いに行け。明日、誠が来たら、ホテルまで迎えに来い。」
「待って下さい。栞をどうするつもりなんですか?まさか・・・・。」
「アホ。頭冷せ。俺にはそんな趣味はないわ。ここに置いといたら、お前に犯(や)られるやろう。やから、今晩は俺の部屋に泊める。」
「・・・・・・・・・。」
加納は唇を噛んだ。
「怒るな、加納。」
「・・・・・怒っとりません。」
「ちょっと、頭を冷せ。高校生のガキやないやろ。」
「・・・・・は。」
「行くで。栞。」
「・・・・・・・・。」
いつの間にか、二人の間で栞、栞と呼び捨てにされているのが、不快だったが。今はこの場を逃げるのが先決だと、慌てて間宮の大きな背中を追い掛けた。
5. 意地
「・・・・・・・・・。」
間宮と栞は、見覚えのあるベンツの後部座席に二人で乗り込んだ。行き先は運転手には分かっているらしく乗り込んだ途端に滑るように滑らかに車は動き出した。
間宮は暫く無言で、じろじろ栞を上から下まで眺めていたが。やがて。
「・・・・・・・・・・趣味ワル・・・。」ポツリと呟いた。
「・・・・・・・・・・。」
栞も実は、その通りだと思っていたが、何となくムカッときた。
「・・・・けっこう美的センスのあるヤツやと思うてたんやが・・・。一体、どこがええんや。こんなオッサン。」
馬鹿にしたようなセリフに、栞は本当にカチンときた。
「肌が白くて、肌理(キメ)が細かいと言われた。そこらのオンナより綺麗だと。」
別に自分ではそんな事思っていなかったが、何となく悔しくて、見得を張った。
「・・・・・・・。」
「っ!!!?」
その途端。
いきなり顎を掴んで引き寄せられた。
「・・・・・・!!!」
さっきの今だったので、マジでビビって硬直している栞を、間宮は、ゆっくりと検分するように時間を掛けて見詰めていた。
「・・・・・・・ふん。・・・それはホンマやな。」
言葉とともに、間宮は栞を開放して目を逸らすと、ベンツの背凭れに背中を預けた。
「はい・・・?」
仰天したのは、栞だった。こいつら、どうかしているんじゃないのか!?納得するなよっ!!!
栞の心の中の叫びとともに、ベンツは夜の闇を疾走していった。
「・・・・・・・・・!!!!」
連れてこられたのは。
栞が一度も足を踏み入れたことも無いような、超高級ホテルのペントハウスだった。
リビングの大きな窓から見える都会の夜の街並みは、まるで星屑を散らしたようだ。
「すっげーーー。」
若者のような言葉を吐きながら、栞はその光景に見惚れていた。
「栞。ここで寝ろ。毛布が欲しけりゃフロントに頼め。」
間宮は、リビングのソファを指差した。その時。
「・・・・・もう。どこに行っていたのよ。きゃっ!!誰よっ!?」
寝室らしき部屋のドアが開いて、裸にシーツを巻きつけただけの。物凄い美女が現れた。
「・・・・こ、こんばんは。」
仰天したのは、栞も同じだが。取り合えず挨拶をした。
「・・・・・・・!!!」
間宮は、そんな栞を見て、また笑い転げている。ほんと、不愉快なヤツだ。まあヤクザだから礼儀知らずでも仕様がないか。
「誰よ。亨!?・・・まさか。3P!?」
「ちゃう。こいつのコトは気にすな。ベッドで待っとれ。」間宮は笑いながら、女を寝室に押し返した。そして。
ふいにヤクザの顔になって、間宮は鋭く栞を見た。
「・・・・わかっとるやろうが、この部屋からは出るなよ。廊下には組員が大勢居るし、あんたが逃げたら息子は死ぬで。」
「・・・・・逃げません。」
栞は唇を噛んだ。
「そう願う。あんたを殺したりはしとうないからな。あ、そうや。栞。」
ついでのように、間宮は言った。
「寝室を覗くなよ。声をオカズにマスくらい掻いてもええけどな。」
「な・・・・!!!」
真っ赤になった栞に向かって、もう一度爆笑すると、間宮はオンナを追って、寝室に入って行った。
「くそうっ!!!」
さっきまで、助けてもらった礼をいつ言おうかと考えていたが、ヤクザなんかに礼なんかする必要は一切無い。栞はそう思い直した。モトモト、あっちが悪いんだ!!
