自慢のカレ
<7>

 カン。カン。カン。


 幼い頃から聞きなれた響きが聞こえる。


「・・・。」
 20畳ほどの作業場は、うだるような熱気に包まれている。
 暑い。
 間近で火を焚いているのだから仕方無いことだ。これも。幼い頃から、いやというほど知っているその感覚に身を任せ。手元に意識を集中させる。

 かん。かん。かん。
「・・・。」
 ヤマトは。
 落ちてくる汗を。首に巻いたタオルで拭った。
「ヤマト。無理はするなよ。長旅から帰ったばかりで疲れているんだから。」
「・・・。」
 同じように汗を拭いながらヤマトに声を掛けてくる、自分に輪を掛けて逞しく頑健な体躯を誇る長兄のリュウに肯き返しながら、ヤマトは小さく息を吐いた。

 騎士団を辞して、故郷の村に帰って来てから3日になる。
「・・・。」
 ヤマトは実家の鍛冶屋の作業場の、小さな薄汚れた窓から空を見上げた。
 紅く染まった夕暮れの空が、目に映る。
「・・・。」
 それは。
 否が応でもあの日(・・・)見たあざやかな朝焼けを思い起こさせ。ヤマトの脳裏に、美しい銀髪と金色の瞳を甦らせた。
 騎士団という特殊な環境下でなければ。決して言葉を交わすコトなど有り得なかった、雲の上に住む男。
「・・・。」
 あの綺麗な空を見上げた朝。
 ヤマトはその足で事務棟に赴き、騎士団の退団手続きを取った。
 所属はいまだに第三騎士団であったので、第一騎士団の面々がそれを知るには、少し時間が掛かったに違いない。
 ヤマトは目を閉じた。
 ヤマトの退団を知って、彼は。
 勝手な真似をと、怒っただろうか。
 それとも。
 安堵したのだろうか。
「・・・。」
 どちらにしても、知りたくはない。ヤマトは小さく息を吐いた。

 事務処理を終えると、ヤマトはその足で故郷に向かった。
 もともと持ち物の少ないヤマトの荷物は、小さな麻袋ひとつに纏まった。それを肩に担ぎ、急ぐ旅ではなかったが、ヤマトは可能な限り足を速めた。一刻も早く、王都から遠ざかりたかった。
 愚かしい心は。無意識のウチに自分を追ってくる何者かの気配を捜して、何度もヤマトを振り返らせた。そんなコトはあろう筈も無い。分かってはいても。
 そんな風に少し無理をして急いだせいか、その晩ヤマトは発熱してしまった。前夜の寝不足も祟ったのかもしれない。
 日が暮れたのは、丁度宿場町と宿場町のど真ん中で、ヤマトはやむなく野宿をした。幸い晴天で、星も月もこの上なく明るい夜だった。
 青い月あかりの下。
 一晩中ヤマトを悩ませた纏いつく微かな熱は、指先に触れる銀絹の手触りを恋しがった。何度か無意識に手を伸ばしかけ、ヤマトはその度に唇を噛んだ。
(時間が経つと、いつか・・・。)
 きっと消えてしまう。あの日見たあざやかな朝焼けのように。
 ヤマトは自分に言い聞かせた。

「・・・。」
 ヤマトは窓から目を逸らして、小さく溜め息を吐いた。
 三日前。
 何の前触れも無く村に戻ってきたヤマトを。村に残っている4人の兄たちは、驚きつつも大喜びで迎えてくれた。そして、ヤマトが幼い頃からそうだったように、ヤッパリ何も訊こうとはしなかった。
 村人たちは、突然のヤマトの帰郷にイロイロと噂しているようだが、相変わらずの兄たちのガードは鉄壁で嫌なコトは一切ヤマトの耳には入ってこない。兄たちに面倒を掛けているのは、心苦しかったが。今だけ。今、ほんの少しの間だけ。ヤマトは兄たちに甘えようと思っていた。

 確かにヤマトは少し弱っていた。

 もう少しゆっくりしていろと、兄たちは言ってくれてはいたが、もともと『働らかざるもの喰うべからず』と躾けられてきたヤマトからしてみれば、何もしないというコトが苦痛に他ならない。早々に騎士団に入団する前の通り、家業の鍛冶屋の手伝いを始めた。
 だが。ヤハリ何時までも、新婚の長兄の家に厄介になっているワケにはいかない。長兄は勿論、義姉も本当に優しい女性で、ヤマトにもとても良くしてくれるが、 騎士団時代の給金の貯金で他に部屋を借り、早晩出て行こうとヤマトは考えていた。酒を飲む以外、特に使い道を持たなかったヤマトには、ヤマトが一年や二年暮らすくらいの蓄えは充分ある。その間に仕事を捜すつもりだが、もしどうしても見付からなければ、小さな土地を買い、道場を開いて子供たちに剣を教えたりするのもいいかと思っていた。何といっても、ヤマトはあのカシアス王子にさえ、剣を教えたコトがあるのだ。
 精鋭揃いの騎士団にあっても、ヤマトは剣では誰にも負けなかった。いや。
「・・・。」
 ヤマトは唇を噛んだ。
 負けた。一度だけ。わざと。

