自慢のカレ
<2>

『お前は、私が欲しくて欲しくて産んだ子よ。かけがえの無い、大事な大事な宝物よ』
 大好きな母親の優しい声が。耳元で聞こえたような気がした。


「・・・。」
 ヤマトは、ゆっくりと目を開いた。
 薄暗い部屋の中。まっすぐに目に入った天井を見て、自分がベッドに横になっているらしいのに気付く。どうやら。遠い昔の、懐かしく幸福な夢を見ていたようだ。
 もう。二度と聞くことの無い優しい声。ヤマトを本当に宝物のように愛してくれた母親は、ヤマトが7歳の時に不慮の事故で、父親ともども亡くなった。
「・・・。」
 両親、特に母親は。
 5人の息子をもうけたアトも。娘が欲しくて仕様が無かったらしい。そして。最後の願いを込めて、ヤマトを産んだのだ。そして彼女の願いは叶った。半分だけ。
「・・・。」
 ヤマトは仰向けに寝たまま、知らず両眼から涙を零した。
 優しかった両親。ヤマトは幼い頃は、少女の格好をしていた。ピンク色のスカート。リボンを付けた長い髪。だが、学校に上がる年になると、ヤマトのみてくれ(・・・・)に、どうにも無理が出始め、それ以来、母親が山ほど作っていた可愛い服たちの出番は無くなった。
 ごめんね、というヤマトをギュッと抱きしめて、母親は良くこのセリフを言った。
 お前は欲しくて欲しくて産んだ、私の宝物よ。と。
(お母さん。)
 ヤマトは流れる涙を拭おうともせず、黙って天井を睨んでいた。

 と。

「・・・頼むから。・・・泣かないでくれ。」

 すぐ傍らからアマリ聞き覚えの無い声がした事に驚いて、ヤマトはそちらを見た。第3騎士団の寮は4人部屋だし、それぞれ友人同士の行き来もあるので、たまに面識の無い人間が居ることもある。だが今日は静かなので、何となく誰も居ないと思っていた。
「・・・?」
 どこか憔悴したような美貌の主は、ヤマトが寝ているベッドから少し離れた椅子に座ってヤマトを見ていた。ヤマトの知らないオトコでは無かった。勿論、親しい間柄ではないが。騎士団の超有名人だ。
「・・・。」
 その端正としか言いようの無い男の姿を。ヤマトはどこか夢の続きを観ているような気分で寝転んだまま眺めていた。彼は暫くじっとヤマトを見詰めていたが。やがて逞しい身体を、まるでヤマトを驚かすことを恐れるように殊更ゆっくりと動かし立ち上がった。そしてヤマトのベッドの傍らまで来ると、いきなり床に跪いてベッドの上のヤマトを見詰め、真摯な態度で頭を下げた。
「・・・どうか。私の無礼を、許して下さい・・・。」
「・・・。」
 これは。まるで淑女に対する騎士の仕草だ。それに自分に対しているにしては、言葉遣いが丁寧過ぎる。ヤマトは思わず反対側を振り返った。誰も居ないコトを確認してから、再び男に視線を戻す。
「・・・えーと・・・?」
 ヤマトは何故、このオトコが自分に対してこんな真似をしているのか判らずに首を傾げた。そして。
「・・・あれ?」
 夕べ、自分がベッドに入った記憶がないコトに思い当たった。

