自慢のカレ
<3>

「グリフィスたちと、はぐれてしまったな。」
 カシアス王子は、馬上で頭を巡らせると、自分の傍らに同じく馬上の第1騎士団の騎士二人と、徒歩で付き従っているヤマトに向かってそう言った。
「・・・。」
 グリフィスからカシアスの護衛を命じられているヤマトは、眉間に皺を寄せた。
 狐狩り。
 毎年この季節に行われる、貴族たちの恒例行事。毛皮は厳しい冬に備えるため必要不可欠なモノとはいえ。ヤマトから見れば優雅なんだか残酷なんだか良くわからず、とても好きにはなれそうも無かった。
 だがそんなヤマトの感想は今はどうでも良い。問題は。猟犬に追われた狐を高貴な方々が男女ともに入り乱れ、夢中になって追い回し、一種異様な興奮が治まってみると。気付けばカシアス王子の周りの護衛は、ヤマトを含めて3人になってしまっていたということだ。
「・・・。」
 必死に逃げる狐を追うのに、最初はタイヘンな混乱状況だった。とはいえ。
 ヤマトには。カシアス王子がグリフィスたち四天王と意図的に引き離されたような感じがした。あの四人が狐狩りに夢中になって、カシアス王子を見失うなど、通常では考えられない。
 行事前、グリフィスに耳打ちされたコトは。カシアス王子を亡き者にしようとする勢力が、王室及び貴族間には有るということだ。決して目を離すな。というグリフィスの命令に犬のように忠実に従い、ヤマトはどんな場面でも、決してカシアス王子から目を離さなかった。その証拠にヤマトは、狐の姿など少しも見ていない。騎乗は許されていない平民の身分。徒歩で馬を追うのは正直、骨だったが。ヤマトはヤマトなりに任務を果たそうと必死であった。政治的なハナシはヤマトにはさっぱりだが。カシアス王子を守る。それが、現在ヤマトに課せられた仕事であったし、そんなコトは思っていないと言いながら、コトあるごとにさりげなく自分を完全な男とは違うという扱いをする高貴な男(グリフィス)に対する、鍛冶屋の倅なりの意地もあった。
 ヤマトは油断なく周辺に目を走らせ、耳を澄ませた。

「・・・カシアス王子。」

 ヤマトがカシアスにそう声を掛けた一瞬後だった。
「!」
 空気を切り裂いて、一本の矢がカシアス王子に向かって飛んできた。
「・・・っ!!!」
 ヤマトは、腰の剣を抜き打ち様に、それ(・・)を叩き落した。
「ヤマト!?」
 カシアス王子が叫ぶ。第一騎士団の二人も顔色を変えて、王子を庇うように馬を寄せる。
「下がって!」
 ヤマトが叫ぶとほぼ同時に。10人前後の人影が、音もなく樹の影から現れた。
「・・・。」
 ヤマトは剣を構えて、カシアス王子の馬の前に出た。腰を低くすると小さな声で言った。
「ここは俺が・・・。騎士の方々は、王子を頼みます!・・・ヴァロア公に・・・。」
 みなまでは言えなかった。
「・・・!!」
 刺客は声も無く襲い掛かってきた。