 思えば。最悪の出会いだった。

 きらきらと輝く、銀色の絹糸。今なお残る、その感触。
「・・・。」
 ヤマトは夕焼けの空とともに浮かんできた記憶を振り払おうと。乱暴な仕種で指先を摺り合わせ、無言で作業に意識を集中させた。


「ヤマトじゃないの。何?王都で騎士団に入ったと聞いてたのに、何でココに居るの?」
「・・・。」
 聞き覚えのある声に、ヤマトはハッとして顔を上げた。
 年に一度の村の収穫祭。
 繰り広げられる華やかなダンス等をぼんやり眺めていたヤマトは、椅子に座っている自分を腰に手を当てて見下ろしている最新流行の少しエロい感じのする型のあざやかな赤いドレスに身を包んでいる昔馴染みを目にすると、椅子ごと凄まじい勢いで後退さった。
「ナツメ・・・。」
 そのまま、目の前の。
 かつて村一番と称えられた同い年の美女の名前を呼ぶ。
「何よ、その態度。相変わらずムカつくわね・・・。」
 ヤマトが最後に目にした時よりも、格段にオトナっぽくなった美女は、そのやや厚めのイロっぽい唇を尖らせて、ヤマトを睨んだ。
 ほっそりした身体。だが出るべき場所はしっかり出ている抜群のプロポーション。相変わらずの女王さま然とした態度。
 少しも変わっていない。
「懐かしい昔馴染みに、挨拶の一つもしたらどう?」
 ナツメの言葉に。弾かれたようにヤマトは引き攣った顔に笑顔らしき(・・・)モノを浮かべながら、ぎくしゃくと右手を上げた。
「や・・・、や、や、や、やあ・・・。」
「・・・やあ・・・?」
 ナツメの薄茶の瞳が、剣呑なイロを帯びる。ヤマトは条件反射で、ビクビクと身体を竦めた。

 正直。
 ナツメは、忘れられないオンナだった。

 幼い頃からの同級生。
 女番町。女王様。容色も気の強さも家柄も、他の追随を許さなかっただけに、彼女は子供社会で究極の権力を有していた。
 村の皆が、腫れ物に触るようだったヤマトに対して、唯一。
 この、オカマ野郎っ。
 堂々と。そう罵ってのけた、オンナ。

 今でも夢で魘されるほどイジメにイジメられたヤマトの天敵。最強最悪のイジメッ子だったのだ。 

 オカマ。ふたなり!!オトコおんな!!
 当時、ナツメがヤマトに突きつけた現実。
 皆が思っていても、誰一人口に出さないコト。
 ヤマトに対する世間の正当な評価。衣を着せない言葉。
 それは確かに、ヤマトをこの上なく打ちのめした。
 たまに自分を崇拝している男友達を使ってヤマトに暴力を振るわせることもあったが、基本は暴力というより嫌がらせ。身体より心を傷つけるようなイジワルを、ナツメは学校を卒業するまで恐ろしい執念深さで続けた。
 だが。そうしたナツメのヤマトに対する嫌がらせに、教師をはじめ村のオトナたちやヤマトの兄たちは、長い間気付かなかった。
 ヤマトも誰にも言わなかった。どうしてだったのかは、うまく言えない。ヤマトにも意地が有った、というコトなのかもしれない。だが。
 意地の代償として、ヤマトは精神的にトコトン追い詰められた。
 頑健だったヤマトが、学校に行こうとすると、強烈な腹痛に見舞われるようになった。それでも根性で這ってでも学校に向かった。
 兄達もその頃になると、さすがに何かオカシイと思い始めてはいたようだったが。ヤマトが頑として口を割らない以上、誰に苛められているのか分からない。ナツメは表向き非の打ち所の無い優等生だったし、家柄も良かった。オトナの世界からでは、絶対に分からない子供の世界は確かに存在するのだ。
 だが。
 ヤマトのすぐ上の兄。五番目の兄であるセイヤが、ついにナツメを突き止めた。様子のオカシイ弟を、自分の授業をサボってまで付けまわしイジメの現場を抑えたのである。