 途端。

「!!!!」
 思い出した。何もかも。
「・・・っ!!」
 ヤマトは喉の奥で小さく唸り声を漏らすと、ベッドから飛び起きた。
 よく見ると、ここはヤマトの宿舎では無い。見たこともないほど、豪奢な寝室。大きなベッド。ふかふかの羽根布団。いずれも、ヤマトには縁の無いもの。
「ヤマトッ・・・!?」
 裸足のまま床に降り立ち、そのままドアに向かって走り出そうとしたヤマトを。次期ヴァロア公グリフィスは、その身体に抱き込むように腕を回した。
「う・・・っ!!うわああああっ!????」
 目にすることも滅多に無い高貴な存在に、スッポリと胸の中に抱き込まれかけて。思わず悲鳴を漏らしたヤマトに、グリフィスは大慌てで腕を離した。
「すっ!!すまない!!」
「・・・。」
 常に尊大で硬質な美貌が、見たこともないほどうろたえて、後方に飛び退った。
「・・・。」
「・・・。」
 一定の距離を置いて立ち竦んだ状態の二人の間に、気まずい沈黙が流れる。それが暫く続いた後。ようやくグリフィスが、おずおずと言った様子で口を開いた。
「少し話をさせてくれ、ヤマト。夕べのコトは、本当に申し訳無かった。」
「・・・クビですか・・・。」
 ヤマトは唇を噛んで俯くと、小さな声で呟いた。
「え・・・?」
「こんな出来損ないの身体では、騎士団には居られないですか・・・。」
「・・・出来損ない・・・?」
 思ってもみなかったヤマトの言葉に、グリフィスは驚いた。いや、驚いたというよりは、困惑した。
「・・・そう言えば。今まで風呂とかはどうしていたんだ?第三は、シャワー室は共同だろう?確か宿舎も一人部屋ではなかったな。」
 ふと。思い付いたことを口にする。
「・・・全身に。醜いヤケドの痕があるのだと言ってあります。それでシャワーは人の居ない時を見計らって入っても誰も不思議には思ってません。どうしても無理な時は身体を拭くだけです。・・・この容姿ですから。誰も妙な疑いは持ちません。」
「・・・。」
 グリフィスは改めてヤマトを見た。
 岩のような男。
 皆がそう言う。確かに、グリフィスもそう思っていた。だが。
 昨夜。
 完全にパニックに陥って。あの路地裏で泣き叫んで暴れるヤマトを止む無く当身で気絶させ、取り合えず一人部屋である自分の部屋に連れて来たのだが。
 意識を失っているヤマトを抱き上げた際、そのみてくれ(・・・・)から想像していたよりハルカに華奢な身体つきなのに驚かされた。そしてベッドに寝かせて襟元を(くつろ)げてやった時。ヤマトが、身体中にガチガチにサラシを巻いて固めているのに気付いた。
「・・・。」
 岩のようだと言われる外見は、ヤマトが秘密を隠すために必死で作り上げてきたものなのかもしれない。
 グリフィスの胸が、チリリと痛む。
「・・・俺を許すと言ってくれないか、ヤマト。」
 耐え切れずに、呻くように呟いた。
「・・・許す・・・?私が貴方を、・・・ですか?」
 ヤマトは眉間に皺を寄せて、訝しげにグリフィスを見上げた。その瞳に追い立てられるように、グリフィスは。とんでもない失言をやらかした。
女性(・・)に対して・・・。無礼にも私は、あのような振る舞いを・・・。」

「俺は、オンナじゃないっっっ!」


 血相を変えたヤマトが叫んだ。そのヤマトの目に。グリフィスへの憎悪に近い敵意と。見るからに頑固で強情で、そして勝気な光が燃えるように浮かび上がった。そしてそれ以上に。哀しみの色が。
「・・・。」
 グリフィスは、口を噤んだ。
 あの剣合わせ以来、ヤマトのことは注目していたが。こんな風に声を荒げるのを見たことは一度も無かった。彼はどんな厭味を言われても、理不尽な扱いを受けても。いつも淡々と。人によってはフテブテしいと映る態度で、いつも嵐をやり過ごすかのように生きていた。グリフィスは、己の迂闊な失言に、思わず舌打ちを漏らす。だが。それは。却ってヤマトを傷つけてしまったようだった。
 震える声で。ヤマトが言い放つ。
「貴方と話すことは、俺には何も無い。クビならそれでも結構だし、言いふらしたかった、お好きになさって下さい。貴方は俺に恥を掻かす、と言った。俺の身体を笑いものにする事で、第一騎士団の方々の溜飲が下がるのなら、別にそれでも結構だっ!!」
 騎士を侮辱するかのようなヤマトの言葉に。さすがにグリフィスは、カッときて叫んだ。

「・・・第一騎士団の人間に、そんな恥知らずな人間は居ないっ!馬鹿にするなっ!