「カシアス王子は、何処(いずこ)へっ!?」
 グリフィスは、声を荒げた。
「どうやら、はぐれたようだ。」
「何だか意図的なモノを感じるな。」
 エミリオとロン・タイが、いささか顔色を変えてグリフィスに応える。
 国王陛下主催のこの季節のビックイベント。王子たちはもとより、有力貴族はホトンド参加している。
「ヤマトは?カシアス王子と一緒か?」
 ロン・タイがアタリを見回しながら、訊いてきた。確かに。カシアス王子に張り付くように言いおいていた、鍛冶屋の息子も姿が見えない。グリフィスは小さく舌打ちして応えた。
「姿が見えないから、多分な。」
 その瞬間。
 辺りが奇妙にざわめいた。
「ヴァロア公っっ!!!」
 グリフィスは顔を上げた。
 『ヴァロア公』とは、正式にはヴァロア公爵家の当主に対する呼称である。現時点でそれは、グリフィスの父親を示す。だが、騎士団においては有力貴族の子弟は慣例として父親の呼称を使用されることが多い。建前としては騎士団に身分の上下は無いが、だからといって身分の低い者が貴族の子弟を名前で呼び捨てることは心情的に難しいからだ。
「どうした!?」
 馬を駆って、目前に現れたのは、第一騎士団の精鋭。カシアス王子のためにグリフィス達が選びぬいた忠実な騎士たちの一人であった。彼が悲鳴のように叫ぶ。
「カシアス王子はっ・・・!?我々は、見失ってしまいました!!」
「・・・っ!!」
 グリフィスは、唇を噛んだ。これでは。カシアス王子の周りにはヤマトの他数人しか居ない。
「捜せっ!!一刻も早く見つけるんだ!!」
 グリフィスは馬の手綱を引いた。
「・・・少なくとも、ヤマトがお傍に居るんだ。それだけでも、心強い・・・。」
「・・・。」
 エミリオが、グリフィスと馬首を並べながら自分に言い聞かせるように呟く。
「・・・。」
 グリフィスの脳裏に、自分の命令を愚直に守り通して王子の傍を離れていないだろう男の姿が過ぎる。ヤマトは確かに鬼神の如き剣の天才。
 だが。
 グリフィスは苦々しくエミリオを見た。
「・・・多くは期待するな。ヤマトは確かに天才だが・・・。アクマで剣技の段階でだ。ヤツに実戦経験は無い。・・・恐らく。人を殺したことも一度も無いハズだ。」
「・・・。」
 エミリオは。亜麻色の巻き毛、紫色の大きな瞳の、一見少女と見まごうような顔には似合わない、野太い呻き声を漏らした。
 実戦は稽古とは違う。斬られれば、死ぬ。その恐怖を捻じ伏せながら、剣を抜き、敵と斬り結ばねばならない。代々騎士の家柄の人間でさえ、初陣では思わぬ失敗をするのだ。鍛冶屋の息子に、過大な期待を寄せるのは酷すぎる。
「・・・それに・・・。」
 グリフィスが言い澱む。
「それに・・・?」
 エミリオがグリフィスを覗き込む。
「いや・・・。何でも無い。」
 ヤマトは、完全(・・)なオトコではない。その事実を飲み込んでグリフィスは顔を上げると、馬の腹を蹴った。

「ヴァロア公ッ!!」

 グリフィスが馬をいくらも走らさないウチに。
 グリフィスを追い縋る声が、後方から聞こえた。
「カシアス王子が・・・っ!!」
 追い縋ってきたのは、カシアス王子を探しに散っていた第一騎士団の騎士だ。
「いらっしゃったのかっ!?」
「何者かに襲われた由っ!!」
「何だとっ!!」
「それで、王子は!?」
「ご無事ですっ!!今、こちらに・・・っ!!」
 その瞬間。
「グリフィスッ!!!」
 カシアス王子の声が聞こえた。
「王子っ!!」
 グリフィスは馬首を巡らせた。
 見れば、後方から見慣れた王子の姿がその愛馬に跨り走ってくる。その後方には、ロン・タイたちの集団が王子を追ってくるのが見えた。
「王子っ!!」
「グリフィス!!」
 グリフィスは、飛ぶようにカシアスのモトに駆け寄ると、ざっと無事を確認して安堵の溜め息を吐いた。だが、王子の表情は固い。
「グリフィス。ヤマトが・・・!!」
 ヤマトが・・・・・・。
 瞬間。
「・・・!!」
 ゾッ、と。
 グリフィスの肌が、粟だった。
「・・・。」
 アタリに視線を飛ばせば。あの愚直な岩のような姿がどこにも無い。
「・・・ヤマトは・・・。」
 グリフィスは、自分の声が震えているのを意識した。
「オレを逃がすために、一人で刺客に向かって行った。だが、いかなヤマトでも。一人では・・・。敵の数が多すぎる・・・。」
 カシアスが沈痛な表情を見せる。