 セイヤは相手がオンナだろうと、ヤマトを苛める者には容赦はしなかった。
 兄弟の中で一番勉強が出来、また一番体格的には小柄な兄だったが、セイヤは相手が華奢な女の子だろうが、ヤマトを苛めている場面に遭遇すれば、問答無用で相手に殴り掛かった。普段はどちらかといえば、理知的な雰囲気すら漂わす物静かといっても良いタイプなのだが、ことヤマトに関することにはヒトが変わった。
 たおやかな少女の、綺麗な桜色の頬を躊躇無く打って。
『今度ヤマトを苛めやがったら、輪姦(まわ)すぞっ、このアマ!!』
 とかぐらいは平気でノタマワッタ。
 そのアマリの容赦なさに、ヤマトが背後から羽交い絞めにして止めたコトも一度や二度では無い。
 セイヤに殴られたナツメは、毎回火が点いたように泣いていたが。村の有力者である父親に腫れ上がった頬を見咎められ、誰にやられたかを訊かれても決して口は割らなかった。そして、ヤマトを苛めることも止めなかった。
 ヤマトは知っていた。ナツメはセイヤが好きだったのだ。セイヤがヤマトを目の中に入れても痛くないほど可愛がっているのが、どうしようもなく憎らしかったのだろう。
 そのセイヤは、王都での数年間の勉強を経て今では法律家になっている村の出世頭だ。ある意味、ナツメの男を見る目は、正しかったとも言えた。
 だが。とにかくセイヤは。ヤマトと一番年が近かったせいもあったのか、異常なほどヤマトを可愛がり執着していた。ヤマトが騎士団に入団すると言った時に一番反対したのも、村に帰って来た時に一番大喜びしたのも、この兄だった。ヤマトは俺が一生護る、一生二人で暮らす、とか言い出して、将来的にヤマトの身の危険を危惧した長兄のリュウに家から追い出されてしまった。
 だが。ヤマトとしては、ヤマトより小柄なセイヤに妙な危機感を抱いたことは無い。体格的にみて薬でも盛られない限り、ヤマトがセイヤに押し倒されるコトなど有り得なかったから。そして、ヤマトの身体に害を及ぼすような真似を、セイヤがする訳が無いことも知っていたから。



「・・・。」
「・・・。」
 かつて。
 いろいろいろいろ有った。
 典型的なイジメッコとイジメラレッコだった二人は。
 数年の空白を経て、向かい合っていた。
「・・・。」
「・・・。」
 気まずい空気をぶち破って口火を切ったのは、やっぱりナツメ。
「相変わらずウジウジしてんのね、このオカマ。」
「・・・おかま・・・。」
 相変わらずのナツメの言葉に、ヤマトは思わず笑ってしまった。
 この美しい幼馴染は、少しも変わっていない。
 自分でも、ちょっとどうかしていると思うが。
 何だかそれが。涙が出るほど嬉しいような気がしてしまっていた。
「・・・。」
 不思議なコトに。ヤマトは彼女が嫌いではなかったのだ。当時でもそうだった。
「何で、本当のコトを言って悪いのよ!!ヤマトは正真正銘の『ふたなり』じゃない!!」
 セイヤに殴られながら、そう泣き叫んでいたナツメ。
 誰一人口に出さないコトを。

 禁忌(タブー)を。
 真実を。

 圧倒的な暴力に晒されながらも。敢然と頤を上げ、言い切る彼女の例えようも無い傲慢さ。美しいとさえ思った残酷さ。自分には決して持ち得ないだろう、その強さ。

 憧憬。というのとは、少し違うかもしれない。

 だが。
 その。
 少女の理想とも言える美しい容姿。多少の欠点など吹き飛ばしてしまう、圧倒的なソレ(・・)に。
 多分。同級生の少女たちがナツメに対して感じていた想いを、ヤマトは同じように感じていたと思う。
「・・・オカマ・・・か。」
 ヤマトは小さく嘲笑(わら)った。

 ナツメなら。
 母が造ったドレスも。次兄のハルカが造ってくれたドレスも。きっと似合っただろう。

 ナツメだったら、きっと。
 騎士団で見たアノ可憐な高貴な少女にだって、容貌にも精神的にもヒケ(・・)は取らなかったに違いない。

 正真正銘の女性であるナツメなら。
 オンナとして、闘っていけただろう。
「・・・。」
 自分勝手な言い訳に、ヤマトは苦く笑った。胸の奥に走った痛みは、破瓜の瞬間に感じたモノとどこか似ていた。