 途端。ヤマトの顔が泣きそうに歪んだ。
「・・・それならば、どうか貴方の胸だけに収めていて下さい。俺は・・・。他に行く所が無い・・・。」
 ヤマトの脳裏に優しい兄たちの顔が浮かんだ。あのぬるま湯のような優しさに縋って一生を送っていてはダメな気がするのだ。
 ヤマトが3歳の時。将来を考えたのだろう、両親は仲の良かった近所の男の子とヤマトを婚約させた。だが10歳の時。ヤマトの容姿がもはや少女とはいえなくなったコトで、相手方の両親が婚約解消を申し出、ヤマトの長兄はそれを受けた。そんなこととは関わりなく、ずっと親友同志だった幼馴染とは、それと同時に気まずくなり、段々と疎遠になってしまった。カタチとして許嫁ではあったかもしれないが、ヤマトにとっては、かけがえの無い友達だったのに。ヤマトにはそれから、友人といえるような存在を持ったことは無かった。小さい村だ。ヤマトの事情は、全員が知っていた。優秀な兄たちの手前、あからさまな嫌がらせは、それほど受けたことは無かったが、酒の席などで、自分がなんと言われているかは分かっていた。
「・・・。」
 ヤマトは、誰も彼の事情を知らないこの騎士団の暮らしが、気楽で気に入っていた。少ないが、マルコのような何も構えることなく付き合える友人も出来た。
「俺は・・・。」
 ヤマトは俯いた。
騎士団(ここ)に、居たいのです・・・。」
「・・・。」
 グリフィスは何も言わない。ヤマトは必死で言葉を続けた。
「今まで、何の問題もありませんでした。これからだって・・・。」
「・・・。」
「・・・騎士団には、過去に王族の腕自慢の女性が男装して入団したこともあったやに聞いています。彼女たちに比べれば、俺はっ・・・。」
 ヤマトは唇を噛んだ。自分は立派なオトコだと、(わめ)きたい気分であった。
 娘を育てたかった母親。ごめん、と謝るしかなかった幼い自分。
「・・・今更・・・。」
 ヤマトは、小さく呟いた。母親の優しい笑顔が浮かぶ。
 お前は。大事な大事な宝物よ。
「・・・。」
 応えてやりたかったのに。半分だけの娘でも。せめて外見だけでも、母の望む可愛い洋服が似合う愛らしい少女で居てやりたかったのに、適わなかった。それなのに今更。()だと言われて、騎士団(ここ)を追い出されるのか。
「・・・。」
 やりきれない。
 ヤマトは右手でグリフィスの側の半顔を覆うと、重い溜め息を吐いた。

「・・・。」
 グリフィスは、俯くヤマトの旋毛(つむじ)を無言で見詰めていた。何か言おうにも、適当な言葉が出てこない。
 正直。途方に暮れていた。
 ちょっとばかり生意気な平民の小倅を。ほんの少し懲らしめるつもりが、とんでもない展開になってしまった。
「・・・む。」
 知らず。うめき声が漏れる。
 ふたなり(・・・・)、とは。
 オトコばかりの騎士団に、半分だけとはいえ女性が混じるのは絶対にマズイ。明らかなトラブルの種だ。そうでなくてもヤマトは、既にトラブルの大種になっているというのに。
「・・・。」
 ヤマトには騎士団を辞めてもらうべきだ。それが正しい結論だ。だが。
「・・・。」
 ヤマトの剣の腕。あの天分。
(捨て置くには惜しく、野放しにするには、危険過ぎる才。)
 正直。剣合わせの一件にカタを付けた後は、身近に置き、カシアス王子のためにその腕を振るってもらうつもりであった。
「・・・。」
 改めてヤマトを見る。
 岩のような男にしか見えない。どの角度から見ても。
「・・・。」
 これなら、イケルるのではないか。何より、当のヤマトが望んでいるのだ。グリフィスは無理やり自分を説得しようと試みた。必死に自分の気持ちに折り合いをつける。正しくないコトは判っていても、間違いではないと言い聞かすような、不毛な作業。こうした真似は、決して良い結果を生まないと知っているのに。
 グリフィスは、大きく溜め息を吐いた。
「・・・。」
 ヤマトがビクリと身体を震わせて、グリフィスを見た。
「・・・条件が、ある。」
 気づけば。グリフィスの口から、そんな風な言葉が漏れていた。
「・・・。」
 ヤマトが不安そうに、グリフィスを伺っている。
「・・・知った以上。このまま、という訳にはいかない。・・・風呂も。宿舎も共同などど・・・。もし、何かの間違いでもあったら、騎士団存亡に関わる騒ぎになるかもしれん。」
「・・・間違い・・・?」
「・・・お前を女性とは思わなくても・・・。男ばかりの集団だ。男のお前に。性的な興味を持つ男も居るかもしれない。」
「・・・ゲイというコトですか・・・?」
「そういうコトだ。」
「・・・。」
 ヤマトは。戸惑うように視線を逸らせた。考えたコトも無かったが。成るほど、そういう危険もある訳だ。
「・・・その危険を避けるためにも、お前には第一騎士団に、移ってもらう。」
「・・・。・・・はい・・・?」
「そうだな。来年の『剣合わせの儀』で優勝してもらおうか・・・。それで褒美として、第一に移ってもらう。それなら前例があるから、何とかなる。当面は。俺付きの見習いというコトで・・・。身分は第三のままでも仕方が無いが、生活は第一(ここ)に移してもらう。」
「・・・そんな。身分が第三の人間が第一騎士団の宿舎で暮らすなんて、聞いたこともない。」
「言っただろう。カシアス王子もお前に、剣の手解きを受けたがったいると。今回はそれを理由に、特例を押し通す。」
「・・・しかし。そんな出世は・・・。俺には、分不相応で・・・。・・・俺は・・・。」
 目立たず、静かに暮らしたいだけなのだ。ヤマトは口下手なりに必死で言葉を紡ぐ。だが。
「じゃ。クビだ。お前のような不安定要素は、騎士団のためにはならないのは、自明の理だ。」グリフィスはニベもない。
「・・・っ。」
 ヤマトは唇を噛んだ。
「第一騎士団は、個人部屋だし、部屋にシャワールームも付いている。だが当面、貴様は俺の部屋に住め。正式な団員ではないのに、部屋は与えられないからな。」
「・・・?」
「心配するな。第一騎士団の各人に与えられた個室には、居間や寝室以外に、客間があるのだ。そこに住め。」
「・・・豪勢なんですね・・・。」
 ヤマトは第3騎士団(自分たち)の12畳ほどにベッドが4つ並んでいるだけの四人部屋を思って、その待遇の違いに少し呆れた。
「・・・念のために言っておくが。俺はゲイではないから、安心しろ。お前に性的な欲望はマッタク感じない。オンナに不自由もしてない。男みたいな女は、元々趣味じゃないしな。だから、俺と居て、貞操の心配をする必要なは少しも無い。」
 グリフィスは、真面目な顔で付け加えた。
 その瞬間。
「・・・。」
 ヤマトの瞳に。さきほど目にした敵意を含んだ強情そうな光が浮かんだのに、正直ヒヤリとしたが。
「ヤマト・・・?」素知らぬ振りで、そう促すと。
「・・・わかりました。」
 ヤマトは、ひとつ溜め息をついてから、そう言った。
「・・・。」
 後になって冷静に考えれば。そうした条件を飲むのと、騎士団を追い出されるのと。どっちがどっちと言えない局面ではあったが。とにかく、ヤマトはグリフィスの申し出を受けてしまった。それはすなわち。