「・・・・・どうしたの・・・?」
組み敷いたオンナが甘えた声で間宮を見上げる。
「何でもない。」
間宮はくすくす笑いながら、女の白い肌に顔を寄せた。
ふいに。
「・・・・・!!」
さっきベンツの中で見た、栞の真っ白な肌を思い出した。
(色素が薄いんやな。)間宮は思った。髪の毛も。思ったより長い睫毛の一本一本も茶色がかっていた。分厚い眼鏡の奥の思ったより大きなキラキラした瞳も黒というより茶色っぽかった。
「・・・・・・・。」
間宮は。オンナの肌を貪りながら。自分が今、なぜそんなコトを考えているのか少し不思議に思った。
6. 拉致
「・・・・・・・・・・おい!!」
頬を乱暴に叩かれた。
「う・・・んんんん。」
熟睡していた栞は、呻いた。頬に触る手を右手で払うと反対方向に寝返りを打って、もう一度眠りの世界に入っていこうとする。
「おい。起きろ。起きんと犯すぞ。」
「・・・・・・!!!」
その言葉に、栞はパッチリと目を開いた。
「う・・・・うわ!!」
「何が、うわや。」
眠っている栞を見下ろすカタチで、加納がソファに座っていた。
「な・・・・・!?」
栞は物凄い勢いで後退さると、キョロキョロと辺りを見回す。
「・・・・・・・・起こしただけや。」
加納は、ちょっと哀しそうにそう言った。
「・・・・・おはようございます。すいません。」栞はちょっと罪悪感を感じた。
「・・・あんたの息子が。到着したで。」
「・・・・・・・・そうですか・・・。」
栞は心底ホッとした。誠は、本当に無事らしい。
ホテルのロビーに向かうエレベーターの中で。
「・・・・昨夜はゆっくり眠れたんか?栞。」間宮が面白そうに問いかけてきた。
栞が答えるより早く。
「そりゃもうグッスリ。」
加納が間宮に答えた。
「俺が覆い被さって、犯すぞと言うまで寝こけてましたわ。」
「・・・・・・・・。」
事実なので、栞は反論しなかった。
ホテルのエントランスには、ベンツが数台3人の到着を待ち構えていた。
「・・・・栞は、俺と一緒に後部座席に乗れ。加納は助手席や。」
「・・・・・・は。」
加納は、一瞬眉間にシワを寄せたが、何も言わなかった。
「頭は、冷したんやろな。」
間宮が鋭い目を加納に向ける。
「・・・・はい。」
加納は小さく答えた。
「・・・・・・・・・。」
ベンツの前まで来た加納は、左右に気を配りながら、後部座席のドアを開く。勿論、回りには、複数の組員が立っている。
「・・・・・・・・・。」
間宮が車に乗ろうとした瞬間。
「・・・・!!!!」
「若頭っ!!!」
「・・・・・・?」
妙な音が聞こえた。
ヤクザたちは、鋭い怒号とともに、全員が身を伏せた。
「・・・・・・!!!」
加納も間宮の身体を大慌てでベンツに押し込んでドアを閉める。
「・・・・・・・・?」
栞だけが。
何が起こっているのか把握できていなかった。
ぼんやりと突っ立ったまま、周りを見ている。
「・・・・栞っ!!銃撃やっ!!伏せるんや!!」
加納が栞に向かって叫んだ。同時に駆け寄って来ようとするのが見えた。
「・・・・・えっ!?」
栞がびっくりして、床にしゃがむのと。
彼の目の前に、車が停まるのはほぼ同時だった。
「・・・・・・えっ!?」
気付くと。
栞は、目の前に停まった車に押し込められていた。
「・・・・・栞っ!!!」
血相を変えた加納が、栞が乗せられた車に追い縋りながら、そう叫ぶのが窓越しに見えた。
「・・・・・!!!」
ベンツに押し込められたハズの間宮も、車から飛び出して来て、栞の名を叫んでいるのが分かった。
「・・・・・・・!!!」
分かったと同時に、後頭部を誰かに殴られて、意識が闇に沈んだ。
7. 陵辱
本当にこいつが、間宮の情夫(イロ)なのか。という言葉が頭上から聞こえていた。
でも、ホテルの部屋から仲良く出てきましたで。と誰かが答えている。あと攫ったときも血相を変えてましたと。言っていた。
へえ。あのオトコにそういう趣味があったとはね。ともう一人が感心したように、栞の顎を持ち上げた。
「・・・・・・!!!」
栞は、瞳を開いた。そこは。どこかの事務所の一室といった感じの部屋だった。
「・・・・・・・・・。タダのオッサンじゃねえか。」
数人のオトコが栞を見下ろしていた。勿論。見るからにその筋の方々である。
「・・・・!!!!!!」
栞は自分の顎を掴んだ手を振り払おうとした。だが。返って力を込められる。
「い、・・・痛い・・・!!」
栞は呻いた。
「あんた。間宮の情夫(イロ)か?」
「はあ!?」目の前の狐目の男の言葉に、栞はマヌケな声を返す。
「ホンマの事を言うわけないか。けど。・・・・昨夜、一晩、一緒やったんやな。」
「そ、そうだけど。それは・・・・!」
「間違いないな。東京にお気に入りが出来たとは聞いとったけどな。」
みなまで聞かず、オトコは栞の顎から手を離した。
「まあ。人の趣味はイロイロや。それに、よっぽどアッチの具合がええのかもしれまへんしな。」
オトコ達は、下卑た笑いを浮かべながら、栞を見た。
その衝撃に、栞は小さな悲鳴を漏らした。
「・・・・・・っ!!!!」
もう何人目なのか、さっぱり解らない。
もう腰にほとんど感覚がなくなっている。ただ、圧し掛かってくるオトコの動きにあわせて身体が揺さぶられるだけだ。
最初の頃の。信じられないような激痛が無くなっただけでも良かった。
精液と血でぐちゃぐちゃの身体は気持ち悪いが。どうやらコレが潤滑油の働きをして、入ってくるモノをスムーズに受け入れているらしい。
「何だ。まだ、やっているのか?好きだな。」
誰かの声がする。
「ナカナカ具合が良い。鳴きもなかなかイロっぽいしな。」
一斉に笑い声が湧く。
ちくしょう。
栞は唇を噛んだ。
「・・・・・・・・・。」
数人のオトコたちに抑え付けられて、栞は敵う訳が無いとは分かっていたが、最初のうちは死に物狂いで抵抗した。
意識が飛ぶほど顔を殴りつけられても、身体が動く限りは抗った。
それほど惜しい顔だちでもないが。