「・・・どうして騎士団を辞めたのよ。マグレにしても、村の厄介モノから一発逆転の凄い出世だったのに。」
「・・・一発逆転・・・?」
 意識を少し飛ばし掛けていたヤマトは。
 いかにもナツメらしい言葉に現実に引き戻され、軽い眩暈を感じた。やっぱり。ナツメには絶対に敵わない。同時にふと疑問を感じた。
「・・・ナツメこそ。王都に働きに行ったって聞いていたけど・・・。」
 それは。ヤマトが騎士団に入団する一年ほど前のコトだった。活発で物怖じせず。常に新しいモノへの好奇心に瞳をキラキラさせていたナツメらしいと、ヤマトはあの頃、若干の羨望とともにそう思ったものだった。
「見りゃわかるでしょ。帰って来たのよ。もう3ヶ月になるわ。」
「・・・。・・・ふ・・・ふうん・・・。」
 ナツメがさも嫌そうに顔を顰めたのを見て、何かあったのだろうかとは思ったが。根掘り葉掘り訊くコトは躊躇われ、ヤマトは不自然に口篭った。
「・・・何よ。ハッキリ言いなさいよ。そうよ、皆が噂している通りよ。都で知り合ったオトコに捨てられて、帰って来たのよ。」
「・・・。」
 いや、知らなかったし。そう思いながら、ヤマトは太い眉毛を下げた。
「カフェの女給をしていて知り合って、結婚の約束までしたのに。フタマタ掛けられていたのよ。しかも。同僚で一番仲の好かった女の子と、ベッドの中に居るところに出くわしたのよ!!女にだらしないのは知っていたけど。ちくしょう!!あのロクデナシッ!!」
「ナ・・・。ナツメ・・・。」
 激昂して声が大きくなったナツメの腕を、ヤマトは引いた。
 一年の集大成のような秋祭りだ。村の人間の殆どが参加している。ヤマトとナツメの同級生の姿もチラホラ目に入る。ヤマトは自分の座っている椅子の隣にナツメを座らせた。
「・・・。」
 ナツメもヤマトの意図に気付いたようで、素直に椅子に座ると、小さな溜め息を一つ吐いた。そして。
「・・・アリガト・・・。」
「えっ!?」
 ナツメが漏らした言葉に、ヤマトは目を剥いた。それは。およそ彼女からは、ヤマトが生涯聞くことはないだろうと思っていた言葉だった。
「何よっ!!」
 キッと睨まれて、思わず固まるが、彼女の顔が真っ赤なのを見て、ヤマトは悟った。
 これは。
 ナツメからの和解の申し込みなのかもしれないと。
「・・・。」
 ナツメはもしかすると、ずっとヤマトと話すチャンスを待っていたのかもしれない。何時からかは、分からないが。どういう心境の変化なのかも分からないが。
「・・・今日は、セイヤは?」
 本当は物凄く驚いていたのだが、一見無表情のヤマトが黙り込んでしまったコトに気まずそうにナツメがハナシを振った。
「あ・・・。何か隣村に用があるとかで・・・。祭りには参加しないらしいよ。」
「・・・。」
 微かに眉を顰めたナツメに気付いて、ヤマトはナツメはセイヤと踊りたかったのかもしれないと思った。かつてのナツメの恋心を知っているヤマトは、少し気の毒に思った。セイヤは田舎では少ない正規の資格を持った法律家だから、物凄く忙しくしていて村を留守にすることも多い。今日もせっかくの祭りだからと、長兄は次兄も止めたのだが、結局出掛けてしまった。だが。
「隣村?・・・相変わらずの。ブラコンね。」
 ヤマトの言葉を聞いて、ナツメは少し口元を歪ませるようにして笑った。苦い笑い。敢えていうなら、そういう感じだった。
「えっ?」
「隣村で、家を捜しているらしいわよ。」
「え?」
 ヤマトは初耳だった。村に居る時は煩わしいくらい纏わりついていたというのに、引っ越すなどというハナシはまったく聞いていない。
「この村じゃ、他の兄貴たちが許してくれないからって、あんたと暮らす家を隣村で。」
「ええっ!?」
 ヤマトは思わず叫んだ。そんなコトを企んでいたのか、とヤマトが帰って来た時、大喜びしていた過保護な兄を頭に思い浮かべ、額を抑えた。
「どうすんの?一緒に暮らすの?」
「そんな訳ないだろう。リュウ兄貴が、絶対に許してくれないよ・・・。」
 ヤマトの言葉に、ナツメは大きな声で笑った。
「・・・みんな。ヤマトが大事で大事で仕様が無いのね・・・。」
「え・・・?」
「カナタさんは・・・?連絡あるの?」
 学校を卒業すると同時に、村を出た3男。
「ああ。時々、便りをくれる。旅先の風景のスケッチとか、詩なんかを。」
 ヤマトは、瞳を空に飛ばした。
 幼いヤマトを膝にのせて、カナタはイロイロなことを教えてくれた。遠い国のおとぎ話や、英雄譚。哲学に近いものまで。
「・・・。」
「あんた宛に?」
「・・・。」
 ヤマトは無言で頷いた。
 カナタの手紙の宛名は、常にヤマトである。決して口には出さないが、肉体的なハンデを背負った末弟への気遣いの溢れる優しい手紙に、ヤマトは何度も涙を流した。
「・・・何だか掴み所の無い不思議な人だったけど・・・。やっぱりアンタだけは、特別扱いなのね・・・。」
 ナツメは苦笑した。
 カナタは村に居るときから、どこか浮世離れした男だった。常に穏やかな笑みを浮かべ、何だか何もかもを許してしまうような雰囲気を持った男だった。だが、それでいて、誰もがカナタの意見を聞きたがるような、そんな存在感を持っていた。
 村で、もっとも人気のある男だった。
 ヤマトは、瞳を空に飛ばした。
 カナタがこの狭い村に居られる男では無いと分かってはいたが、それでも居なくなってしまった時は哀しかった。家族は皆、カナタが村を出るダロウコトはある程度予測していたが、ヤマトはこの穏やかな優しい兄が大好きだったのでやはりショックだった。
「・・・。」
 ヤマトが、遠く離れてしまった兄に想いを馳せていた時。
 ふいにナツメが呟いた。
 風に消えてしまいそうなほど、小さな小さな声で。だがそれは、確かにヤマトの耳に届いた。
「私は、あんたが。・・・羨ましかったわ・・・。」
 セイヤに恋をしていた。カナタにも憧れていたのだろう幼い少女の、幼稚な嫉妬。