 ひとつの。もはや動き出したら止めることの出来ない歯車が、ゆっくりと回り始めたコトを意味していた。




 翌日。

 騎士団は。てんやわんや(・・・・・・)(←死語?)の大騒ぎとなった。


 男ならば誰もが憧れる第一騎士団への新たな入団は、その人物、一族の命運を決めるもの。爵位を与えるとに等しい意味を持つ。そのため。本来恐ろしく厳正で公平な審査が要求され、その事例自体もホトンド無い。
 ヤマトは、表向き身分は第三騎士団に据え置かれるとはいえ。基本第一騎士団員と見なされる位置に付くコトになる。しかも、大ヴァロア公爵家の跡取りの付き人となると、重職だ。凄まじい権力を彼は握ることになる。こんなコトは騎士団の長い歴史の中でも前例が無い。いかに国有数の大貴族とはいえ、独断でこれほど安易に行われるものであってはならないコトだ。これでは他の騎士の納得が得られる訳が無かった。だが。
 荒い気性で知られる大ヴァロア家の御曹司に、面と向かって不興を買うほど食い下がり道理を説きその固い意志を翻意させるコトの出来る人間は、騎士団には居なかった。居るとすれば、ただ一人。彼が唯一の主君と仰ぐカシアス王子だけだった。が。


「・・・。」
 そのカシアス王子。
 暗黙に。彼と彼の懐刀と目されている、一部でカシアス王子の四天王などと呼ばれている4人の側近専用の休憩所になっている部屋で。他の3人から吊るし上げられているグリフィスを(いさ)めるでもなく、面白そうに眺めていた。
 グリフィスとカシアスの容姿は良く似ていた。血が近いのだ。事実、グリフィスの王位継承順位は王族に継ぐ。だが、硬質な感じで冷たく見えるグリフィスの銀の髪や金の眼とは違い、カシアス王子は亜麻色の髪、水色の瞳。乙女が夢見る御伽噺の王子そのものの、容姿をしていた。
(興味深い。)
 カシアスは、今回の件をそう思っていた。


