ろくでなしの神話 3

<5>

16. 懸念

 辰巳は、上機嫌だった。

 ホトンド箸の進まない様子の栞を傍らに置いて。肩を抱き寄せんばかりに、酒を勧めている。勿論、自分もカナリの量を呑んでいた。

「・・・・・・・。」

 不破は改めて栞を見た。

 ヤッパリどう見ても、ただの中年のオッサンだった。

「・・・・・・・。」

 なぜ辰巳はこれほどこの男に(こだわ)るのか。不破は辰巳に声を掛けた。

「・・・若。上月さんはお疲れのようです。今夜はそろそろお開きにしては如何ですか・・・?」

「・・・疲れたか?栞。」

 不破の言葉に、辰巳は栞の顔を覗き込んだ。

(・・・いきなり呼び捨てかよ。)

 栞は眉間に皺を寄せた。

「・・・上月さん。客間に案内させましょう。」

 不破は背後に控えている組員に合図をした。

「いや、・・・俺は。」

 帰る。―――――

 言い掛けた栞の言葉を遮るように、辰巳が言葉を被せた。

「明日は、美味い懐石料理を喰わせるトコロに案内しよう。今日は急だったから仕度(したく)が整わなかったからな。」

「いや・・・。」

「おい。上月さんをご案内しろ。」

 不破はかなり強引に、栞の腕を掴んで立ち上がらせた。そして耳元で囁く。

「・・・・今夜は若の顔を立てて下さい。素人さんに助けてもらってそのままというのでは、若の面子が立ちませんのでね。だが明日になれば・・・。」

 言葉尻に含みをもたせたものの、それはハッキリ言って嘘だった。長年使えてきた以上に。不破は幼馴染としての直感で、辰巳が当分栞を手放すつもりが無いことを察していた。

「・・・・・・。」

 栞は不破のそんな事には気付かず、仕方が無いと言った風に、大きな溜め息を吐いて、不破の言葉に従った。

「・・・・・・・。」

 栞が去った後。

「・・・・若。」

 まだ一人で杯を舐めてる辰巳に、不破が話し掛けた。

 辰巳は満足そうに、半眼で更に自分の杯に酒を注ぐ。そして小さく不破に命じた。

「・・・・不破。栞を逃がすなよ。」

「・・・・お()きして良いですか?」不破は、更に杯を重ねていく辰巳をぼんやりと見詰めた。

「何だ。」

「上月さんを、一体どうするつもりでらっしゃいます?」

「・・・・・。」

 辰巳は答えず、小さな笑いを漏らした。

「私に内緒で、彼の事を調べさせましたね。」

「お前は、調べるつもりが()えようだったからな。他の者に調べさせた。」

 辰巳は、一冊のファイルを不破に投げて寄越した。

「・・・・・。」

 不破は溜め息を吐いて、ファイルを開いた。栞の身辺の調査報告書を。

 

 

『・・・あのオトコの事を、調べろ。』

 栞に助けられた後。辰巳はすぐさま不破に命じた。

『・・・あの男は、なぜ俺を助けたんだ?』

 辰巳は。

 自分を何の思惑もなく助けたサラリーマンが信じられないようだった。

 辰巳に対して、何らかの好意のアクションが起きる場合は。例え相手が誰であろうと、常に見返りやそれなりの思惑が存在していた。

 栞の行為は辰巳は混乱させた。だが、同時に辰巳は明らかに喜んでいた。子供のように興奮した顔をしていた。

「・・・・・・。」

 関東でそれなりの一家を構える辰巳家の長男として生を受けた辰巳は、だが。生まれた時から、両親にさえ無償の愛というものを受けたコトは無い男だ。

 辰巳の母親は、落ちぶれ果てた旧華族だか何だか、とにかく血統と家柄を辰巳の父親に金で買われた女だった。母親は極道を忌み嫌って(さげす)んでいたし、父親は、そんな辰巳の母親の気位の高さに辟易(へきえき)して(うと)ましく感じていた。

 当然。愛情など、双方ともどこにも無い。お互いの血を引く雄一郎(息子)のことをどちらも忌まわしい存在のように扱い、どちらも愛そうとはしなかった。

 辰巳は愛など信じていない。信じる要素が無い。だが。

「・・・・・・。」

 ふいに。

 不破の脳裏に3年前に死んだオンナの姿が過ぎった。

(・・・やはり。西条 由佳か。彼女の身代わりか・・・。)