 知っていた。
 分かっていたのだ。
 当時は許せなかったが、もう良い。謝罪の言葉など、あの美しく驕慢だった少女には似つかわしくない。聞きたくない。
「・・・。」
 ヤマトは目を閉じると、何も聞かなかったふりで薄く微笑んだ。



「それで?アンタは、どうして騎士団を辞めたのよ?」
「・・・え・・・?」
 ヤマトはやっぱりナツメによって、現実に引き戻された。
「・・・。」
 可愛い婚約者の居る貴族に、気紛れに手を出されてしまった。
 二股を掛けられたナツメといい勝負かもしれない。
 別に張り合うつもりではないが、ヤマトは心の中で納得して、頷いた。
「何?何、一人で納得しているのよ。わかった。騎士団でもけっきょくイジメに合ったんでしょ!そうでしょ!!」
「・・・。」
 結局、小さく苦笑しただけのヤマトに、ナツメは不満気に鼻を鳴らした。
「何よ。あんたって、本当に掴みドコロが無いっていうか、得体が知れないっていうかさ。・・・だから、寝込むマデ苛めちゃったのよ。ぜんぜん平気そうに見えるんだもの。」
「・・・。」
 ヤマトは驚いて、ナツメを見た。
「何よ。」
「・・・いや。」
 ヤマトは小さく笑った。何となく笑い続けた。
「・・・。」
 笑うヤマトを見詰めていたナツメは。やがて一緒になって笑い始めた。二人で長々と笑い合った。そして。

「笑うとケッコウ可愛いじゃない、ヤマト。ね・・・。アタシと結婚しない?」
 唐突に、そう言った。
「・・・。」
 瞬間。
 ヤマトは椅子から転げ落ちた。
「何よ、失礼しちゃうわねっ!!」
「な・・・!!な!な!」
「・・・良いじゃない。どうせ、ヤマトと結婚しよう人間なんて、この村には居ないんだからさ!!」
「・・・。」
 随分なセリフだが、ヤマトは怒るよりそんなコトを言い出したナツメの真意の方が気に掛かった。
「何も俺なんかで間に合わせなくても・・・。ナツメなら選り取りミドリだろう・・・?」
「もういいのよ。正直、男なんて懲り懲り。」
「ナツメ・・・。」
「ねえ。結婚しよ、ヤマト。きっと私たち幸せになれるわよ。」
「ナ、ナツメ・・・。俺。・・・その。女性を抱くコトは・・・。」
 自分の未熟な性器では無理だと言おうとしたヤマトの言葉を遮って。
「分かっているわよ。言ったでしょ。男はコリゴリだって。」
 ナツメは微笑んだ。
「二人で暮らすのは、きっと楽しいわよ。それにアンタだって・・・。もうコリゴリでしょ。」
 何にとは言わなかったが、ナツメはそう言ってヤマトを見た。微笑む彼女は、何だか聖母のように見えた。