「・・・。」
 カシアス王子には、四人の有力貴族の子弟が側近として常に影のように付き従っていたが。彼らは、グリフィスを除けばそれぞれ母親の身分が低かったり、父親に疎まれていたり。とにかく先祖代々の領地を引き継ぐ可能性は無いオトコたちバカリだった。つまり。六番目の王子にはふさわしい側近だ。能力的なものは別にして。
 グリフィスだけが、出自からして別格中の別格だった。グリフィスほどの名門貴族の嫡男ともなれば。王子たちの方から擦り寄ってくる。優秀であればナオのこと敵には回したくないからだ。本来、もっとも王冠に近い王子の側近として、次代の国の重臣たるべく城中にあって当然の男であった。
 だがグリフィスは。己の主君として、第1王子でも第2王子でもなくカシアスを選んだ。そしてカシアスに従い、行き先のハッキリしない王子が常道的に籍を置く騎士団に、彼と同じように籍を置いている。
「・・・。」
 何故かを問うたことがある。
 カシアスは、確かに優秀な男であるかもしれないが。ある意味たかが第6王子に過ぎない。
 いかに愛されていようと。現国王の世継ぎと認められる確率は、限りなく低い。カシアスが王座に着かなければ、大ヴァロア公爵家とはいえ、グリフィスの代は王に疎まれ冷や飯を喰うコトになるのだ。それなのに。
『貴方が、王の器です。』
 冷たく硬質な容貌とは裏腹な。荒く、激しい気性。歴代のヴァロア公爵の誰よりも抜きん出ていると言われる才気。また何が起ころうと、微動だにしない胆力。
 そのグリフィスが。カシアスを真っ直ぐに見て、そう言った。
「・・・。」
 野心。
 そんなモノがカシアスの心で具体性を持ち始めたのは、それからだった。

 5人の兄たちを蹴落として、王冠を手に入れる。

 不可能ではない。
 グリフィスが居るのだ。
 事実。グリフィスは。冷や飯を喰っている貴族の子弟のなかから優秀なものを選び出し、カシアスの側近につけた。そして手足となって働く騎士団もほぼ掌握し、着実に足場を固めてきている。

 問題は。カシアスが思ったコトは、5人の兄たちも思ったらしいというコトだ。
 最近、俄かにカシアスの周辺は、きな臭い匂いが漂いだしていた。

 ヤマトが欲しい。そう思ったのは、己の剣の鍛錬以上にそうした事情もあった。これほどの使い手が、万が一にも兄たちに取り込まれ、暗殺者などとして、カシアスの前に現れる事態は避けねばならない。だが。
「・・・。」
 正直、こうした事態は想定していなかった。
 無骨な。実家は鍛冶屋だという田舎者の小倅を、第一騎士団に?そんな必要が、どこにある?第三騎士団に置いたまま、手元で飼いならしておくだけで充分なハズだ。
 カシアスから見ても、今回のグリフィスの行動は意味不明だ。だからこそ、興味深い。
「・・・。」
 これほどの真似をしてまで、肩入れする何かが、ヤマト・レーネというオトコにあるのか。カシアスは。少なくとも誰かにこれほどの執着を見せるグリフィスを見たのは、初めてであった。
 カシアス王子は、道理を説くより、己の好奇心を抑えきれず、グリフィスの窮状を傍観するに留めていた。