「・・・っ!!!」
 凄まじい後悔が、グリフィスの胸を揺さぶった。
 何故、クビにしなかった。ふたなり(・・・・)だと知れた段階でクビを言い渡し、田舎に帰らせるべきだったのだ。
 カシアス王子の護衛をさせるというコトは、その生命を危険にさらすと分かっていたのに。
 カシアス王子の背後で顔色を無くしている、護衛の騎士二人に対して、グリフィスは凄まじい形相で叫んだ。
「・・・っ!!!貴様らっ!!ヤマト一人を置いて逃げたのかっ!!」
「・・・っ!!」
「・・・申し訳・・・っ!!」
 臆病者、と罵られたも同然の二人は、蒼白な顔で唇を噛み(こうべ)を垂れる。
「グリフィス、落ち着けっ!!最優先は、カシアス王子の命だ。この二人の判断も、ヤマトの判断も間違ってはいない!!」
 二人に掴みかからんばかりのグリフィスに、エミリオが慌てて割って入る。
「まだ、間に合うかもしれん。救援に向かうぞ。おい!!場所はどこだっ!?先導しろっ!!」
 エミリオが馬首を巡らせながら、二人に向かって叫ぶ。
「はっ!!」
「・・・はいっ!!!」
 二人は。そうしたかったのだと言わんばかりに、馬を飛び出させた。
「・・・。」
 ヤマト。どうか生きていてくれ!!
 先導する二人を追いながら。グリフフィスは、血の出るほど唇を噛み締めた。









 凄まじい血臭が、鼻を突く。
 アタリは血の海だった。
 倒れている死体は、2、3人では無い。
「・・・これは・・・。ヤマトが・・・?」
「・・・・凄い・・・。」
「初陣で、コレとは・・・さすが・・・。」
 感嘆とも恐れともつかない声を背後に聞きながら。馬から飛び降りたグリフィスは、藪に倒れている死体を一つずつ引き起こし、顔を確認する。
 5人まで確認した段階で、たまらず声を上げた。
「ヤマトッ!!!ヤマトッ!!どこだ!?オレだ!!グリフィスだっ!!返事をしないかっ!!!出て来いっ!!」
 ほぼ同時に。木の陰にある草が揺れた。

「ヤマトッ!!!」

 口元に手を充てながら、ヤマトが血に塗れた剣を手に姿を見せた。

「・・・ッ!!!」
 たまらず駆け寄った。
「無事か・・・?け・・・ケガは・・・?」
「・・・平気です。数人、取り逃がしてしまいました。申し訳・・・。」
 頭を下げようとするヤマトの言葉を遮って、グリフィスは叫んだ。
「そんなコトはどうでも良い!!多勢に無勢だというのにっ!!何故さっさと、逃げなかった!?ばか者っ!!」
「じ・・・。時間を稼ごうと・・・。」
 ヤマトはグリフィスの怒りに目をパチパチと瞬きながら、小さく声を出した。
「・・・っ!!!」
 グリフィスは獣のように唸った。
「・・・す、すみません。」
 そう言って俯くヤマトを。
「・・・っ!!!」
「!!!」
 グリフィスは力いっぱい抱き締めた。
「・・・ヴァ・・・。ヴァロア公・・・・」
「・・・謝る必要がどこにある。お前は、素晴らしい働きをした・・・。」
「・・・。」
「・・・よく、やった・・・!」
「・・・。」
 グリフィスはヤマトをから腕を離すと、労いの意味を込めて彼の肩を叩いた。
「・・・。」
 グリフィスは改めて、ヤマトを見る。これだけの人間を斬り捨てたのに、返り血も浴びていない。
 この男は、天才だ。
 グリフィスは改めて、確信した。
 その瞬間。
「!」
 風向きが変わったのか、濃密な血の匂いが鼻をついた。途端。
「ぐ・・・っ!!」
 ヤマトはいきなり口を押さえて、木の陰に駆け込んだ。
「!」
 良く見ると。ヤマトはさっきから戻していたらしかった。もう何も吐く物がないらしく、生理的な涙を流しながらえずい(・・・)ている。
「・・・人を殺したのは・・・。初めてだろう。」
 グリフィスは気遣うつもりで、口を開いた。だが。
「・・・騎士団に入ったときから。覚悟はしてました。みっともない姿をお見せして・・・。申し訳ありません。・・・もう二度と、こんな姿は・・・。」
 ヤマトは蒼白な顔に思い詰めたような表情を浮かべて、必死にグリフィスを見上げてくる。ヤマトの懸念に、グリフィスは気付いた。
「・・・誰でも、同じだ。初めてヒトを殺したら。皆、ショックを受ける。お前だけではない。()でも()でも同じことだ。」
 グリフィスはヤマトにそう言ってやると、もう一度ヤマトの肩を叩いてから背を向けた。こんな風に必死で虚勢を張るヤマトが哀れだと、心底思った。