「ナツメ・・・。」
 ヤマトははじめ、そんなコトを言うつもりでは無かった。だが。
「・・・都に置いてきたオトコのこと。そんなに好きだったのか?」
「・・・。」
 ナツメは。大きな目を更に大きく見開いて、ヤマトを見た。
 アマリにマジマジ見詰められたので、ヤマトはバツが悪くなり、俯いてしまった。
「・・・ごめん。余計なコトを・・・。」
 だが、その言葉を遮って。諦めたようなナツメの声が聞こえた。
「とんでもないロクデナシだったけど・・・。」
「・・・。」
 ヤマトは顔を上げた。ナツメは、手に頤をついて、どこか遠くを見ていた。
「ホームシックで泣いていた私を、公園のベンチで一晩中手を握っていてくれた。仕事で失敗して落ち込んでいいる時は、両手イッパイのバラの花束を買ってきてくれた。それから・・・。」ナツメは唇を噛んだ。
「・・・。」
「忘れられない、と思うわ。殺してやりたいホド腹の立つトコロも合わせて・・・。」
「・・・。」
「だって、皆が羨む自慢の彼だったのよ。」
 ナツメは綺麗に微笑んだ。
 見たこともないほど綺麗だと、ヤマトは感嘆した。
 自分を捨てた男のコトを、これほど美しい表情で語ることが出来る。
 オンナは凄い。
 ヤマトは小さく溜め息を吐いた。


 その瞬間(とき)だった。

「!!」
 微かな地鳴りのような物音を、ヤマトの耳が捉えた。
「・・・!?」
 辺りを見回す。
 祭りに興じている村人たちは、何も気付いていないようだ。華やかな音楽が流れ、若い男女が村の中央広場でダンスを楽しんでいる。毎年、この祭りの後は、結婚式のラッシュとなる。そういった意味でも、村にとっては大事な行事だった。
「ヤマト・・・?」
 ヤマトの異変に気付いたナツメが、怪訝そうに声を掛ける。
 ヤマトは目を閉じてもう一度耳を澄ました。
(・・・間違いない。)
 気のせいでは無かった。これは・・・。騎馬の足音だ。しかも複数。
「・・・。」
 ヤマトは目を開いた。村長の姿を目で捜す。
 どう考えても、異常事態だ。こんな片田舎に、騎馬の集団がやってくるなど普通では無い。
 ここは隣国との国境は比較的近い。関係が悪化しているなどという噂は聞いていないが、最悪の事態を考え、ヤマトは頬が引き攣るのを感じた。
「・・・ナツメ。家に帰れ。」
 ヤマトはそう言うと、村長を捜しに駆け出そうとした。その腕をナツメが掴む。
「な・・・、何!何よ!?一体、どうしたの?」
「ナツメ・・・。」
 ナツメが、今まで見たことも無いような不安な表情で、ヤマトに縋っている。ヤマトの緊張がダイレクトに伝わってしまったようだ。
 ヤマトはナツメを宥めようと、口を開きかけた。だが。
 そうこうしているウチに、地鳴りのような音はどんどん大きくなって、ヤマト以外の人間の耳にも届くようになってきていた。


 このアタリでは滅多に聞くこと無い複数の騎馬の足音が響き渡る。
 祭りを行っている村の広場を囲むように、森が広がっている。その森の奥から轟いてくるソレ(・・)は。夜闇と溶け合い、不吉な何かを帯びているように感じられた。
「な・・・何?」
 聞いたことが無いだろう轟きに立ちすくむナツメを、ヤマトは無意識に自分の背後に押しやる。
 楽しげにダンスや食事に興じていた村人も、不安気に辺りを見回し始めた。
「・・・ちっ!!」
 反射的に腰のアタリを探って、ヤマトは舌打ちをした。当然だが、帯剣していない。ここではヤマトはただの鍛冶屋だ。その必要も感じたコトは無かった。家に取りに戻るヒマも、無さそうだ。
「・・・。」
 いざとなれば。
 元とはいえ、騎士であった自分が村人を守らねばならない。ヤマトは唇を噛むと、すばやくアタリを見回して武器になりそうなものを捜した。手近な木の枝をへし折ると、腰に挿してあったナイフで、枝を削り取る。
 と。

 不吉な地鳴りが、唐突に止んだ。
「・・・!!」
 ヤマトは身構えた。
 必死で、殺気が無いかどうか周辺の空気を探る。

ザッ!!

と。
「!!!」
 ヤマトには気配すら感じさせず。
 森の木々を掻き分けて、一人の騎馬兵が村の中央広場に、姿を現した。
「っ!!!」
 甲冑に身を包んだその姿。いや・・・。
 その黒い姿には見覚えがあった。王都の騎士団。いやそれ以上に。
 ヤマトは、自分が呻き声を上げたことにも気付かなかった。