 不破は唇を噛んだ。

 暗い予感が、彼の胸を重くした。

「・・・・・・。」

 サラリーマンは、少なくとも美しいというようなタイプの男ではなかった。だが。そんなコトは辰巳には恐らく関係無い。その気になれば、顔立ちの美しい人間など、男でも女でも辰巳にはイクラでも手に入るのだ。

「・・・・・・。」

 不破は辰巳に命じられても、男のコトを調べるつもりはマッタク無かった。寧ろ、二度と辰巳を男に近付けたくは無いと思っていた。辰巳のためだけではなかった。不破の予感が正しければ、平凡なサラリーマンの人生を地獄に突き落とすコトになるからだ。

 どちらのためにも、不破がのらくらと時間を稼いでいる間に、辰巳が忘れてくれるよう願っていた。だが。

 

 

「・・・・・・。」

 辰巳は、不破のそうした思惑に感付いていたのか、不破の手を通さずに男のコトを調べ上げていたらしかった。

 今日、出会ったのが偶然か。それとも不破の不在を良い機会と捕らえて、わざわざ会いに行ったのかは分からない。

 

 だが。辰巳はあの男と再び出会った。

 しかも、無理矢理連れ帰ってきた。

 分別などという言葉は辰巳(やくざ)の中には、存在しない。欲しいものは力ずくで手に入れるのだ。

「・・・・・・。」

 辰巳がこれからみせるだろう上月という男に寄せる執着が、不破には恐ろしい気がした。

 

 

「・・・上月は、大阪の海棠に。借金がありますね。」

 不破は栞に関するファイルを眺めながら、呟いた。海棠は大阪でもカナリの勢力を誇る指定暴力団の懐刀だ。若頭補佐という肩書きではあるが、実質の若頭と言っても良い。辰巳の組とは直に利害関係は無いが、友好的という訳でも無い。

「ああ。大学時代のトモダチの連帯保証人になったみてえだな。信じられないお人好しだぜ。」

 辰巳は心底嬉しそうに笑っていた。

「・・・海棠のシノギ(・・・)に。迂闊(うかつ)に手を出す訳にはいきませんぜ。それなりの筋を通さないと。」

「分かっている。借金は肩代われ。」

「え・・・?」

「二億だろう。1千万ほど上乗せすれば、海棠も納得するだろう。」

「・・・・何故。そこまで・・・。若。私には納得がいきません。大体、そんな真似をすれば、海棠に痛くも()え腹を探られるコトになります。」

「腹・・・・?」辰巳は顔を上げた。

「・・・あの男が。若のアキレス腱では()えかと・・・。足元を見られますことになります。下手をすると、本当の弱みになりかねません。」

 不破の言葉を聞いて、辰巳は笑った。どこか嬉しそうな笑いだった。

「・・・そう思わせとけば良い。」

「若!!!」

「・・・・不満か?不破。」

「・・・・・この際、はっきり言わせてもらって良いですか。」

  不破は居住いを正して、膝を進めた。

「何だ?」

「・・・・上月は、由佳ではありませんぜ。」

 不破はいきなり核心を突いた。西条 由佳。3年前に首を吊った女。

 当事の辰巳の情婦だった。

「・・・・・・・。」

 辰巳は凄まじい眼差しを不破に向けた。

「若は。・・・上月を由佳の代わりにでもするつもりですか?」

 ヒュッ。

 と音を立てて、辰巳の手から杯が放たれた。

「・・・!!!」

 不破の額で音を立てて、それ(・・)が砕けた。

「・・・・・・。」

 不破の額から血が流れる。

「由佳のことは、ニ度と口にするんじゃねえ。」

「若・・・・。」不破は絶望的な思いで、席を立った辰巳を見詰めた。

「・・・・今度くだらねえコトを言いやがったら、殺すぞ。不破。」

「・・・・・・・。」

 辰巳の目に。

 間違(まご)(かた)なき本気を感じ取り。不破は唇を噛んだ。

「・・・・・・。」

 上月 栞。

西条 由佳とは何の共通点も無いというのに。

 どこか死んだ女と同じ匂いのする男。そう言えば由佳も元々は堅気の銀行員だった。普通のサラリーマンの家庭に育った通常なら自分たちの世界になど関わりの無い人生を送るハズの女だった。愛を知らない辰巳が、初めて愛し執着したと言える女。執着し過ぎて死に追い込んだ女。