 ヤマトから離れて近づいてきたグリフィスに気付いて、死体を調べていたエミリオがクビを振りながら、言った。
「・・・いやはや凄いな。全員、一撃で倒している。・・・凄まじい腕だ。」
「・・・誰の手の者か、分かるか・・・?」
「そんなモンが分かるヘマはしてないようだな。・・・息のあるモノは居ないから、喋らせるコトも出来ん。」
「数人取り逃がしたと言ってたが・・・。」
「じゃあ今頃はアチラ(・・・)で、物凄い手錬れがカシアス王子の側に居ると大騒ぎになっているだろうな。」
 エミリオがにやりと笑った。
「・・・。」
 ヤマトの存在が、()に知れる。
 グリフィスは、ぼんやりと思った。苦い感情が、胸を過ぎった。後悔に似ていた。


 死体の始末を第一騎士団にまかせて、グリフィスたちは急ぎ、カシアス王子と合流することにした。ロン・タイとエドガーが王子と一緒に居るハズだが、敵が直接攻撃を仕掛けてきた以上、出来るだけ離れていたくは無い。
「ヤマト。」
 作業を手伝おうとしていたヤマトを、馬上からグリフィスが呼ぶ。
「お前は、オレたちと一緒に来い。」
「はっ。」
 ヤマトは素直に、グリフィスの馬の右後方についた。表情に疲れが見えていた。
「・・・顔色が、悪いな。」
 エミリオがヤマトを見て、顔を顰めた。
「無理もない。ヤマトここに来い。」
 グリフィスは、ヤマトを呼んだ。
「・・・?」
「酷い顔色だ。歩くのは無理だろう。俺の馬に一緒に乗れ。」
「!」
「おい!それは流石に無理だろう。馬がつぶれるぞ。」
 エミリオが慌てて言う。
「たいした距離を走るわけじゃない。大丈夫だ。乗れ、ヤマト。」
「お・・・。俺は、騎乗を許される身分ではありません。」
 ヤマトは首を振った。
 馬に乗るコトが許されるのは、多少の例外を除けば貴族のみとされている。
「俺が、良いと言っているのだ、乗れ。」
「い・・・。いえ、俺は・・・。」
 目をおどおどと彷徨わせているヤマトの腕を。グリフィスはガシッと掴んだ。
「うわっ!!!」
 そのまま。有無を言わさず、片手で馬上に引きずり上げる。
「うえっ!!馬鹿力!!」
 エミリオが目を丸くして、叫んだ。
 他の騎士たちも驚いたように、グリフィスとヤマトを見ている。
「・・・。」
 グリフィスは、小さく笑った。
 彼らはヤマトをさぞ重いと思っているのだろうが、実はそうでもない。多分、骨格が普通のオトコより女性に近いのだろう。女性ならば、多少立派な体格をしていても、体重はたかが知れている。つまり、そういうコトなのだ。
「・・・。」
 引き摺り上げたヤマトを自分の前に座らせてから、改めてグリフィスはヤマトの顔を覗き込んだ。
 顔色が本当に悪い。そして、身体が完全に冷え切っている。貧血でも起こしかけているのかもしれない。
「・・・寒いか?震えているな。」
 ヤマトは必死で隠そうとしていたが、小刻みな震えが止められない様子だった。グリフィスは、ヤマトの身体を挟むように手綱を取ると胸をヤマトの背中に密着させた。完全に背後から抱き込む体勢だ。
「!!!」
 仰天したヤマトが、焦ってもがいた。
「大人しくしていろ。俺が、温めてやる・・・。」
「あたため・・・!!!てっ・・・!?って・・・!?」
 ヤマトは必死でグリフィスの腕を振り払おうとするのだが、グリフィスは力が強く、ビクともしない。
「・・・暴れるな。どうした?馬が、怖いのか?」
「ばっ・・・馬鹿な・・・!!」
 ヤマトは、グリフィスの見当違いの言葉にカッと顔を赤くした。
「怖いんだな。」
 微かな笑いを含むその言葉に。違うと言いたいのはヤマヤマだったが。なんだか疲れ果てて、言葉も出ない。
「・・・馬の首にしがみついていろ。落ちないように支えているから、大丈夫だ。」
 その言葉とともに、グリフィスがゆっくりと馬を歩かせ始める。
「・・・。」
 グリフィスはゆっくりゆっくり馬を進める。見当違いでも。その心遣いは、体力の限界にきているヤマトには有り難かった。
「・・・ヤマト。本当に良くやった。立派だったぞ。」
「・・・。」
 グリフィスの褒め言葉は。妙に温かい、とヤマトは思った。ヤマトは唇を噛むと、俯いた。身体はグリフィスに抱きこまれたままだ。馬上だから、と思い込もうとした。馬上だから、逆らっては危ないから我慢しているのだ、と。
「少しだけ我慢しろ。すぐに休ませてやる。」
 グリフィスはそう言うと、馬を走らせ始めた。ヤマトは素直に、グリフィスの胸に身体を預けた。