今はどんな状況になっているのか、少し気になった。
「う・・・・・!!!」
小さく呻いて、栞の腹の上の男がイク。
「・・・・・・・・・・。」
栞は目を閉じて、大きく息を吐いた。途端。男が顔を寄せてきたのに仰天して、反射的に右手で男の頬を叩いた。
「・・・・・・・!!!」
倍返しが来た。
殴り飛ばされて、くらくらした顎を取られて、無理矢理唇を合わせられた。痛いほど舌を吸われる。
「・・・・・・うう。」栞は呻いた。すると。
「おい。どけ。」
別の男の声が聞こえた。
まだ、やる気か?栞は呆然とした。
このままでは本当にヤリ殺されるかもしれない。そう思った時。
何だか、別の部屋で物凄い音が聞こえた。
気のせいか、複数の人間の叫び声も。
「何や!?」
「どうしたっ!!?」
栞を犯していた男たちが、ズボンを引き上げながら、大慌てで部屋を飛び出していく。
「・・・・・・・・。」
栞は呻きながら、身体を起こそうとした。冷たいコンクリートの床の上だった。それだけでも身体が痛い。周りを見回す。だが眼鏡が無いと何も見えない。栞の眼鏡は、最初殴られた時にその辺に転がって行ったハズだったが、今の状態ではとても見つけられそうには無かった。
「・・・・・・・・・。」
栞は溜め息を吐いた。多分、無残な有り様だろう自分の姿を何とかしたいが、これではどうしようもない。何とか上半身を持ち上げると、壁を背にして凭れ掛かった。それだけでも、大変な苦行で息が上がった。それを整えていた、その時。
「・・・・・・・!!!」
凄い勢いでドアが開くと、誰かが部屋の中に飛び込んできた。
「・・・・・・・。」
栞はビクリと身体を竦めたが、眼鏡が無いため、相手が誰かは解らない。
「・・・・・栞っ!!!」
声で分かった。加納だ。
「栞!!」
加納は真っ直ぐ走ってくると、呆然としている栞を抱き締めた。
「・・・・いや、あの。・・・・・・汚い。俺、汚れてますから・・・・。」
栞は加納の仕立ての良さそうなスーツを心配して、思わずそう言った。栞の身体は男の精液塗れだった。そして。その声は酷く掠れていて、自分でもびっくりした。
「・・・・・何を、馬鹿な・・・!!!」
眼鏡の無い栞には見えなかったが。加納は酷く辛そうな顔で、栞を抱き締める腕に力を込めた。栞のまるで吐息のような恐ろしく掠れた声。声が枯れるほど泣き叫んでいたのだと、栞の無残な姿から、容易に想像がついた。
「加納っ!!見つかったんかっ!?」
続いてもう一人、大柄な影が部屋に飛び込んで来た。こっちも顔は見えないが、声で分かった。
「・・・・・若頭・・・。車で待っていて下さいと言うたやないですか。」
加納が栞を抱き締めたまま、ゆっくりと振り返る。
「・・・・・・・!!!」
間宮は。栞の姿を見て、息を飲んだ。そして、唇を噛み締めると。その両拳を握り締めた。それが、ブルブルと小刻みに震えている。
「・・・・・・殺してやる。」
低い。小さな呻き声が、地を這う呪詛のように聞こえた。
「殺されなかっただけでも、良かった。」加納が呟く。
「・・・・・・・・。」
それには答えず。間宮は大股で栞に近付くと、自分のスーツの上着を脱いで、ホトンド裸の栞の身体に掛けようとした。
「・・・・いや。ホントに、汚れますから。」
多分、栞の給料のひと月分が軽く吹っ飛ぶようなブランド物だ。拒もうとした栞を。
「・・・・・・何を言うとるんや。」
間宮は咎めるように、栞の髪の毛を撫でた。
「・・・俺のせいやないか・・・。こんな目に遭うたのは、俺のせいや。・・・あんたには何の関わりも無い事に、巻き込んでしもうた。」
間宮は強引に掛けた上着ごと、栞を抱き締めた。加納は、無言で後ろに下がった。
「・・・・・・・・・・。」
間宮は栞を壊れ物を扱うように抱いて、やさしく背中を撫でた。
「・・・・・怖かったやろう。」
「・・・・・・・・・・。」
優しい声が耳元で聞こえる。その腕が温かいと思った瞬間。栞の目から、涙が零れた。一度溢れると、アトからアトから零れて止まらなかった。
「・・・・・ごめんなあ。」間宮は栞の背中を撫で続ける。
「・・・・・・・・・。」オンナのようで情け無いと思いながらも。栞はひと時だけ甘えるコトにした。さすがに身も心もボロボロだった。
「若頭。」
加納が、間宮にシーツのようなモノを差し出した。
「・・・・・・・・医者へ連れて行く。」
間宮は少しだけ身体を離すと、栞の身体をシーツでしっかりと包んでから、その腕に抱き上げた。
「・・・・えっ!?!いっ、いや・・・・。歩ける。歩けますから・・・!!」正直、無理なことは分かっていたが、男に抱かれて移動するようなコトは、ゴメンだった。肩でも貸してもらえれば何とかなるだろう。だが。
「ええから。」
抗議する栞の言葉は、無視された。間宮は栞を軽々と抱いたまま、出口らしい場所に向かう。
「・・・・若頭。あいつら、どないしますか?」加納が顎をしゃくる。その先には、先ほどまで栞を蹂躙していたヤクザたちが何人かは捕らえられているらしい。
「・・・生きているのがイヤになるような目ぇに合わせてから、殺せ。」
感情の籠もらない、氷のような声がそう言った。
「・・・わかりました。」加納が底光りするような瞳で、それに応える。
「・・・・いや。ちょう、待て。」間宮は足を止めた。そして、腕の中の栞を見詰める。さんざん殴られたのだろう。顔は無残なほど腫れ上がり、目も潰れ掛けている。間宮は怒りのアマリ、軽い眩暈を感じた。
「加納、チャカや。それから、相良(さがら)をここへ連れて来い。」
鋭い声で指示する。一分も経たずに。
「・・・・・・・・・・!!!」
情けない悲鳴を上げながら、一人の男が間宮の前に引き摺って来られた。
「!!!」
栞を最初に犯した、狐目の男だった。
「・・・・・ま、間宮の若・・・・!!俺が悪かった。どうか堪忍してくれ・・・・!!」
相良と呼ばれた男は、恥も外聞も無く、間宮の足に縋りつこうとした。
「舐めとんのか、わりゃああっ!!!何をしでかしたと、思うてけつかるんやっ!?!!!」