「・・・・・。」

 辰巳の本気が、不破には恐ろしかった。

(若は壊す。間違いなくあの男を。)

 だが。今回に限ってはそれだけでは済まないような気がする。

 辰巳も壊れるかもしれない。

 その恐怖に不破は小さく震えた。

 

17. 過去

「・・・上月さん。夜分()んませんが、起きていらっしゃいますか?」

「・・・起きている。どうぞ。」

 真夜中。

 障子越しに掛けられた声に、栞は布団から起き上がった。声で、それが不破という男だと分かった。

「・・・・?」

 栞は頭を掻いた。どうにも今晩は寝付けなかった。寝つきの良さだけは自慢の栞は、一度眠りにつくと、滅多なことでは起きない。そう。骨が(きし)むほど強く海棠に抱き締められても。

「何か用か?」

 不破は丁寧に障子を閉めると、栞に手の上の小さな何かを差し出した。そして、カナリ砕けた口調で話し始めた。

「・・・・予備の車のキーは持っているか?あんたの車を置いてある場所を教える。」

「良いのか?」栞は、ゆっくり不破を見た。不破は深く溜め息を漏らした。

「・・・・仕事を。なぜ辞めた?」

 何故か責めるような口調で、そう言った。

「・・・一身上の。・・・都合というヤツだ。」

 栞は唸るように、言った。

「・・・・・。」

 不破は舌打ちをした。理由が何であれ。

「タイミングが悪すぎる。あんたは会社も辞め、身の回りのモノも全てを処分して、どこかに行こうとしてた。つまり今あんたが居なくなっても、誰も不思議には思わないし心配しない。辰巳にはこれ以上は無い絶好の機会だぜ。」

「・・・絶好の機会って・・・。あいつは、一体何を考えているんだ?」

 栞は心なし顔色を変えた。

「あんたを手に入れようとしている。・・・昔。失った女の代わりに。」

「女の代わりだあ!?」

 栞は思わず大声を上げた。

 不破はもう一度溜め息を吐いた。

「・・・西条 由佳という女だ。若の情婦だった。3年前に自殺したがな。」

「じ・・・自殺・・?」

「首を吊った。・・・元々は。末端の組員(チンピラ)のオンナだった。どういう経緯(いきさつ)かは知らんが、その若い組員は堅気のOLだった由佳と恋仲になっていてな。本気で惚れたのか、由佳のために堅気になろうとでもしたのか・・・。多分、(まとま)った金を手にしようとしたんだろうが。馬鹿が。そいつは組のしのぎ(・・・)を。横取りしようとしやがった。」

「・・・・・・。」

「逃げたは良いが、逃げ切れる訳もねえ。すぐに組から追っ手が掛かり、探し出されて追い詰められた。薄汚い倉庫に引き据えられて、抱き合って震える2人を殺そうとした時。由佳はその細い身体全体で、男を護ろうとした。自分の命と引き換えにしても男を助けようと、必死で辰巳に許しを請うた。自分がオトコを(そそのか)したのだと叫んだ。」

 

『お願いします!!この(ヒト)を助けて!!私が何でもしますっ!!何でもします!!!』

 既にヤキを入れられてボロボロになっていたチンピラを背後に庇って、泣き叫んでいた由佳の姿を不破は思い浮べた。

 

「・・・結局、辰巳は(チンピラ)を殺した。だが由佳は殺さずに連れ帰って、力ずくで自分のモノにした。」

「・・・・・・・辰巳は彼女に・・・。惚れたということなのか?」

「・・・由佳に惚れたというよりも。辰巳は、きっとその若い組員が羨ましかったんだと思う。」

「・・・・羨ましい・・・?」

「・・・・自分の身を犠牲にしても良いというほどの強い愛情を与えられた、その若いチンピラがな。」

 不破は。

 このホトンド知らない中年サラリーマンに、何故こんなハナシをするのか、自分でも分からないままに話し続けた。

「それ以降、辰巳は由佳に執着した。若いチンピラに向けられていた、その強い愛情を、何とか自分の方に向けようと必死だった。」

「・・・・・。」

「だが。女は。辰巳には何の愛情も示さないまま。情婦にしてから一年くらいで自殺してしまった。俺は。由佳は多分・・・。一緒に居る間に辰巳を愛情を感じていたのだと思う。辰巳は、魅力的な男だ。死んだチンピラなんかじゃ比べモノにもならない。・・・由佳は、自分の恋人を殺した男に惚れた自分が許せなかったのかもしれない。」