 グリフィスから少し遅れて馬を走らせていたエミリオは。
「一体、何なんだ?あの『二人だけの世界』は・・・?」
 この二人はやっぱり何かおかしいと、首をしきりに捻っていた。




「授ける!!」
 カシアス王子は、腰の剣を外すと刀身を片手で持って、跪いているヤマトの眼前に突きつけた。
 アタリが、微かにどよめいた。
「は・・・?」
 ヤマトはパチクリと顔を上げた。
「この度の働き。見事であった。」
「・・・。」
 王族の身につけているものを賜ることが、どれほどの名誉か。ヤマトにも分かっていた。だが分かっていても、野心というモノには無縁のヤマトは、困惑するのみだった。これが原因で、またイロイロあたり(・・・)が厳しくなるかもしれないと思うと、気が重いくらいのものだった。
「・・・。」
 ヤマトは目の前の剣を見、王子の顔を見。振り返ってヤマトの背後に控えているグリフィスの顔を伺ってみた。
「有り難く、頂戴しろ。」
 グリフィスは苦い顔で促した。彼にはこれほどの名誉をヤマトが嫌がっているのが分かったので、小さく睨みつけた。
「ち・・・頂戴致します。」
 ヤマトは慌てて両手で、賜った剣を頭の上に捧げ持った。

「ヤマト。」

 カシアス王子が、少し砕けた調子で声をかけた。
「お前の腰の剣だが。この剣の代わりというのも何だが、私にもらえないか?」
「は・・・?」
 ヤマトが。いや、ヤマトだけではなく、その場にいる全員が、唖然として、カシアス王子を見た。王子が他人の剣を欲しがるなど、初めてのコトだ。
「さっきお前が使っているのを少し見ただけだが、凄い切れ味だった。名のある刀工の作か?」
「い・・・、いえ。」
 ヤマトは慌てたように、首を振った。
「これは。二束三文の剣を、自分で鍛え直しただけのモノで・・・。王子の腰を飾るコトの出来るような。そんな代物では、決してありません。」
 だが。その由来はかえって王子の興味を引いた。
「へえ。ヤマトが鍛えたのか。」
「はあ。実家が鍛冶屋なもので・・・。」
「欲しいな。」カシアス王子の瞳が、いたずらっぽく煌めく。
「は・・・?」
「ヤマトの鍛えた刀が欲しい。譲ってくれないか。」
「・・・!!」
 全員が息を呑んだ。
 ヤマトも唖然としている。だが。王子が望む以上、ヤマトに否やは無い。
「・・・。」
 ヤマトは腰の剣を外すと両手に持ち、無言で王子に差し出した。
「有難う。大切にする。」
 王子はにっこりと微笑んだ。剣を取る際に、わざとらしくヤマトの手を握り締めたのを見て、グリフィスの眉が寄った。