間宮は栞を抱いたまま、相良の手が触れる前に、オトコの顔を蹴り飛ばした。相良が情けない悲鳴を上げながら、壁際に吹っ飛ぶ。
「さあ。・・・栞。好きにせえ。」
間宮が促すと、加納が傍に来て、栞の手に拳銃を握らせた。
「・・・ほ、ホンモノ・・・?」
栞は、加納を見た。
「・・・・・・腹を狙え。」加納は軽く頷くと、低い声でそう言った。
「え・・・・?」
「・・・・殺せ、栞。心配するな、絶対に罪にはならん!」間宮も頷く。
「・・・・・ひ・・・!!!」
相良が、情けない悲鳴を上げながら、尻で後退さろうとするのを、間宮の配下の者たちに阻まれる。
「さあ!」間宮が栞を促す。
「・・・・で。出来な・・・・・・・・!!」
出来ない。と言おうとした栞の頭に。自分を散々殴りつけたアト、泣き叫ぶ自分を犯しながら言った男の侮蔑しきったような声が甦った。
『・・・・・どうや?このオカマ野郎。喜こんどるんか?泣くほど嬉しいか!!オトコのコレが無かったら、生きていけんのやろう?』
そう栞を侮辱しながら、その場に居た全員で栞を嘲笑(あざわら)った。
「・・・・・・!!!!!」
怒りが。
どうしようもない口惜しさが、栞から、一瞬だけ思考能力を奪った。
「・・・・・・・・・・。」
気が付くと。
「・・・・・・・・ええんや。当然の報いや。」耳元で囁かれる間宮の声が、遠くに聞こえる。
手の中の鉄の塊が熱を持ち、もういくら引き金を引いても弾は出なかった。その代わり。
「・・・・・・・!!!」
相良は、血塗れで転がっていた。
「・・・・良う、やった。」加納が栞の手から、銃を取る。その声を聞いた瞬間。
「・・・・・・・!」
栞は、完全に意識を失った。
8. 予定外の感情
「・・・・・・・・・・・。」
次に気が付いたのは。
どこかのベッドの上だった。しかもふかふかの。どうやら、昨日のペントハウスの寝室のようだった。
「・・・・・・・・・・・。」
栞はキョロキョロした。やっぱり眼鏡が無いので、何も見えない。
「・・・・・・気ぃ付いたんか・・・?」
疲れたような声が聞こえた。
部屋の入り口らしいドアに凭れて、間宮の長身が立っていた。
「・・・・あ。どうも・・・・。」
「・・・・・・・。」
間宮は、ゆっくりとベッドの傍にやって来た。傍らの椅子に腰を下ろす。小さな溜め息がひとつ。間宮の口から漏れた。
「・・・・・・相良は。元々はウチの組員やったんやが、訳があって破門したんや。俺とは、それまでにもイロイロあって、あいつは俺を憎んどったんや・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・済まんかった。俺と一緒に居ったばっかりに、酷い目ぇに合わせてしもうた。」間宮は頭を下げた。栞はビビった。
「い・・・いや。だって俺はオトコですし。妊娠する心配も無いし。それに、この歳だし。・・・・・昨夜の。綺麗な女性じゃ無くて良かった。」
「・・・・何やて?」間宮は顔を上げた。
「昨夜の・・・・。・・・恋人なんでしょう?彼女に何も無くて、良かったですね。」
「・・・・・・・・・。」
間宮はなんとも、形容しがたい表情で、栞を見詰めた。そして。
「・・・・ホンマに、お前は。・・・・・・何ちゅう変わりモンなんや・・・・。」
そう言うと立ち上がり、栞を引き寄せて、抱き締めた。
「・・・・・はい?」
栞は、随分おたおたしたが。・・・・自分を抱き締める間宮の腕がアマリに優しかったので。何だか応えなければ悪いような気がして、テレながらもおずおずと彼の背中に腕を回した。
「・・・・・・・・・・!」
間宮は。
自分の背中に回されてきた、小さな手の感触に。正直、最初は飛び上がるほど驚いた。
そして、同時に。どうしていいのか分からないほどの衝動が突き上げてくるのを感じた。腕の中のモノが愛しくてたまらない。それはどうにも甘く、どこか切ない。間宮が初めて感じる類いの感情だった。
「・・・・・・・・・。」
間宮は、腕に無意識に力を込めた。
二人は。
暫くそのまま抱き合っていたが。
「・・・・ま、誠は・・・・・・」
口火を切ったのは、栞の方だった。
「・・・・・昨日の倉庫で待たせてある。会いたいか?」
「・・・・・け、決着をつけておかなければ・・・。貴方たちも困るのでしょう?」
栞は。深刻な、震える声でそう言った。
「・・・・・・・・・。」
間宮は。
栞にとっては相良も自分も、所詮、同じヤクザに過ぎないことを。重い気持ちで思い出した。栞をリンチにかけたのは、間宮とて同じだ。
「・・・・そうやな。決着を・・・。着けてもらおうか・・・・。」
間宮は。腕を引き剥がすようにして、ようよう栞から離れた。
「・・・・・訊いてもええか・・・・?」
倉庫に向かうベンツの中で。間宮は外の景色を眺めながら、栞に声を掛けた。
「はい・・・?」
栞のスーツはもはや使い物にならなかったので、間宮は紺色のシャツと生成りのパンツを栞に買い与えていた。栞は神経質に、その襟元を何度も引っ張った。ラフなモノだが、栞のスーツより値は張るはずだ。その肌触りのアマリの良さに、栞は却って着心地は悪いような気すらした。
「・・・息子が生まれてから一度も、息子を可愛いと思ったコトが無い。・・・だからやと。そう言うたな。」
間宮は外を見たまま、言った。
「・・・・はい。」栞は間宮の方を見た。
「どういう意味や?」間宮は少し身体を起こすと、栞の方を向いた。栞は小さく溜め息を吐いた。
「・・・・・俺は。息子を少しも愛せなかった。生まれた時も、汚い小さな生き物だと思った。そのアト、喋って動くようになっても同じだった。」
「・・・・・・・・・。」
間宮は眉間にシワを寄せた。子供を愛せない親のハナシは、間宮も聞いたコトがある。
「子供は。無条件に親に愛されて当然だ。」
唇を噛んだ栞の横顔には、どうしようもない苦悩が滲み出ていた。
「・・・・・・・・・。」