「・・・・・・。」

「だが。由佳の死を知った辰巳の怒りは凄まじいものだった。死体を何度も蹴り飛ばし、踏みつけた。由佳の死体を獣に喰わせろと(わめ)いた。そして実際、富士の樹海で野ざらしにした。」

「・・・・・なぜ、そこまで・・・。」

「・・・・・。」

 不破は懐からタバコを取り出すと口に咥えてゆっくりと火を点けた。深く吸い込んで、紫煙を吐き出す。

「辰巳は、親にさえ愛されたコトが無い。」

「・・・・・。」

「・・・・今。辰巳を殺そうとしているのは。実の父親であるウチの組の組長だ。」

「ええっ!?」

「・・・・・。」

 不破は、苦い顔で俯いた。

辰巳の父親の親父の妾は全部で、13人居た。勿論、全員が同時期では無かったが。

その内の一人と。辰巳の父親は、長い間情細やかに付き合い、2人の間には息子が生まれていた。辰巳より二つ年下だった。

「妾に子供が居るくらい、別に何の問題も無かった。今まではね。だが。・・・何をトチ狂ったか。組長は親の情に負けて、そいつに組を譲ると言い出した。俺や組の幹部は、何とか事を穏便に収めようとしたんだが。年取ると、どうも頑固になってしまって、組長はどうしても言う事を聞かん。背後にはその妾と息子の影がちらついている。」

「・・・・・・・。」

「結果が。あんたも見ただろう。度重なる辰巳への襲撃だ。最初は組のことを考え、辰巳も穏便に処理していたが・・・。もはや、組を割った全面戦争は避けられない。きっかけがあれば、いつでもそうなる。辰巳もやる気だ。」

「・・・・・・。」

「・・・辰巳は。愛なんか信じていない。だが、由佳が命を掛けて護ろうとした、あの若い組員を。心底羨ましく思っているんだ。」

「・・・・・・。」

 不破は、唇を噛み締めた。

 例え、愛情などなくても、雄一郎は辰巳の長男。

 必ずしも世襲を良しとしない極道の世界でも、雄一郎は決して他の幹部と比べても決して遜色の無い極道に成長してきた。努力もしてきた。恐らく。父親に認めてもらいたい一心で・・・。

「今になって殺そうとするくらいなら、なぜ、生んだ。なぜ、跡取り息子として育てたんだ。」

 不破は、吐き捨てるように呟いた。血を吐くような声で。

 不破は、辰巳が憐れであった。4年前に死んだ不破の父親は、辰巳の父親の側近で組の幹部だった。その縁で、辰巳とは幼い頃から兄弟のように育ってきた。いずれは辰巳に仕えるのだと信じてきた。こんな事態になろうとは、夢にも思っていなかった。

 不破は改めて、栞を見た。

「・・・・あんたは命懸けで、辰巳を助けた。そして見返りを何も求めなかった。辰巳は、狂喜した。待ち望んだ人間が現れたと思ったんだろう。」

「・・・そんなつもりじゃ・・・。」

「・・・・・。」

「あんたがどんなつもりだったのかは、関係ねえ。だが、辰巳は。由佳があのチンピラを愛したように自分を愛してくれる人間が、やっと手に入ったと思っているんだ。」

「・・・・ご・・誤解だと言ってみようか・・・?」

「無駄だ。辰巳は既に、あんたを拉致(らち)るくらい執着している。」

「・・・・・・・。」

「だから。今晩のウチに逃げろ。どこでも良い。ウチの組の手が届かないトコロへ。」

「・・・・・・・。」

「あんたのタメじゃない。辰巳のためだ。引いてはウチの組のためでもある。もしあんたが、由佳の二の舞を演じたら、今度こそ辰巳は・・・・。それとも・・・。」

 栞を見た不破の眼差しは、どこか縋るようなイロを含んでいた。

「あんた。本気で辰巳のために死んでくれるか?」

「・・・・・・。」

 栞はゆっくりと首を振った。

 辰巳のために。俺は死ねない。それは栞の正直な感想だった。

 