「大切な剣だったのか?」
 つつが無く(・・・・・)、狐狩りが終了し。
 騎士団の宿舎に戻ってから、グリフィスはヤマトに声を掛けた。剣をカシアス王子に渡した時のヤマトの表情が、気に掛かっていた。
 何となく元気が無いヤマトは、慌てて首を振った。
「い、いいえ。ヴァロア公。」
「・・・グリフィスと呼べと、何度言えば分かる?」
 グリフィスは顔を顰めた。だが、ヤマトは言い直そうとはしない。
「・・・。」
 ヤマトは強情だ。自分でこうと決めたコトは、例え誰が言ってもそう簡単には改めないトコロがある。グリフィスは、小さく溜め息を吐いた。
「まあ、良い。」
「あの・・・。夕飯を持って参ります。」
 一応。グリフィスの従者という身分のヤマトは、グリフィスの身の回りの世話が仕事の一つだ。ヤマトは身を翻した。それに声を掛ける。
「今日は、いい。疲れただろう。」
「しかし、仕事ですから。」足を止めたヤマトが、頑固そうに顔を顰める。
「いい、と言っている。本当に強情なヤツだな。」
「・・・。」
 グリフィスの言葉に、ヤマトはちょっとムッとしたような顔をした。
「・・・。」
 グリフィスは暫く、不愉快そうにヤマトの顔を見ていたが。
「・・・誰かに、何か言われなかったか?」
 急に、そんなコトを口にした。
「は・・・?」ヤマトの目が若干見開いた。
「いや。王子の剣を戴いたりしたからな。第一騎士団のヤツらから、何か言われなかったかと・・・。」
 グリフィスはヤマトから視線を外すと、口篭った。
 ヤマトに対する第一騎士団の騎士たちの反発は、容易になくならなかった。それは、ヤマトが第一騎士団で剣を教え初めても同じだった。グリフィスもヤマトがチクチクいじめられているのを、知らない訳ではない。だが、下手に庇うと更に彼らの感情を煽ってしまうため、静観するしかないのが実情だった。
 今回、カシアス王子から剣を賜ったコトで、状況が更に悪いほうに傾いたのではと気になったのだが。
「あ・・・。そういえば、皆が随分、無事を喜んでくれました・・・。」
「・・・!」
 驚いたが。
 そういえば。グリフィスが八つ当たり気味に怒鳴りつけた、王子の護衛についていた騎士二人はヤマトに駆け寄り、無事を涙を流さんばかりに喜んでいたのを思い出した。
 いつのまにか。
「・・・。」
 そう。いつのまにか。
「・・・。」
 グリフィスは小さく首を振ると、目の前の男を改めて見た。
(不思議なオトコだ・・・。)
 気が付けば。誰も、無視するコトの出来ない存在となっている。それが、反発であろうと。好意であろうと。
 何故だかはグリフィスにも分からない。分からないが。
「・・・。」
 もしかすると。男は、本能で嗅ぎ分けるのかもしれない。