「俺は、どんなに努力しても、それが出来なかった。息子は。俺を子供の頃は『オジさん』と呼び、今は『あんた』と呼ぶ。俺は仕方ない。それが辛いとも思わないろくでもない親父だ。だが。息子は、一度も『お父さん』と何某かの想いを込めて呼ぶ存在を与えられなかった。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・不幸な子供だ。誠は。そうだろう?息子は俺に頼みごとをしたことも、何かをネダったことも。当然だが一度も無い。子供の頃から一度もだ。だから、俺は・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・息子がもし。何かを俺に頼んできたら・・・。それが良いコトでも悪いことでも。」
「・・・・・・・・何がなんでも叶えてやるつもりやったんか。」
間宮は、栞の言葉を遮って、そう言った。
「・・・・・・そうだ。」栞は頷く。
「そんなんは、愛情でも償いでも無いやないか。」
「・・・・・・わかっている。」
「大体、あんた独り身やから、ええやろうけど。もし再婚しとったら・・・・・!!!」間宮は言葉を切った。
「・・・・・・・・。」栞は首を振った。
「・・・・そうか。そのために。再婚しいひんかったんか・・・・。」間宮は呆れたように呟いた。
「・・・・それだけじゃない。結婚には、向いていないんだ。」
「・・・・・アホか!」
間宮は怒鳴ると、栞から顔を背けた。
くだらない。
心底、間宮はそう思った。息子の頼みを聞いてやりたい気持ちは分からないでもない。だが、息子は、面白半分でヤクザの金を奪ったのだ。親子共々殺されても文句は言えない。それを。怒りもせず。息子の軽い気持ちのイタズラ紛いの事のために、命を掛けようとまでする栞の心情は、到底、間宮には理解出来ない。
「・・・・・・・多分俺は。昔から。ヒトとして、何かが足りないのだろう。」
栞は小さくそう呟いて、自嘲すると。窓の外に目をやった。
9. 再会
「・・・・・・・・・・・。」
誠は、イライラしていた。
仲間たちと、ちょっとしたイタズラ心で、ヤクザの上前をハネようと決めた。誰がやったのかなんて分かる訳が無いと皆が思っていた。ほとぼりが冷めるまで、金は、東京の滅多に会わない誠の父親に預けた。
だが。ヤクザたちは、直ぐに誠たちを見付け出した。しらばっくれるなどと言う事は通じなかった。何か言い返す度に、気を失うほど殴られた。
金を返せば、命までは取らないというヤクザの言葉に縋って、父親の事を教えた。
直ぐにでも開放してもらえると思っていたら、父親が、金など知らないと言い張っていると言う。しかも、誠から直接ハナシを訊くまでは何も喋らないと言っていると。
(・・・・・一体、何なんや。)
誠は、面白みの無い、中年男の姿を思い描いた。
父親らしいことなど、今まで一度もしてもらった事など無い。いつも汚いモノでも見るように誠を見ていた。それが。
何を今更、まっとうなコトを。
ちゃんちゃら可笑しかった。
「・・・・・着いたようや。若頭もご一緒や。」
ヤクザたちの言葉に。倉庫の入り口に剣呑な目を向ける。
「・・・・・・・・。」
詰(なじ)ってやろうと思った。自分がまだ開放されないのは『あんた』のせいだ。罵倒してやるつもりだった。
「・・・・・・・!」
入り口から入ってきた数人のオトコのうち、父親だと思った小柄な男は。よく見ると父親じゃなかった。
いや。
「・・・・・親父っ!?!!」
誠は叫んだ。
父親とは思えないほど。
顔が変わっていたのだ。
「・・・・・・親父・・・・!!!」
人間とは思えないほど腫れ上がった顔。目がアマリ開いていず、誠が良く見えないようだ。良く見ると奇妙な歩き方で、足も引き摺っている。
「・・・・こ・・・こいつらに!!やられたんかっ!?」
いきなり頭に血が上った。
「親父は何も関係無いのに!!!何も関係ないんやっ!!!」
誠は叫んだ。
「・・・・そうや!!関係ない真面目に税金も払うてなさるサラリーマンも、お前のせいでこのザマや!!」
栞の後ろに立っている間宮が、大声を上げた。
「・・・・・・!!!!」
「・・・・クソガキ!!お前らの、ちょっとしたイタズラの結末や!!!満足したんか?おとうちゃんが、嫌いやったらしからなあ。」
「・・・・・・・!!!!」
誠は息を呑んで立ち竦んだ。
「・・・・・・誠。」
栞はよろよろと。誠に近付いて来た。
「・・・・・・・・。」
誠は、栞を恐ろしいもののように、思わず後退さる。
「・・・・誠。俺は、お前に何も預かってはいない。・・・・それで良いのか・・・?」
「・・・・お、お父さん・・・・・。」誠は涙をポロポロ零した。
「・・・・・誠。」
「ごめんなあ。・・・・こんなメに遭わせよ、思うたんやないんや。そんなつもりや無かったんや。」
「・・・・・わかっている。そんな事、思ってない。」
「・・・・・鞄・・・・。」
「ん。」
「・・・・・この人らに返してくれ。あれ。俺のモンや無いんや。」
「・・・・・そうか。」栞は、小さく頷いた。そして。
「・・・・・・・・。」
泣いている誠に、オソルオソル手を伸ばす。肩に触れる。
「泣くな。俺は、全然、痛くない。」父親の威厳を掛けて。栞は、究極の痩せ我慢をした。
「・・・・!!お父さん!!」
誠は栞に飛びついて来た。栞は、死にモノ狂いで足を踏ん張って、倒れないようにした。今しないで、いつ痩せ我慢をするんだ、くらいの決死の覚悟だった。
「・・・・・・鞄は、どこや?」
詰まらなそうに、間宮が二人の愁嘆場の背後から声を掛けた。
鞄は、結局、駅のコインロッカーの中に隠してあった。
ただ、鍵は。昔、息子が幼稚園の頃使っていた、黄色いバッグの小さなポケットの中に入れてあったので、家捜しでも気付かれなかったようだった。
息子はそのまま大阪に連れて帰られた。心配ではあったが、命までは取らないという間宮の言葉を信じるしかなかった。痛い目にあって初めて分かる事もある。誠にとって、これがそれなのかもしれなかった。