18. 逃亡

「・・・・・・。」

 栞は周辺に気を配りながら、出来るだけ音を立てないようにシャッターを引き上げた。自分の車がギリギリ通る事が出来るだろう高さまでそれ(・・)を持ち上げる。

母屋から少し離れた場所に立つ広大なガレージの中に素早く忍び込むと、慌てて自分の車を捜す。栞の車以外は大型の高級車ばかりだったので、可愛い栞の軽自動車はすぐ判った。

 不破の協力があるせいか、辺りに人影は見えない。

「・・・・・・。」

 買ったばかりの愛車に乗り込んで、小さく溜め息を漏らす。

 震える手で、キーを差し込んだ。

 エンジンを掛けたら、止められる前に速やかにこの家を出なければならない。停められたら、二度と逃げるコトは出来ないかもしれない。門の(かんぬき)は、車で押せば開くように(ゆる)めておくと不破は言っていた。

「・・・・・・。」

 辰巳の意思に反して栞を逃がした不破の身がどうなるのか少し気になったが、あの男は自分に難が及ぶようなヘマはしないだろうと思い直した。正直、ほとんど初対面のヤクザの身より自分の身の方が可愛い。

 栞は両手に汗が滲むのを感じた。

「・・・・。」

 不破のハナシを聞いて、辰巳の憐れな境遇には同情を感じないでもない。栞に見せる異様な執着も納得できる。望んでいることも、何となく分かる。

 だが。

「・・・・・・。」

 栞は首を振った。

 栞は辰巳を愛してはやれない。残り僅か数ヶ月の命でも、辰巳にくれてやる気には、とてもなれない。

 それならば。僅かの同情を辰巳に寄せたトコロで、彼の心の深い闇を救う何の役にも立ちはしない。不破の望む通り、姿を消すのが一番だった。どうせ、数ヶ月逃げ切れば良いだけだ。よしんば見付かったとしても、明日をも知れない病人相手だと分かれば、辰巳もあきらめが付くだろう。

「・・・・・・。」

 栞は覚悟を決めてエンジンを掛けると、そろそろと、ガレージのシャッターを潜った。ライトは点けなかった。

 

 

「・・・・・!!!!」

 門は確かに車で突っ込むと開いた。だが。

(・・・ああ。新車なのに・・・・。)

 サスガに無傷とはいかないだろう。

「・・・・・!!」

 門を抜ける前に数人の組員に見付かって、追い縋られた。栞は強引にそれを振り切って。

(ままよ!!!)

 と門に突っ込んで行ったのである。

「・・・・・助かった・・・?」

 門の扉が開いた向こうには、栞の見慣れた街並が広がっている。やっと現実世界に戻って来たような気分を栞が一瞬だけ味わい、車のスピードを上げようとした時。

「・・・・・危ないっ!!」

 車の進路を阻むように、真正面に男が飛び出してきた。

「・・・・・!!!」

 栞は急ブレーキを掛けながら、ハンドルを左に切った。左側は、辰巳邸の白塗りの壁が続いていたが、止むを得ないそこに突っ込んだ。

 ガガガガガガ・・・・。

(ああ。新車なのに・・・・。)

 壁が車の側面を擦る音が響く。僅かばかりの衝撃と同時に、栞の軽自動車は停車した。

「・・・・・・!!!」

「・・!!!」

 連絡が行ったのか、十数人に増えている男たちが、物凄い形相で駆け寄ってくる。

「降りろっ!!!舐めた真似しくさってっ!!!」

「ドアを開けんかいっ!!!」

「・・・・・・。」

 正直、身が竦んだ。

 どんな目に合わされるのか、検討も付かない。相手はヤクザだ。

 動かない栞に焦れたように、誰かが持っていたドスの柄で、助手席側のサイドガラスを割ろうとした。

「・・・・・!!!」

 もう駄目だ。

 栞が思った瞬間。

「・・・・なっ!!!」

「何じゃあああっ!!!」

 凄まじいブレーキ音を響かせて、黒塗りのベンツが2台、栞の車の方に突っ込んで来た。

 オトコ達はそのベンツを避けようと、栞の軽から離れる。栞の車とオトコ達の間に割り込むように、ベンツは急停車した。

「・・・・・!!!」

「!!!」

 男たちが殺気立つ。だが。

 