 その騎士は、ひらりと地に降りると面当てを取り、ゆったりとアタリを見回した。
 広場の中央の大きな篝火や、明かり取りに置かれた小さな炎に浮かび上がる、その桁外れの美貌。
「・・・っ!!!」
 ヤマトは、息を呑んだ。
「ひゃーっ!!超のつく美形っ!!」
 ヤマトの背後から様子を伺っていたナツメが、嬌声を上げた。いやナツメだけでは無い。年頃の少女たちは皆、悲鳴のような声とともに、その騎士を見上げていた。
 だが。
「・・・!!」
 ナツメを守るように立っていたヤマトは、女性陣の嬌声を合図に、ナツメの背中に逃げ込んだ。
「ちょ・・・!!何よ、ヤマ・・・。」
「シーッ!!」
 ヤマトは唇に人差し指を当てながら、小さな声で叫んだ。
 心臓が早鐘のように鳴っている。
 なんでなんでなんでなんでなんで。
 彼がここに?
 王都で何か起こったのか!?
 ヤマトは完全に混乱していた。


「・・・。」
 何も言わずに村人たちを睥睨している、不遜な。だが、どう見ても人品卑しからぬその若者に。彼を取り囲むように立っている村人たちの中から、村長(むらおさ)が歩み出た。高貴な人間に対する礼とともに、言葉を紡ぐ。
「・・・・私は、この村の長でございます。騎士さま。我が村に、何の御用のムキがございましょうか・・・?」
「ヒトを捜している。」
 騎士は、素っ気無く答えた。
 自分の身分を名乗るつもりは無いようだった。だが、身分など訊かなくても、男からは常に他人(ひと)の上に立ち、従わせている人間の威厳のようなモノがその全身から漂っている。
「名はヤマト・レーネ。最近、王都からこの村に戻って来たハズだ。」
「・・・。」
 それを訊いて、微かなザワメキが、村人の間を走リ抜けた。


「!!!!」
 ナツメは首を捻って、自分の背中に隠れているヤマトを見た。
「・・・あ、あんた・・・。お尋ね者だったの・・・!?」
「・・・!!」
 ナツメの言葉に、ヤマトは首をぶんぶんと振った。
《じゃ、どうしてアンタを探してるのよ!?アレって、どう見ても、王都の騎士でしょっ!!》
 押し殺した声で、ナツメが叫ぶ。
《・・・そっ、それは・・・っ!!その通りだが・・・!!》
 確かに王都の騎士だ。
 しかも信じられない程の大物中の大物。
 自ら。わざわざ自分で!?一体、何故!?
 ヤマトは完全に混乱していた。
「・・・。」
 従者であるヤマトが、主人であるグリフィスに許可ももらわず騎士団を辞めるコトなど通常では許されない。だがヤマトの公式の所属が第三騎士団にあるという非常に変則的な、特別扱いであったがゆえに、事務手続き上すんなり退団がかなったのであった。
 だが。だが書類上はどうあれ、実質主であったグリフィスに対しては、非常に礼を欠いた行いだったのは認めるものの。
(よもや。追い掛けて来る程、怒るとは・・・!!)
 もしかして。ヤマトの行為がまた(・・)彼のプライドを傷つけたのだろうか。
 そう言えば。あの剣合わせのアトも、しっかりとヤマトを待ち伏せて襲ってきた。もしかして、実は物凄く執念深いタチなのか!?もしかして。もしかして今度こそ、怒りのあまり、わざわざヤマトを斬り捨てるために、この村にやって来たのだろうか。
 ヤマトは恐る恐る、ナツメの背後から男の様子を伺った。すると。
「・・・でも何か、どっかで見たコトあるわね、あの騎士。ヤマト。一体誰よ、あのチョーイケメン?ナニゲに有名人?」
 ナツメが眉を寄せて、訝しげに呟く。
 ヤマトは脂汗を流していた。ナツメは王都に居たコトがあるんだった。何かの折りに大貴族の顔だって見る機会があったかもしれない。
「・・・知らない。」
「そんな訳無いでしょっ!!アンタの名前を言ったじゃない!!」
「・・・。」
 ヤマトは、ゴクリと唾を飲み込んだ。ナツメの声が高くなっている。いつ騎士がこちらを向くか、気が気ではない。
「ヤマトォ!?」
 ナツメの声に、年季の入ったイジメッコの恫喝が混じる。
「・・・えーと・・・。その。つまり・・・・・・。」
 年季の入ったイジメラレッコのヤマトは。大慌てで口を開いた。何か何とか、この場をウマク誤魔化さなければ。ヤマトは、表情にはアマリ出ていなかったが、脂汗を流しながら、言葉を捜した。
 無意識だった。
 追い詰められていたのだ。
 ナツメの言葉が、印象深く心に残っていたのかもしれない。
 口走った。
「・・・じ・・・!!」
「じ?」
 ナツメの眉間に、可愛らしい皺が寄る。