多分開放されるだろうと思っていた栞は、なぜか再び間宮にペントハウスに連れて来られた。
とにかく休めと言われて、仕方なくベッドに横になった。だが、身体は確かに休息を求めていたらしい。すぐに意識は闇に呑まれた。
「う・・・ん。痛っ・・・・。」
息子相手に、痩せ我慢をしすぎたのか。栞はその夜、高熱を出した。
夢の中は、イヤな事がいっぱいだった。
別れた妻が栞のことを大声で詰(なじ)っていた。会社の上司は、くだらない理由で、栞を叱責した。そして。
たくさんのオトコが栞に圧し掛かってくる。イヤダといくら叫んでも、圧倒的な人数と力に抑え付けられてどうにもならない。
「・・・・・イヤだっ!!!」
栞は叫んだ。無意識に救いを求めるように、腕を伸ばす。
「・・・・・・栞っ・・・!!」
その腕を誰かが掴んだ。
「・・・・大丈夫や。俺が居る。俺がお前を護ったる。もう誰にも何もさせへん・・・・!!お前が助けを求める時は、必ず俺が行くさかい・・・!!」
「・・・・助けて・・・。」
「ああ。助けたる。絶対や。」
栞はその手に縋りついた。男は力強くそれに応えてくれた。
「・・・・・・・・・。」
栞がうなされる度に。その誰かは、栞の手を握り、励まし、髪を優しく撫でてくれた。薬が効いて熱が下がり、栞が安らかな寝息をたて始めるまで。その誰かは、片時も栞の傍を離れなかった。
「・・・・・・・・・。」
ようやく、穏やかな顔で眠り始めた栞の頬に。
間宮は、ゆっくりと唇を落とした。
「・・・・・ゆっくり眠れや。明日はまた、新しい一日が始まるんや。」
そう言って、もう一度、栞の髪の毛を撫でる。
「・・・・イヤな事は、全部、忘れてしまえばええんや。」
そして。
一瞬だけ、惑うように栞の口元で、唇を彷徨わせたが。掠めるように。
ほんの一瞬だけ、それを合わせると、逃げるように部屋を出て行った。
10. 別れ
「・・・栞。」
歯を磨いている栞が見ていた鏡の中に、加納が現れた。もう昼過ぎだとは思うが、栞は寝起きだったので、まだパジャマを着ていた。
「・・・・・だいぶマシになったな。」
栞の顔を指差す。あれから、ほぼ4日経ち、確かに顔の腫れはホトンド引いた。傷はまだ残っているが。
「・・・・・・ほへいなあふらあれ。」栞は何か言いながら、口を濯(ゆす)ぐ。
「・・・何だって?」加納は笑いながら、訊いた。相変わらずの渋い男振りである。
「すっかり迷惑を掛けてしまって・・・。」
栞はタオルで顔を拭きながら、加納に頭を下げた。
「・・・・もう、そろそろ俺らも大阪に帰らにゃならん。こんな長居する予定や無かったしな。いくら、若頭が、組長(おや)っさんの孫でも、ちょっと我が侭を言い過ぎや。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・栞。俺の言ったこと覚えとるか?」
「・・・・え?」
着替えをしようと寝室に向かう栞を追うように、加納は後を付いて来ていた。
「・・・・俺のオンナになれ、言うたやろ。」
「・・・・・あ。」
栞は、パジャマのボタンを二つ外した時点で、固まった。
「・・・・・どうや?」
「・・・・・その・・・。俺は・・・・。その、そういう趣味は・・・・。」
「若頭なら?」
「え・・・?」
「相手が若頭なら、オンナになるか?」
「若頭って・・・・?間宮のことか?何で、間宮が・・・?」
「・・・・分からんかったら、ええ。けど栞。早いもん勝ちという訳やないが、好きになったのは、俺の方が先や。」
加納はそう言うと、栞の肩を掴んだ。
「加納っ!!!」
いきなり傍らのベッドに押し倒された。
「・・・・・大事にする。ホンマや。・・・俺が、嫌いか・・・?」溜め息の出るような、男前の顔が、至近距離から栞を見下ろしている。
「いや。好きとか嫌いとかじゃ・・・・・・。」栞は、呆然と加納を見上げていた。
「・・・・栞。男同士のセックスはわるないで。・・・・この間、酷い目に会うたばっかりやから、そうは思えんやろうが・・・。」
「・・・・・・・・・!!!」
「・・・・天国に、連れて行ったる。」加納は、ゆっくりと栞の新しく誂(あつら)えたばかりの眼鏡を左手で取り去った。
「加の・・・・・!!!んっ!!!」
「・・・・・栞。」
「んんっ!!!」
加納の口付けは巧みだった。軽く吸い付いては唇を柔らかく甘噛みする。その内に、舌がゆっくりと歯列をなぞり進入してきて、栞の舌を引き出す。それを強く吸われて、初めて栞は我に返った。ふと気付くと。
パジャマは半分以上脱がされていた。
「・・・・ああ・・・・!!」栞はもがいた。
「・・・・大丈夫や。栞。気持ちええやろ?」加納は柔らかく栞の抵抗を封じながら、耳朶を噛むように囁く。
「・・・・い、いやだ・・・・・。」
「最後までは、やらへん。栞を気持ち良くさせたりたいだけや。イヤな事は忘れさせたる。セックスはええもんや。」
「・・・・うう・・・。」栞の身体の強張りを溶かすように、あくまで優しく加納の指と手の平が栞を追い上げる。
「・・・・・・あっ・・!!」
「栞。・・・・ええ声や。あんたの声と表情だけで、イッってしまいそうや。」
「・・・・あ・・・・あ・・・・・。」
「・・・好きやで、本気や。・・・遊びで言うとるんとちゃうで・・・。」
「・・・・・・・・。」
次に栞が目覚めた時は、もう夕方だった。
夕日が寝室の窓を照らしていた。
加納はもうどこにも居なかった。
「・・・・・・・・。」
身体に目を落とすと、パジャマはちゃんと着ていた。ただし。別のパジャマだった。身体も綺麗に清められているようだった。
「・・・・・・・・。」
あれは。加納の欲望の出現ではなかった。栞にも分かっていた。レイプされた栞の心に。傷が残らないようにという、加納なりの想いが栞にも伝わっていた。だから、加納は、栞が拒否反応を示すようなコトは何ひとつしようとはしなかった。
ひたすら栞に奉仕して、栞をイカすことだけを考えていた。