「引いてくれ!!大阪のモンや!!!害意がある訳やない!!」

 ベンツから数人の男が、栞の軽自動車を守るように降り立った。全員が両手を大きく挙げて、敵意の無いコトを示す。

「・・・・・・大阪?」

 懐かしい関西(なま)りに、栞は顔を上げた。

「何だとうっ!!!?」

「テメエら、どこのモンだあっ!!!」

 騒然とした物騒な雰囲気が漂う中。

「止せ。何時だと思っている。ご近所に迷惑だろうが。」

 静かだが良く通る声が辺りに響いて、場を静めた。

「若っ・・・・・・・。」

 門の中から、不破を従えた辰巳が姿を見せていた。一瞬、車の中の栞を視界に捕らえる。

「どこのモンだ?ウチも門前で、一体、何の真似なんだ?おい。誰か栞をこっちに連れて来い!」

 辰巳が叫ぶとほぼ同時に、誰かが言葉を挟んだ。

「・・・・ちょっと待って下さいや。門前を騒がせましたコトは、何重にもお詫びしますわ。辰巳はん。」

 後方のベンツの後部座席から、大きな男が降り立った。

「・・・・・海棠・・・!」

 栞は小さく呟いた。海棠は相変わらず、高級そうなダブルの背広にその身を包んでいる。

「・・・・大阪の海棠です。乱暴な真似をしまして、申し訳おまへんな。」

 海棠は、辰巳に腰を屈めた。若頭補佐の海棠と若と呼ばれる立場の辰巳とでは、多分辰巳の格が上なのだろう。組同士の格はわからないが。

「海棠。これは何の真似だ?俺に敵意があると言われても文句は言えまい?これは、お前んとこの組長も承知のコトか?」

 海棠は薄い笑いを見せた。だが目は全然笑っていない。

「実は、組長も組も関係あらしませんのや。これは俺個人のコトでんのや。」

「個人だと・・・・?」辰巳は眉間に皺を寄せた。

「何や。妙な行き違いがあったようでんな。ここに居る上月 栞は。実は俺のオンナなんですわ。」

「・・・・何だと!?」

「辰巳の若さん。上月を俺のオンナやと承知で連れて来た訳ではあらしまへんやろ。・・・ここは黙って、引いてもらえまへんか?」

 物腰は下手に出ているようでも。海棠の口調には凄みがあった。

「・・・・・・・。」

「上月をこの場で返してもらえるんやったら、俺は今回の事は忘れますわ。まさか。男のケツのことで、全面戦争なんて事はお互いゴメンですわな。」

 辰巳は海棠を睨みつけると、凄みのある眼差しで辺りを睥睨する。

「・・・・海棠。それならお前が引け。」

「それは出来ませんな。自分のオンナを奪われて、黙っていたとあっては、この海棠の男としての面子が立ちませんさかい。」海棠は瞳を眇めた。

「それに。お宅さんには、今ウチと揉めとるヒマなんか無い事情がイロイロあるんちゃいますか?」

「・・・・!!!」

「若!!ここは・・・・。海棠の言う事の方が筋が通っています。」

 不破が辰巳の背後から声を掛ける。

「・・・・・・。」

 辰巳は呻き声を上げた。

「栞ちゃん!!!」

 いつの間に傍に来たのか、洋二が必死の形相で栞の軽自動車の助手席のドアを叩く。

「栞ちゃん。開けてや。」

「洋二!!」栞は身体を伸ばすと、慌ててロックを外した。

「栞ちゃん!!」洋二はドアを開けるとすぐ栞の腕を掴んで、無理矢理車外に引き摺り出した。

「あいたたたた。」その乱暴さに、栞が小さく悲鳴を上げた。

「・・・・無事で良かった。心配したで・・・・!!」

 洋二は栞を腕の中に抱きこむようにして、その視界から辰巳の姿を遮るように立たせた。

「・・・・洋二。上月さんをこっちへ・・・。」

 海棠の背後に付いていた石黒が、目だけを動かして、洋二を見た。

「・・・・栞。行くな!!」

 辰巳が低い声を出した。

「どこにも行かせんぞ。戻って来い。」

「・・・・・・・。」

 洋二は、辰巳の視線から栞を庇うようにしながら、ジリジリと石黒と海棠のベンツに近付く。

 石黒の手の届く範囲に来たトコロで、石黒は栞の身体を引き寄せると有無を言わさず背後のベンツの後部座席に押し込めた。

「栞っ!!!」

「若!!駄目です。」

 動こうとした辰巳を、不破が諌めている声が聞こえる。

「・・・・海棠。このままで済むとは思うなよ。」

 辰巳の地を這うような声が聞こえた。