「無理を通して、道理を引っ込めるっつうワケか。さっすが、『ケイロニアの猛虎』くんだね。」
 そうグリフィスに声を掛けてきたのは。カシアス王子の側近の一人である皮肉屋のエミリオだった。四人の中では一番若く、一見少女と見まごう美貌だが、顔に似合わぬ剛のものである。
「・・・どこが、無理だ。自分付きの従者を選ぶのは、基本的に自由だろう。」
 グリフィスは憮然として応える。
「まーね。慣例っつうものはあるけどね。」
 そう言ったのは同じく側近のロン・タイ。父親の身分でいえば、グリフィスに次ぐ。当然、貴族間の慣例等には通じている。普通。グリフィスほどの大貴族の従者は、ソコソコの貴族の子弟から選ばれる。勿論。アクマで第一騎士団の人間からだ。騎士団員とはいえ上位の騎士になると戦場のみならず、宮中作法にも通じてなければならない。また、従者として優遇することで、その一族を味方につけるという政治的な意味合いもある。だから、誰でも良いという訳では無い。鍛冶屋の6男坊など、シャレにもならない。ヴァロア公爵家のためにも、そしてカシアス王子のためにも、論外な選択だ。
「・・・慣例はアクマで慣例に過ぎない。必要であれば、破るべきものだ。」
 グリフィスは押し殺した声で、呟いた。
「・・・苦しい言い訳だな、グリフィス。らしくもない。ホントのところは、一体どういうワケなんだ?」
 唯一。グリフィスより年上の。落ち着いた面持ちのエドガーが、ポーカーフェイスに微かな笑みを浮かべて、グリフィスを見た。
「お前、夕べ。ヤマトと話をつけに言ったんだろう?何が、あった?」
「・・・。」
 グリフィスは、鋭い目つきで。3人を眺め渡した。
 全員嫡男では無いにしろ、由緒正しい貴族の子弟たちには違いない。裏の裏の裏のソノマタ裏ウラを掻きながら、しぶとく生き残ってきた祖先の血が、彼らの中には生きている。生半可な言い訳ならしない方がマシだろう。
「・・・細かいコトはどうでも良い。話すつもりは無い。だが、俺たちはヤマトが必要だ。そうだな。」
「・・・。」
「・・・。」
「・・・。」
 テコでも、理由を言う気がないらしい、自分たちのリーダー格の大貴族の御曹司を、3人は少し驚きの目で見詰めた。普段のグリフィスは王族に繋がる大貴族の御曹司として、多少、尊大なトコロはあっても、決して強権的な男では無いというのに。今回ばかりは、ヴァロア家の名前を持って、コトを推し進める気だと気付く。
「ヤマトは承知なのか・・・。というか、彼はこの意味(・・)が、分かっているのか?」
 エドガーは、眉間に皺をよせて言った。
「・・・。」
 グリフィスは溜め息を吐いた。
 分かってないだろう。あのヤマトに分かるハズも無い。自分が巨大な権力を有し、否応なしに、政治的な闘争の最中に放り込まれたことなど。
『俺は、騎士団(ここ)に、居たいのです・・・。』
「・・・。」
 昨夜のヤマトの。ガチガチにサラシを巻いた身体を思い出した。あの肌は、やはり女性のように柔いのだろうか。グリフィスの胸が微かに軋んだ。

 だが。走り出してしまった以上、最早立ち止まる事は出来ない。
(・・・俺は。カシアス王子を玉座につける。そのためには、何でもする。)
 あの剣の天才は、野放しにしておくには危険すぎるのだ。
「・・・関係ない。俺たちには、彼が必要だ。」
 グリフィスはもう一度、そう言った。
「・・・。」
「・・・。」
「・・・。」
 グリフィスの言葉に、全員が黙った。そして。
「・・・分かった。」
 そう言って、仔細を詮索することを放棄した。
 彼らは。元々親しかったわけではない。生き馬の目を抜く社交界で、ライバル同士と言っても良かった。それが。カシアス王子に心酔し、彼の下へ集まってきただけのこと。彼を唯一無二の主君と選んで。勿論。一生、冷や飯喰いで終わってたまるかという野心も持って。
 第6王子に過ぎないカシアスに、どうやって王冠を被らせるか。その一点で結び付いた仲間であった。
 カシアス王子のため。―――
 それは。彼らにとって、何よりの優先事項。そのために必要な人間であるというのなら。ヤマトの意志も。将来も。彼らには、基本的にどうでも良いコトであった。
「・・・それで。ヤマトは今、どうしているんだい?」
 それまで黙って、成り行きを見守っていたカシアス王子が、初めて口を開いた。彼の王族らしい多少の残酷さを含んだ好奇心は、まだ満足していなかった。そして。彼自身も剣で自分をあっという間に破った、ヤマト・レーネという存在に対する多少の興味も持っていた。
「是非会って、話をしてみたいな。剣合わせで、やっつけられて以来だからね。それにグリフィスの側近になるのなら、長い付き合いになるだろうしね。」
 少女が夢見る王子。そのままの姿で、カシアスは柔い笑みを浮かべた。