甘い言葉も、口付けも。アクマで優しく肌を這う手も唇も。栞には全てが心地良かった。
「・・・・・・・・・。」
栞は溜め息を吐いた。
その時。寝室がノックされた。
「・・・・・寝てるのか。どないした、具合が悪いか?」栞が答えるとともに、間宮が入ってきた。
「・・・いや。つい、寝てしまって。・・・・大丈夫です。」
栞は慌てて起き上がった。
「無理せんでええ。また、熱がぶり返すかもしれん。」
いかにも外出から帰って来たばかりというイデタチの間宮は。寝室に入ってくると、栞の額に手の平を当てた。
「・・・・熱は無いようやな。」幾分ホッとしたようにそう言う。
「・・・・夕飯はどないする?食べたいモンがあったら・・・・・・・。」
そこまで言った時。
「・・・・!?」
間宮の顔が。いきなり強張った。
「・・・・・・・?」栞が怪訝な顔で間宮を見る。
「・・・・誰か・・・・。来たんやな・・・!!誰や!?加納か!?」
低く抑えた。だが、あきらかに怒りを含んだ声が、間宮の口から漏れた。
「・・・・・・え?」
栞は、間宮の怒りの原因が分からず、戸惑ったような声を上げた。
「・・・・・・・!!!」
次の瞬間には、栞は再びベッドに引き倒されていた。
「間宮・・・・!?」栞は、強引に自分に圧し掛かってくる男を呆然と見た。
「・・・・首筋にキスマークが残るようなコトを、二人でしとったんか?」
「き・・・。キスマーク?」
栞の言葉を聞く前に、間宮は栞のパジャマの襟に手を掛けると、力任せに一気に左右に押し開いた。留まっていたボタンが、弾け飛ぶ。
「・・・・・・!!!」
逃げようとする栞を抑えつけて、栞の肌を見る。鮮やかな朱色が、胸を中心に散っていた。
「!!!!!」
間宮は奥歯を噛み締めた。ぎりぎりと、それが鳴る。
「・・・・・・加納がええんか?加納なら、ええんか!?」間宮は血走った目で、栞を見た。
「・・・・・・・!?」栞は。見た事もない間宮の不動明王もかくやとばかりの憤怒の形相に、心底震え上がった。
「ちくしょうっ!!!」
「ま、間宮っ!!!!」
間宮は、いきなり栞に襲い掛かった。抗おうとする腕を抑えつけて。首筋を喰らい付くように舐(ねぶ)る。ズボンを下着ごと引き下ろすと、膝で両足を割り左足を持ち上げるようにして大きく開かせた。閉じようと抵抗するそこへ、自分の腰を無理矢理割り込ませる。
「い・・・!!!いやだああああっ!!!」栞は絶叫した。
「・・・・・・栞っ・・・。誰にも渡さんでっ!!」荒い息の合間に、間宮は叫んだ。栞の身体を弄る手を止めようとはしない。暴れる栞の身体を力任せに抑え込んで、無理矢理コトに及ぼうとする。栞は狂ったように、死に物狂いで暴れる。間宮が舌打ちした。
「いやだっ!!!・・・・た、助けてくれると言ったのにっ!!!嘘吐き野郎っ!!!!」
「・・・・・何やとおっ・・・?」間宮の声に、ヤクザの威嚇用の胴間声に響きがある。
「俺が助けを求めたら・・・・。必ず来て助けてくれると・・・・・。そう言ったくせにっ・・・・・!!!」栞の両眼から涙がボロボロ零れた。
「・・・・・・!!!!」間宮の腕から、力が抜けた。
「・・・・・・・・・。」ベッドにうつ伏せに突っ伏して、声を殺して咽ぶ栞を、間宮は呆然と見下ろした。
「・・・・・・・・・・。」
栞の肩が震えている。間宮などから見れば、同じ男とは思えない、憐れなほど薄い肩。
「俺は・・・・・・。」
間宮は唇を噛んだ。抱き締めてやりたかった。抱き締めて、大丈夫だと言ってやりたかった。だが。
「・・・・俺は。・・・・・あんたのナイトには、なれんわ。」
小さな。震えるようなか細い声で呟くと、ベッドを降りた。そのまま真っ直ぐに寝室のドアに向かう。ノブに手を掛けた。
「・・・・・・・好きなんや・・・。こんなんは初めてで・・・・。どないしたら、ええのか・・・・。」
小さな声で。振り返らずにそう呟くと、部屋を出て行った。
暫くして。
もう一つのドアが閉まる音も聞こえた。ペントハウスのドアを閉める音。
「・・・・・・・・。」
もう。
間宮は、ここに帰って来ないということが。
栞には、ぼんやりと分かった。
11. 友、遠方より来る
大阪に帰ってから二月ほど過ぎた頃。
組の事務所ビルの自分用に与えられた一室で、間宮は加納からシノギについての報告を受けていた。
「若頭。」
加納が、次回のゼネコンの”前捌き”に必要な書類と情報について書いたメモを、間宮に渡しながら、探るような眼差しを充てた。
「・・・・何や?何かトラブルか?」
”サバキ”の話をしていた最中だったので、てっきりその関係だろうと思っていた間宮は。
「・・・・・東京で、泊まっとったホテルの請求書が届きましたで。目を通されますか?」そう言われて、思わず加納の顔をマジマジと見てしまった。通常は、間宮が関わりになるようなハナシではない。
「・・・・・・・・。」加納の表情から。間宮は、栞のハナシだと直感した。だが。
「・・・・・いや。・・・ええ。適当に処理してくれ。」敢えて無視してそう言うと、再び書類に目を落とした。
「・・・・若頭が、大阪に帰られた日に、栞もホテルを出たようでんな。」無視をしたのは、加納も同じだった。
「・・・・・・・・・。」
まだ。身体が癒えていなかっただろうに。間宮は唇を噛んだ。間宮が大阪に帰っても、栞はあのホテルに居たいだけいられるよう、手配してあった。掛かった費用の請求は、全て間宮に回るようにしてあった。ホテル側にもその旨、栞に伝えるよう言ってあった。
自分の世話には、一切なりたくなかった、ということなのか。最後に見たのが、栞の泣き顔だったというのが、しかも自分が泣かせたのだという事実が、間宮には辛かった。
「・・・・会社も、辞めたようでっせ。」
加納の言葉に、間宮は思わず顔を上げた。
「・・・・・このご時世ですからな。何日か無断欠勤したやろし。来たら来たで、あのご面相では。リストラにおうたのかもしれまへんな。」
「・・・・・・・・・。」
「まあ。男ひとり。ホームレスしたかて、何とか暮らしていけるでっしゃろ。」