 女の存在を。

「・・・。」
 グリフィスは、ふいに。ヤマトの手を握ったカシアス王子を、思い出した。
 途端。不愉快な気分になる。自然と眉間に皺が寄ってくる。その時、ヤマトがふいに。
「・・・カシアス王子は・・・。」
「えっ!?」
 グリフィスが思い浮かべていたヒトの名前を口にした。グリフィスは思わず、大声を上げてしまった。
「・・・私の剣を、どうするおつもりでしょうか。」
 だがヤマトは。グリフィスの態度を特に驚くこともなく、ハナシを続けた。
「・・・ああ。・・・きっと大切にして下さるよ。・・・ヤマト?大事なモノだったのか?」
 カシアス王子は、若干きまぐれなトコロがある。ヤマトの剣が欲しいと言ったのも、多分それだ。だが、ヤマトの顔を見て、グリフィスは不安を覚えた。
「自分で鍛えたと言っていたな。」
「はい。ただ・・・。」
「ただ?」
「俺には、5人の兄が居るのですが・・・。兄たちが手伝ってくれたのです。一人は数年前に旅に出て、ずっと留守しているのですが。」
「・・・。」
「都に出る前日に。剣を鍛えていると。長兄が・・・。いえ、旅に出ている兄を除く全員が次々と皆が現れて、手伝ってくれました。」
「・・・そうか。仲の良い兄弟なんだな。」
「皆、泣いておりました。」
「・・・。」
 グリフィスは黙った。
 ヤマトが口を開くのを、待つ。
「次兄は、両親が亡くなってからずっと、兄弟の食事や身の回りの面倒をみてくれていたんですが。凄く若いウチに結婚しました。」
「ふうん?」
「・・・俺のためだったんです。男兄弟では、言えないコトや分からないコトがあるだろうと。俺に姉を作ってくれようと・・・。」
「・・・。」
「・・・その次兄が、泣きながら。鍛えてくれた剣だったのです。」
「・・・ヤマト。」
「・・・。」
 母代わり。というと物凄く怒った次兄のハルカのコトを、ヤマトは思った。
 だが。両親亡き後、ヤマトにとっては次兄は本当に母親代わりだった。
 ヤマトが両親を亡くした時。もう女の子用の服を着るコトは殆ど無くなっていたが、次兄は毎年4着、母がそうだったようにヤマトの女の子用の晴れ着を仕立ててくれた。
 勿論、母が存命中は針など持ったことも無かった次兄は、指を傷だらけにしながらヒラヒラのフリルや可愛らしい図案の刺繍まで必死でこなしてくれた。
 『お前は、俺たちとは違うんだ。レーネ家の宝物なんだから。』
 バンソーコだらけの指でそう言って微笑んでいた次兄。兄達5人は皆、長兄や父のお古ばかりだったというのに。ヤマトにだけは、く毎年毎年、惜しげもなく高価な布地を買って晴れ着を仕立てた。ヤマトが殆ど袖を通すコトの無かった、それら(・・・)。無駄になっていくその華やかな服たちが。どれほど(いと)おしく哀しかったことか。
 それは。ヤマトが幼馴染との婚約を解消した年まで続いた。
 ヤマトの服を作ることは無くなっても、どうやら次兄は才能があったらしく、近所の人たちから服の仕立てを頼まれるようになり結局それを生業とした。今は実家である鍛冶屋の隣に家を建て、仕立て屋を営んでいる。腕が良いと近隣の村でも評判で、どこかで結婚式がある度に、カナリ遠くの村からもウエディングドレスの注文があるらしかった。
 兄が仕立て屋になった時に、昔、自分の服を作ってくれたコトについて、つい。怪我の功名だったね、と自嘲気味に口にしたヤマトを。馬鹿なコトを言うな、と滅多に見せない怖い顔で怒った次兄。その掛け替えの無い、溢れんばかりの愛情を。
 ヤマトは最後に見た、次兄の涙とともにぼんやりと思い出していた。その時。
「ヤマト。」
 自分を呼ぶグリフィスの声に。ヤマトはふいに我に返ったような顔をして俯くと、頬を微かに赤くした。
「すみません。妙なコトを・・・。」
 だが。グリフィスは、小さく笑んでいた。そして。
「俺にはな。実は異母弟が、3人居るんだが・・・。」
 そんなコトを言った。
「・・・?」
 ヤマトが顔を上げて、グリフィスを見た。
「滅多に会うこともないし。全員が隙あらば俺を殺してヴァロア家を継ごうと、虎視眈々と狙っている。俺も可愛いなんて思ったことなんか一度もない。」
「・・・。」
「幸せなんてものは。どこに在るか、わからんな。」
「・・・。」
 グリフィスは。
 無言で何かを考えているヤマトの頭のてっぺんに手を置いた。それから、その硬質な印象の美貌に溜め息の出るような笑顔を浮かべると、ヤマトの強そうな黒髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜた。

−to be continued−

2006.01.21

 少しは甘くなった、・・・のか?
 なんだかんだで、すっかり遅くなりました。いやしかし。どんどん長くなってしまう・・・。
 

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