「こっ、困ります。カシアス王子と食事なんて、俺は・・・。何も喉に通りませんよ。」
 見たことも無いきらびやかな装飾品がアチコチに惜しげもなく飾られている、塵ひとつ落ちていない磨きぬかれた廊下を、スッとした立ち姿も美しいグリフィスの後ろから、彼より一回り小柄だが岩のようなヤマトが、転がるように付いて行っていた。第一騎士団の食堂棟。食堂一つのために一つの建物がある、というのもヤマトにしては、ビックリだ。どうやら、個室もあるらしい。ヤマトとグリフィスはカシアス王子との会食のために、その一室に向かっていた。
「・・・仕方ない。王子のご希望なのだから。」
「そんな・・・。」
 今日は朝から、部屋に待機するように言われて、ヤマトはグリフィスの部屋から一歩も出ていない。だから、今、騎士団がどういう状態なのか、知らなかった。
 自分を見る第一騎士団の面々の目は痛かったが、それはある意味、いつものこと(・・・・・・)だったから。マサカ自分が、いきなり政治の世界のど真ん中にデビューしているとは、露知らない。
「・・・あの。第三騎士団の・・・。俺の上官にはハナシを通して下さったのですか?」
 ヤマトは今日当直だった。誰が代わってくれたのだろうと気に掛かる。夕べ分かれたきりのマルコも、心配しているだろう。
「ああ。」
「な、何と、仰ってました?」
「さあ?俺は、ヤマトを引き取る旨を彼の第三騎士団長に申し渡しただけだから。」
「も・・・。申し渡した、って・・・。」
 ヤマトは情けなく両眉をハの字のカタチに下げた。ヤマトにしては。困っています、の最大表情だったが、グリフィスは気にも留めていない。
「ここだ。」
 グリフィスは、ひとつの重厚な扉のドアの前で立ち止まり、軽いノックの後それを開いた。その瞬間。
「!!」
 部屋の中でテーブルに着いて数人の騎士が。一斉に、グリフィスとヤマトを見た。
「・・・。」ヤマトは一気に頭の中が真っ白になるのを感じた。
「お待たせしました。ヤマト、こっちだ。」
「・・・。」
 グリフィスは軽い挨拶とともに、躊躇うことなく室内に入っていくが、ヤマトは動かなかった。まさに岩のごとく。
 真っ白の頭では、彼らが誰やら分からない。だが。真正面から自分を見ている騎士にだけは、見覚えがある。カシアス王子だ。剣合わせでぶっ飛ばした時、間近で見たのだから間違いない。
「・・・。」
 ヤマトは一歩後ろに下がった。逃げ出そうと、素早く歩いてきた廊下を見る。だが、来た道を覚えていない。それでもココに居るよりはマシだ。脂汗が背筋を流れた。その腕を。
「こっちだ。」
 伸びてきた大きな手に、ガッチリと掴まれた。
「・・・。」
 グリフィスが怖い顔で睨んでいる。何故かグリフィスは、ヤマトの考えることが分かるようだった。そのまま引きずるように、カシアス王子の近くに連れて行かれる。
「ヤマト・レーネです。」
 王子の前で、グリフィスに紹介され、ヤマトは最敬礼をした。とても王子の顔など見れない。
「そう固くなるな。まあ二人とも、座れ。」
 カシアス王子の穏やかな声が、頭を下げているヤマトの頭上から聞こえる。
「はい。さあヤマト。」
 グリフィスはそう言うと。傍らの椅子を引いた。ヤマトのため(・・)に。
「・・・。」
「・・・。」
「・・・。」
「・・・。」
「・・・!?」
 顔を上げたヤマトは。今さっきまでの緊張も忘れて、口をパカッと空けた。
 他の4人も目を丸くして、グリフィスとヤマトを見ていた。
「ん?どうした?座れ。」
 グリフィスだけが、当然のような顔をしていた。
 彼は、ヤマトのために椅子を引いて待っていた。まるで、淑女に対するように。

「・・・・・・っっっ!!!!!」

 唸りを上げたヤマトの拳が。グリフィスの顎にヒットしたのは、次の瞬間だった。




「何やってるんだ、グリフィス?」
「あれは、女性に対する態度だぞ。」
「それにしても。ヤマトもあんなに怒らなくてもな。」
「いや、びっくりした。見事なデヴューだったな。」
「・・・。」
 見事なアッパーカットを受けて、ひっくり返っているグリフィスに。カシアス王子と四天王たちが次々に声を掛ける。
「・・・や・・・。ヤマトは・・・?」
 グリフィスはガクガクする顎を押さえながら、訊いた。
「走って、出て行ったぞ。」
 ロン・タイが、扉の方を示しながら倒れているグリフィスに向かって答える。
「ちくしょうっ!!馬鹿力めっ!!」
 グリフィスは叫ぶと、ガバッと立ち上がった。
「王子、失礼。会食はまたの機会に。」
 そう言うと、王子の返事も待たずに部屋から飛び出して行ったグリフィスを。
「・・・何なんだ、一体。」
 四天王たちは、呆然と見送った。
 カシアスもワイン片手に、一連の騒動を思い出していたが。やがて。
「・・・ふふ。何だか、面白いことになりそうだ。」
 小さく笑うと、左目を微かに眇めた。