「・・・・今、どうしているんか、知らんのか?」間宮は掠れた声を出した。
「知りまへん。若頭に、栞には絶対に関わるなときっつう言われましたからな。手を出したら、破門やとまで。」
加納は、不愉快そうに鼻を鳴らした。
「・・・・・・・・。」
「何やったら、改めて調べまひょか?」
知りたかった。心配で堪らなかった。一体、どこで何をして、どんな朝食を取っているのかまで、知りたかった。だが。
「・・・・・ええ。あの男のことは忘れるんや、加納。」間宮は、首を振った。
「若頭。」
「・・・・ええな。破門と言うたのは、嘘やないで。」
間宮の言葉に、加納は、ドンと持っていた書類を間宮の机に叩き付けた。
「・・・・・・・・バカバカしい。一体、何を怖がってはるんです?」怒りを抑えた。加納の低い声が聞こえた。
「何やと?」間宮が加納に剣呑な眼差しを向ける。加納は小さく笑った。
「栞がなびくのは、俺やと思うとるんでっしゃろ?」
「・・・・・加納!!」間宮は歯を剥き出して、加納を見た。
「栞が俺のモンになるんが、面白ないんや。」
「加納おおおおうっ!!!!」
間宮は加納に殴り掛かった。加納は重いパンチを受けても、抵抗はしなかった。
「・・・・・若頭。・・・・・後悔しはりますで。」口から血の混じった唾液をプッと吐き出すと、間宮をしっかりと見据えて加納は言った。
「・・・・・・・黙らんかいっ!!」
「・・・・・・・・・・。」加納は、大きく溜め息を吐いた。
「・・・・・・・・・・。」間宮は、椅子に崩れるように座った。
「・・・・正直。この件で、若頭にこんなコト言うてやる義理は無いんですがね。」
「・・・・・・何や・・・?」
「・・・・・このビルの前のコンビニ。ひと月前に、店長が変わったんですわ。」
「・・・・・・・・・?」
「・・・・その店長。どうやら、東京モンらしいでっせ。」
「・・・・・!!!」間宮は息を飲んで、加納を見た。加納は。
じっと。間宮を見詰めた。
「・・・・・ほんなら、俺はこれで。現場の様子を見てきますわ。」
加納は、唇を噛むと、一礼して間宮に背を向けた。
12. エピローグ
「いらっしゃいませ。」
真夜中過ぎに。
そのコンビニは、一人の客を迎えた。丁度、客が途切れて、店内は空いていた。
「・・・・・・・・。」
ひと月前に転職したばかりの新しい雇われ店長は。レジの前で、その客を見た。
大柄で。かなりの男前。コンビニに、来るような服装はしていなかった。
「・・・・・・・・。」
店長は、何事も無かったように、レジの方に視線を戻す。
「・・・・・・・・。」
場違いな客は、所在なげに陳列棚の間をウロウロしていたが。やがて。買い物用に備え付けているカゴに、たくさんのチロルチョコレートを入れて、レジにやってきた。
「・・・・・いらっしゃいませ。」
店長はもう一度呟くと、カゴの商品に手を伸ばす。
ピッ。
「・・・・・こんなトコロで、何をやっとるんや?」
ピッ。
「・・・・・何で、会社を辞めたんや?」
ピッ。
「・・・・・傷の具合はどうなんや?」
35個のチロルチョコレートが打ち込まれるまで、この不毛な会話は続いた。
「・・・・栞!!!無視せんでくれっ!!頼むから、何か言うてくれ!!」
堪り兼ねたように、間宮は栞の腕を掴んだ。
「・・・・・・・・。」
栞は、大きく溜め息を吐いた。そして。
「・・・・俺は、息子に本当に申し訳ない。」
「え・・・・?」
「・・・息子は。今まで父親に愛情も注がれたコトも無く、ほったらかしにされてきた。それでも、父親はまっとうなサラリーマンで、少なくとも後ろ指を指されるような男では無かった。・・・・けど。今は。勝手に仕事を辞め、養育費だって今まで通り払っていけるかどうかも分からない。しかも理由というのが・・・・・・。」
「・・・・・・?」
「・・・・男に惚れて、去った男を追い掛けて大阪に来たからだ。気が付くと、父親は男色家になっていたという訳だ。本当に、誠は憐れな少年だ。」
「・・・・・・・!!!」
「・・・・・・・・・・。」
栞は、呆然としている間宮を見た。間宮は。
「・・・・・・男を・・・。追い掛けて?惚れた・・・?」掠れた声で呟いた。
「・・・・・・・・。」栞は、俯いて商品を袋に詰め始めた。頬が僅かに赤い。間宮は真剣な顔で、生唾を飲み込んだ。そして。
「・・・・・・加納のコトか・・・?」そう訊いた。
「・・・・・368円です。」
栞は、間宮の鼻先に、物凄い勢いでビニール袋を突き出した。
「・・・・・・え?栞・・・?」
間宮は、うろたえた。うろたえて、栞の顔を覗き込む。
「ありがとうございましたあ。」会話は終わりだと言わんばかりの、栞の慇懃な挨拶に、間宮は人生最大の失敗を悟った。
「・・・・・え?いや。俺やな?栞。俺を追い掛けて来てくれたんやろ?・・・そうなんやな!!」
「ありがとうございましたあ。」だが。栞はまったくニベも無い。
「・・・・いや、そんな。怒るな。ごめん。ごめんて。・・・ちょっと。信じられんかったんや!!!」
取り付くシマもなく、コンビニの商品の補充に忙しく店内を歩き回る小柄な栞に、でかい図体をした間宮はおろおろと付いて歩いた。
その光景を。
「・・・・・・・・・。」
コンビニの駐車場に停めたベンツの中から眺めていた加納は。
「・・・・あほらし。」
そう呟いて、目を閉じた。
間宮でなければ。
生まれて初めての。間宮の本気の恋だと知っていなければ。加納は、絶対に譲らなかった。
「・・・・・・・・・。」
加納は、小さく溜め息を吐いた。そして。
小さく微笑んだ。
−fin−
2003.0808
本当は、これを急いでUPして、栞ちゃんのリンクを外そうかなと、思っていたのですが。
何か。栞ちゃんも良かったとおっしゃって下さる方もいらっしゃるので。やっぱり残しておきます(笑)。
次は。久方ぶりに、零一朗を書きたいな。でも、その前に「君の気高き・・・」を一本書くかも・・・。とどのつまりは、まだ、未定(あはは)。