「自慢の・・・。カレ・・・?」

「・・・。」
「・・・。」
 二人の間に、重苦しい沈黙が流れた。やがて。
「ああぁ・・・?」
 地の底から響くような声で、ナツメは言った。
「い・・・いや、その・・・。」
 ナツメの彼のハナシを引用したのは拙かったと、ヤマトは急速に顔色を失っていった。
「何、あんた。アタシを馬鹿にしてる訳!?ヤマトの分際で・・・っ!!」
「・・・。」
 ナツメに胸倉を掴まれて、ヤマトはぶんぶんと頭を振った。

「大体、無理だっての。私の身体で、あんたのデッカイ身体が隠れる訳ないでしょっ!!このデカブツ(・・・・)ッ!!」
 遠慮ない音量で、ナツメが叫んだ瞬間。

「・・・確かに。『頭隠して尻隠さず』というヤツになっているな。」

 間近に聞こえたヤマトには聞き覚えのある。そしてナツメはマッタク知らない声に、二人は同時に顔を上げた。
「・・・。」
「・・・。」
 いつの間にか。
 村には場違いな美丈夫は、二人の目の前に、腕を組んで立っていた。
 銀色の短髪に金色の瞳。冷たいほど硬質に整った完璧な美貌。そしてヤマトよりも大きな均整の取れた逞しくも美しい体躯。
 別世界の人間。村人は、おそらく全員がそう思っただろう。

 だが、彼は決して美しいだけの男では無い。そんなモノは彼の一つの特徴にしか過ぎない。
 鋭く人を射抜くような金色の瞳に余人を震え上がらせる険を込め。次期ヴァロア公爵グリフィスは、耳にした人間が凍りつくような冷たい声でこう言った。
「ヤマト・レーネ。いつ私が、従者であるお前に故郷に戻るコトを許可した?」
「・・・。」
 グリフィスの言葉遣いは、今まで聞いたコトが無い他人行儀なモノになっていた。怒りの大きさを感じ取り、ヤマトは返す言葉も無く、立ち尽くした。
「俺も舐められたモノだな。甘やかし過ぎたか・・・。」
 その瞬間。その美しい顔に浮かんだ笑みに、ヤマトは震え上がった。
 獰猛。
 そうとしか言いようがない笑み。獲物を前にした肉食獣が浮かべるとしたら、こんな風に笑うだろう。



「あの、第3騎士団の・・・。何ていったか・・・。いけ好かないチンケな男・・・、マルコとかいったか。あの男に、いきなり『ヤマトは貴方のオモチャじゃ無いっ!!』と詰られた。一体どういう意味かな。」
「・・・マ、マルコが・・・?」
「もしかして前の晩のコトを言っているのかとも思ったが・・・。」
「ま、まさか・・・。」
「ああ、違うさ。お前の退団のコトを言っていたんだ。俺がクビにしたと思ったらしい・・・。」
「・・・。」
「俺にしてみれば、本当に寝耳に水だ。」
「・・・。」
「何でこうなるんだ、ヤマト?」
「・・・。」
「お前のその得体の知れない頭は一体どういうロジックを描いて、騎士団を退団するという結論に達したんだ?」
「・・・。」
 ヤマトは唇を噛んだ。
 グリフィスには、一生分かるまい。下賎の者にも、イロイロな感情があることなど。
 ヤマトには。可愛い妻を貰ったグリフィスに仕えることは、もはや出来ない。
 決してだいそれた何かを望んでいる訳では無い。ただ、もう無理なのだ。
「・・・もう俺には・・・。」
 ヤマトは絞り出すように、声を出した。
「・・・貴方に、仕えることが出来ないのです。」
「何故だ。」
 間髪入れずに、グリフィスが言う。
「・・・。」
 ヤマトはもう一度唇を噛んだ。グリフィスには分かるまい。
 何故。追って来た。何故、『何故』と、問うのだ。何と答えれば、満足するというのだ。
「帰る場所があるからか?待っている人間が居るからなのか?」
 答えないヤマトに焦れたように、グリフィスが声を荒立てた。
「・・・。」
 ヤマトは答えなかった。答えることを拒んだ。
 グリフィスは、ゆっくり息を吐いた。そして静かな声で、自分で出した答えを語った。
「ならば。この村が無くなれば良い訳だ。」
「!?」
「今夜中に消してやる。跡形も無く、な。」
 ヤマトは、一瞬で顔色を変えた。慌てて顔を上げる。そこには。

 『ケイロニアの猛虎』と呼ばれるグリフィスの、荒れ狂う嵐のような激しい金色の瞳が、あった。

−to be continued−

2006.08.22

 敗因は、ヤマトの帰途。宿屋で熱を出していた時に、ある人物を絡ませようとしたコトにありました。そのせいで収拾つかない事態を招いてしまいました。いやはや。いいかげん止めよう、いきあたりバッタリ!!
 

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