「・・・俺のモノ。確かに返してもらいましたわ。このまま忘れてくれるんでしたら、それなりの礼はさせてもらうつもりです。不破さん。その辺(よろ)しゅうな。」

 海棠はそう言い捨てると、素早い動きで自分もベンツの後部座席に身体を滑り込ませた。

「・・・・ごめんやっしゃ。上月さんが付けた、壁のキズの補修代はウチで持たしてもらいますさかい。」

 石黒も海棠の身体を庇いながら、前に出ると辰巳と不破を見据えてそう言った。

「・・・・・・・。」

 その間に海棠側の男たちはさりげなくベンツに乗り込む。

「ほな。失礼しまっさ。」

 そう言い捨てて、石黒がベンツの助手席に乗り込むと同時に、一気にベンツは加速した。

 

19. 西から来た騎士(ナイト)

「・・・・・か、・・・海棠・・・?」

 ベンツが走り出して、10分ほどしても。隣に座っている海棠は、栞を見ようともしなかった。ソッポを向いて、無言である。

「・・・・迷惑・・・。掛けてしまったみたいだな・・・・?」

 礼を言おうと。栞が、海棠の方に身を乗り出した途端。

「何。考えてけつかるんや!!このボケ!!カス!!!」

 その声とともに、いきなり海棠の右ストレートが飛んできた。

「・・・・・・・・っ!!!」

 栞は、殴られた左顔を抑えて苦悶の声を上げた。

「・・・・海棠・・・。やっぱり。海棠だな・・・・。」

 何だか可笑しくて、(うずくま)ったまま微かな笑いを漏らす。

「何、笑うてんのや!!このアホ!!辰巳を助けるために、ハジキの前に車を突っ込むなんて真似しよってからにっ!!!!お前は、この俺のか弱い(・・・)心臓を止める気ぃかっ!?」

 海棠は蹲った栞の頭を更に平手でバシバシ叩いた。

「痛いっ!!痛い痛い!!海棠!!」

「これが痛いくらいで済んで良かったんや!!勝手に会社は辞める!生命保険の証書は事務所に送り付けて来る!!どうゆう事なんやっ!?」

「・・・・海棠・・・。」

「オマケにあんな。世にも不幸な男(辰巳)に引っ掛かりやがって・・・・!!!お前まで暗うなってまうぞっ!!!・・・・あいつに、何もされなんだか?」

 海棠は栞の身体を力任せに引き寄せると。力いっぱい抱き締めた。

「この。アホ。・・・このアホタレが・・・。どれだけ心配させたら気が済むんや・・・・・。」海棠の声が泣いているようで、栞は思わず絶句した。

「・・・・海棠・・・。」

「・・・大体、あんた、一体どこへ行く気やったんや・・・?」

「いや・・・。ちょっと心機一転やり直そうかと・・・。」

「どこでや?」

「えっっと・・・。そうだっ!!俺の新車っ!!!!」

「ああ・・・。あの位は、あきらめえ。」

「そんな・・・。買ったバッカだったのに・・・。」

「・・・・。よう、そんな金あったな。」

「退職金と。辰巳にもらった礼金が・・・!!!」

 言ってから、しまったと栞は口を抑えた。

「何やと!?」

 海棠は眉を吊り上げた。

「・・・・・・・。」

「て・・・手前!!俺が腕時計をやっても怒り狂ったクセに。車なら()えんか。いや、現金やったら()えっちゅうんか!?」

「・・・・いやあ。」

 栞は何とか笑って誤魔化そうとした。だが。

「何が、いやあや!!これやから東京モンは・・・!!!」

「カ・・・カシラ!!!あんまり乱暴な真似は・・・!!」

 (たま)りかねた石黒が、後部座席を振り返って海棠を(いさ)める。

「やかまし!!こいつは殴られんと分からんのやっ!!!!」

「痛い痛い!!!海棠!!!」

 海棠は、やっぱり栞を殴った。相変わらずだった。だが。殴りながら。

 

 せっかく逃がしてやろ、思うとったのに。俺から自由になれるチャンスをやったのに。

 小さく呟くと、泣き笑いのような表情を浮べて栞を見詰めた。

 

 

−to be continued−

2003.07.28

 荒い文章だと分かっているけれど。まあ。trialだしね・・・・。打ち切るよりは・・・(問題発言)。

 西のナイトさま登場です。えへへ。ふじ様お待たせしました?

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