 翌朝。
 グリフィスは。第一騎士団から選び抜いた精鋭の騎士たちに、剣の教官としてヤマトを紹介した。勿論、その場にはカシアス王子や四天王も居る。
(・・・うわ。)
(本当に、岩だな。)
 噂はイロイロ聞いていても、ヤマトと面識の無かった騎士たちの様々な感想が、彼らの間にさざなみのように起こりザワメキとなっていく。勿論それは、ヤマトの容姿のみならず、今回の特例措置や剣合わせの因縁まで遡り。ヤマトにとって、好意的なモノはただの一つも無いようだった。
「・・・。」
 ヤマトは、大きく溜め息を吐いた。途端。
「・・・おい。まだ、怒っているのか?」
 隣に立っていたグリフィスが、伺うように声を掛けてきた。夕べあれから、ヤマトは客間に籠もって一歩も外に出なかった。グリフィスがドアの向こうで、何かイロイロ言っていたのは知っていたが、聞きたくもなかった。カナリ本気で腹を立てていた。
「俺は、オンナじゃありません。」
 ヤマトはグリフィスを見ずに、そう言った。
「悪かったよ。つい。」
「・・・。」
 ヤマトはジロリと横目でグリフィスを見た。
「睨むな。幼い頃から、女性は尊敬するようにと骨の髄まで叩き込まれているんだ。だから、つい・・・っ。多少は、大目に見てくれ。」
 グリフィスは苦い顔で、ヤマトを見る。
「俺は、オンナじゃありません!」
 ヤマトはもう一度、そう言った。大目に見るつもりなど、マッタク無かった。
「むう・・・。」
 グリフィスは苦りきった顔で、溜め息を吐いた。
「・・・。」
「・・・。」
「・・・。」
「・・・。」
 カシアス王子と四天王たちは。二人の小声のやり取りを、それぞれが若干、複雑な気持ちで盗み聞いていた。
 それぞれの思惑に微妙な違いはあるものの。共通しているのは。
 この二人は、何かおかしい。何がおかしいのかは、まだ分からないが。というコトだった。


「すぐに始めますか?」
 ヤマトは、不毛な会話を打ち切って、グリフィスを真正面から見た。
 ヤマトは最早、開き直っていた。今更、ごちゃごちゃ言っても仕方が無い。それに元々、剣を持てば人格が変わると言われるタイプだ。
「ああ。一応、精鋭を揃えてある。手加減は無しで、やってくれ。」
 グリフィスが少し誇らしそうに、答える。だが。
「いや、それは・・・。」
 ヤマトは眉間に皺を寄せた。
「・・・何だ?」
「手加減しなければ(・・・・・)、ケイコにはならないでしょう?」
 ヤマトは、正直者だった。
「・・・っ!!!!」
 グリフィスの端正な額に、ビシッと青筋が立った。
 勿論グリフィスだけではなく。四天王も第一騎士団の精鋭たちも。
 天才だか何だか知らないが。無礼なヤツだ、と顔色を変える。
 実際に剣を合わせたことのあるカシアス王子だけが。
(あ〜あ。)
 小さく溜め息を吐いていた。そして。



「・・・。」
「・・・。。」
「・・・。。」
「・・・。」
 ヤマトの実力は。彼らの想像を超えていた。
 小手調べに頼んだ、第一騎士団の精鋭との稽古は。確かに稽古にならなかった。
「・・・。」
 騎士たちは。カシアス王子のために四天王が選び抜いた精鋭の騎士たちが、誰も30秒と持たないのだ。
 だがそれは。四天王も同じことだった。ついでに言うなら、カシアス王子も。
「・・・このまま続けますか?」
 息も乱さず、ヤマトが問う。
 厭味ではない。ヤマトはそんな風に頭の良い人間ではない。だが。
「これでは、何のケイコにもならないとは思いますが。」
 ヤマトは、トコトン正直者だった。ついでにいえば。リアリストでもあった。そして。
「・・・っっ!!!」
 もしかすると。他人を怒らせる天才でもあるかもしれない。

「・・・。」

 カシアス王子+四天王+第一騎士団の精鋭たちは。
「・・・剣を合わせる。・・・ことが出来る程度には、手加減してくれ。」
 そう言って。生まれてハジメテ。平民の小倅に膝を折るハメとなった。

−to be continued−

2005.12.18

 どうかと思ったのですが岩オトコ。意外に人気があるようで、安心しました(笑)。
 それにしても、ちくしょう(!?)。予定より随分遅くなってしまいました。登場人物多すぎ。説明長すぎ。退屈なさったなら、申し訳ない。不調のため、取捨選択がウマクいきません・・・!!もっとサラッと流すつもりだったのですが。これでは、3話では到底終わらねーぜ・・・。果たして、年内完結できるのでしょうかっ・・・!?(←・・・おい)

 

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